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『推定恋心 〜恋のバイエル〜 』
杉森・みさき0534


「いいお天気!」
 シャーッっとすばやく遮光カーテンを開くと一気に窓から日差しが差し込んだ。

 部屋の中央に置かれた白いピアノにかけられた布を外しながら、窓から外を見る。
 アパートの窓から見える辺り一体は一面銀世界―――とまではいかないが、東京にしては珍しく屋根や道に雪が積もっていた。
 高く上がった太陽の光を雪がキラキラと跳ね返し杉森みさき(すぎもり・みさき)はその眩しさに少し目を眇める。
 放射冷却現象のせいか室内だというのにその部屋の空気はとても冷たくて、みさきは部屋に入って真っ先につけたヒーターの設定温度を高くする。
「こんなに寒かったら指も動かないものね」
 窓から差し込む光で輝く真っ白い自分のピアノに語りかけるようにみさきは呟いた。
 しばらく待って部屋を暖め、指先も程よく温まったのを確認してからみさきは練習を開始する為にゆっくりと鍵盤の蓋を上げる。


■■■■■


「あっ」
 何度目かのミスに、みさきは小さく息を吐いた。
 テンポが乱れたり音が乱れたり、挙句の果てには思い切り指運びを間違えるくらいだ。
 暗譜している楽譜。身体に染み込んでいる指運び。
 それを何度も間違えるなんて、いかに練習に身が入っていないか判るというものだ。
 ふと、視線を落とすと鍵盤の上に置かれたままの自分の指が目に入る。
 目に入った指の1つ、右手の薬指にはめた指輪が窓から差し込んだ光を反射した。

 翼の1つをモチーフにした可愛らしいその指輪はある男性にクリスマスイブの夜に貰ったプレゼントだった。
 クリスマスイブの夜、教会のクリスマスミサの手伝いと言う事でみさきはオルガンの演奏を頼まれた。そのお礼にと、ミサの後にクラシックのコンサートに誘われて彼と二人で出かけていったのだが、その帰り道、大きなクリスマスツリーの下でクリスマスプレゼントだと言って渡されたのがこの指輪だった。

 そのときの事を思い出すと、何故かみさきの頬は自然と赤らむ。
 それはそうだろう。
 彼がじかにこの指輪を指に嵌めてくれたのだが、しかし最初に彼が嵌めてくれたのは今みさきがしている右の薬指ではなく左の薬指だった。
 左の薬指に嵌めるのは一般的に伴侶の証の指輪である。
 そんなハプニングがあったためにすっかりと忘れていたのだが、よくよく思い返せば右の薬指に嵌めると言うのもそれはそれで一般的には恋人の証であるステディリングなわけで……
 それを考えてしまえばみさきの頬が染まるのも無理はない。
 だが、
「…そう、だよね。神父さんなんだもん、そんなこと…あるわけないよね…」
と、みさきはこの指輪を見るたびに何度も繰り返しそう自分に言い聞かせていた。
 きっと彼はそんな意味を知らなかったのだろう、と。
 神父として世俗と切り離された暮らしを送ってきただろう彼が、右手の薬指に嵌めるのはステディリングだと知っていたとは思えない。
 自分にそう言い聞かせてみさきは指輪から視線を外して、目の前に置いた楽譜に戻す。
「やっぱり知らなかったんだよね……うん」
 あれから何度もそう自分に言い聞かせてきた。
 頭では確かに彼がそんなことを知らなかっただけの話だと納得している。それなのにそれは頭だけの話し。
 知らなかったと安堵するのとは別に、心のずっと奥が少しきゅぅっとする。
「……なんだろ?」
 みさきはそっと自分の胸に右手を当てる。
 なのに自分の掌で感じられるのは規則的な心臓の音だけ。
 胸に置いた右手の上に左手をそっと重ねる。
 左手に感じる指輪の確かな感触。
 それを感じて胸が微かにざわつく。
 みさきはそれ以上考える事を拒否するかのように何度か大きく頭を横に振る。
「さっ、練習練習」
 そう言ってみさきは再び練習を始めた。


 きゅぅっという心の声が切なさというものだとみさきはまだ気付いては居なかった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
遠野藍子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月08日

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