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『冷めることがありませんように 』
神宮寺・夕日3586)&深町・加門(3516)


 ――プロローグ
 
 へいらっしゃい!
 大きな声に迎えられて、神宮寺・夕日はマフラーを取った。室内は暖房が効いていて少し暑いくらいだった。隣の深町・加門も夕日と同じくマフラーを取った。それは彼女がクリスマスに彼にプレゼントしたものだ。
 夕日がほっと息をついたのと同じように、加門も一つ息をついた。
 店内は広く、カウンター周りに二十ほどの席が用意され、奥にはテーブル席が四つ並んでいた。加門は夕日の意向を聞くことはせず、ずかずかと店内に入って行って中央、寿司職人が立っているすぐ横の席に座った。マフラーを隣の席に置いて、無言でお茶のパックを湯飲みに入れ、湯を注ぐ。
 酢飯の匂いがかすかに漂っていた。
 夕日は加門がマフラーを置いたのとは反対の席の前に立って、白いコートのボタンを外した。
「あんた、それ脱がないの」
 隣の席にマフラーを置き、コートを置いたところへ店員がやってきてカゴをくれた。夕日はカゴの中にマフラーとコートを置き、自分のハンドバックを入れた。加門は一瞥をくれて自分のマフラーを中へ放り込んだ。
「……だから、それ脱がないの?」
 夕日が再び訊く。加門はめんどくさそうに顎をかいてメニューを指した。
「食おうぜ」
 彼は言って、使い捨ての手拭のビニールを破った。
「だから、出るとき寒いでしょうって言ってるの」
 加門はのんびりと回る寿司を見ながら、夕日を見ずに言った。
「お前さ」
 夕日はやっと加門の隣に腰かけて、手拭を手に取っている。
「何よ」
「うるさいって人に言われないか?」
 加門はすっぱりとそう言い切って、お茶を一口ずずずとすすった。隣で夕日が、唖然と口を開けている。彼女はしばらくそうしていたが、やげてかすかに額に血管を浮かせながら、ひくひくとひきつる頬を無理矢理笑わせた。
「な、なにそれ」
「言ったままだ」
 加門は寿司職人に視線を向ける。
 
 
 ――エピソード
 
 夕日の本日の目標は十皿である。
 色々と検討した結果だった。
 深町・加門という男は、女らしさのこれっぽちも通じない相手なので、どうやらダイエットとか謙虚とか恥じらいだとかそういう言葉は、まったく意味をなさない。それは、経験済みなのだ。加門に奥ゆかしさを理解しろという方が土台無理な話なのだ。そう……痛感させられた。
 それならば、である。
 某女賞金稼ぎの例がある。彼女は女で多少非力だが、加門に仲間として認知されている。彼女とどこが違うのかと考えると、答えは出た。彼女は豪快なのだ。何をやるにしても派手だった。奥ゆかしさとはまるで反対のベクトルが彼女には備わっている。
 つまり……総合的に見れば、女らしさはいらないのだ。
 しかしなんとかして点数は稼ぎたい。なんとか目に留めてもらいたい。少しでも近付きたい……のが夕日の心境だった。
 そういうわけで、夕日の本日の目標は十皿完食なのだ。
 これでも多めに見積もったつもりだ。普段は六皿食べればいい方なのだから、四皿も多い。だがそれで加門が目を見張るかと言えば、正直まだまだ少ないだろう。精一杯の努力を汲んでもらえる確立だって、高くはなさそうだ。
 と、ここまで想像した夕日は加門を見ることなくまず一皿目の寿司を注文した。
「カンパチ一つください」
 彼女が辛い葛藤を繰り返している間に、加門はすでにいくつか注文した……らしかった。
 そう思って夕日が隣を見ると、そこには夕日と加門の間の深い深い溝を表現したような高い高い皿の壁が立ちはだかっていた。
 それは言い過ぎかもしれない。だが夕日にはそう見えた、それだけのことだ。
 つい一、二、三、四、五、六、ここまで数えてアホらしくなってやめた。
「あんた、どういうペースで食べればそうなるのかしら」
 夕日が独り言のようにつぶやくと、加門が壁の向こうから顔を出した。
「食ってねえな、お前」
 加門は流れていたアナゴを無造作に取り上げて、夕日の皿の横に置いた。
「どうせ美味い寿司じゃねえんだ。量食わなけりゃ損だぜ」
 表情が固まるのを感じながら、夕日は熱いお茶を見た。猫舌の彼女にとっては、まだ熱い温度だろう。仕方がないので、カンパチに箸をつけ、そしてまた仕方ないのでアナゴに手を伸ばした。
 一応、私の為に取ってくれたわけだし。
 というのは、自分に向けた言い訳である。
 最早自らの食いっぷりをアピールするのは、資本主義の前の社会主義、井の中の蛙、兄を前にした夕日である。敵わないのだ、結局。
 寂しい微笑を口にした夕日は、目の端に積みあがっていく皿を気にしながら言った。
「スズキください」
 加門がサーモンを受け取っている。寿司職人が「ポン酢で食べるとおいしいですよ」と加門にアドバイス。加門はふと手を止めて、ポン酢に反応した。それを見ていた夕日は、目の前にある醤油とポン酢に手を伸ばして、ポン酢を加門に渡した。
「はい」
「ああ、サンキュー」
 加門は皿の隙間からやってきたポン酢を受け取り、どうやらサーモンにかけて食べたらしかった。
 彼は十を数える皿の列を三つほど作ってから、お茶のパックを湯飲みにもう一つ突っ込んで湯を注ぎ、熱い茶を飲んだ。
 それから夕日を覗き見て、ふと言った。
「なんだお前、腹へってなかったのか」
 夕日は現在十皿目のイカを食べているところだった。
 豪快作戦破れたり。そうなのだ、加門の前でそういったアピールなどできる筈がないのだ。
「へってたわよ、昨日の晩抜いたしその後ジョギングしたし、その後ヨガやったし」
 眉をぴくぴくさせながら夕日が言い返す。
「お前、それ、不健康っつんだぞ、普通」
 加門は煙草をポケットから取り出し、とんとんとテーブルへ打ちつけた。口へくわえて、百円ライターで火をつける。満足したのか、ふうと白い煙を吐き出した。夕日は冷えたお茶に口をつけた。
「あー、おいしかった」
 平らげた十皿の皿を見て自己満足に浸りつつ夕日が言うと、加門は灰皿に煙草を押し付けながらへらりと笑った。
「おいおい、これからが本番だ」
 へ? 静止した夕日は、加門がメニューも見ずに寿司を注文している絵を目撃した。
「マグロ、かつお、タコ、赤貝、ハマチ」
 目が点になるとはこのことを言うのだ。夕日は、肩を落としながら考える。
 そうでなければ、いつ点にしたらよいのだと世界の皆に同意を呼びかけたくなっている。
 点の目が再び正常に戻り、そして積み上がる皿に爽快感さえ過ぎるようになった頃、加門はようやく食事を終え、本当の食後の一服をつけた。猫舌の夕日が三杯のお茶を飲んでいる間、彼はずっと食べ続けだった。
 皿の数はざっと五十六皿、夕日は目を瞬かせてそれを数えた。
「ははは……あんた、大食い王選手権でも出たらどうよ」
 どこにそれだけの物が詰まっているのか、煙草をくわえて立ち上がった加門は相変わらずハンガーのようで、夕日はあちこちまじまじと見つめてしまった。
 加門はカゴからマフラーを取り上げて首にかけ、尻のポケットから財布を取り出した。
 夕日はコートを羽織った状態で、制するように手をあげた。
「いいもの見たわ。今日は、払わせてもらうわよ」
 五十六……自分を含めて六十六皿の寿司代。約一万円の支払いである。
「お前、寿司板前にでもなりたいのか?」
 自分の食いっぷりにまったく気付くことなく、加門は不思議そうに夕日を見て言った。
 
 
 ――エピローグ
 
 帰り際、うまいこと
「食後にコーヒー飲まない?」
 と、夕日は加門を喫茶店へ誘うことに成功した。
 一番最初に足を向けた近くの喫茶店はなんと全席禁煙で、コーヒーと加門との時間が遠のいていくのを夕日は感じたが、奇跡的に加門の機嫌はそこで斜めに曲がることなく、二件目の喫茶店に入ることができた。
「ブレンド……それと?」
 加門が夕日に振る。夕日は驚いて一瞬間を取ってから、加門の背に手をついてメニューを覗き込んだ。
「カフェオレ」
 ポケットの小銭をさらって加門が料金を支払う。
「悪いわね」
「いやー、当然ですよ」
 トレーを受け取りながら、加門がにやりと笑った。
 そうそう、思い出して夕日が加門の袖を引く。
「あんた、チョコ好き?」
「好きそうに見えるか」
 トレーをテーブルへ乱暴に置いて、加門はそのままどっかりと腰をおろした。
 夕日は二月十四日のバレンタインを念頭に置きながら、小さな声で答えた。
「見えない」
 バレンタインはすでに波乱の予感だ。
 だがともかく、夕日がコーヒーを飲み終わるまで、彼女は自分だけの幸福に浸ることとなる。
 自分が猫舌でよかったと思う場面は、彼としか出会わないだろうと確信する夕日だった。

 
 ――end
 

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【3586/神宮寺・夕日(じんぐうじ・ゆうひ)/女性/23/警視庁所属・警部補】
【3516/深町・加門(ふかまち・かもん)/男性/29/賞金稼ぎ】

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■         ライター通信          ■
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冷めることがありませんように ご依頼ありがとうございました。
お気に召せば幸いです。

文ふやか
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2005年02月01日

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