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『秘密 』
蒼王・翼2863

 白昼堂々と、気障な科白で女を口説いている男がいた。
 その男は、道を行き交う人々の冷たい視線を浴びていたが、いっこうに構う様子はない。
 雑誌のインタビューを受けた帰り道、蒼王翼はその冷たい視線を受ける男が知人の草間武彦だと気付いて足を止めたが、一瞬、他の人達と同じように冷たい視線を向けてしまった。
 彼は至極真面目に、女性を口説いているつもりらしい。
「何てスレンダーなんだ!君みたいな素敵な女性は見たことがないなぁ……、ちょっと冷たい感じも素敵だ!コーヒーだけで良いから付き合って貰えないかな?」
 すり寄って、拝み倒し、ついには跪かんばかりの様子に、周囲の目が一層冷たくなる。
 相手が黙っているのを良いことに、草間は次々と口説き文句を並べて行く。
「勿論、君みたいな素敵な女性に俺なんか相応しくないと思うが、俺だって男だ、一度で良いから素敵な女性とコーヒーの一杯くらい飲んでみたいと思うんだ。すぐそこに、美味しい喫茶店があるんだけど、どう?ケーキも美味しいって噂だ」
 冷めた目線が憐れみに代わり、ついにはクスクスと笑い声まで漏れるようになってからふと翼は我に返り、小さく溜息を付く。
 草間はそれでも周囲を全く気にせず、彼が美女と信じて疑わないスレンダー且つやや高飛車な雰囲気の電信柱に愛の言葉を囁き続けている。
「なぁ、おい。草間」
 翼が近付き、声を掛けたことで周囲の視線が更に集まり、ざわめきが増した。
 それもその筈、見るからに怪しげな、警察に職務質問されても不思議ではない様子の男に、見目麗しくいかにも育ちの良い翼では、そうそう有り得ない組合せだ。
「ああ、ちょっと待ってくれ。今、忙しいんだ」
 声を掛けたのが翼だと気付いてか気付かずか、草間はとうとう電信柱に抱きつき、「10分!いや、5分で良いんだ!」と声をあげる。
 その言葉の端々に酒の香りが漂い、草間が身動きするたびに安酒の匂いがふわふわする。
「かなり酔っているな」
 まだ日も沈んでいないと言うのに、何て有様だろう。
 翼は深い溜息を付いて草間のヨレヨレになったスーツの首を掴む。
 それでも電信柱に強く抱きついて離れようとしない草間。
「あのぉ〜、警察を呼びましょうか?」
 通りがかりの女性が心配そうな面持ちで声を掛けてきた。
 草間には妹がいる。あの少女に警察まで身柄を引き取りに行かせるのは可哀想だ。
 翼は人々を魅了してやまない笑みを浮かべて言った。
「いや、結構。酷く酔っているがこれは知り合いでね。ご親切にどうも」
 知り合いと聞いて女性は不可解そうな顔をしたが、翼が草間を電信柱から引き剥がし、自分の肩に腕を回させると、軽く会釈をして去って行った。
 このまま放置して人々の目に晒すのも哀れだし、かと言って警察に引き渡して妹の手を煩わせるのも、興信所に連れ帰って兄の醜態を見せつけるのも躊躇われる。暫し考えた末、酔いが冷めるまで自宅で休ませようと決心した。
「ああ、こら。ちょっとしっかりしろ」
 ぐっと体重を預けてくる草間によろめき、思わず翼は草間の脛を蹴った。
 が、酔っている所為かサッパリ傷みに気付かない草間は「もう少しで口説けたのに」などと文句を言いながらふらふらと翼に導かれて歩く。
 翼は周囲の視線を多いに感じながら、酒臭い草間を引きずるように自宅へ向かった。

「いや〜、すみまへんれ〜」
 呂律の回らなくなった草間をどうにかベッドに放り出し、翼はあに濁点の付いたような溜息を付いた。
 自力でちゃんと歩こうとしない草間をひたすら引きずって、漸く辿り着いたマンションではエレベーターの中でそのまま座り込んで寝ようとする草間を支え続け、どうにか自室まで連れて来る事が出来た。
 どんなに疲れて帰った日でも、エレベーターを降りてから自室までの距離をこんなに長く感じたことはない。
 ベッドに横たわるなり手探りで枕を探し当てた草間は、頬を埋めた途端に高鼾をかき始めた。
 今朝綺麗に整えた筈のベッドは、草間が何度か身動きしただけでぐしゃぐしゃになってしまった。
「まったく……」
 布団を掛けてやろうとして諦めて、翼は額の汗を拭った。
 この分だと2〜3時間は起きないだろう。時計を見ると、その頃は少し早めの夕食時だった。
 起きた時に何か軽く食べさせた方が良いだろうと考えて、翼は草間を寝室に残したまま台所に向かう。
 何か胃に優しい食べ物があっただろうかと冷蔵庫を漁り、食料庫を調べてどうにかそれらしい材料を探し出した。
 まずは自分の疲れを癒す為に水を一杯飲み、外出着の上にそのままエプロンをかける。
 根菜を流水で洗いながらふと、何故自分がこんな事をしているのだろうかと疑問に思う。男嫌いである筈の自分が何故、知人であると言うだけでわざわざ自宅のベッドで男を休ませ、尚かつ目覚めた時の為にと料理まで初めているのだろうか、と。
 気付けば、草間を抱きかかえていた所為で自分まで少し酒と煙草の匂いがする。
 普段なら絶対に我慢ならない筈の事が、何故こんなにも平気なのだろう。
 考えながらも手際良く夕食の準備は進み、干物の鰺を焼きながら根菜と冷凍の肉を鍋で煮込んでいる間に米を洗い、釜を炊飯器に入れたところで翼は一息ついて湯を沸かした。
 テーブルを片付けながら寝室の様子を伺うと、規則正しい鼾が聞こえるばかりでまだ目覚める気配はない。
 飲み過ぎの胃に優しいと言う中国茶を用意して、炊飯器のスイッチを入れ、ご飯が炊けるのを待つ間にゆっくりシャワーを浴びることにした。
 恐らくまだ目覚めないとは思うが、目覚めた時の為に枕元に水を置き、翼はとんとんと肩を叩きながら浴室に向かう。
 何だか酷く肩が凝った。

 かなりの時間をかけてシャワーを浴び、漸く安酒と煙草の匂いから解放された翼は清々しい思いで石鹸の香りを漂わせながら台所に戻る。
 ご飯が丁度炊きあがったところで、台所中に独特の匂いが満ちていた。ご飯と焼き魚、煮物の匂いで胃が刺激され、空腹を感じる。
 急須にお湯を入れて待つ間に冷蔵庫からサラダと漬け物を取り出し、テーブルに並べているとこちらも匂いで目覚めたのか、草間がヨロヨロと寝室から這いだして来た。
 自分が何処にいるのか理解出来ない様子で頭をぼりぼりと掻きながら腫れた目で辺りを見ていたが、翼の姿を見付けるなり驚愕の表情を浮かべた。
「何をそんなに驚いているんだ?」
「何でお前がいるんだっ!?」
「随分なお言葉だな、他に何か言うことはないのかい?」
 草間はまだ理解出来ないようで、頭を振ったり頬を叩いたり、胸ポケットに手を入れて煙草を探そうとする。
 仕方なく、翼は草間がここに来るまでの経緯を手短に話す。
 と、草間は顔色を変えて頭を抱えた。
「そ、それは……、悪かった……」
「悪かったと思うなら、兎に角座ってくれないか。夕食の準備が出来ているから、食べよう」
「あ、い、いや……」
 それでも席に着こうとしない草間に翼は首を傾げる。
「まだ何か?」
 草間はテーブルに並んだ夕食と、髪の濡れた翼を見て何やら狼狽している。
 何時も少年のような姿の翼が、今はゆったりとした部屋着で少女のように見えるのが原因だろうか。
「迷惑をかけて悪かった。す、すぐに帰らせて貰う」
「折角2人分用意したんだ、食事くらい良いだろう?」
 席についてお茶を勧める翼。
 草間はうら若い女の一人暮らしの部屋に前後不覚で入り込んだことをしきりに詫びるが、翼は全く頓着せず笑って席に着くように促す。
「心配するな。キミが白昼堂々電信柱を口説いていたなんて、妹や友人達に喋ったりはしないから」
 その言葉に焦りながらも漸く口を付けたお茶を吹き出し、草間は慌てて近くにあった布巾で口とテーブルを拭った。
「な、なんだそれはっ!」
「覚えていないのか?電信柱に向かってキミみたいなスレンダーな女性は見たことがないと言っていたじゃないか」
 草間は激しく酔いの残った頭を振り、気持ち悪さに軽く吐き気を覚える。
「覚えていないからなおのこと、秘密にしておいてやろう。公言しないと約束するよ」
 来客用の茶碗に炊きあがったばかりのご飯をよそい、草間に勧めてから翼は箸を取る。
「聞くが、」
 と草間は食事を始めた翼に向かって指を立てて見せた。
「一つ、もしやお前は自分を女だと思っていないのか?ふたつ、或いは俺を男だと思っていないのか?三つ、俺ごときどうにでも出来ると思っているのか?」
 夕食を準備している間に、自分でも疑問に思ったことだった。
 あの時はハッキリした理由が見出せなかったが、言われてみると成る程と思うところがある。
「全部正解だ」
 と翼は笑った。
 草間は安堵して良いのか憤慨するべきなのか決めかねているようだが、漸く箸に手を伸ばす。
 溜息を付いてから箸を口に運ぶ草間を見て、翼は草間が挙げた三つの理由について考えてみる。
 翼は確かに男嫌いではあるが、老人や子供等、男と認識さえしなければ何の問題もないのだ。
「つまり、問題外なのか……」
 呟いた翼に草間が首を傾げる。
「何でもない」
 告げてしまえば、草間は怒るだろうか。
 まだ落ち着かない様子で箸を動かす草間に、翼は内心苦笑した。




end
PCシチュエーションノベル(シングル) -
佳楽季生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年02月01日

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