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『◇◆混色六花◆◇ 』
久我・高季3880


執着の形恋慕の傷所有の印その左目の―――



「なるほど。たいした悪食だ」

 唇に薄く笑みを浮かべたまま、高季は呟いた。和室に似合いの端座は、潔く伸びた背筋が美しい。
 春はまだ遠く、障子越しの闇は深い。真冬の冷気が、畳み目を舐めて病床に臥せる少女の身体にまつわりつく。血の気の失せた幼い唇が震えた。
 高季は眉を寄せる。
 久我でも一、二を誇る符による結界に挑もうとする意志がある。綻びはありえない。だが総毛立つような昏い魔性は人から生ずると知るだけに接触はひどく不快だった。
 悪意と苛立ち。怨恨にも似た、これは恋慕だろうか。
 これでも、恋慕だろうか。

(―――どちらにしろ、時間はない、か)

 障気は気配だけでも衰弱した少女の身体に障るだろう。六歳の子供を殺して成就する恋などないと、懇切丁寧に諭してやる時間はないのだ。
 口中で呪を唱え、結んだ剣印で横一文字に空を薙ぐ。拒絶。遠く。女の悲鳴が脳裏に響いた。同時に湧いた強い芳香に、長く息をつきそうになる。呆れたのだ。

(今度は俺を誘うのか。まったくもって趣味が悪い)

「―――先生」

 呼ばれて、目を開けた。広い和室に上質の寝具。横たわる少女の青ざめた瞼。体中に散る花弁にも似た赤い斑紋も変わらない。

「久我先生」

 気鬱と疲れを滲ませた声に、高季は改めて居住まいを正す。こちらは確かに肉持つ声だ。先の悲鳴の主ほどの若さはないが、歳月の分だけ重みを増し、低く穏やかに変化した女性の呼びかけは母親の強さも有している。
 高季は医師の顔で憂い顔の女性と向き合った。

「はい」
「あの…どうなのでしょうか、娘は――」
 
 助かるのか、と続く言葉を遮って、高季は告げた。

「水疱瘡なのでご心配なく」
「―――………は…?」

 やんわりと笑む青年医師を前にして、少女の母は失語した。
 即座の理解を感情が拒む。見開いた目には激昂の兆しがあった。成熟した美貌が母の面から般若のそれに様変わる。言うに事欠いて水疱瘡とは何事か。身体中の発疹以外に共通点などまるでないのは素人目にも明らかだ。発熱もせず痒みも訴えず不調を嘆くことすらない。娘は。一月前から一瞬たりとも目を覚ましていないのだから。
 眠り続ける子供。静かな呼吸で。寝返りさえうたず。日に日にやせ衰える愛娘になす術がない。医者にはかかった。病院も回った。権威だと聞けば金に飽かせて呼び寄せた。幸い夫は政財界に顔が効く。冷え切った愛情のよすがに縋って手に入れた切り札がこれなのか。

「治りかけなので、目を覚ましたら消化の良いものを」

 淡々と指示する若い医師に殺意さえ芽生える。

「…ふざけないで…っ。眠ったままなのよ?どの世界に一ヶ月も発疹の消えない水疱瘡があるの?助からないなら助からないって誤魔化さないで言いなさいよ!!」

 どの分野の権威かは聞いていない。だが夫は最終手段だと言ったのだ。今の自分が助力を請える最後にして最大の人物だと。彼で無理なら諦めろ。そして疑問を差し挟むな、と。
 取り乱した暴言にも、医師は端麗な姿勢を崩さない。

「貴女の望む答えは、残念ながら差し上げられない。とりあえず発疹は消えたが」
「なに言っ………え…?」

 激情に揺れる視線を、左右で色の異なる静かな瞳が受け止める。右の蒼灰と左の朱金。視線が絡む。瞬間ゾクリと背に走った怖気に、母の気勢が完全に止まる。息すらも。小さく漏らした悲鳴は全くの無意識だ。

(―――怖い)

 医師は微動だにしていない。凶暴な気配は微塵もないのに、何故だか大型の獣と不用意に視線を合わせたように身が竦むのだ。

「目は覚めるだろう。明日にも必ず。貴女も少し休まれたほうがいい。ずいぶんとお疲れのようだ」
「あ………」

 労る言葉と促す素振りに正気づき、まろぶ勢いで子供に取りすがった。顔を見、パジャマの襟を緩めてはだけさせ、全身をくまなく検分し、最後に桃のような頬を両手で包む。涙があふれた。

「ああ本当に…っ」

 消えていた。あの赤い花弁のような不気味な発疹が一つ残らず。

「どうやって…」
 
 喜びの嗚咽に混ざる疑念を、隠せぬ畏怖を、懸命に飲み下す。「疑問を差し挟むな」との夫の声は、常になく震えてはいなかったか。脅えては、いなかっただろうか。

「もう大丈夫だ」
「はい」
「水疱瘡なので」
「……はい…っ」

 震えながら頷いた。額に畳みの痕がつくほど頭を下げる。感謝してもしたりないのは知っている。きっとこの恩には報いるから。だから―――。
 節張って長い青年の指が動くたび、袖から覗く赤い斑点には、気づかぬ振りをさせて欲しい。
 
「では。お大事に」

 青年医師の穏やかな声が、最後に聞こえた。
 立ち去る姿を見送ることはできなかった。顔を上げることはできなかった。誰も責めることのない声音が、その揺るぎなさが。本人でさえ無自覚のあやまたない優しさが。

 責められるより、痛かったからだ。


□□□□


「ではお大事に」

 そう言って部屋を辞しても、少女の母親は顔を上げなかった。自責の念の強い人間はどこにでもいるが、あまり気に病まれても困るな、と思う。責めは漁色家で女性関係の因果を家に持ち込んだ彼女の夫が負えばいいし、うまく立ち回れない己の不手際にも一因くらいはあるだろう。
 高季は障気の固まりを、ぞんざいに蹴り飛ばしながら玄関口に向かう。
 外気に身を晒すと、握っていた右手を開いた。三枚の白い花弁が、てのひらに張り付いている。親子の和室から失敬したものだが、風もないのに揺らめく様が尋常ではない。

「さて、道案内を願おうか」

 囁いて、二言三言呪を唱える。高季の手中で光りを放ち、それは世にも優美な白鷺となった。数度羽ばたくと、北東に向かって紫紺の空を翔ていく。
 口の端で、高季は笑う。
 あの花びらまみれの室内で、高季が妖に気づいたように、妖もまた高季に気づいた。理を正す者。陰陽師の存在に。

「俺は気に入っていただけたようだ」

 直截な、マーキング。
 外科医の長い指先で、首筋に浮かんだ赤い斑紋にゆるりと触れる。目を細めた。朱金の左目が、剣呑に光る。

「だから悪食と言うんだよ」

 こたえる声は、今は、ない。


■■■■


 女の呪詛を返したのは、かれこれ一時間ほど前だ。
 痴情の縺れが生霊騒ぎにまで発展するのはまれだが、前例のない事態でもない。焦がれながら憎み、恋いながら恨む。「子供のために家庭は壊せない」と本末転倒な逃げ口上にも「ではその子さえなくば」と頑ななまでに思いこむ。待つ身の浅ましさを蔑むほどに高季は若くはなく、ただの哀れと見過ごすほどに年老いてもいない。
 だから返した。その怨みの一部を。
 放たれた呪の総てを返せば、確実に施した者を死に至らしめるだろうと解った。不相応に強大な力。そこに疑問が生じる。発生した霊障はあまりにも、素人が儀式も経ずに扱えるレベルを超えていた。言葉は悪いが身の丈に合わない。ならば他の誰かが、何かが介在した可能性はないだろうか。
 打ち捨てられた者に共鳴する魂を持ち、ただ人には持ち得ぬ力を有し、愛された記憶に縋って今の孤独を嘆く花。つまりは―――

「貴女、だね?」

 陰陽師の問いかけに、梅の古木が、ほろりほろりと花を散らせた。
 夜来香。
 足下には、三枚の花弁が蒼く虚ろな炎をあげてのたうっている。高季の放った式神が、梅の魔性に負けたのだ。

「名まで付けて愛しんでおきながら忘れ去る無情が許せないか」

 はらり、と白い花びらが舞う。
 枝振りの見事な、一重の大輪だ。小さなマンションの形ばかりの中庭には、奇妙なほどに釣り合わない。枝先が一階のベランダを跨ぎ越し、室内に侵入しているが、阻むガラス戸には掠り傷ほどの破損も見られなかった。
 枝も幹も透けていた。梅花の向こうに月が見えた。木は現のものではない。

「人の欲で土地を追われて、切り倒された無念を嘆くのか」

 高季は小さく息を吸い。

「それとも」

 ゆっくりと、言葉を続ける。本当は―――。

「ただ、淋しいのか」


 先触れの風が吹いて、高季の視界をつかの間奪った。舞い踊る花弁にむせ返る梅香。
 一瞬にして、界を隔てられたと知る。

 闇と古木と陰陽師。

 世界の総てはそれらで始まり、それらで成り立ちそれらで終わり。それ以上を必要としていなかった。

(これは―――逆鱗に触れたかな)

 どこか朧に、高季は苦笑う。図星を指されると立腹するのはなにも人間に限ったことではないらしい。捕らわれた、それは事実だ。今を限りの事実でもあったけれど。

『私の声が聞こえたのならば、貴方も眠りたかったのでしょう』

 囁く声音が、手招くようだ。甘く思考を濁らせる。固くゴツゴツとした樹幹から、驚くほど白くたおやかな女人の腕が伸びている。招く仕草。誘う仕草。導く仕草。腕は母であり娘であり妹であり恋人であった。懐かしく慕わしく愛しい者達。失った安らぎに身を任せて、眠る弱さを誰が愚かと責められるだろう。

『貴方も淋しくあるのでしょう。人の身で時の外にいる御方なれば』

 それが高季の逆鱗だと、信じて疑わぬ声だった。
 確かに触れれば痛む傷ではあるが。一人でなければ耐えられる、痛みでもあると知っている。

 ひらり、ひらり、と花びらが散る。
 ひらり、ひらり、と腕が招く。この手を取れば安らぎがあると。

「貴女と俺では二人でいても淋しいだろう。俺を捕らえる事ができるのはただ一人。既にそれとは出会っている。実に不本意なことだがね」
『それは御身の左目の…?』
「そうだ」
『抉り取ってしまえば?』
「魂をか?」
『………』
「生命をか?」
『………………』

 声は黙した。

「魂も生命もないカラの器でよければ貴女にやろう」
『―――残酷なこと』

 雪の風情で花が降る中、高季は目を細め、一歩一歩梅の古木に歩み寄る。ゆっくりと、右手の短刀を抜き放つと、白銀の直刃が応じて輝いた。退魔刀。柄まで呪言の刻まれたそれは、相応の呪力がなければ触れることさえ叶わない。鞘は人を選び、刃は縁を選ぶ。不浄の因果を絶つ為に。

「恨んでいい」
『いいえ』

 即答だった。まるで発せられる言葉を予想していたかのように。その答えには迷いがなかった。
 高季は唇を噛む。柔らかな拒絶が鋭い棘となって弱い心を貫くのだ。
 幹から吹き出す血飛沫を避けようともせず身体全体で受けとめて、赤い液体が筋となって頬を汚し首筋を汚し、雫が髪から滴り落ちて、それでもなお、高季は抱擁に似た殺戮の腕を解かずにいた。

『恨めばそこで終わりましょう。恨まずば傷となって貴方に残る。本当に人とはおかしなもの。人に愛でられる花でありたかっただけなのに―――ああだけど。刀で絶たれる梅などないから。私はとうに花ではないのね』

 否とも応とも答えなかった。界の果てから吹く風が、邪なる古木を攫って過ぎる。白い花弁は真紅に変わって足下に吹き溜まり、やがてそれも枯れ果てた頃、高季は小さく呟いた。
 情深く穏やかな腕を拒んで、孤高の獣の牙を選んだ。

「―――……悪食は俺か。そうだろう…?」

「   」

 呟いた名は風に溶けて、誰の耳にも届かなかった。


■■■■


「――はい久我…。ああ…先ほどは。娘さんが目を……それは良かった。………夢?いえご心配は無用かと。気味が悪ければ忘れておしまいなさい。そうですか…そんなに美しい夢ならば、忘れがたい花だと娘さんが言うならば、覚えていてもよろしいでしょう。…いえ、お気遣いなく。…………では、お大事に」




    -END-

PCシチュエーションノベル(シングル) -
小枝野カケス クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月15日

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