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『unsingable 』
大徳寺・華子2991

 歌は唄、古来より神に捧げる為のもの。
 街中を歩くそれだけで、旋律に乗せた言葉と声は大徳寺華子の耳に届く……甘い恋の歌を受け取るのは果たしてどのような神なのか、華子には見当もつかない。
 華子にとっての神は人間の望みを叶えるなどという、易きでなく、毅く、剛く、そして容赦のない……威き存在である。
 それこそ正に、神より他の呼び名を見出せぬ程に。
 街に流れるのは男性ヴォーカルの歌声、その旋律をに声を合わせ、若い娘が鼻歌に変えて自分のものとする様を目で追って、華子は背を覆って腰まで流れを作る黒髪を掻き上げた。
「……気楽なモンだねぇ」
少女の好きな歌なのだろう。
 自然に口をついて出た風の、人に聞かせる為の歌ではなく自らの内から溢れる想いを歌詞に重ねて……快い、気持ちを引き立てるそんな歌は、すぐに雑踏に紛れて聞こえなくなる。
 何とはなしに足を止めて見送り、華子は苦い微笑みを口の端に刻む。
 気まぐれな鼻歌すらも、自分には許されない。
 昔の恋を想って空を仰ぐ、そんなふとした情景でも、華子が歌えば過去の想い出は狂おしい程の恋情となって身と心とを縛り、それが既に終末を迎えて久しいという事実に人は絶望して、闇へと。
 最も手近な死へと、堕ちずに居られない。
『さぁ、お聞き頂いたのは今週のシングルチャート一位! CMを挟んで1時からはまたリクエストに応じてどんどん! 新曲をお届けするので請うご期待!』
ラジオのDJのノリを重視した声が告げる内容に、華子はふと目を見開いた。
「あぁ、いけない約束の時間に遅れっちまうよ」
もう一度髪を掻き上げて、和装の懐から紙片を取り出す……過去、確かに訪れた場所なのだが、如何せん変わってしまった街並みと込み入った路地は何処も同じように見えて仕方がない。
「あの……失礼ですが」
紙片に描かれた付近の略図、目印となるビルがあちらでもない、こちらでもない、頭を悩ませる華子の背に声がかけられる。
「もしや、大徳寺さんですか?」
名を呼び掛けられて、振り向けば其処には中肉中背でフレームの太い眼鏡に些か間抜けな感を強める男が立っていた。
「あぁ、良かった。早く着きすぎたせいで、まだお姿が見えなかったものですから……待ちきれなくて駅まで迎えに行こうとしていたんですよ」
握手を求めて手を差し出した、男は民俗学者だと肩書きを前置いてから名乗った。


「すまないねぇ、来る前に軽く掃除でもしておこうかと思ってたのにさ」
長く使われずに錆び付いた鍵を苦労して開け、華子は人気なく寂れたアパートの内、その一室へと民俗学者を招き入れた。
「いえ、無理をお願いしたのはこちらですから」
恐縮する男に、華子は薄い笑みを向けた。
「無理、ねぇ」
男から連絡が入ったのは半月ほど前……累系も絶え果て、名を石に刻むのみである筈の、『大徳寺』を名乗る貴方は何者なのか、と。職場に意気込んで電話をかけて来たのが発端である。
 偶然だ、違うと言っても聞き入れず、『大徳寺』の歴史を電話口で出来うる限り詳細に語って見せて華子に問う……系統とすれば神道に属するだろうが、それとはまた違う独自の信仰を保ってきた一族の、『大徳寺』に祀られた旧き神を、その姿を象る物は存在したのかを。
 そして最期の後継であった筈の大徳寺華子と同じ名なのは何故かを、執拗、と言って良い必死さで食い下がってくる相手に、一度会おう、と申し出たのは華子である。
 客商売のバイト先の電話の回線を私用で、しかもよりを戻したがっている昔の男から、と職場の同僚に認識されている相手に長時間使用するのは頂けない。
 職場は元より、今の住居に押し掛けられるのは困る、昔住んでいたアパートでならゆっくりと話が出来る、と……地上げ屋に立ち退きを強いられたが、それを指示した不動産会社の社長が行方不明になってから放置されたままになっている空き家を指定した。
「……それで、私に何が聞きたいって?」
「何度も電話で申し上げた通り」
実直な気性なのか、華子を問いを真面目に取られていないと取ったか、眉を寄せて民俗学者は繰り返す。
「貴方の家に伝わる唄を……一音だけでも、言葉の一つでもいい。是非、聞かせて頂きたい」
断られる可能性、など微塵も思ってない風で、民俗学者は脇に下げた鞄からメモとペン、そしてボイスレコーダーを取り出した。
「なんで、私がそれを知っていると思うんだぃ。単に、苗字が同じ、たまたま名前が同じってだけだろぅ?」
呆れを動作と表情で示して、嘯いてみせる華子に民俗学者は真摯な眼差しをぶつけた。
「貴方から話そうと場を設けてくれた事が、事実かと聞いた僕への答えだと思っています」
年齢は若いとは決して言えない……冴えない風体の、中年に近い年齢の民俗学者は凍り付いた姿で時だけを重ねる華子から見れば尚更、夢を追う瞳の強さが子供のようだ。
「日本で歌と言えば特定の字数に当て嵌めた和歌、さもなければ子供が歌う童歌、手毬唄……それとは別格として、宗教儀式に要する祝詞がある」
熱を帯びていく言葉に、華子は黙する。
「祝詞とは神に捧げる、寿ぎ、言祝ぎの歌。それは日本に坐す八百万の、神と同じだけの祝詞があったはずなのです。しかしそれは口伝のみを主とし、祭祀が、信仰が絶えれば消え行くしかなかった……それを顕著にしたのが神仏習合です。その政策によってどれだけの唄が失われたか……」
確かに惜しむ心を覗かせて、民俗学者は華子に訴える。
「大徳寺が伝えていたのは、まさしく古き神、国津神に対しての言祝ぎの筈。古代より野に山に魂を招き求めた唄の、形を止めている筈なんです」
自らの仮説を立証する為に、唄えという。
 民俗学者に華子は明確な冷笑を浮かべた。
「……其処まで理解してるなら、必要ないじゃないか。その通り、唄は神へ捧ぐもの、人に聞かせるためのものじゃない」
「やはり、貴方は知っているんですね!」
途端、目を輝かせた民俗学者に、華子は「ハッ!」と短く笑いの息を吐き出した。
「何を勘違いしてるんだぃ」
髪を掻き上げる仕草に合わせるように唇を嘲笑の形に引き上げる。
「言ったろう、人に聞かせるつもりはないってねぇ。大徳寺の神は大徳寺のモノ。あんたにゃあんたの神が居るだろぅ? そんなヤツに聞かせてやる義理も謂われなんかありゃしない。それに其処まで調べ上げたなら、当然知ってるだろう? 大徳寺にはもう祝詞は存在しない……残っているのは呪詞だけだって、ねぇ?」
態と蓮っ葉な口調で嘲りも顕わに告げるが、民俗学者はそれを静かに引き結んだ口元に強い意志を示して受け止める。
「その区別もつかないんじゃ、お話にもなりゃしないね。大方、名誉欲とかそんなモンで目ン玉曇っちまってんだろぅ? 象牙の塔に住まうのは勝手だが、学問をお題目に掲げりゃどんな無理も押し通るなんて思いこみはこっちにゃ迷惑でしかないんだよ。とっとと行っちまいな」
冷徹な眼差しで顎を上げ、汚らわしいとでもいうようにシッシッと手で追いやる動きに、漸く民俗学者は口を開いた。
「貴方の家に伝わる唄を……一音だけでも、言葉の一つでもいい。是非、聞かせて頂きたい」
それは意地でも何でもなく。覚悟、を示した声だ。
 華子は肩に入れた力を、吐き出す息に抜く。
「……きっと後悔するよ」
「それじゃ……ッ!」
現金とも言える表情の変化で、喜色を現わした民俗学者に華子は苦笑する。
「録音してもいいですか……ッ?」
声と指とを振わせて許可を求める男に苦い笑いのまま頷き、華子は窓を背にして立った。
「そう、それからもう一つ気になっていたんです」
カチリ、とレコーダーのスイッチを入れて……それも取材のつもりであるのだろう、民俗学者は期待に満ちた笑みと共に華子に問う。
「大徳寺、華子さん。大徳寺最期の後継である女性と同じ名前を持つのは、貴方が……おばあさん、もしくはひいおばあさんから名前を受け継がれたと言う意味ですか?」
それに華子は短く笑った。
 先までの冷たさが嘘のように、楽しげに肩を震わせて零した笑いが黒髪を揺らした。
「後にも先にも、華子は私だけ……あぁ、数えて見ればもう百十一歳じゃないか。ぞろ目に何やら縁起が良さそうだけれど、さて上寿を越える祝いは耳にしないねぇ……最も、死んでいるのと何も変わらなければ目出度くもなんともないけどねぇ」
「はは、冗談を……」
笑いかけた民俗学者に、華子は目元の笑みを深める……その色に、男の笑いが強張る様を見るより先に華子は瞳を閉じた。
 ……闇色の唄、忌唄の唄い手。いつからか、知る者はそうと呼ぶようになった二つ名は最早身に馴染んで長く、その名にし負うて瞼を閉じる、それだけで容易に闇は身を華子は自らの魂を染め上げる。
 闇に塗り込めて曇った眼には何一つ映らずに、唄う声はただ同じ淵へと人の心を誘うのみ。
 何故、神は嘆きの詞を好むのか。
 何故、神は孤独を唄うのか。
 闇に染まるが故に沈む事すら出来ずに居る浅ましい心が、暗き深淵に沈める魂を求めてか……否。
 華子を闇に追い落とした神はもしや、彼女の捧げる唄を受け取る事すらしないのか。
 受け取られなかった祈りこそが、何処へも行けずに人を闇へと引き込むのか……自らの唄に疑念が添うようになったのはいつからの事か。
 しかしそれも唄うまでの事。
 旋律を想い、言の葉を引き出す、それに確かに心が動く。
 唇が詞を形作る、喉が母音を引いて震え、そして……。


 華子は扉に慎重に鍵をかけ、住む者なく曇りきった窓硝子に夕陽が映り込んでいるのに気付いて微笑んだ。
 あの時代にはクーラーなんて洒落た物はなく、西日の強さに辟易した住人達は申し合わせたでもないのに、それぞれ自分の椅子を戸外へ持ち出して熱い路面と壁とに水を打ち、夕涼みめいた集いをしたものだが。
 そのまま足が覚える道を進む……続く影はひとつきり、後を追う声も姿もなく、長く伸びる影だけを連れて華子は道の突き当たり、コンクリートで固められた川に出た。
 昔はもっと澄んでいたように思うが、今は悪臭を放つヘドロが堆積し、水の流れすら危ぶまれて粘っこく澱んだどぶ川へ、ボイスレコーダーを無造作に投げ捨てる。
 水音すら立てずに、ずぶりと呑まれるようにして泥に沈む、精密機器の姿が消え去るのを見届けてふと、手の内に古びた鍵にも気付く。
 もう此処を訪れる事はないだろう、と。
 華子はそれも川の上方に向けて放り投げ、その場を後にした。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月08日

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