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『one's round of courtesy calls 』
間宮・甲斐0803)&久我・義雅(0804)

 キュ、と音を立てた最後の一拭きに、曇り一つなく磨き上げた硝子の曲面を矯めつ眇めつ検分して、間宮甲斐はその満足の行く出来映えに小さく頷くと、丁寧にそれを所定の位置に戻した。
 中でひらりと踊る、鮮やかに赤い魚影……私室で起居を共にする二匹の金魚が、浄められた水の中で変わらず元気に泳ぐ様に僅かに目を細め、甲斐は水を湛えた硝子の中に一つまみ、労いの意を込めて薄茶に粒状の餌を入れた。
 金魚鉢の凸をひらりと過ぎった衣のような尾の紅に、ふ、と気配を和らげる。
 年末恒例、大掃除。
 久我の本宅に於いて清掃自体は家人の手に任されるが、その細かい指示や新年の行事に向けての手配などの采配は状況を把握している者が為す必要がある。
 朝から諸般の業務に忙殺されていた甲斐も、漸く手の回った私室の清掃を終え、仕上げとばかりに金魚鉢の手入れを済ませて一息……吐く間は彼にはない。
 次なる恒例行事が控えているのだ。
「……行ってきます」
金魚に告げて足を向けるのは車庫である。
 いつもならば主を乗せてのみでしか運転しない高級車、そのトランクと広い後部座席とに大量の荷物を詰め込んで、甲斐は脳裏に路順をシュミレートする……久我の血縁・知人、仕事先。遠方に所在を持つ者や縁の薄い者には宅配で済ませるが、やはり歳の暮れの挨拶は手ずからが礼である……本来なら家に於いて長に次ぐという意味で、その細君が担う役であるが、久我に夫人は不在である。
 いつの頃からか何故だか彼が、その代役を担う事となって最早定例の感を持つ、挨拶回りへと甲斐は出発した。


「これはこれはご丁寧にいたみ入ります」
それは深い礼で以て押し頂くように、初老の男性はその髪と同じように白い三輪の素麺を受け取った。

「義雅様にまた、お顔をお見せ下さいまし、と」
和装の女性はおっとりと、清酒を受け取って艶やかな朱唇を綻ばせた。

「ホラ可愛いでしょ、三人目なの♪ パパも早くイイヒト見つけてねって♪」
子供を足下にまとわりつかせた女性は腕に乳児を抱いたまま、商品券の入った封筒を受け取る。少し濃い化粧でにっかと笑う顔は、同期して笑顔を見せた子等と全く同じなのがこちらにも笑いを誘う。

 仕事の関係で世話になった知人は元よりだが、主が私的な関係を結んだ婦人(複数)への挨拶もその路順に入っている。受けた伝言の数だけ荷物の嵩を減らしながら、甲斐はまた一つ呼び鈴を押す。

「誰だ?」
鈴の音を二度繰り返して待つ事しばし、引き戸が開くと同時に投げかけられた問いに、甲斐は苦笑した。
「間宮甲斐です。歳末のご挨拶に伺いました」
迎えた和装の少年は、黒目がちの大きな目できょとんと甲斐を見上げて沈黙の後、「あ」と口を開いた。
「知ってるぞ。お前、間宮だ。同僚だ」
訪れたのは久我当主の側近……確かに同僚の宅である。
 けれど同時、当主の甥に当たり、久我の血縁である彼には別個の礼が必要と、本家で変わらず年末の調整に追われているだろうを承知で訪れた甲斐に、幾度も顔を会わせた事があるというのに少年……人の姿を取るがその実鵺と呼ばれる妖は、興味がないのか単に物覚えが悪いだけなのか、思い出すのに時間をかける。
「なんだ? 今日はちゃんと仕事に行った」
同僚を迎えに来たのかと思ったのか、小鳥めいて首を傾げる彼に、甲斐は発砲スチロールのケースを差し出した。
「お歳暮を届けに来たんです。お受け取り下さい」
差し出したそれをじっと見詰めて……不意に彼は表情を輝かせた。
「馬車馬あいすだ!」
正確には『馬』でなく『道』なのだが。
 アイスの詰まったケースをひしと抱え込んで、少年は開け放したままの戸口を振り返る。
「間宮はつうしんはんばいになったのか? 久我をクビになったのか? そうだハンコが要るんだ! 待てるか? 直ぐに持ってくる!」
お歳暮、という代物の意図を理解していない少年に、印鑑は要らないと断ろうとしたのだが、下手に説明を誤ると今後、一般の宅配便への受け取り印を拒否するだろう可能性に思い至り、甲斐は諦めて手帳に印を貰う事にした。

「今度はゆっくりお出でなさいな。孫とも遊んでやってね」
最高級の抹茶を届けた先、ほっかむりに襷掛けで玄関先を掃き浄める処に出会した、先様の主にそうと誘われてひたすら恐縮する。

「久我から施しを受ける謂れはない」
口では言いつつも生ハムの塊をひしと頂くのに難はない、と甲斐は丁寧に辞意を表してブルーシートが張られた公園の木立の間から去る。

「おお、来たか」
マンションのエントランス、呼び出しに応えたのは主の息子、久我の後継である。
 画面越し、来意を告げるとオートロックが外れて甲斐を招き入れた。
 エスカレーターで階を上り、慣れた通路に足を向けて……インターフォンを鳴らすより先に扉が開く。
「いらっしゃい、甲斐さん!」
迎えたのは久我の後継のその弟子である。
「師匠、今パスタ茹でてて手が離せないんですよ〜。上がって下さい♪」
修行の名目で寝食を共にする彼は、良い意味で若者らしい遠慮の無さに甲斐を誘う……玄関先で用事を済ませるつもりの甲斐だったが、歳暮を手渡すべき後継が在するというのに弟子に言付けるというのも妙かと、促されるまま上がり込む。
 と、弟子の言葉の通り、キッチンで腕時計を睨みながら、もうもうと湯気を上げるパスタ鍋を前にする後継の姿があった。
「少し待て……後、30秒」
言いながら、真剣な眼差しで鍋の中からパスタを一本、菜箸で掬い上げると口に運んで茹で加減を確かめる。
「よし」
呟きにコランダー……穴の開いた内鍋を引き上げ、更に湧き上がる湯気をものとせず、ジャッと鋭く振って湯を切ると、弟子が揃えた皿に手早く盛り分ける……既に作ってあったソースを乗せて、出来上がったミートパスタは何故か、三人分。
「どうせ飯もろくに与えられずにこき使われているんだろう」
どうやら甲斐の分らしい……後継が言うように非人道的な冷遇が為されている訳ではないが、朝からの慌ただしさに、家人が握ってくれたおにぎりを口にする程度の食事しか取って摂っていなかった事を思い出す。
 しかしこれからの予定を考えると、のんびりもしていられない。
 その旨を告げると、ちらりと甲斐が手にした紙袋を見る。
「いつもの蕎麦か」
年越し蕎麦にと、毎年有名処の手打ちの生蕎麦を歳暮に贈るのだが。
「食わなきゃ受け取らん」
 後継は気遣いを脅迫に変えた。

「知人の娘さんなんだが。今度会うだけ会ってみてやってくれないか」
果たして一人の知人がえらく子沢山なのか、上流階級では結婚難民が溢れているのか。歳暮と引替えのように押しつけられそうになった釣書の山から、ほうほうの呈で逃げ出して漸く一通り、主の使いを終え……次に控えるのは私的に親しい友人達への挨拶回りである。

「甲斐、ひもじいよぅ……」
縋る眼差しに迎えられ、台所のなけなしの食材から急ぎ、且つ簡単にあり合わせの食事を作ってやる……料理下手にも程がある癖に、独立するというから心配して見に来て正解だった。これで新進気鋭の舞台女優というのだから、芸能界は解らない。

「年忘れ百人一首大会ー!」
去年はわんこ蕎麦大会だったが。複数人の知人が集まるデザイン事務所、デザイナー、コーディネーターからテキスタイル、マネージャーなどなど、全員が和装で完徹の構えのハイテンションに巻き込まれそうになった次いでに和装を宛われそうになって慌てて辞退する。

「おま……ッ! 生きてんなら連絡しろよーっ!」
チャイムと同時に抱き付かれる……そういえば以前、近くで負傷した折に寝床を借りてそのままだったか、と思い出す。便りがないのは元気な証拠、と思い浮かんだ言をふと声にすれば殴られた。本気で。

「おぅ、甲斐じゃねぇか久しぶり! いい数の子入ってるぜ! じゃなきゃ蟹買ってけ蟹!」
師走の慌ただしさもピークに達した商店街、いつでも陽気な魚屋に手を振り……友達甲斐だけでなく美味しそうだった鮪を一さくだけ買って帰る。

呼び鈴を鳴らそうにも、郵便受けから溢れ、ドアの脇に積み上げられた朝刊、夕刊の束に沈黙する。『金返せ』のようなストレートな要求を求める貼紙がないだけマシだが、『皆が心配しています。帰ったら連絡して下さい。―母より』などという風雨にさられれて文字の薄い書き置きに出会してしまった友人としては、その処遇に悩む。

「大掃除に来るとは気が効いてるな」
そのつもりもないのに強引に連れ込まれそうになる。事件記者がのんびり年越しをするというのも平和でいいというと、五年ぶりに回ってきた年始休暇だと胸を張るのにうっかり手を貸しそうになる……己を律して甲斐は他所と同じ断りを口にした。
「大切な用事が控えているので」
そうか、と残念そうにけれどしつこく引き止めはしないのは、甲斐が大切な、という限り、主に関わる事柄で何者もそれに勝る事が出来ないというのを経験と、肌で知っている知人達は諦めの息に笑顔を向けて送り出してくれるのだ。
 それに甘えて甲斐はまた一人、友人の宅を後にした。


「おかえり」
漸く久我の本宅に戻った甲斐を玄関先で出迎えたのは彼の主、久我義雅……だが、その手に握った物体に彼は軽い眩暈を覚えた。
 竹箒が意味する所は明解で、最近は陰陽を司る家の当主、御自らが玄関先を掃き清めるのが流行りなのかと遠い目になる甲斐に、義雅は何故だか胸を張った。
「私だってね。年末は色々と忙しいんだよ」
そんな詮無い事で忙しさを誇られても……と呆れるが、忙しく立ち働く家人の邪魔でもして、暇を飽かしている位なら年始からの仕事を先倒しにしても構わないのですよ、的な小言を苦手な側近に食らって戸外に逃げ出して来たのだろう事態は想像に難くない。
「……お仕事がお済みなら、文句はありませんが」
既に義雅の行動に関しては達観、というよりも諦観の境地にある甲斐は、未だ当主たるべきを義雅に諭す側近の気苦労を思いつつ、自分の立ち位置は変えない。
「だから私はお前が好きだよ」
さらりと言ってのける義雅に……けれど誤魔化されはせず、甲斐は念を押す。
「皆様はきちんとお休みになられていましたか?」
「大丈夫だよ、ちゃんと寝かしつけて来た」
久我の家、その最たる当主が担う封じ……忌場に封印され、浄化が叶わぬほどに昏く猛き怨念は年毎、季毎、折に触れての鎮めを要する。
「其処まで神経質にならなくてもいいのだけれどね、本当は」
主はそう苦笑するが、そうでなければ生きている者が、その真を知る者が不安でならないのだと……いわば、生者の畏れに対する鎮めだと甲斐は判じていた。
 そして気がかりをもう一つ。
「彼もよく、眠っていますか?」
特に名詞を挙げずに問えば、義雅は軽く眉を上げて微笑んだ。
「桜の下は気持ちいいみたいだね。ぐっすり眠っていたよ」
「ようございました」
怨念、という無形の者とは質を違えたそれの所在の確認に安堵する甲斐に、片掌を上に向けて今度は義雅が問う。
「で、甲斐。お土産は?」
請われて差し出したのは、気に入りの期間限定の生菓子である……あまり甘味の執着を見せたりはしないのだが、枝を思わせる蜜漬け牛蒡と白味噌餡を包んだ求肥で花弁を象った、創業を室町とする老舗の和菓子店が旧くから新春のみに売り出す、この菓子は毎年欠かさずに使いをねだる。
 嬉しげに包みを受け取った主は、早速屋内に戻るかと思いきや……門扉を越えて甲斐の脇を抜けた。
「お出かけですか?」
年末年始にかけての消費を目して、普通の生菓子よりは日持ちがいいだろうが、この寒空に菓子だけを抱えての家出は少し難はないだろうか……と、悩みかけた甲斐を義雅が振り返る。
「ほら、背の高い鵺が居たろう……彼がお節をご馳走してくれというものだから。早くおいで」
その彼につい先刻、だし巻き卵を届けて黒豆の味見をさせて貰ったばかりだったりもするのだが。
 義雅の声は誘いだが、甲斐に拒否権はない。
 車庫に収めたばかりに車を取りに、とって返す甲斐について歩く義雅が、和菓子の入った包みを妙に大事そうに抱えているのに少し笑う。
 ゆっくり出来るのか、泊まっていけるんだろう、最近調子はどう……好意と気遣いとを向けてくれる、友人達のそれに甘えずとも逃げずとも。
 帰るべき場所がある、事実を確として甲斐は笑みを深め。
 当主脱走に付き添う旨を側近、家人に知らせて捜索隊の編成を防ぐ為、取り出した携帯電話のメール機能を呼び出した。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
北斗玻璃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月02日

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