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『要転気 』
真神・毛利2565


 がんっ。
 ハイヒールに蹴飛ばされてしまった壁は、勢い良く蹴られたその様を見事なまでに音で表現した。
「……全く、ついてないわ」
 じんじんと振動の伝わる足を壁に打ちつけたまま、真神・毛利(まなかみ もうり)は小さく低く呟いた。
「今日、ずっとついてないわ」
 再び呟き、足をようやく壁から離した。顔は俯いたまま、黒髪はさらりと毛利の肩から落ちたまま。毛利はこれまでを思い出すように、そっと目を閉じた。
 朝から、ずっと毛利にとって不愉快な日が続いていた。メイクアップアーティストとして働く毛利は、その職に愛着も誇りも持っている。それなのに朝は、うっかりモデルのメイク道具を間違えて持っていってしまった。自分ではもっと淡い色づきをするピンクのチークを持っていったつもりだったのに、実際に現場で見てみると濃いベージュのチークであった。その時は自分用のメイク道具に似た色があったから何とか対処できたが、やはり想像していたものと違った感じになってしまった。
(あれは、本当に悔しいミスだったわ。行く前にちょっと確認すればよかった事だもの)
 昼には、予約が重なってしまった。一人一人に丁寧なメイクを施したかった毛利にとって、客を待たせているという状況はプレッシャーにも似た焦りを感じさせた。結局は、二人の予約客には「次から気をつけてね」という言葉だけで済んだとは言え、これもちょっと気をつけておけば防げるミスであった。
(予約表はこまめに確認していたのに、今日に限って……よねぇ)
 それからも電車の遅れによる遅刻や、在庫補充の為に電話した先がたまたま定休日……というような災厄が続いていた。そりゃ、壁でも蹴りたくなるというものだ。
(全く……どうなってるのかしら?)
 毛利は大きな溜息をつき、そっと目を開けた。開いた赤の目は、目の前に広がる壁を映し出す。先ほど毛利が蹴った、道端の壁だ。幸い、誰にも見られてはいないようなのだが。
「さっきだって、そうよね。口紅を塗る所で紅筆を落としたりして」
 新色なんですよ、と言いながら手にした口紅に紅筆をさっと動かしていたその時であった。使い慣れていたはずの紅筆は、ひらりとも毛利の手から離れ、床へと落ちていってしまったのだ。手に残ったのは、新色の甘いローズピンク。
 慌てて謝り、代わりの紅筆で口紅を施した。客は全くといっていい程気にしてはいなかったが、毛利にとってはショックで仕方が無かった。道具を落とすなんて、自分らしくないのだと。
「……全く」
 毛利は呟き、頬が赤くなるのを感じて鏡で確認した。ほんのりと赤く色づいた頬は、まるでチークを施したようだ。
「新色のチューリップレッドみたいな、チークだわ」
 毛利はそう言いながら小さく笑った。自分の頬に自然に出た紅潮まで色合いをいう所は、既に職業病かもしれないと。
(ま、仕方ないわよね。流石に4軒もはしごしたら、そうなっちゃうわよね)
 指で、行った店を数えながら毛利は笑う。堪ってしまった鬱憤を晴らすのは、やはり酒に限る。思惑通り、お酒を飲むたびに明るい気持ちになりつつあるから。
(だからと言って、今までのことがなくなるわけじゃないけど)
 毛利はくるりと壁から踵を返し、歩き始めた。カツカツというハイヒールの音が夜道に響く。通りには自分と同じように飲み屋の暖簾をくぐる者や、仲間たちと肩を組んで上機嫌に歌なんぞ歌っている者もいる。不思議な光景だ、と思わずにはいられない。
(この中には、私みたいに災厄続きの人もいるだろうし)
 小さく苦笑し、毛利は考える。沢山のお酒を摂取したにも関わらず。毛利の頭は綺麗に澄み渡っているかのようだ。ただ、楽しいと思ってしまうだけで。多少は鬱憤が晴れていくだけで。
(それでも……まだ晴れきらないし)
 完全に酔いきれない頭は、今日一日の災厄を思い出させる。一つ一つ、丁寧にプレイバック。その一つ一つに反省会。いい加減にしようと思いつつも、やっぱりプレイバックと反省会。その繰り返し。
「……やめやめ!もう一軒行っちゃおう!」
 毛利がそう決めたその時、ふとゲームセンターが目に入った。中から騒がしい音が漏れている。何気なく自動ドアをくぐると、大音量の様々なゲーム音が響き渡っている。
(賑やかね)
 何気なく入ったそのゲームセンターの明るさに、毛利は少しだけ笑みをこぼす。ぐるりと店内を歩き回ると、懐かしいパズルゲームや本物の人間のような格闘ゲーム、今流行りの和太鼓を叩くものや色とりどりのボタンを叩くもの、銃を撃つものや車を運転するもの等様々なものがあった。どれも若者が興じている。それを見るだけでも、楽しい気持ち担うから不思議だ。
「あら」
 ふと、毛利は目に入ってきたクレーンゲームに近寄る。
「やっぱ、クレーンよね」
 毛利は広いクレーンゲームコーナーをゆっくりと歩く。可愛らしい猫や犬のぬいぐるみ、キャラクターもの、鞄やお菓子、時計などいろいろなものがセッティングされてあった。取れそうで取れない位置に置いてある辺り、ゲームセンターの店員の腕がいいようにも思われた。
(可愛いわね)
 毛利は一つのクレーンゲームで足を止めた。ふわふわの毛を持った、猫や犬など動物のぬいぐるみだ。
(あの子達が喜びそうだわ)
 ぬいぐるみを見ていると、年の離れた妹のような親戚の二人を思い出してきた。ぬいぐるみ、という年でもない二人だが、可愛いものはきっと喜ぶ筈だ。実際、自分に置き換えても喜ぶだろうから。
「……やってみましょうか」
 毛利は呟き、お金をクレーンに入れる。慎重にクレーンを動かし、角度とアームの強さを測る。一度目は少しだけ浮かせたが、アームが弱くて落ちてしまった。
(アームが弱いから……引っ張ってきて落とした方がいいかもしれないわね)
 毛利はそう考え、再びチャレンジする。先ほどの考えから、今度は取り出し口に近い場所まで引っ張ってくる事が出来た。
(うん、あと一回で取れるわね)
 ゲーム機の窓を覗き込み、毛利はにっこりと笑う。そうして再びクレーンを動かすと、思った通りに取る事ができた。ぽてん、と取り出し口に落ちたぬいぐるみは、狙った通りの猫であった。
「よしっ!」
 毛利は小さくガッツポーズをし、取れたぬいぐるみを近くに置いてあった袋に入れた。
「どんどん取っちゃうわよ」
 毛利はにっこりと笑い、いろいろなクレーンにコインを投入し、ぬいぐるみにチャレンジしていく。
 結局、7回試して4個を取る事が出来た。失敗したのは三回だけ。誇らしい戦果だ。
「クレーンゲームなんて、コツを掴めばばっちりよね!」
 大きく膨らんだ袋を抱え、毛利はにっこりと笑った。中に在るのは様々な種類の可愛らしいぬいぐるみたち。
(きっと、喜んでくれるわ)
 毛利はふわふわのぬいぐるみの入った袋をぎゅっと抱き締め、にっこりと笑った。きっと喜んでくれる、二人を思って。


 後日、予定通り親戚の二人に毛利はぬいぐるみを渡した。二人とも可愛らしいぬいぐるみに大喜びで、にっこりと想像以上の笑みを見せてくれたのだ。
(いいわね)
 毛利は嬉しそうに笑う二人を見て、自分もにっこりと笑う。
「どうして突然、クレーンゲームを?」
「そうねぇ……」
 尋ねられ、毛利は思い出す。そういえば、災厄続きの日だったと。
(でも、もうどうでもいいわ)
 毛利はただ、にっこりと笑って返した。既に災厄の日についてはどうでもよくなっていたから。
「二人のお陰かしら?」
 毛利は悪戯っぽく笑いながらそう言い、もう一度嬉しそうな二人の笑顔を見つめるのであった。

<転気は要する時に訪れ・了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月01日

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