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『暮れていく空は 』
叶・月人4800



 叶月人は牧師である。
自宅は都心を外れた場所にある古い洋館。
廃墟となって眠っていたものに、いわば勝手に住みついている。
 彼が住みつくまでに、館は廃墟にありがちな怪談話の的にされていたらしい。
月人が住みついた後も、そうした客人は時折館を訪ねてきては、小さな物音など勝手におののき、逃げ出していくのだ。
……言われてみれば、確かに少し物々しい雰囲気ではあるかもしれない。
月人は履き慣れた靴のつま先でトントンと地面を鳴らしながら、改めて館を見まわした。
――明けはじめた空の薄い紫色を背景に、鬱蒼としげる木々に囲まれた古い洋館。
「……まあ、これは確かに、幽霊屋敷と言われてもおかしくないですよねぇ」
 ひとりごちると、月人は踵を返し、職場である教会へと足を向けた。

 教会は規模こそ大きくはないが、付属で保育園を抱えているせいもあって、毎日賑やかな声に包まれている。
かっこうの遊び場にもなっている教会の礼拝所の清掃を始めた頃、空はようやくすっきりと晴れ渡り、窓から朝日がきらきらと入りこんできた。
椅子を丁寧に拭いていた月人はその陽射しに頭をあげて、かすかに頬を緩ませた。

 こうしてまた一日が始まるのだ。
きっといつもと変わらない、穏やかで優しい時間が、ゆるやかに流れていくに違いない。
カソックの胸元で揺れる十字架に指を触れ、簡易ながら感謝の言葉を口にする。

 十時を過ぎた頃、教会の扉が勢い良く押し開けられた。
小さな常連客のお越しだ。
「おぉーい、つきひと! つーきーひーとぉー! 遊びにきてやったぞぉーー!」
 威勢の良い声が、教会の清廉な空気を一蹴する。
先頭をきってあらわれた男の子に続き、来客はみるみる内に数を増やしていく。
「つぅーきーひーとぉー!」
 子供達の声が唱和した。

 月人は教会の奥で事務整理をしていたが、子供達の声を耳にすると、銀縁眼鏡を指で押し上げつつ歩き出した。
「……皆さん、おはようございます。今日もいいお天気ですねぇ」
 穏やかに微笑み、首を傾げてみせる月人に、子供達は容赦のない子供キックや子供パンチなどをお見舞いする。
「おい、つきひと! つきひとはにちようびの朝からやってるテレビとか見てるか?」
 先頭きって教会に押し入ってきた子供が、真新しいトレーナーを誇らしげに月人に見せた。
「い、痛いですよ。……おや、新しいお洋服ですね。買ってもらったのですか?」
 膝を曲げて子供の顔を見つめる。
子供は頬を紅潮させて、首を大きく縦に振った。
「おれな、おれな、大きくなったらロボットにのって、ちきゅうを守るんだぜ!」
 自慢げにそう発した子供の言葉に、おれもおれもという賛同の声があがる。
「そうですか。それは頼もしいですね。……でも私は悪の手先ではないのですから、キックとかはやめてください」
 穏やかな笑みでそう返す。
子供達は月人の言葉に頷き、わっと教会の外に飛び出していった。
「つきひとせんせー、お外でお買い物ごっこしよー」
 その場に残っている数人の女の子が、どこか控え目に月人の裾を引っ張る。
月人は微笑んで頷き、子供達の手を握った。
「それじゃあ私はパン屋さんをやりましょう」
「せんせー、パン好き?」
「朝食はパンを食べますよ」
「じゃあ、あたしレストラン」
「あたしコンビニー」
 キャッキャという楽しげな声を響かせて、教会は再び静寂を取り戻した。

 昼時を迎え、子供達が給食を食べるために保母と共に建物に戻っていく姿を見送ると、月人は散々もまれた体を引きずって教会へと戻る。
奥の事務室に向かうと、全身をどっと椅子に預け、大きく嘆息した。
「今日も元気ですねぇ」
 呟き、小さく笑う。

 今時、子供の成長云々といった話題がテレビなどで取り上げられることも多いが、少なくとも月人の周りにいる子供達は、伸びやかにすくすくと育っている。
ヒーローにあこがれ、将来の夢はと問えば、テレビに出てくるヒーローだのアニメの主人公だのと、真っ直ぐに答える子供達。
 月人は事務室の天井を見上げながら、ゆったりと瞼を閉じた。
「――――ああ、私も昼食を……」
 口にしたところで、事務室の電話が月人を呼んだ。
しかし月人は、そのコール音を、どこか遠くに聞いていた。
……少し疲れていたのだろうか。
 わずかな時間の後、彼は鼻をくすぐる美味しそうな匂いで、目を開けた。
机の上には盆が乗せられており、その中には、湯気を立てているシチューとコッペパンなどが並べられている。
(眠っていらっしゃったので、お昼だけ置いていきますね)
達筆な文字で書かれたメモが、盆の下にあった。
眠ってしまったんですね。
月人は前髪をくしゃりとかきあげて苦笑する。
時計を見れば、昼食の時間にはいってから既に十五分が過ぎていた。
早い子であれば、もうそろそろ食べ終えて、再び遊びに来る時間だ。
月人は急いでシチューをかきこんだ。

 午後。
年長にあたる子供達を集め、月人は聖書を開いていた。

 子供達は真っ直ぐな問いを投げてくる。
「神様ってどこにいるの」
「ほんとうにいるの」
「なんで目に見えないの」 
 そういった様々な問いかけの中、時には涙ながらに訊ねてくる子もいる。

「神様がほんとうにいるなら、なんでぼくのおじいちゃんは死んじゃったの」

 病気で入院した大好きな祖父の帰りを待って、時には神にお願いもしたという、その子供。
月人はその子供を抱きかかえ、ひとつひとつ言葉を選んで話を告げる。

「神様はお空のずっと高いところにいて、そして世界を見守っているんだよ。
おじいさんは亡くなってしまったけれど、いなくなったわけではない。
神様のそばで新しい時を生き、ちゃんときみを見ているんだよ」

 嗚咽する子供を抱き締めながら、月人はそっと睫毛を伏せる。
 
 果たして自分の言葉が真実のものであるのかどうか、心の中で自問しながら。
この答えは偽善かもしれない。
けれど、今この子供を再び笑顔にしてやるためならば、それは優しい嘘になるのだろうと自答して。


 夕方になり、暮れ始めた空を背景に、子供達は次々と園を後にする。
ぎりぎりまで遊びに付き合っていた月人は、保育園の門まで子供を連れてきて、迎えにきた母親に子供の手を握らせた。
肌寒くなってしまった外で遊んでいた子供の手は、すっかり冷えてしまっている。
けれど、母親や父親に手を引かれて帰っていく子供達は、どれもほんわりと暖かな笑顔を浮かべているのだ。
そんな子供達に手を振りつつ、月人はそっと目を細ませて空を仰いだ。

 薄い紫色を浮かべた空は、夜の気配を漂わせている。
 ビルの向こうに沈んでいく太陽は、名残惜しそうに、赤い色彩を放っている。
 風は吹き、冬の匂いで周りを包んでいく。
月人は空を見上げていた視線をゆっくりとおろし、子供達のいなくなった園庭に視線を注いだ。
『こまどり保育園』と記された看板が、どこか寂しげに見える。
「……明日はまた賑やかになりますね」

 背筋を伸ばして首を鳴らし、月人は教会へと足を向けた。


 
―― 了 ――
PCシチュエーションノベル(シングル) -
エム・リー クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月08日

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