『□■□■ 戯言堂へのお誘い ■□■□ 』

シュライン・エマ（0086）

「んーにゃー……ぐご、すぴー……。

　んぁ？　何かねお客さん……うにー、あたし？　んー、店主。なんつーか店主、それ以外の名前はないのです。

　んー？　ああ、ここ？　うん、なんつーか、アレだよ、夢とか精神世界とかアストラル界とか集合無意識とか異界とか呼ばれる場所。まあ、簡単に言うと、誰かと繋がった夢の中だねぃ？

　んでもって、この時期に来たってことはアレだね？　お客人、恋の悩みを抱えておいでと見えるね。ひっひっひ、べっつにそんな驚かなくってねぇー……片思い？　両思い？　倦怠期？　まあ何でもかんでも良いんだけどねー、あたしってば万能だから？

　うににー、名前？　ここはねー、戯言堂と言うのさ。真白の世界、何でも思い通りに出来る場所にある。それは何処でもないかもしれない、所謂ネバーランド？　取り扱いは、何でも。あー、でも恋心とかは賞味期限短いからあんまお勧めしない商品かもだねぃー？

　んで、何をお求め？　プレゼントでも、デートタイムでも、デートスポットでも、ちょっとした勇気でも、気の効いた言葉でも、何でもかんでも用意してあげるよんー。あ、タブーはね、死人！　死人に関するのは基本的に駄目なんだよ、ごめんねー。お代？　いーのいーの、どうせ道楽でやってるよーなもんだからさぁ。え、悪いって？　律儀だねぇ、今時の子にしちゃ。



　んじゃ、一つ。
　――――その心の満足でも一欠けら、頂きましょっか。



　さあって、何をお望みだねお客人？」

■□■□■

　異界都市で暮らしていれば、歩いている道の途中で突然誰かの世界に引きずり込まれることもさほど珍しいものではない。だが、角を曲がった途端に、店のカウンターに向かっていたと言う経験は――流石に初めてかもしれない。思いながら、シュライン・エマは目の前の少女を見詰めた。
　店の中は薄暗いが、辺りに積まれている雑多な雑貨は不思議と確認できる。帽子箱やクッキー缶、歪な形のマリオネットにバスケット、揺り籠に聖像。ランプの中には妖精が閉じ込められ、その身体から光を零している。分厚い本の上には人形の乗ったオルゴール。どこかで見た事のあるようなものばかりが、そこにある。

　知らないのは目の前の少女だけ。
　幼い顔には猫のように大きな眼。長くも短くも無い髪が白い顔を縁取る。黒い外套は肩幅が合っていない、そして、シニカルな物言いは何処か老人染みている。

　ふぅ、と、シュラインは溜息を漏らす。

「唐突に望みを聞かれると困っちゃうわね、もう少し前準備が欲しい所だったわ。そうね、悩んでいると言えば悩んでいるような心地は……無きにしも非ず、と言うところだけれど」
「それはそれは。まあ人なんて誰もが何かのめんどくさい適度な悩み事を持っているものなんだから、望みを持っていないほうが珍しいもんねぃ。ちょっとした悩みと言うのは、退屈しのぎに丁度良いモノなのさあー」

　くくくっと笑う少女は、虹彩の大きな眼をぐるりと廻してシュラインを見上げる。カウンターにだらしなく身体を伸ばす様子は、炬燵の上で丸くなる猫を連想させた。勿論彼女が猫である確証は無いし、彼女が猫でない確証も無い。何と言っても、百鬼夜行の跳梁跋扈には慣れきった世界で生活しているのだから。
　腕に抱えた紙袋の荷物を抱えなおすと、かしゃり、軽く音が鳴る。あまりゆっくりもしていられないのが本音なのだが、それを素直に言ったところでこういうマイペースな相手は解放してくれることが無いだろう。我が道を行くとは、つまり傍若無人なのだ。通行人を突然自分の世界に引き摺り込む相手なのだから、その度合いはかなりのものだろう。
　少女は目を細め、にっこりと笑う。
　爽やかさも溌剌さもない、ただ意地の悪い笑みだった。

「うーにーにー。まあこの時期に毛糸の買出しして溜息混じりに歩いてたんだから、おねぃさん、間に合わないんだろうねぇそれが」
「……大当たり」
「何作ってるのーん、マフラーかな？　セーターかもしれないか、帽子や手袋と言うのも捨て難い。ストールは女性向だしねぃー。見たところ多忙に多忙が重なったのかにゃー？」

　その通りだった。
　シュラインは苦笑を深めて溜息を吐く。

　興信所が忙しいのはいつものことだった。貧乏暇なしを地で行くあの場所は、臨時の調査員をいくら派遣した所で回転率が早すぎる。一段落着かない間にまた黒電話が鳴って、チャイムが乱打されて。そんな場所だと判っているし、慣れてもいる。去年だって一昨年だってそんな様子だった。だから随分早くに始めたはずだった――腕の中の紙袋、抱き締める力を強くすればふわりとした感触がある。いっぱいに詰められたのは毛糸。染みが目立たないようにと選んだ焦げ茶色は、ビターチョコレートにも少し似ている。
　いつも忙しいのは判っていたし、その時期も忙しいだろうことも分かっていた。調査に出向いて泊り込んで事務の仕事も片付けて、それからアトラスで頼まれた海外の怪奇記事の翻訳を。少し頼まれたから雑誌のコラムも手掛けて。忙しいのは判っていて、だけどちゃんと時間の配分をして。余裕を持っていたはずだったのに、出来上がるはずだったのに。

　本日二月十五日。
　腕の中にはまだ、玉の毛糸が残っている。

　一昨日、十三日に徹夜をすれば間に合うはずだった。眠らないために音楽をかけたり、携帯電話のアラームを一時間おきにセットしたり。誰かさんの真似をして濃いコーヒーを入れて、さあ正念場と。チョコレートは余裕のある時に作って冷蔵庫に入れていたから、残っているのは――作りかけのセーターだけで。
　日付を跨いで十四日になって、これなら間に合うだろうと思って。ラストスパートのためにもう一杯作ったコーヒーが失敗の元に、なってしまって。

「……間に合うはずだったんだけれどね」
「ふにん。コーヒー零しちゃったのかにゃんー、このニオイは」
「え？」

　意識を二日ほど遡っていた所で、気付けば少女が作り掛けのセーターを広げていた。濃い茶色のそれ、背中に広がっているのは巨大な染み。熱いコーヒーは毛糸を縮ませて見るも無惨な様子にしてしまっていた、が――それは始末したはずなのだ。糸を解いてそれでも駄目だと判断して、だからビニール袋に入れて今朝ゴミに出して。なのに目の前にはそれがあって。
　一瞬の混乱、そしてそれを次の一瞬で鎮める。ここは現実ではない、ここは、違う。だから何があっても許されるし何が無くても許される。少女はふぃんーっと妙な声を漏らしながら、後ろ身頃をくるくると眺めた。

「ふにふに。几帳面に編み進めてるね、目が大きくならないようにちゃーんと気を付けてる。うにーうにー、しかし痛いねー。後ろ身頃って基本的にひたすら編めば良いんだけど、相手のにーちゃんちょっと背中広すぎるよ」
「そうなのよ、あの人無駄に体格良いんですもの……シャツだってＬサイズが微妙にキツイんだから。今回だってギリギリになったの、ひとえにあの人のサイズの所為だと思うわ」
「でも脱力してないで、編み直してるぐらいにはたっぷりと」
「あ」
「愛情をお持ちのよーだね、おねぃさん」

　ふわり、少女の手には半分ほど編み掛けの後ろ身頃がある。編み棒も通しっぱなしのそれは、急いで作り直している最中のものだ。作り直そうにも毛糸が無くて、昨日の夜から編み始めた新しい後ろ身頃。そして、コーヒーを零してしまった後ろ身頃。両方が少女の手にある。
　彼女は笑う。

「ね、どっちが欲しい？」
「……どっち、って？」
「一つは可逆だねぃー。コーヒーを零した時間に巻き戻って、完成させるか。んでもってもう一つは、編成。労力と時間を交換する。汚れを移動させる、って感じなのかもしれない。さてと、おねぃさん、どっちが欲しい？」

■□■□■

「シュライン？」

　二月十四日、午後三時。場所は喫茶店。やっと一段落着いた依頼、興信所への帰りに、軽食でも取ってからにしようと寄ったそこ。
　客の殆どは男女二人組で、あちこちで愛を語らっている様子が見えた。中には頬を赤らめて、綺麗にラッピングされた箱を差し出している少女もいる。少しだけ羨ましくて妬ましくて悔しい心地があるのも確かで、だけどそれだけではないのも確か。微笑ましいようなくすぐったいような暖かい気持ちが、何となく胸に染む。

　目の前には探偵。差し向かいに座る、ここがいつもの定位置。カップル達がそうするように隣に腰掛けるなんて自分達らしくない、そうやって凭れ掛かったりするのは自分達の関係に相応しくない、ような気がする。定義なんてわからないけれど、それは自分と彼にとって不自然だから、らしくない、から。
　今はそう思う、だけど『この時』はそうじゃなかった。同じ時間を違う心地で過ごしている奇妙な感覚があって、それがなんだか少しだけ面白い。小さくシュラインが笑いを漏らすと、草間が訝しげな表情を見せた。ウェイトレスがエスプレッソを二杯運んでくる。シュラインは砂糖とミルクを入れて、草間は、そのままに口を付けた。

「なんだ、さっきから妙な顔して」
「女性に言うにはあまり相応しくない台詞じゃないのかしら、武彦さん？　ちょっと疲れてるだけよ、どうにか片付いて良かったってところかしらね……いつもの事ながら、どうして面倒なことばかり舞い込んで来るんだか」
「神様が日頃の行いを見ててくれないんだろ」
「だったら尚更こんなことにならないわよ」
「……待て」

　クスクス笑ういつもの自分、溜息を吐いてみせるいつもの彼。苦いエスプレッソに少しだけ顔を顰める様子。砂糖とミルクを入れれば良いのに、シュガーポットを視線で指せば、ハードボイルドはこういうものなんだとすまし顔が返される。

　エスプレッソは確かに苦味を楽しむものだけれど、それはミルクや砂糖で誤魔化し切れない味を楽しむものだ。必然、そのままブラックで飲むものではない。好みにもよるかも知れないが、コーヒーはもともと刺激物で胃を荒らすのだし、睡眠不足や過労があるのだから尚更身体に悪い。理屈でそう説いたことが過去に何度かあった、確か去年の今日も言った気がする。だから、渡したのはミルクチョコレートだった。勿論コーヒーの量は倍増したが。
　いつもの静かな時間がゆったりと流れる。興信所では電話が鳴っているのだろうが、知らないのだから、今は休息の時間だ。甘味の中の苦味、コーヒーの匂い。それを楽しみながら彼と一緒に過ごす時間は、いつだって嫌いじゃない。出来れば御機嫌……とまでは行かなくても、心穏やかに過ごしていたい。

　草間がふぅっと息を吐く。
　首を傾げれば、いや、と呟きが漏らされた。

「今日は朝から妙に疲れた様子だったからな。そのくせピリピリしててどうしたのかと思ってたんだが、いつも通りらしくて安心しただけだ」
「あらあら、探偵さんたら職業病ね。身内にまで気を張ってくれなくたって良いのに」
「単に怖ぇんだよ」
「てい」
「のわっ」

　角砂糖を一つカップに投げ入れてやる。跳ねた雫と到来する甘味に、草間がその顔を少し顰めて見せた。本人は気付いていないのだろうが、眼鏡にも水滴が飛んでいる。微笑を漏らせば、溜息。いつものように、いつもの時間が。

　本当は、『昨日のこの時』、シュラインは少し苛立っていた。毛糸の余裕も無くて、駄目になった後ろ身頃はどうしようもなくて。結局完成しなくて沈んだ気持ちのままで興信所に向かい、朝一番で調査のために飛んで行って。いつもの事だけれどそれが辛いなんて、まるで十代かそこらの女の子のように落ち込んでみたりして。
　休もうと言われて入った喫茶店では、バレンタインを満喫している人々が溢れている。町を歩けばムードはそれ一色。世界の敵と認識されてでもいるような居心地の悪さ。零から貰ったバレンタインカードすらも、素直には喜べなくて。

　馴染みの調査員に、『草間さんにあげたんですか？』と訊かれて。
　今更そんなことするほど若くないわ、なんて嘯いて。
　バッグの中にはちゃんと、綺麗にラッピングした箱が入っていたのに。
　渡すことなく、十五日になってから、自分で食べた。

　充分若くて女の子みたいなことをしていると、落ち着いてみれば思える。何をやっているんだかと、自分に呆れることも出来る。だけど落ち着いていなければそんな自覚も出来ないのは、当たり前の論理で論法だったから。
　目の前ではいつものように仏頂面の探偵がコーヒーを飲んで、自分もその差し向かいでコーヒーを飲んでいる。味は少し違うけれど同じものを。ああ、でも今日は砂糖を突っ込んでやったのだから、味だって少しは近いのかもしれない。そう思うとなんとなく、くすぐったい心地が胸に生まれる。まるで小人が身体の上で駆け回ってでもいるような、不快なようでやっぱり心地良い、そんな、感じ。

「そう言えば武彦さん、今日はもらえたのかしら？　バレンタインのチョコレート」
「要らんのに色々届けられてはいるようだな……正直甘いものはあまり好きじゃないし。何故だか零宛もあるようだし」
「まあ半分以上は調査に関わった人達からの義理だと思うけれどね」
「本命なんかあったら困る」
「あらあら、乙女心を傷付ける発言は頂けないわよ、ハードボイルドさん」
「あ、こらッ」

　隙を突いてミルクを入れて。
　同じ味のコーヒーを呑む。

「何してんだお前はさっきから」
「さーて、何かしらね？」

　くすくす笑えば。
　諦めたような溜息。

「交換しろよ、カップ」
「あら、どうして？」
「そっちの方が濃度低いだろう」
「なるほど」

　交換した白いカップ。
　甘い味の茶色。
　いつもと違う心地。
　いつもと違う味。
　ほんの少しだけ、甘い気持ち。










「セーターがね、本分じゃないのよ」
「ふににん？　そりゃまたどーゆー事なのかにゃーん」
「違うの。セーターが間に合わなくて、失敗して、それでちょっと苛立ってしまったのね、私。別に日付の上でどうだったところで、結局は大切に過ごしたいはずのいつもの一日だったのに。勝手に苛々しちゃって、何となく八つ当たりしちゃって」
「あにゃーん。喧嘩でもしちゃったのかなん？」
「今更そんな事で喧嘩なんかしないわ。だから、返って冷静にさせられて、申し訳なくて。一人で怒ってる私に何も言わないで、いつもの一日でいてくれたあの人に、悪いなーっと思って」
「ふにゅん」
「だからね、出来るのなら……ちょっとだけ時間をやり直させて欲しいわ。いつもの一日を、いつも通りに過ごしたい。不機嫌して無駄にしちゃった一日を、もう一度」
「うい、んでは了解だね――」
「え？」










　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「行ってらっしゃい、良い一日を」










　本当はそれだって嘘で。
　普通の一日より、もう少しだけ甘い一日が欲しくて。
　だからコーヒーに砂糖を入れてみたり。ミルクを入れてみたり。
　少しぐらいは悪戯なんてして、甘えてみたり。

　笑みを零せば訝しげな顔をされて、だけど溜息と一緒にカップを傾ける。どんな様子でいても、どんな状態でいても、どんな日でもいつも彼はそうしている。そうやって、どんな自分でも、受け入れる。ただ単純にそれを――受け止めて、認めてくれるから。
　居心地の良い何時もの時間を、穏やかに過ごしていられる。今日と言う日を彼と一緒に歩いている、それを実感出来る余裕が心の中にあるのだと思うと、ひどく贅沢をしている気分になれた。子供のように些細なことを喜んでいる自分を自覚するのは、ほんの少しだけ恥ずかしくあったけれど。

「シュライン、何か頼むか？　季節のタルトとかやってるぞ」
「ああ、いいえ。結構よ」
「コーヒーだけじゃ辛いだろ。空きっ腹に刺激物が云々って言ってたのはお前だしな」
「憶えてて止めないのは中々に悪趣味だと思うわよ、武彦さん」
「知らん」

　メニューを眺めているその隙にバッグから取り出したのは、綺麗にラッピングされた箱。こういう時はいつも、自分の手先が人より器用で良かったと思う。ひょい、と差し出せば、眼鏡の奥で少しだけ瞠目する気配。ポーカーフェイスが少しだけ崩れるのが、おかしくて、笑った。
　けっして少し頬を赤らめた彼が変だったのではなくて。

「はい、今年はちゃんとビターチョコ」
「……ああ」
「だから、エスプレッソのお代わりにはちゃんとミルクとお砂糖入れてちょうだいな」

　そしたらまた一緒に、同じ味のコーヒーを飲むから。

「セーター作ってたんだけど、昨日コーヒー零してダメにしちゃったのよね。出来次第渡すわ」
「どぎついピンクだったら更にコーヒー零すぞ」
「あら失礼ね、ウサギがついてるだけよ。零ちゃんのあのウサギ、再現するのに苦労したんだから」
「おい」
「冗談よ」

　言葉は驚くほどするりと飛び出して、簡単に日常を通り抜けて、少しだけ嬉しさとくすぐったさと愛しさが深くなった気がして、そんな心地でもう一杯頼んだコーヒーに彼はちゃんと砂糖とミルクを入れてくれたから――

「……彼女の名前、訊き忘れたわ」
「ん？」
「なーんでもない」

■□■□■

「はい、毎度ありっ☆」



■□■□■　参加ＰＣ一覧　■□■□■

００８６　／　シュライン・エマ　／　二十六歳　／　女性　／　翻訳家＆幽霊作家＋草間興信所事務員


■□■□■　ライター戯言　■□■□■

　こんにちは、今回はお任せと言うことでガタガタドキドキ書かせて頂きました…バレンタインノベルのご参加頂きありがとうございます、哉色です。早速納品させて頂きましたが、やはりガタガタドキドキが収まらず…(笑)　リアルに時候合わせ一日後設定にしてみたりとちょっと遊んでみましたが、少しでもお楽しみ頂けていれば幸いです。

バレンタイン・恋人達の物語２００５

哉色戯琴

東京怪談

2005年02月15日