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『■マル秘指令 食欲魔神の攻略!■ 』
セレスティ・カーニンガム1883)&モーリス・ラジアル(2318)&守崎・北斗(0568)

 昼下がりの午後三時。
 ……と間違えてしまいそうになる程、今は過ごしやすい陽気である。
 本当の時間は、朝の十時だ。
 サンルームには、二人の見目麗しい男性が朝のティータイム──一人は目覚まし代わりだが──を過ごしていた。
 一人は背に滑る月光の様な銀色の髪に、春の海を映した様な青い瞳を持つセレスティ・カーニンガム。
 もう一人は、木漏れ日の様に輝く金色の髪に、新緑を思い起こす緑の瞳を持つモーリス・ラジアルである。
 二人は、この世で最高のお茶を嗜みつつ、会話に興じていた。
 「そう言えば、新年旅行で小耳に挟んだまま、実際には聞き忘れていたのですけれど…」
 今まで話題に上っていた少年について、思い出したとばかりにセレスティがそう切り出すと、何でしょうとモーリスが小首を傾げる。
 「いえ、取締役からの又聞きなのですけれど、あのホテルの総料理長が、涙を流していたそうなのですよ」
 「……涙、ですか?」
 「ええ。何でも、あれほど美味しそうに、そして気持ち良く食べてくれる人に、未だかつて会ったことがないと感激して仰っていたそうです」
 泣いていたと聞き、何事だろうと怪訝な顔をしていたモーリスであったが、セレスティの言葉を聞いて納得した様だ。
 「成程…。まあ、彼の食べっぷりは、人を気持ち良くさせてくれますからねぇ」
 何かを思い出しているらしいモーリスの瞳が、縁側で日向ぼっこをしている猫の様に細くなる。某食欲耐久実験の様子を思い出しているのだろうと、セレスティには解った。実験されている本人にとっては、悲惨な体験であろうが、モーリスにとっては、とても楽しく良い想い出になっているらしい。右手はかじられてしまった様だが。
 「ええ、そうらしいですね。以前モーリスからも、彼は食欲旺盛だとは聞いておりますし」
 「それにしても、どんな風に、そしてどれほど食べたんでしょうね、総料理長が泣いて喜ぶと言うくらいですから」
 あれ程のホテルならば、来る人間も半端ではないだろう。各国から様々な種類の人間がやってくる筈で、その中でも記憶に残ると言うのは、ある意味素晴らしい。
 「私も、それをお聞きしたいと思っていたのですけれどねぇ…」
 結局、行き帰りとも別々で、カジノででもセレスティの方が勝負を挑まれたりとで、ゆっくりと落ち着いて話す暇がなかったのだ。
 残念とばかりに溜息を吐くと、モーリスがすっと立ち上がった。
 「セレスティさま、私、少々所用を思い出しましたので、失礼しても宜しいでしょうか?」
 「勿論、構いませんよ。仕事を中断させ、付き合わせてしまった様ですからね。行っておいでなさい」
 鷹揚にセレスティが了承すると、モーリスが有難う御座います、と微笑んで言った。



 本日は快晴。
 けれど彼の心は晴れなかった。
 何故なら、買い食いした罰とばかりに、兄の鉄拳制裁を受けた後、便所掃除を言いつかっていたからだ。
 『俺が帰ってくるまでに、ぴかぴかに磨き上げとくんだぞ』
 満面も満面、怖いくらいに凄絶に微笑まれて、『笑顔般若』の渾名は伊達ではないと、思い知らされてしまったのだ。
 さぼりたいのにさぼれない。
 腹が減ってるのに、喰うことすら出来ない。
 何故腹が減っていても喰えないかと言えば、『ぴかぴかになってなかったら、メシ抜きだから』と言われた上、朝ご飯はおかゆで、何より兄は、彼の食い尽くした家内の食料を買い出しに行った為、家にはカップラーメンすら残っていないと言う状態であったからだ。
 悲惨な状態に見舞われている彼の名を、守崎北斗(もりさき ほくと)と言う。
 満腹の時はさぞかし輝いているだろう青い瞳と、暖かな大地を思い出す茶色の髪を持つ、十七才の少年だ。
 腹の虫が、ぐうと鳴る。
 「はぁ……。腹減った…」
 半ば涙目になっている北斗の耳に、聞き覚えのある足音が届いた。
 後もう数秒でチャイムが鳴る筈だ。
 職業は現役の学生でありつつ、忍者──心ある者は、雑食忍者と彼を呼ぶ──でもある北斗である。気配や音には敏感だ。
 「………。今度は何だよ」
 そう言っていると、守崎家にチャイムの音が鳴り響いた。
 一瞬、居留守を使ってやろうかと企んでみるも、これが兄にばれたら怖いと言うことを思い出し、便所タワシを置くと手を洗って、渋々ながら玄関へと向かう。
 「へいへーい。何方さん?」
 解っていつつも、敢えてそう聞き、玄関のドア越しにそう言った。
 「お忙しいところ、申し訳ありません。モーリス・ラジアルです。新年の旅行では、お世話様でした」
 『……イヤなとこ、付いて来やがる』
 その正月の旅行では、さんざっぱら、彼の主には楽しませてもらったのだ。ちなみにモーリスにも世話になった。
 ここでシカトを決め込むのは、兄仕込みの礼儀に反するだろう。
 北斗は苦虫を噛み潰した様な面持ちで、玄関のドア……正確には引き戸を、がらがらと開けた。
 「こんちわー。どうした?」
 何時も通りの、悪戯っぽくありつつも、何処か爽やか、そして人を安心させるかの様な複雑な笑みを浮かべたモーリスの顔がある。
 ここでその雰囲気に絆されてはならない。
 北斗は以前の出来事を思い出し、固く心に誓う。
 「いえ、ちょっとお顔を見たくなりまして」
 イケシャーシャーとは、まさにこのことを言うのだろうと、北斗は思う。
 とまれ、玄関口で話すのも何だと思い、どうぞとばかりに家に上げた。
 居間に通し、ティーパックの紅茶を入れると、モーリスに出す。
 「ありがとうございます」
 やはり微笑みはそのままに、彼はリプ●ンのティーパック紅茶に口を付ける。
 彼が口にすると、ティーパックだと言うのに何処ぞの高級紅茶専門店で出されているものに見えるから不思議だ。彼の主であるセレスティもまた、同じ様な印象を受けるのだが。
 「で? マジで顔見に来ただけっつー訳じゃねぇよな?」
 どすんと、目の前に腰を下ろして北斗は聞く。そこまで暇な男ではない筈だ。自分の趣味や好みでなければ、主の命令でない限り、意味のない行動をする訳もない。
 「まあ、そうなんですけどね」
 悪びれないのは、もうこの主従のデフォルトだろう。
 「少々お詫びを兼ねて、ご馳走をしましょうかと」
 北斗の直感に、びびっと電波が受信された。
 「や、もう絶対騙されねぇぞっ!」
 北斗の脳裏にあるのは、以前の我慢大会のものだ。
 あの時はもう、サイテーな目にあった。いや、サイテーならまだましだろう。死ぬかと思ったのだ。
 一番イヤだと思っている『餓死』と言う方法で。
 更に最後のオチまで着いていた為、あれから北斗は一億年分の悲惨な目と言うものを満喫してしまった。いや、満喫するのは、バカンスと食い倒れだけで良いのだが。
 「おやおや、北斗くんは何時の間に、これほど疑り深い少年になってしまたのでしょうねぇ」
 いや、あんたの所為だからとは、口にしない北斗であったが、顔には目一杯出ていた。
 元から雑食忍者……もとい、忍者である為、兄までとはいかぬものの、危機回避能力はあると推察される。だからこそ、モーリスのオイシイお誘いには、何か落とし穴があると思ってしまうのは、当然と言えば当然だろう。
 「俺、兄貴から言われてんだ。『買い食い貰い食い』すんなって」
 「これは買い食いや貰い食いではありませんよ。ご招待ですから」
 「いやだから、それって貰い食いにならねぇ?」
 「それを言うなら、あの旅行での飲食も、貰い食いですよねぇ…。お兄さんも一緒になってされていた様な……」
 「や、だからあれは、兄貴の許可が出たからで…」
 「ああ、そうでした」
 このまま言いくるめられてしまったらどうしようかと思っていた北斗は、案外あっさり引くモーリスを見て、胸を撫で下ろした。
 が。
 「しかし、残念ですねぇ…」
 「ざ、残念?」
 もしかすると、とても惜しいことをしたのだろうかと思うのは、『残念』なる言葉を聞いた者全てにおける、心情のなせる技だ。
 無論北斗も例外ではなく、むしろ『食』と言う──モーリスの場合、同音異義語にもなる『色』であるが──言葉には、並みならぬ執着を持つ北斗であるからこそ、その思いは強く感じられる。
 「ええ。せっかく腕に縒りをかけた料理をと思いましたのに…。本当に残念です」
 ちろりと北斗を見るモーリスの視線が、何処か笑いを含んでいる様に思えるのは何故だろう。いや、笑いだけでなく、確かに残念であると言う含みが見て取れるのだが。
 「鴨のローストに海老とモッツァレラチーズのトマトスパゲティ、真鯛と石鯛のお造りに鶏肉と根菜のバルサミコ炒め、フレッシュサーモンのグリルとツバメの巣入り健康スープ、アワビの姿煮でソースは上海蟹玉子入り、ローマ風サルティンボッカ……」
 「そ、その、ローマ風サルティンボッカって何?」
 次々具体的料理を前菜メイン含めて上げ、北斗を誘っているモーリス。
 思わず声に出してしまう北斗に、モーリスが兄と同種の微笑みで答えた。
 「ローマ風サルティンボッカとは、仔牛ロースと生ハムの重ね焼きのことですよ。ええ、仔牛の肉が、とても柔らかでねぇ…」
 うっとりとした表情を見せるモーリスに、北斗の腹も、うっとりぐーと鳴る。
 「ああ、残念です。これほど美味しい料理を遠慮するなんて…。北斗くんは、随分慎ましやか且つ、奥ゆかしい性格へと変わってしまったんですね。やはりお兄さんの努力が実った結果なんですかねぇ。喜ばしいことではありますが、……それにしても残念です。北斗くんを抜かして、頂くことにしますね」
 「え? あの…」
 北斗の心は、兄とモーリスの狭間で揺れ動いていた。
 「安心して下さい、北斗くんの分まで、充分味わって食べて来ますからね」
 「えーと……」
 兄の笑顔に凄みが増し、モーリスの笑顔の端からは、角と尻尾が見え隠れして来る。
 「あ、余ったらどうしましょうかねぇ。やはり勿体ないですけれど、残すことになるんでしょうねぇ……。ああ、勿体ない」
 『残すぅぅぅ〜〜〜?!』
 ご飯を残すと言う言葉は、北斗の辞書に存在しない。
 作ってくれた人に感謝を込めて、美味しくきちんと全部頂くのが、守崎家の流儀だ。いや、それは人としての礼儀だろうと、北斗は強く信じている。勿論のことながら、小食な人を責めるつもりもなかったが。しかしそれを残すと言うのだろうか。
 「ありえねぇ……」
 ぼそりと呟いてしまう北斗の言葉を、モーリスはしっかり聞き取ったらしい。
 「何がありえないんです?」
 北斗は心の中で万歳をした。
 「連れて行って下さい…。兄貴には内緒で」
 しっかり釘を刺すことは忘れない。前回のオチは、北斗にはとっても身に染みていたのだ。
 「北斗くんがそう言ってくれて、嬉しいですよ。安心して下さい。セレスティさまの方が、私よりお会いしたく思っておりますので、前の様なことはありませんよ」
 しかしモーリスが『兄貴には内緒』と言う言葉については、一言も頷いていないことを、ついぞ北斗が認識することはなかった。



 「やっぱ、何時来てもでっかい屋敷だよなぁ…」
 モーリスの新車である銀のコルベット・コンバーチブルタイプから降り立った北斗は、あんぐりと口を開けたままそう言った。
 「そうですねぇ。まあ、未だ遭難者が出たと言う話は聞いたことがありませんから、不自由はないかと思いますよ。あ、珠に車で移動しないといけない場所もありますけれど」
 何処かとぼけて言って見せるモーリスに、北斗がじとーんとばかりに目を眇めて見せている。しかしそんなものを屁とも思わないモーリスだ。にこやかに北斗へと言葉を返す。
 「さて、主人のところへ参りましょうか」
 既に電話で北斗を連れて向かうことを、セレスティには告げてある。先程まで自分もいた、あのサンルームにて待っていると、彼は答えていた。
 ちなみに北斗が『やっぱりタダで喰わせてもらうのはちょっとあれだから、何か考えといて』と言っていたことも、セレスティには伝えている。
 二人して連れ立ちサンルームへと向かうと、果たして、セレスティが出かけた時と変わらぬ様子でお茶の時間を楽しんでいた。
 二人の姿を見つけた彼が、にっこりと微笑んで片手を上げる。
 「ちょっとこぶりー。元気してたか?」
 彼の元へと走っていく様は、何処か敏捷な獣を想像させる。その後を、モーリスがゆっくりと歩いて行った。
 「はい。北斗くんも、お変わりなく」
 「ま、あれから一ヶ月経つか経たねぇかだもんな。早々変わる訳ねーか」
 「そうですね」
 何時もより、セレスティの機嫌が良い様な気がするモーリスだ。
 これはきっと何か良からぬこと考えていたに違いないと、主の気質を理解しているモーリスは考えて、ほくそ笑んだ。
 「あ、そうそう、考えてくれた?」
 北斗の考えてと言うのは、招待を──ここで奢ってとは、間違っても言ってはいけない──受ける代わりの話についてだ。
 「はい。考えましたよ。北斗くん、ゲームを致しませんか?」
 「ゲームぅ??」
 「はい。この屋敷内に、様々な問題を書いた紙を隠しております。それをモーリスと二人で探し合って、見つけたら私の元へと持ってきて下さい。その問題に先に十問答えることが出来れば勝ち。勝者には、お好きなディナーを選び食する権利を。負けた方は、その選んだ料理内容に従って食すと言うことで」
 セレスティの言葉を聞き、北斗の顔にヨコシマと毛筆で書かれた文字が浮かんだ。
 「ああ、一つ申し上げて起きますと、隠してあるものには、問題が書いていない紙もあります。その代わり、食べ物の名前が書いてありますので、そちらを食べて頂きます」
 「良しっ! 乗ったぁっ!!」
 「私の方は、構いませんよ」
 澄ました顔のモーリスと、天使の微笑みを浮かべているセレスティが、目配せをし合ったことは、北斗に気付かれてはいなかった。
 何故なら、既に北斗は自分の妄想の虜になっていたからだろう。
 からっけつの紙を引いたとしても、食い物が食える。ここは世界に轟くリンスター財閥の屋敷だ。そこから出る料理が、回転寿司レベルのものではないと言うことくらい、どんなおバカさんでも解るだろう。
 また、これはゲームだ。ゲームに勝った報酬として、料理を食する事が出来るのだ。これは立派に労働報酬や勤労報酬の類になる筈。笑顔魔神、笑顔般若、何時も心に閻魔帳(北斗限定版)である自分の兄を丸め込……、もとい、説き伏せて、満漢全席、フランス料理のフルコースと言った定番は元より、アザラシの肉と言った珍味なども食せること間違いなしだと思っているのがありありと見て取れた。
 どっちになっても、自分にとって不利ではないと思っていたのだろう。
 しかしそれは甘い。
 とっても甘い。
 そのことを後々身を持って知る、北斗であった。
 「では、始めましょうか?」
 にっこり微笑むセレスティとモーリスを前に、北斗は涎が溢れることを止められなかった。
 ぱちんと指を鳴らしたセレスティに従い、何時の間にか控えていた使用人が、サンルームの中にぞろぞろと入って来た。
 「ウソ………。マジかよ……」
 北斗が驚いたのも無理はない。彼らの手には、出来上がり間近の料理の山があった。当然、それの最終段階を行う為の調理器具を持っている者もいる。ちなみに業務用オーブンなど動かし様のないものは、厨房の中ではあるが。
 「これだけでは、ありませんよ」
 セレスティが浮かべる嫣然とした笑みの真実を知る者は、恐らく当の本人と自分だけであると、モーリスは確信していたのだった。



 北斗の食欲の限界がどれくらいあるのか、それを知りたいと思ったセレスティは、当然の如く彼の料理人にも協力を要請していた。
 ただ単に『どれだけ食えるか』と言うなら、それこそ井●屋の肉まんで計れば良いだけなのだが、別段これは我慢大会ではないのだ。だからこそ、美味しい物を食してもらいたい。味も勿論、見目も良く、香りはかぐわしきこと仙郷の一品の様だと言える様な料理をと考えている。物事は、全て完璧なまでにエレガンスでなければならない。そしてセレスティにとって、美味しい料理を作る者と言えば、真っ先に上がるのが、彼の料理人だったのだ。
 心を込めて腕を振るっているのが、本当に良く解る。どれもこれもが、自分の小食さを残念に思ってしまう程に素晴らしい。
 『北斗くんくらい胃が大きければ、私も参加したかもしれませんねぇ…』と心の中で呟くセレスティだ。目の前にこれほどの料理がぶら下がっているのに、食べれないと言うのは少々残念である。
 今は第一問目を探すべく出て行った二人が、帰ってきてセレスティに紙を見せていた。先に北斗が帰ってきて、続いてモーリスと言う順番だ。
 北斗の紙を開き、書いてあったのが『ゴルゴンゾーラチーズのココット詰めムース』であった為、それが北斗の前に出されている。
 「え? マジ? マジで、これを食べて良い訳?」
 瞬間、北斗の顔に『……こんなに上手いもん食えるんなら、問題書いてねー紙ばっか探して来ようかな』と書かれてあることを、セレスティとモーリスははっきり見て取った。
 しかし北斗は、次の瞬間、眉毛を八の字にして、二人を見返す。
 その表情から、彼が疑っていることを察し、セレスティがおやおやとばかりにモーリスへと聞いた。
 「モーリス…。君は一体、北斗くんに何を何処までしたのです?」
 「セレスティさま、それはあんまりですよ。私は別に、大したことは致しておりません。お話しましたでしょう? 食べ物を目の前にした北斗くんに、どれくらい辛抱出来るかをお聞きしたまでです」
 確かに、モーリスの言ったことに間違いはない。間違いはないのだが。
 北斗にしてみれば、拷問以外の何物でもなかっただろうことも、間違いないことだ。そんな北斗にしてみれば『こんな上手い話、裏がないわきゃねぇ』と勘ぐるのも無理らしからぬことだった。
 そしてそれを一番最初、そう、このゲームを持ちかけた時に思い浮かばなかったのが、不思議なくらいだとも言えよう。料理を見て、その豪華さに、そして誘い上手過ぎるそれに、漸くその不審さが浮かんで来た。実際に料理を見て、そう思うところが、北斗らしいと言えば言える。
 まるで百面相になっている北斗の顔を見つつ、セレスティは声をかけた。
 「別にこちら側に、妙な意図はありませんよ。北斗くんがお腹いっぱい料理を味わって食べることが出来るのなら、私の方も嬉しいですからね」
 確かに嘘は言ってない。
 元の目的が『北斗が何処まで食えるのか』であったのだから。
 言葉で巧妙に真意を隠しつつ、更に北斗の食欲を操作しつつ、心理的効果を上げることも忘れない。ついでに無言で笑みを浮かべ『さあ、どんどん食べて下さいね』とプレッシャーを与えることも、セレスティは忘れてはいなかった。
 女性はムードに欲情する。
 男性は視覚で欲情する。
 色気より食い気、色っぽいお姉ちゃんより目の前の豪華料理である北斗は、やはりムード──つまりのところ想像より、視覚に訴えられ、しっかりスイッチが入った様だ。我田引水の如く、自分の都合の良い様に解釈し、雑食忍者、世界七不思議の胃腸と言った名に恥じぬ様を見せつけ始める。
 「んじゃ、遠慮なく、いっただっきまーーーっす」
 懐から取り出したマイお箸を持ち、丁寧にそう断ると、ムースであるのに器用な箸使いで食べ始めた。
 まだゲームは始まったばかり。
 終了の合図が鳴るまでに、北斗は何処まで食べることが出来るのであろうか。
 それは神のみぞ知ることであった。



 北斗は心底感激して喰っている。
 ひたすら喰っている。
 当初自分で問いの書いてない紙を取ってこようかと思っていたのだが、当然ながら今回の計画を仕組んでいるセレスティとモーリスに依って、そうなるべく紙を拾わされている為、ひたすら持ってきては、喰うと言う事態になっているのだ。
 普通なら、ここまで食い意地が張っていると見苦しいものなのだろうが、北斗にはそれがない。何故なら、何処まで行っても美味そうに、そして楽しそうに喰うからだ。勿論、料理とそれを作った人への感謝も忘れていない。頂く時は、逐一『頂きます』をし、食い終わった時には『ごちそうさま』、更に口に入れる毎に『美味いっ! こんな美味いもん食えて、俺ってラッキー』や、それとニア・イコールの言葉を連発する。見ている側にも、美味しいのが気持ち良い程に伝わってくるのだ。
 成程、ホテルの総料理長が泣いて喜ぶ筈だ。ここまで料理を昇華してくれる客は、まずはいまい。
 北斗が今まで喰ったのは、屋敷に現在いる使用人の数を優に超えている。
 料理の一部を上げると、北海道紋別産ホタテの網焼きサルサベルデ、カボチャのラビオリ・パルメザン・アマレット風味とセージバターのソース、畜家直送鴨のスモーク・バルサミコ風味、フレッシュサーモンのグリル、シチリア風アンチョビとケッパーのスパゲティ、鹿児島地鶏の漁師風煮込み、更に地鶏のディアボラ(小悪魔風)、ローマ風サルティンボッカ、骨付き仔羊のバルサミコソース、広東風丸焼き仔豚の皮クレープ包み、ツバメの巣入り健康スープ、アワビの姿煮・上海蟹玉子入りソース、蓮の葉包み五目ご飯、絹笠茸とたらば蟹肉入りフカヒレスープ、甘鯛の蒸し物、百合根豆腐、里芋白煮、亀甲椎茸、合鴨ロース煮、絹かつぎ田楽焼、たらば蟹月冠揚げ、甘海老土佐漬け、手毬寿司、鮑けんちん汁、穴子八幡巻小鯛姿蒸し……。
 繰り返すが、勿論ながらこれは北斗が喰ったホンの一部だ。
 一体この素材は何処に隠し込んでいたんだと言いたくなる様なラインナップ&品数である。
 はっきり言って、北斗の胃は、まだまだ余裕の様である。
 それは、実際に問題が書いてあった時の反応で良く解った。
 「あ、またハズレ〜? いやー、参ったなー」
 にやにや笑いつつ言う為、全く説得力のない言葉だ。
 今回書かれているのは『あん入り蒸し餅南瓜風味』だった。
 「北斗くんは、運があるのかないのか、良く解りませんねぇ」
 セレスティも負けてはいない。
 どの口が言うかとばかりに、泰然とした微笑を浮かべ、ゲームの行方を楽しんでいた。
 二人の会話が交わされる中、紙に書かれた『あん入り蒸し餅南瓜風味』が北斗の前に運ばれる。
 「いっただっきまーーっす」
 「はい、召し上がれ」
 何度このやりとりが繰り返されただろう。既に数えていないセレスティだが、まあ、それは後になれば解るだろう。彼には秘密兵器があるのだ。
 それにしても、北斗は本当に美味しそうに食べていた。
 「もう俺、死んでも良いや…」
 至福の笑みを浮かべつつ呟く北斗だが、不意にびくんと身体が跳ね上がった後、周囲を警戒する様に見ている。
 「……どうかなさいましたか?」
 一瞬、とうとう限界なのだろうかと思いもしたが、何やら反応が違っている。
 「……兄貴の『死ぬか?』って声が聞こえた気がした……」
 青ざめている北斗は、しかし、すぐさま犬の行水の様に頭をぶるぶると振ると、心機一転、『あん入り蒸し餅南瓜風味』の攻略を再開した。
 北斗の持つ底なしの胃袋は、確かに兄の頭痛の種になっているのかもしれない。
 セレスティの屋敷であるからこそ、彼の食欲は遺憾なく発揮されているのだが、一般的な庶民の家庭であれば、これほどの食欲を見たそうとすることは難しいだろう。リンスターの情報網にも引っかかって来た、北斗の兄が不審な茸に執心していると言う噂に、ちょっと納得したセレスティだ。
 紙を持ったモーリスが、サンルームに入って来る。
 「お帰りなさい。どうですか?」
 そう言って手を伸ばしつつ、現在の状況を窺ってみる。
 「はい。こちらで……。それと」
 紙を渡した後、モーリスがそっと耳打ちをする。
 「現時点で、当屋敷の食料が、半分ほどになっているとのことです。まあ、まだ余裕はありますね。あちらの方は、如何ですか?」
 「んじゃ、俺、また探しに行って来るなっ!」
 元気溌剌とした北斗が、既に体重の倍以上は食べているだろうことを感じさせない身軽さで、サンルームを出て行った。
 「まだ余裕ですね」
 それを見たモーリスは、呆れ半分楽しさ半分と言った感想を漏らした。
 「その様ですねぇ。ディナーの時間までには、勝負は付くかと思いますけど。あ、モーリス。君も今回はハズレですね」
 そう言ってセレスティが見せた紙には『木の芽味噌掛け』と書かれてあった。



 「……セレスティさま。あの……」
 モーリスが、常日頃の悪戯っぽい微笑を引っ込め、何処か苦笑を交えてそうセレスティを呼ぶ。
 「どうか致しましたか?」
 「………厨房からなんですけれど。……材料が底を尽きそうだと」
 はっきり言って、この屋敷内の冷蔵庫と貯蔵庫は、半端じゃないくらいに食材を保存している。この屋敷の住人が、全員揃って三日くらいは吐くまで食えるくらいには。当たり前だが、働いている者達の数は、数人と言うみみっちい数ではない。数十人、だ。
 その食料が、底を尽きそうだと言う。
 「……困りましたね」
 直近の食事は、ホテルからでも取り寄せれば何とかなる。その後、また食材を保存すれば良いだけなのだ。
 セレスティが困っているのは、限界を知ることが出来なくなると言う一点のみだ。そしてモーリスが困っているのも、当然ながらその点に於いてだった。
 だが。
 「……。なあ、ディナーってさ、今日喰うのか?」
 『栃木牛フィレ肉の網焼き・ポワブルベールソース』を食べ終えた北斗の額に、ちょっとばかり脂汗が滲んでいるかもしれない。
 「北斗くんは、他の日の方がご都合宜しいのですか?」
 そろそろ限界のようだと、セレスティとモーリスは見て取った。
 「何かさ、胃の門閉まりそうなんだよなー。こんな美味い料理、やっぱり腹空かせてから、目一杯喰いたいかなーと思って。あ、ディナーって、これ作った人が作ってくれるんだよな?」
 YES以外の返事はないとばかり、期待に瞳を輝かせている。
 現在の勝負の行方は、一対九でモーリスの一人勝ち状態だ。時間は午後の五時過ぎ。ゲームを始めたのは、モーリスが北斗を連れて来た午後二時時過ぎてからである為、優に三時間が経過している。
 もっとも、勝負自体が、半分以上インチキであるから、セレスティとしては無効試合にしても構わないと思っている。当初の目的は達成されつつあるのだから。
 「そうですねぇ。日を改めて、ディナーに致しましょうか?」
 そう微笑んで言うセレスティの脳裏に、とある計画もまた浮かんでいたことは、北斗に気付かれなかったらしい。
 明らかにほっとした表情を浮かべた北斗は、ばんざーいと諸手を挙げて喜びを表した。
 「それにね、白状致しますと、こちらの食料の方も、少々寂しいことになって参りまして、このままですとディナーはおろか、ゲームの勝敗もままならぬなりそうでしたので」
 「あ、俺、すっげー喰っちまったもんな。悪ぃ」
 にっこり笑うセレスティと、ぼりぼりと頭を掻きつつ謝罪する北斗。
 「いえ、お誘いした当方の不手際ですよ。お気になさらず。では、本日は引き分けと言うことで。後日招待状をお送りしますので、その時にでも、召し上がりたい料理を仰って下さいね」
 セレスティの一言で、本日の大食い大会──食欲の限界探求実験──はお開きとなった。
 「食料食い尽くしてごめんな。俺さ、朝もまともに喰ってなかったから、すんげー腹も減ってたんだよ」
 成程、だからこそここまで異常な食欲であったのだと、セレスティとモーリスは理解した。取り敢えず一食抜いているのと抜いていないのでは、可成り違うだろう。
 「俺が買い食いした上、買い置きのカップラーメンも喰っちまってたことがバレてさ、兄貴が激怒しちゃったんだわ。で、兄貴は食料の買い出し。俺は便所……そ、う……じ………」
 徐々に変わる北斗の顔色。
 まさか今更ながらに腹を壊したのか、いくら腹が減っていたとは言え、喰った量が量であると思い、時間も時間だと言うこともあって、モーリスが送ることを申し出た。
 だが。
 「あ、いや、良いや。えーと、これから家でも晩飯だからさ、ちょっくら運動して帰るから」
 「遠慮なさらなくても良いんですよ?」
 何を慌てているのだろうかと、セレスティとモーリスは不思議に思う。
 別段腹を壊した訳ではない。はっきり言って、人の十倍二十倍は胃腸が丈夫な北斗である為、そうそうなことでは壊さないのだ。実は、便所掃除を放ったらかしにしていたことをすっかり忘れており、今更ながらにそれを思い出したのであるが、当然ながら二人には解らないことだった。
 真夏に全開している扇風機の様に、ぶるぶると頭を振って辞退を告げる北斗に、二人ともそれ以上は言う言葉を持たない。
 「今日はご馳走さん。作った人にも、『有難う、本当に美味かった』って伝えといてくれな。んじゃ、俺行くわ」
 そう告げると、素早い身のこなしで北斗は駆けていった。
 残された二人は、顔を見合わせるとぷっと吹き出す。
 「流石は北斗くんの胃袋ですねぇ」
 「ええ。『雑食忍者』の名は、伊達ではありませんでしたね」
 「まさかここにある食料が、なくなってしまうとは思っても見ませんでしたよ」
 そう言うセレスティの顔は、何処か楽しげに微笑んでいた。
 彼は使用人から、何やら受け取っている。
 「セレスティさま、それは?」
 片手で軽く持ち、モーリスに見える様にしてやる。
 「成程。そう言うものですか」
 セレスティが持っていたのは、手に乗るサイズである一本のビデオテープだ。
 それには先程まで、嬉々として料理を食らっていた北斗の姿が、ばっちりと映っている。
 一本はセレスティの料理人に、この美味そうに食っている様を見せてやる為と、一応ゲームに加わっている為に全てを見ることが出来ないモーリスに見せてやろうと、セレスティは隠しカメラを回していた。当たり前ながら、二人がここに到着する前に、設置したものだ。日頃からある訳ではない。ちなみにテープをダビングして、別の用途にも使おうと思っているのだが。
 こん、とそれを指で弾くと、モーリスにむかって笑みを深めた。
 「なかなか良い物も撮れたことですし、モーリスには、彼を連れてきてくれたお礼を言わなければなりませんねぇ」
 「お礼など、とんでもございません。私も楽しませてもらいましたからね」
 二人が顔を見合わせ、ひっそり笑う。
 互いに微笑む姿は、まるで悪巧みをする子供の様であった。



 やはり後日。
 リンスター財閥総帥宅に、瓜二つの顔を持つ二人の少年が『ディナーに招待された』と、正装して訪ねてきていた。
 だがガードマンは、その姿を見て小首を傾げる。
 何故なら、ぴんしゃんしているのは背の低い方の少年だけで、背の高い方の少年は、何処か蹌踉めきつつ立っていたからだ。一瞬『何か危ないクスリでも使っているのだろうか』と考えたくらいであるから、相当なものだろう。
 取り敢えず中から『通して下さい』と彼らの神様のお達しがあった為、不審に思いつつもガードマンはその門扉を開けた。
 門を通り、屋敷へと向かって行く二人の後ろ姿を見つつ、ガードマンが妄想逞しくしていたとは、更に後日、風の噂となって、神様の耳に届いていたのだった。



Ende
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
斎木涼 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月08日

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