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『零れ落ちた言葉 』
エヴァーリーン2087




 冷たい風が肌を裂くような寒空の下で。
 一つの影がまるで踊るような軽やかな動きを見せる。
 一人集中をし荒野を飛び回るエヴァーリーン。
 指先から放たれた鋼糸が空気を裂き、エヴァーリーンの意志の通りに動く。
 木々の間を縫うように、そして相手を取り囲むように作られる鋼糸で作られた網。
 それは相手に気取られることなく行われなければならない。
 攻撃をかいくぐり、逃げながら鋼糸を空中に放つ。
 その時、気をつけなければならないのは、鋼糸を放つ時も不自然な仕草も見せないように、ということだ。
 相手を包囲していく課程を気付かれては途中で阻止され目論見がはずれてしまう。
 鋼糸を放つタイミング、そして速度。
 手先の器用さには自信があったが、それを更に上回る技術が必要だった。
 鍛錬によってそれを手にし、次の機会に生かす。
 そうしなければ相手を上回ることなど出来はしない。
 先日負けた一戦をエヴァーリーンは忘れることはないだろう。
 今でもしっかりと覚えている。
 あの時の感覚、風の音、そして相手の闘気も。
 エヴァーリーンはその一戦を思い出していた。


 限界まで研ぎ澄まされた感覚。
 それは自分自身の負けを導き出してはいなかった。
 まだ行ける。
 相手を自分のテリトリー内に押さえ込んだ自信があった。
 鋼糸は逃げる間にしっかりと張り巡らせていた。
 動けば相手の負けだと。
 しかし一筋縄ではいかない相手だということも脳裏にはある。
 いくら小細工をしても真っ正面から立ち向かってくる相手のあの視線を忘れることはない。
 目をそらしてはいけないとしっかりと見据え、その刃を受け反撃に持ち込もうと。
 しかしそれは許されなかった。


「全く、あの馬鹿力‥‥してやられたわ」
 エヴァーリーンは放った鋼糸を手元に回収しながら呟く。
 もちろん、エヴァーリーンがこうして一人技を磨いている間に相手も同じように鍛錬しているのだから、いつまでも前と同じ実力のはずがない。
 しかしエヴァーリーンの予想以上に相手の実力は大幅に上がっていた。
「戦うたびに強くなってる‥‥腕力だけじゃない‥‥闘気も」
 このままではいくら技を施しても全て破られる、と悔しそうにエヴァーリーンは唇を噛む。
 先日もエヴァーリーンの張り巡らせた鋼糸の技を、力業で撥ね退けられてしまったのだ。
「なんとかしないと‥‥」
 小さく呟いたエヴァーリーンは、はたとあることに気づき動きを止めた。

 気付いてしまった。
 自分の中での『戦い』と呼ばれるものの持つ意味が何処か変化していることに。

「‥‥何とかしないとって‥‥おかしなものね。戦いなんて‥‥手段でしかない‥‥そう思ってた」
 生きる為の手段、前に進む為の手段。
 ずっとそう思ってエヴァーリーンは生きてきた。
 立ちはだかるものを退け、そして自分自身を守る為に。
 面白くもなんともないただの生き抜く術。
 それがなければこの世の中から消えてしまうかもしれないもの。
 でもそれは今はただの術ではなくなってきている。
 技を磨き、戦った時にどうやったら相手を自分の技で捕らえられるかと、それを楽しむ余裕すら出てきた。

「‥‥何とかしないと、なんて」
 いつの間にか‥‥あの馬鹿に影響されてるみたい、と苦笑する。
 腐れ縁の馬鹿力で今は良きライバルの人物はいつの間に、こんなに自分に影響を及ぼしていたのだろうと。
 エヴァーリーンは鋼糸を使い始めた頃を思い出す。
 あの頃はずっと一人で、世の中の何も、誰も信じてはいなかった。
 一人きりで生きていたエヴァーリーンを拾ったのは暗殺集団。
 ほんの少しの間でも自分と共に生きた人が居たことを思い出す。
 優しい歌声、そして暖かな温もり。
 一人ではないと思い始めた矢先、突然また一人に戻って。
 また全てを失って。
 一人きりで世界に放り出されて、ただ昔と変わらず一人きりで生きてきた。
 でもその後、今暇さえあれば隣にいる人物と出会った。
 そこで何かが変わった気がする。
 戦いの意味も、そしてもっと根本的なものも。
 今は、この世界に一人きり、という感覚は消えている。
 昔あんなに感じた孤独も今は消えている。
 毎日馬鹿をやって一緒に仕事をして。
 くだらないことで競い合って。

「今は一人じゃないみたい‥‥」

 エヴァーリーンは脳裏に浮かんだ、今は亡き師に呟く。
 一度孤独からエヴァーリーンを救った人物へ。
 孤独だったエヴァーリーンに初めて温もりを与え、初めて何かを教えて欲しいと思わせてくれた人物へ。
 エヴァーリーンにとって大切な家族だった人物へ。

「呼んでもいいかな‥‥」

 照れくさそうにはにかんだ笑みを浮かべるエヴァーリーン。
 初めて口にする言葉がくすぐったい。
 生きている間には呼んで上げられなかったけれど‥‥、と胸の内で思いながらエヴァーリーンは囁いた。

「母さん‥‥」

 それは寒空の下で風に融けていく。
 今この言葉を素直な気持ちで呼べるのは、自分を少しずつ変えてくれた人物が居たからだろうと思う。
 今も一人きりであったならば出てこなかった言葉。

「本当に色々と影響されてるみたいね」

 口ではそんなことを言いながらも嬉しそうに微笑んで、エヴァーリーンは再びその人物と対峙するときのために腕を磨くのだった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
紫月サクヤ クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2005年02月07日

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