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『気紛れなバレンタイン 』
深山・揚羽4537)&如月・佑(1384)

 活用する気があるのかないのか、時折暇を持て余してはページを捲る料理雑誌をパタンと閉じて、突然、深山揚羽はぽつりと言った。
「近々バレンタインよねー……チョコが食べたい……佑ちゃん、作って」
 週に1度のバイトに真面目に取り組んでいた如月佑がそれを聞き流すと、揚羽は佑の顔を見て、もう一度言う。
「チョコが食べたい。佑ちゃん、作って」
「嫌です。」
 即答して、ちらりと揚羽を見る。
 全く、突然何を言い出すことやら。
 チョコ如き、近くのコンビニでもスーパーでも、行って豊富な種類の中から好きなものを買えば良いじゃないか。それを作れとは何ごとか。そもそも何で男の自分がバレンタインが近いからと言って女にチョコを作らなければならないのか。
 じっと視線を逸らさない揚羽を無視して佑が作業に没頭していると、揚羽はすっと雑誌のページを開いて差し出して見せた。
『バレンタイン大作戦〜手作りチョコでハートをゲット!〜』
 見るからに詰まらなさそうな見出しを佑が読み終えると、揚羽はにんまりと笑って言った。
「『帰蝶』で販売するわ、作んなさい、バイト。……臨時手当も出すわよ」
 命令である。
 御丁寧に何時の間に準備したのか、割烹着と三角巾まで手渡してくれる。
 だったら最初から「食べたい」ではなく「売りたい」と言えば良いのではないのか。それでも、今から作るよりも業者から取り寄せた方が見目麗しく早いのではないか。
 そう思いながらも佑は割烹着を受け取り、分かりましたと返事をしてしまう。
 何と言っても揚羽は雇い主で自分はしがないアルバイト。上司の命令には背けないのだ。
 甚だ気は向かないが、これも仕事の一環であると思えば仕方がない。
 バレンタインが近いからと言って、香屋でチョコなど売れるのかと言う疑問が拭えないが、佑は取り敢えず作業に取り掛かることにした。

「早速始めましょう。限定で、お香も付けようと思うの」
 と、揚羽は自分もエプロンを用意したが、材料がなければ話しにならない。
 自分で作る料理の材料は自分で見て買わなければ、と佑は急いで材料の買い出しに行き、1時間後、漸く台所に入ることが出来た。
 真っ白な割烹着と三角巾を身に付けた佑は、給食の準備をする小学生のように見える。
 揚羽は着物姿に真っ白なフリル付きのエプロンで、本人は少しメイド姿を意識しているらしいが、昔の映画に出てくるカフェーの女給のようだ。
「ところで佑ちゃん、チョコを作ったことあるの?」
 そう問われて、即答する。
「ありません」
 佑の料理の腕前は、『一人暮らしは伊達じゃない級』である。朝昼晩の食事から、多少の客をもてなす料理まである程度不自由はしない。日頃言っているせいかそれは揚羽もよく知っていたが、お菓子作りまで出来るのかと言えば流石にそうではない。ましてやチョコレートなど、買うことはあっても作ることはなく、貰う事はあっても売ることはなかった。
「作れるの?」
 と、大量の調理用のチョコを刻みながら揚羽が首を傾げると、
「店長が作れって言ったんでしょう」
 佑は憮然とした顔でさっき揚羽が見ていた雑誌を取り上げる。
 ページを捲ればそこに簡単な作り方が写真付きで掲載されていて、それを見様見真似でやって見ようと言う。
「……大丈夫かしら……」
 真剣に、心配そうな顔をする揚羽に、佑はそっと溜息を漏らした。
「どうなっても知りませんからね」
 別段、チョコの味を変える訳ではなし、ようは溶かして固めて包装すれば良いのだから、何とかなるだろう。
「何を作るの?」
「チョコでしょう」
「そうじゃなくて、どんなチョコを作るの?」
「普通のチョコ」
「…………」 
 刻んだチョコを黙々と湯煎にかけて溶かしていくと、甘ったるい匂いが台所中に満ちて、揚羽はその匂いを胸一杯に吸い込んで幸せそうな顔をした。
「で、店長は何してるんです?」
 木杓子でチョコを混ぜながら、ふと佑が顔を上げると、チョコを刻み終えた揚羽は何故か手に泡立て器を持って立っていた。 
「え、他にも何か手伝おうかと思って……」
佑は手を休めずに頷き、問う。
「その泡立て器は何に使うんっすか?」
「要らない?」
「要りません」
 そう言われて揚羽は泡立て器を元の位置に戻したが、手持ちぶさたな様子でじっとボールの中で溶けたチョコを見ている。
「チョコにお香を付けて売るんでしょう?そっちの準備をしなくて良いんですか?」
「そうね、それじゃ私はお香の準備……」
 揚羽は折角付けたフリルのエプロンを外そうとして、名残惜しかったらしく背中に回した手を止める。エプロンを付けたままお香を仕立てることにしたようで、佑がひたすらチョコを溶かす間に材料を揃え始めた。

「佑ちゃん」
「はい?」
 乳鉢に入れた香料を混ぜながら、ふと揚羽が顔を上げた。
「どんな形のチョコを作るつもり?」
「普通の……板チョコ」
 答えながら佑は用意してあったバットに溶けたチョコを流し込む。
 揚羽は手を止めて言った。
「ねぇ。板チョコを削って溶かしたのにまた板に戻してどうするの?」
「…………」
 言われてみれば尤もで、佑は慌ててバットのチョコをボールに戻す。
「バレンタインに好きな女の子から板チョコ貰って嬉しい?今までチョコ、貰ったことないの?」
 板チョコが駄目となるとどんなチョコを作るか……、佑は去年のバレンタインを回想し、義理を含めて幾つか貰ったチョコの形状を思い出す。そう言えば、ハート型だったりまん丸だったり、寸詰まりのポッキーみたいだったり、確かに板チョコはなかったような気がする。
 ボールを湯煎にかけたまま、佑は買い物袋を漁った。
 突然チョコを作れと言われても、材料が今ひとつ分からない。売り場にあったものを適当に買いだしてきたのだから、何か役に立つものがあるのではないか……と見れば、そんなもの自分でも買ったかどうか定かじゃないが、ドライフルーツや薄い紙の容器があった。
「フルーツチョコ……、食べたい」
「フルーツチョコね。はいはい」
 佑は大急ぎで大粒の杏を半分に切り、ココアパウダーを敷いたバットに窪みを作ってそこに溶けたチョコを半分ほど流し込んだ。それから上に杏を並べ、更にチョコを流して、上から再びココアパウダーをかける。
 チョコを固めている間に使い終えたボールや木杓子を片付け、次は5つの区切りのついた箱に紙の容器を並べた。
 その時になって、ふと異変を感じる。
「何か変だ……」
「え?何が?」
 首を傾げる揚羽に構わず、佑はキョロキョロと辺りを見回し、鼻をひくひく動かした。
 台所内に漂っているのは、チョコとお香の匂い。
 チョコを作っているのだからチョコの香りがしておかしいはずもなく、香屋であるからして当然、様々な匂いが漂っておかしくもない。しかし……、
「一体何なんだ、この匂いは……」
 チョコと何やら甘い、不思議な香り……。
 匂い、と言われて揚羽はああ、と手を休め、乳鉢を佑に見せた。
 中には薄い桃色の粉が入っている。
 匂いを嗅ぐと、甘く、ややスパイシー且つサッパリ。何だか目が覚めるようで、気持ち良い。
「いや、これかな……、似てるけどもっと甘いような……ああ、甘いのはチョコか?」
「匂いがどうかしたの?」
「そのお香とチョコの匂いが一緒になってか、何か凄い、良い感じの匂いが……」
 言って、佑は胸一杯にその香りを吸い込んで深呼吸する。
「良い感じ?」
「店長、気付きませんか?」
 佑が何度も息を吸い込んで、嬉しそうな顔をするのを見て、揚羽はにんまりと笑った。
「何です、何笑ってるんです?」
「効果があるのねぇ、このお香。チョコとセットにして売ろうと思ったのよ」
「……何か嫌な予感が……」
 思わず佑は鼻をつまんで身を退ける。
「嫌な予感?どうして?ちょっと2人を良い雰囲気にさせるだけよ」
「そんないかがわしいもんここで作らないで下さいっ!」
 思い切り顔を歪めた佑の横で、揚羽は何でもないようににこにこと笑った。

「……もう、胸焼けが……」
 うんざりとした顔で揚羽は目の前の箱を押し戻した。
 テーブルの上には解いたリボンと包装紙の山。
 部屋中にチョコと、佑が『いかがわしい』と評した香の匂いが充満している。
 丸1日をかけて佑がせっせと準備したチョコと、揚羽が仕立てた特製のお香はそれぞれ分けて箱に入れて包装紙で包み、リボンを掛けることでそれらしい形になった。
 有名洋菓子店の店頭に並ぶ商品に負けず劣らずな仕上がりに2人とも満足し、喜び勇んで『帰蝶』の店内に並べたが、香屋でチョコを売っていると思う客はいなかったようで、期待した程には売れなかった。
 バレンタイン商戦に乗り出すには時期が遅かったこと、何のCMもしなかったことが原因だと揚羽は言い張ったが、実のところは来店した客に言葉で勧めることも、特に目立つ場所に置くこともしなかったことが一番大きい。無事に商品を作り終えて店頭に並べてしまったところで、揚羽のチョコとバレンタインに対する気持ちが薄れてしまていたからだ。
 佑にいかがわしいと評されたもののそれなりに効果のある香を仕立てられたことに満足し、販売への情熱が少々足りなかった。
 結果、バレンタインの翌日である今日、賞味期限のあるチョコの処理に精を出すハメになってしまった。
「食べたいから作れって言ったのは店長でしょう?責任持て食べて下さい」
 と、佑は無情にも揚羽に向かってチョコを差し出す。
「佑ちゃん……、どうして鼻つまんでるの?」
 佑はさっきからずっと鼻をつまんでチョコを口に運んでいる。
「鼻つままなくちゃ食べられない?」
 そんなに不味いかしら、と首を傾げる揚羽。
「極々普通の、チョコとドライフルーツの味だけど……」
「食べられない程、不味い物を作った覚えはないです」
 佑は鼻をつまんだまま深い溜息を付く。
「店長と良い雰囲気になっても嬉しくありませんから!」
 とっととチョコを処理して、お香も片付けてくれと言う佑。
「あら、駄目よ」
 揚羽はチョコの箱とお香の箱を分けながら笑う。
「バレンタインの次は、ホワイトデーでしょう?ホワイトデーにも売るわよ。佑ちゃん、宜しくね」
「宜しくって、何を宜しくするんです」
「あら、ホワイトデーと言えばクッキーかキャンディでしょう?クッキー、焼いてね」
 2人で処理するにはまだ大量にあるチョコを見て、佑は小さく溜息を付き、言った。
「それ、売れ残ったら店長が一人で全部処理してくれるんですよね、勿論?」



end
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
佳楽季生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月08日

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