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『イミウタ。 』
大徳寺・華子2991


 ツア――――――アアア――――オウウウ。
 アアアア――――ウトゥルルルルル――――ウグアアア。
 其は忌歌なりや、暁の、或いは夜が帳を撫ぜる歌。
 ン――――――――ナアア――――ら、ら、ら――――ロロロ。
 ニ――――アアア――――――エウウ。
 げるげるげると神は笑う、もりもりもりと喰いながら。


◆そう、私は覚えているのさ。聞きたいのかい、私の覚え歌。


「いいだろうよ。あんたはいい目をしてる。視線、あっちやこっちにイッちゃってサ。あんたはそれ以上堕ちやしない……私の歌を聴いて、覗いてご覧よ。あの夜も暗がりも、きっとみぃんな同じものに見える。何に見えるかって? そりゃ、決まってるだろぅ……神の、大口の中だよ……」


◆私は、大徳寺華子。もう誰も、私や私の家のことを覚えちゃいないだろう。ぼろぼろの系譜にだって、載っているかどうか怪しいもんさ。まァ、そのおかげで、今じゃ前より気楽に過ごせるようになったけれどね。
◆……さァて、私には、姉がいた。
◆私と、何もかもが生き写し。ほくろの位置だって同じ。親でさえ、そりゃもうしょっちゅう、私たち姉妹を呼び間違えた。けれど、あの、名前さえ忌まわしい神の奴は、私たちを見紛うことは一度もなかったよ。
◆神――
◆そう聞いて、何を想像した? 白い髭の爺さんかい?
◆あの神は、そんな生易しい姿じゃなかった。人間より二周りくらい大きいくらいで、熊にも見えたし、毛の生えた蟇蛙にも見えた。ともかく、そんな神々しいお姿じゃアなかったのさ。……けれどね、その大きさは、まやかしなんだよ。大砲やら斬馬刀やらで何とかなりそうなその大きさは、神があんまりものぐさだから、わざと小さくしているだけさ。どんなものでも、大きすぎたら、何かと面倒だろぅ? あいつは――あの神は、いつだって、どこでだって、自分の大きさを変えられる。
◆私は見たよ。あの神が、夜と同じくらい大きくなるのを。
◆「華子! 華子! ィヤーアアア! 助けて! 逃げて! イギャアーアアア! ニギャーアアーア! ヴァアア、ナアアアア、ゴオオオウウウ!!」
◆そうして、私は喰われたんだよ。
◆ああ違った、喰われたのは姉の方だっけ。
◆どっちでもいいサ、どうせおんなじ顔、おんなじ歳、おんなじ声、おんなじ価値なんだから。


◆大徳寺は、代々、神に祝詞を捧げることによって、富と長寿、快楽と怠惰を授かってきたんだ。
◆祝詞が、歌さ。子守唄ならぬ、神守唄。
◆祝詞を挙げている間――歌をうたっている間、神は眠りながら私たちを愛でる。
◆始めの頃、私たちは嬉しかった。私たちは、人前で歌をうたうことを禁じられていたから。……神のためにある歌、私たちはそれしか歌を知らなかった。人間にとっては、聴くに耐えない歌なんだよ。
 ツア――――――アアア――――オウウウ。
 アアアア――――ウトゥルルルルル――――ウグアアア。
◆ほらね、ちいっとも楽しい歌なんかじゃないだろぅ?
◆神だけが、悦んで聴いてくれたんだ。

◆けれど……何時の頃だったかねぇ。
◆あああ、何時頃だったのかねぇ。ああああ。
◆私たちは人間で、成長して、いろんなことがわかるようになっていくもの。自分たちが置かれている立場が、『異常』か『正常』か、時間が経てば自然とわかるようになってくる。
◆私たち姉妹は片足を黒い紐で結ばれて、窓もない部屋に押し込められていた。ほしいものは言えばなんでもくれたから、不自由はしなかったけれどね。
◆ああああ……はじめに私に耳打ちしてきたのは、姉のほうだった。
◆「華子、華子、紐を切ろう。ふたりで、おうちを、出て行こう」
◆うんうん、私はふたつ返事で話に乗った。ああああ、私と私は、莫迦だったのさ。若かった、なんていうのは、言い訳さ。
◆私たちはみぃんな、莫迦だよ。あの神に比べたら……あの神を人間だととくのなら、人間はメダカに喰われるミジンコ以下の存在なんだ。
◆私は歌うミジンコ。ミカヅキモ、ゾウリムシ。私は花にもなれやしない。

◆黒い紐を切って、けれど手と手を繋いで、けっして離れやしまいと誓い、私たちは裸足で走った。黒の夜、月も見えない、あの闇の中。私が転べば姉も転び、姉が擦り剥けば私も擦り剥いた。私たちは、切った紐に繋がれていたのさ。
◆あーアアア、今でも思い出す。あの風。あの闇。
◆私たちは、あの神の口の中を走り回っていたのさ。
◆あーハハハ、おかしな話だよ。


◆『唄え』
◆夜がそう怒鳴ったんだよ……。
◆森の中を走っていたはずなのに、私たちが倒れたのは、あの神の膝元だった。神は、夜と同じ大きさになっていたんだ。いつもは眠そうな目を大きく開いてた。そのぎらぎらした沼みたいな目の中に、私たちの闇の家があり、祠があって、焔があった。私たちの家は燃えていたんだよ。そうして、ずぶずぶ土の中に引きずり込まれていっていた。
◆『うぬらは、余のための歌である。余のものが余のもとを離れるとは、面妖なことよ。余は今こそ歌を愛でよう。欲しよう。腹をも満たすとしよう。イイイ――――――アアア、歌え、嘆き、臓腑をもて』
◆あの声もあの目も、夜そのものだった。ただ、ぎらっと光ったものがあった。それが神の牙だった、涎だった。私の太股を引き裂き、骨を砕いて、私は叫びながら顔を歪める。誰も助けには来てくれなかった。来ようにも、夜のあぎとの中になんて、誰が入って来れると思う?
◆あ
◆あ
◆あああ、違った。喰われたのは、姉だってば。
◆私は悲鳴を上げていただけ。神を呪い、恨んで、怒号を上げただけ。ああそれなのに、その叫び声すら『歌』だった。ぼりぼりごりぼり咀嚼しながら、げるげるげると神は笑う。
◆言葉にいくら恨み節を乗せても、それが私の神の歌。

◆神は私たちを許しはしなかった。私たちを殺し、喰らって、夢を見る。私は呼ばれたときに神の前に行き、歌をうたわなくちゃアならないのさ。


◆あああ、何だって?
◆私は生きていて、こうして歌を聞かせているじゃないかって?
◆そうさ、私はここに居る。ここであんたに歌を聞かせてやっている。けれど、そいつはどうだろう。私は生きているって証拠になるのかい? もうこれ以上歳をとることもなくなって、死ぬことさえない私は、生きている人間だといえるのかい? 死んだ人間は、それ以上歳をとることもないし……もう一度死ぬこともない。


「だから私は死んでいるんだよ」


◆あのとき、神に喰われてしまったんだよ。命という命を、あの神に取られてしまった……お仕置き、ってわけさ。


 ハアアア――――イアアアア。
 あんたァ、まだ聴くのかい。
 物好きだねぇ、もう夜なのに。
 そうだよ、夜だよ、神がはじまる。
 ツア――――――アアア――――オウウウ。
 アアアア――――ウトゥルルルルル――――ウグアアア。
 あああ、眠い、眠いよ、私は莫迦さ。
 誰も私を救えやしない。


◇ぐったりと、眠りについたように項垂れる男を捨て置いて、フラフラとおぼつかないような、ツカツカと確かなもののような、狂える足取りで女は立ち去っていった。女が向かった先は灯かりさえもない暗闇の中だ。しかし、その闇の中に、まるで隙間のようなふたつの長い目が開き、目元に、ゆったりと歪んだ笑みを浮かべたのだった。




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月15日

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