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『「その血もてわが身を」 聖歌 550番 』
紅月・双葉3747


「双葉神父!寝ていなくてはダメですってば!」
 関東聖印教会に所属している神父の一人紅月・双葉は、同じ教会に所属している神父に必死になって止められていた。
 傍から見ても少し蒸気したような赤みがかった顔は、熱が出ている事を物語っている。
「大丈夫です。それに、忙しいのですから、私だけ休んでいるわけにはいきません」
 止められているにも関らず、朝からこの調子で双葉は一向に周囲の意見を聞き入れる節はない。書類整理を終わらし、今度は箒を持って外へ出る。
 ゆっくりと掃き掃除を始めた所へ、いきなりきつい女性の香に、はっとして顔を上げた。
「紅月神父ですよね!私たちファンなんです!!」
 風邪のせいかどこか鈍った鼻が匂いを感知した頃には、もうすっかりあたりを取り囲まれていた。
(これは……)
 まずい状況だと頭が理解するに至るまでに、鈍痛を感じていた頭が意識を保つ事を放棄した。








 穴の中の黒い箱に百合の中を投げる、黒ヴェールのお母さん。
 僕の手を握る手が少し痛い。
 あの黒い箱の中に居るのはお父さん。
 お父さんはどうして起きないの?どうして埋めちゃうの?
 お母さんにそう聞いたら、僕をぎゅっと抱きしめた。

 家からお父さんが居なくなって、僕とお母さんは教会で暮らすようになった。僕も少し大きくなって、やっとお父さんが死んだんだって事を理解した時には、お母さんの心は壊れていた。
 きっと本当はお父さんが死んだときに、お母さんの心は砕けていたんだと思う。でも砕けた心でおばあさんと一緒に居る事は出来なくて、とうとう壊れてしまった。
 壊れた心は、お母さんを小さな女の子にしてしまって、本当の心をどこかに隠した。
 僕は祈る。
 お母さんの心が治るように。
 どうか主イエス・キリストよ、お母さんの心を返してください。
「ふたば……ふた、ば…?」
「なに?お母さん」
 祈る僕の後ろから、お母さんが抱きしめる。
 幼い笑顔に覗き込まれる。
 でも、その笑顔は僕の顔を見ると、眉を寄せてぽろぽろと泣き始めてしまった。
「ふたば……」
 呪文の様に呟く僕の名前。
「僕は大丈夫、大丈夫だよ。お母さん」
 お母さんを安心させたくて、僕は笑いかけると、その場に蹲って泣き崩れているお母さんを、今度は僕が抱きしめる。
 僕の笑顔を見て、お母さんも笑顔を浮かべた。







 穴の中の黒い箱に、百合の花を投げる。僕は12歳になりました。
 握り締めた拳が痛かった。
 あの黒い箱の中に居るのはお母さん。
 お父さんの所へ行くんだね。
 お母さんの中で全てだったお父さんが居ない世界で、6年間生きる事は辛い事だっただろう。
 でも、壊れた心で世界を見ていたこの6年間。お母さんの瞳には何が写っていたのだろう。
 お世話になっていた教会の神父様と、僕だけの寂しい葬儀。
「泣かないのですか?」
「………はい」
 泣かないのではなく、泣けないのです。
 お母さんが泣くたびに、僕の涙は無くなって行ったのです。
 今にして思えば、僕にとって貴女の涙は恐怖でした。
 柩を見つめ俯くだけの僕は、どれだけ薄情な息子に思われているのでしょうか。
 でも、どうしてでしょう。
 貴女が死んで泣きたい気持ちなのに、僕の顔に浮かんだのは笑顔でした。
「お母さんが泣くから、僕は笑います」
 柩に向かって誓う。
 貴女が泣くのなら、僕は笑顔を見せ続けましょう。















 はっと眼が覚めたとき、双葉は自室のベットの上だった。
 ゆっくりと起き上がると、ふとんの上に白いタオルがポトリと落ちる。
 数人の女性に囲まれたところで、記憶はすっぱり途切れていた。
(倒れて、しまったんですね…)
 風邪を引いて高熱を出しているのに無理をして仕事なんてし続けたから、ガタが来てしまった。
(だからあんな昔の夢を……)
 父親が死んだ時と、母親が死んだ時……
 あの頃は、母と一緒に居る事が一番安心できる時間だった。でも、同時に壊れた母を見続けることは苦痛でもあった。
「だから、寝てなくちゃダメって言ったんですよ!」
 同僚の神父が洗面器を抱えて双葉の部屋の扉を開ける。
「はいはい、まだ寝ててくださいね」
 せっかく起き上がったのに、また身体をベットに逆戻りさせられて、生暖かくなったタオルをぎゅっぎゅっと絞り直すと、また額に乗せられる。
「ありがとう、ございます…」
「病人なんですからね。お礼を言われるより、ゆっくり休んでくださる方が嬉しいです」
 きっと倒れてしまうまで仕事をし続けたことを怒っているのだろう。そんな同僚の気持ちが嬉しくて、双葉はそっと笑顔を浮かべた。




fin.
PCシチュエーションノベル(シングル) -
紺藤 碧 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月08日

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