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『鼻輪物語〜旅の道連れ?〜 』
楓・兵衛3940


 楓兵衛。6歳。小学1年生にして、斬甲剣を供に修行を重ねる兵法師……だったのだが、彼の肩書きにはつい最近『串焼き屋台のダンナ』というものが追加された。
 何故そんなことになったのかを語れば随分と長くなる。ただひとつ言えるとすれば、ソレは幼い初恋の成就に欠かせないと囁かれてしまったということだ。
 なにはともあれ。
 寒風吹きすさぶ東京の一角で、兵衛は今日も若いOLや渋いおやっさんたちを相手に、屋台でひたすら鶏肉やホタテを焼き、順調に常連客を増やしていた。今では完売による店じまいの時間が短くなっている。
「おいしかったわ、兵衛くん。またね〜」
「明日も食べに来るからね。ちゃんと居てよ」
「!」
 最後の客にぎゅっと抱きつかれ、兵衛の顔がボムッと沸騰する。
「あ、ずるい!私も〜えい!」
「な、な、な―――っ!?」
 更に連れの方も横から抱きついてきて、しばしギュムギュムと過剰なスキンシップが施された。
「じゃあね」
「暗いからね、気をつけて帰るのよ〜」
「しょ、承知したでござる」
 ようやく抱きつき攻撃から解放され、上機嫌で彼女たちが手を振って屋台を離れていくのを半ば呆然としながら見送った。
 心臓が無闇にバクバク鳴っている。
 やはり女性は苦手だ。
 あまりにも行動が突発過ぎて何をするのかまったく読めない。
 だが、彼女は別だ。
 あの可憐な少女。おでんの屋台をひく和装の素敵な彼女は他の女性達とは違う。特にあの……
「ん?」
 うっかり恋の空想に耽ってしまった兵衛の頭の中に、不意に何かが囁きかけてきた。
 はたと我に返り、訝しみつつ鋭い視線で周囲を見回す。
 なんだろうか。
 また、何かが囁いた。
 見つけて、と。
 私を見つけてと、ソレは確かに意思を持って語りかけてくる。
 暗い夜道を照らす外灯の下で更に目を凝らし、兵衛は小さな身体を屈めて声の聞こえる方へ慎重に進む。
 そうして丁度自分の屋台から10メートルも離れた頃だろうか。
 何かが草むらの中で外灯を反射して煌いていた。
 そろそろと近付き、そして小さなソレを取り上げる。
「これは……」
 自分を呼んでいたものを、照明に当てて下からじっくり観察する。
 何度も何度も角度を変えて観察する。
 ソレは金色に光り、何かの文字が刻まれた――鼻輪だ。
 今風にボディピアスとでも呼ぶことも出来たかもしれないが、やはり、どこをどう見ても鼻輪だった。
 そして、ソレは囁くのだ。頭の中に直接響く、妙にエコーがかった音で『私をつけて』と。
「……日本男児たるもの、みだりにかような誘惑にのってはいかんでござる……」
 抗いがたい声を払いのけるように、ぶるぶると頭を左右に振る。
 修行だ。これも精神修行のひとつなのだ。誘惑に引っ掛かってはいけない。どれほどキレイでも、どれほど訴え掛けられても、そこには必ず何かのワナが……
「いかんで、ござる……が……しかし」
 だが、所詮は小学1年生。お子様の自制心は鼻輪の魔力に抵抗し切れなかった。
「…………これをつけるのもまた、修行になるかもでござる……」
 緊張か、はたまた武者震いか。ほんの少しだけ震える手で謎の鼻輪を自分の鼻へ―――
「!」
 ぐにゃん。
 装着した途端、兵衛の手足がぐにゃりと歪み、驚く間もなくキレイに姿が空間に融けて消えてしまった。
 自分の手を動かしてみても、どこにあるのか視覚で確かめることが出来ない。
 透明人間だ。物語の中にしかいないはずの存在に、自分はなってしまったのだ。
 完全な透明になった自分にしばし呆然としていたが、次第に好奇心が戸惑いを覆っていく。
 嬉璃に会いに行ってみようか。
 屋台の売り上げの50%をピン撥ねし、コトあるごとに恋心をもてあそぶ『あやかし壮』の座敷わらし――いまこそ彼女に意趣返しをするチャンスではないか。
 いや、急いてはいけない。何事も綿密な計画と確認作業が仕事を成功に導くのだ。
 兵衛は店じまいした屋台を置いて、とりあえず本当に自分が透明になりえたのかを通行人で確かめようと走り出した。
 この公園を通って飲み会に流れるビジネスマンやOL達を相手に、彼らの前に飛び出す。ちょっと服を引っ張る。肩を叩く。声を掛けてみるなどなど、兵衛は思いつく限りのことを試した。
 しかし、彼らはこちらのアクションに反応はしても、自分の姿を認めることが出来ていない。
 何度も何度もソレを確かめて、兵衛はようやく確信した。
 大丈夫。いける。
「いざ!」
 大切な串焼き屋台を透明になったままで引っ張り、おそらく彼女がいるであろうあやかし壮へ全力疾走する。

 ちなみに。
 無人の屋台がものすごいスピードで夜道を走り去っていくのを目撃した人間がそのことをケイタイで友人に告げ、尾ひれがついた挙句に東京にまたひとつ都市伝説が生まれたのだが、ソレはまた別のお話である。

 ともあれ、日々鍛えている脚力によってあっという間に目的地に到着した兵衛は、屋台を大家指定の位置へ片付けると、そろりそろりと森の中のアパートへ近付いた。
 ぴたりとドアに耳をつけて様子を伺えば、中からは賑やかな音が聞こえてくる。
 その合間を縫って、標的である嬉璃の声も確かに聞こえた。
「嬉璃殿、覚悟」
 少々人には言えない『裏稼業スキル』でもって難なく錠前を外し、人に見られる心配のない身体で足音も気配も完全に消し去って、声のする方へと古い廊下を進む。
 この先にはたしか管理人室があったと思ったが。
「うわぁああぁぁあん!!嬉璃さんのいじわるぅうう〜〜〜」
 ドアに手を掛けて進入しようとしたそのタイミングで、眼鏡の冴えない編集者が泣きダッシュで飛び出してきた。
 とっさに右へ退いて、何とか正面衝突を避ける。
「……………」
 大人とは思えない情けなさで駆け抜けていく悲しい男の背中をうっかり見送ってしまった兵衛。
 一瞬自分の目的を忘れていた彼の意識を引き戻したのは、幼い高笑いだ。
「まったくなっとらんのぅ!」
「!」
 ふははははっと、腰に手を当て、嬉璃が戸口で仁王立ちになって笑っている。
 無邪気で意地悪な座敷わらしは、自らの完全なる勝利に酔っていた。
 チャンスである。
 兵衛は開け放たれた戸口と笑い続ける嬉璃の横をそうっとすり抜け、暖かな畳の部屋へ入り込んだ。
 そして、まるで泥棒が値踏みをするように、じっくりと部屋の隅々までチェックする。
 冷蔵庫に、戸棚。通販番組の流れるTV。中央に置かれたちゃぶ台には湯のみふたつに、誰かの手土産だろう温泉饅頭の入った箱がひとつ。周りには空袋が微妙に散らかっていた。
 それらをしっかりと頭に入れながら、グルグルと思考をめぐらせる。
 とりあえず、最初にやるべきことは決まった。
「さて、あやつの根性を鍛えてやったことぢゃし、わしはもう少し菓子を楽しむのぢゃ」
 ヒトの悪い(いや、彼女はれっきとした人外だが)笑みを浮かべて戻ってきた嬉璃がよいしょとザブトンに座ろうとしたその時、
「のぁあ――っ!?」
 横からいきなりザブトンが引き抜かれ、ものの見事に転がる。
「な、な、なんぢゃ?何でザブトンが逃げるのぢゃ?」
 何が起きたのか理解できないまま、呆然と宙に浮かぶそれを見つめていた。
 掴まえようと手を伸ばすと、つっと右に逃げる。
 右に手を伸ばせば、今度は上へ。左、下、斜め右……すばしこく逃げるザブトンと嬉璃のコントのような追いかけっこ。
 当然、怪奇現象の犯人は姿の消えた兵衛である。彼は笑い出したくなるのを必死に堪えて口元をむずむずさせていた。
 声を出してはばれてしまう。
 まだまだこれからだ。
 兵衛はそっと斬甲剣に手を掛ける。
「……も、もうよいわ。ザブトンなぞなくても、わしは座れるぞ」
 ほんのちょっと肩で息をしつつ、嬉璃は諦めて畳へそのまま座り込む。
 そして饅頭へ手を伸ばすと、
「…………」
 いつのまにかそれらが全て箱の中で真っ二つになっていた。
 刃物で一刀両断された温泉饅頭だが、目を見張ったのは箱そのものは無事だということだ。
 饅頭を摘み上げる嬉璃の横で、つまらぬものを斬ってしまった……そう心の中で呟く兵衛。だが、その表情は妙に清々しい。
 彼女はとりあえず落ち着こうと湯のみを取って口をつける。
「―――!!」
 ブフゥ。
 兵衛が隙をついていち早くすり替えていた湯飲みの中身……濃口醤油を、嬉璃は盛大に吹き出した。
 想いを寄せるかの少女の存在をいいように利用し、常に一枚どころか二枚も三枚も上手の知恵でからかう彼女が、今は自分によって翻弄されている。
 鼻輪さまさまである。
 さあ、次はどうしようか。
 すっかり魔力に魅入られた兵衛は、普段ならばけして思わない悪巧みをいくつもいくつも試したくなっていた。
 歯止めが利かない。
 管理人室で繰り広げられる、ある意味一方的な怪奇現象。
 だが、嬉璃とて伊達に数百年に渡って座敷わらしをしているわけではない。
「わしをこんな目に合わすとは、なにやつぢゃぁ!」
 この異常事態(むしろ非常に不本意な事態というべきか)に、嬉璃は何らかの介在を見極めていた。
 ずしゃーん!
 盛大なちゃぶ台返し。
「うわぁ!?」
 うっかり足を取られて、声を上げてひっくり返る兵衛。
 その拍子に嵌めていた鼻輪がいとも簡単に彼の鼻から外れ、ことんと床に転がり落ちた。
 同時に無敵の『透明人間』はごく普通の『不透明人間』となって、怒り心頭の座敷わらしの前に姿を晒すこととなる。
「き、嬉璃殿……」
「ほほう……兵衛、おんしであったか……で、これが……」
 そのうえ目ざとい彼女は、相手が体勢を整えるより早く件の鼻輪を拾い上げてしまった。
「なるほど。姿を消す鼻輪とは、またけったいなものを見つけてきたのぅ……」
 そうしてにぃっと不穏な笑みを浮かべ、嬉璃は尻餅をついたままの兵衛と鼻輪を交互に見やる。
「拙者の鼻輪でござる。返さぬか!」
「こんな面白いもの、おんしに渡すわけには行かぬわ!」
「待つでござる!」
「いやぢゃ!」
 かくして、無限増築された不思議アパートあやかし壮にて、2人の鼻輪を巡る長い長い戦いが始まったのであった―――


END
PCシチュエーションノベル(シングル) -
高槻ひかる クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月07日

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