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『白円光<咲花人> 』
月宮・奏4767


 例えばそれは、光。真っ白な光。
 形は丸く、優しく、柔らかい。まるで真綿のように包み込む。全てを許容し、壊れぬように大事にしてくれている。
 守り、愛し、盾となってくれている人がいる。それは昔から変わらない。
 自分が凛と佇んでいられるように、ずっとずっと盾となってくれている。


 月宮・奏(つきみや かなで)は、台所に立ったままで考え込んでいた。目の前の小鍋からは、柔らかな湯気が立ち昇っている。甘い香りをさせながら。
(それはまるで、湯気のよう)
 ふと奏はそう思い、じっと湯気を見つめる。傍らにはココアの粉の入った袋と、口の開いた牛乳がある。
(優しく包み込むんだわ。温かく……)
 奏はそっと牛乳の口を閉じた。手を伸ばし、ぎゅっと閉めてから冷蔵庫へしまう。出したものはきちんとしまうのが、普通なのだから。
(……普通、か)
 奏は溜息を一つつく。普通、という言葉がどれだけ重い意味を持っているのかなど、奏には分からない。
 奏は自覚しているのだ。自分が、普通という枠でくくることができないという存在だという事を。
 それは『月宮』という退魔の家柄に生まれたという、それだけではない。なるほど、退魔の家柄ならば普通とはいえまい。しかしながら、退魔の家に生まれたとしても至極普通に生活している者など、両の手では数え切れぬほどいるのが現実だ。
(私は、普通ではないから)
 こうして小鍋と対峙して甘いココアを作っている自分は、どう見えるのだろうかとふと考える。恐らく、どこにでもいる少女なのだと思われるのではないだろうか。
(普通とは、違うのに)
 奏は苦笑する。普通とは違うという事は、決して嫌な事ではない。強大な力を持っているからといって、その力の大きさに嘆いた事は無い。幼い頃から自然に理解をしていたのだから。それに加え、家族が自分に愛情を注いでくれていたのだから。
「選ぶのは……私、か」
 奏は小さく呟き、そっと目を閉じた。かつての自分と対峙するために。


 奏が生まれた時の事は、忘れる事は出来ないのだと両親は話してくれた。幼い奏を、不安そうな目で見つめながら。
「お前に神格と霊刀を授けに、神が降りてきたんだ。初めて見たよ、間近で」
 そう、父親は言いながら苦笑した。
「選ぶのは奏ちゃんだと、そう言っていたわ。何の事だか、分からなかったけど」
 そう、母親は言いながら微笑んだ。
(それは、嘘)
 小さな奏でも分かるような嘘であった。両親たちは言葉を紡ぎながらも、分かっていたのだ。当時遭遇してしまった出来事が、何を意味しているのかを。
(私の、この力が……ううん)
 ぎゅっと小さな手を握り締めながら、奏はじっと両親の話を聞いていた。神が何を言いたかったのかも、何を選択させようとしているのかも、何となく分かっていたから。両親もそれはきっと、分かっているのだろう。だからこそ、笑いつつも不安な目をして奏を見ているのだ。
「よく、分からない」
 奏は小さく告げた。そう言うしかなかったようにも思えた。その言葉を告げると、両親はほっとしたような表情を見せてから、口々に「難しかったよね」と言った。
(ごめんなさい)
 奏が分かっている事すら、もしかしたら両親は分かっていたのかもしれない。しかし今は、奏が紡ぐ言葉を信じる事にしたのだろう。
(私は……愛されているから)
 自分の事を家族が愛してくれている事を、奏は感じ取っていた。だからこそ両親のように自分が不安になる事はなく、ただ悠然と構えていられたのだ。
(だから、大丈夫だよ)
 奏は微笑んだ。両親も微笑んだ。ちょっとして合流した兄も、奏に優しく微笑みかけてきた。奏もそれに微笑み返す。
(大丈夫)
 奏は微笑んだまま、確信していた。この柔らかな空気に包まれている限り、全てが大丈夫なのだと。


 転機が訪れたのは、4歳の時だった。母親が、病死したのだ。
「お母さん……」
 奏は小さく呟き、こみ上げてくる涙をぼたぼたと流した。すると、必ず兄が傍にずっといてくれた。自分だって母親を亡くしてしまい、哀しいだろうに。
 それは、奏に孤独を与える事は無かった。母親が亡くなってしまった事は、何事にも変え難い深い悲しみをもたらしたが、孤独感は奏には与えなかった。傍に兄がいてくれたから。
 喪主として忙しく立ち振る舞う父親は、その忙しさで悲しみを振り払うかのようであった。兄は逆に、奏を守ることで悲しみを振り払おうとしたのかもしれない。
(お兄ちゃんが、いてくれる)
 動かなくなってしまった母親の悲しみを少しでも和らげようとしてくれる兄は、奏にとって大きく暖かな存在であった。
 それは一夜明けても変わらなかった。夜が明けても相変わらず父親は忙しく動き回り、兄は優しく傍にいてくれた。
「……なあに?」
 奏はふと、立ち上がって庭へと向かった。早朝である為か、空気が澄んでいた。奏はゆっくりと空を見上げた。そうしなければならないような気がして。
 すると、空から神々しい光が舞い降りてきた。自らの内に眠る力が、それに呼応するかのように大きく脈打っていた。
(ああ……これは……神、だわ)
 奏は目を細めながら光を見つめた。光はゆっくりと降り、奏の目の前で止まった。優しく暖かな光が、奏を照らす。
「……大きくなりましたね」
 神がそっと語りかけてきた。奏は何と答えていいのか分からず、とりあえず頷く。
「あなたが望めば、神として生きる事が出来ます」
(来た、のね)
 奏は悟る。両親の言っていた『選ぶ時』が訪れたのだと。
 あの時以来、家族は誰一人として奏の神格について口にしていなかった。口にしたくなかったのかもしれない。何となく奏が悟っていたのに気づいていたのかもしれない。だが、一度として口にしてはいなかったのだ。
 それでも、奏は分かっていた。いつしかこのような日がくるかもしれないという事に。それが自分の内に眠る、強大な力の原因なのだと。
「……私は、ここがいい」
 ぽつり、と奏は呟いた。言葉を待つ神に、奏は顔を上げて微笑む。
「私は、ここがいい。……ここで、生きるの」
 奏の青く深い目が、真っ直ぐに神を捉えた。神は暫く黙り、それから満足そうに微笑んだようだった。
「……力だけではなく、相応しい器なのですね」
 神はそう言うと、ゆっくりとまた空へと昇っていった。奏はただ、それをじっと見つめていた。決して後悔はしていなかった。そしてこれからもする事は無いだろうと、確信をしていた。
 自分がいるべき場所はここ以外に無いと、思っていたのだから。


 甘い香りが一杯に広がったのを感じ、奏はゆっくりと目を開けた。小鍋のココアは、ほどよく温まっている。奏は小鍋を火から離し、二つのマグカップに入れた。二つのマグカップを持ち、リビングへと向かう。そこには、兄が目を閉じたまま座っていた。うたた寝でもしているのかもしれない。
 奏は小さく笑い、兄に向かって「はい」とマグカップを差し出した。兄はそれを受け取る事もせず、そのままじっと奏を見つめてきた。奏はきょとんと小首を傾げて兄を見つめる。
「……奏」
「何?」
 兄はじっと奏を見つめた。何かを探すかのように、兄はじっと自分を見つめていた。
「どうしたの?兄さん」
 再び兄に向かって尋ねると、兄はただ小さく笑った。
「いーや、何でもない」
 兄はそう言うと、ようやく奏が手渡したマグカップを手に取った。それを見て、奏も自分のマグカップに口をつけた。甘い香りが、口一杯に広がる。
「私は、ここがいいんだよ」
 ぽつり、と奏は呟いた。マグカップで自分の口を隠すようにして、兄に聞こえる事の無いように。
 兄を見ると、兄はぐいっと勢い良くマグカップの中身を飲み干し、息を大きく吐き出していた。何となくそれが可笑しく思え、奏は小さく笑ってしまった。
 甘く、優しく、暖かな空気に、包み込まれながら。

<凛と咲き誇る花の如く・了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月15日

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