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『□■□■ Betray Junkey ---帽子の下に--- ■□■□ 』
緑川・勇0410


 とっさに交差した腕が間に合っていれば、それは露見しなかっただろう。俺はずっと男のままでいられたし、子供と見られていても、本来の性別のままで生活が出来た。その短い時間が俺にとっては唯一の息抜きで、安息で、本当に大切な時間で。騒ぎ合って背中を叩いたり、ジュースを奢ってもらったり、パンチングマシーンのスコア争いをしたり。俺が俺としていられる、男の緑川勇としていられる、貴重な空間だったのに。
 引き裂かれたシャツ、露になった胸元、視線、そして、唖然。
 ああ――やっちまった。

「だってそっちが悪いんだろ!? ずっと連コしてんじゃん!」

 声が聞こえたのはエキスパートのスペースだった。いつものゲーセン、サイバー用スペースで缶コーヒーを飲みながら空いている筐体に身体を預け、両替カウンターにいる店長や馴染みの常連客達と駄弁っていたところに、そんな声が響いた。
 様子からして年の頃は小学生かその辺りだろう。エキスパート用のスペースなんだから、外見年齢はそのまま実年齢に直結するんだし。俺は首を傾げ、歩みを進めた。店長達もどうしたのかと身を乗り出す。筐体の影から顔を出して騒ぎの中心と思しき方を見れば、そこにはいかにも悪人だという顔立ちの若い男と、子供達数人が睨み合っていた。

「一時間待ったけど、ずっと連コしてたじゃんか! 待ってる人がいるんだからちゃんと変わってよ!」
「そうだよ、僕達だって遊びたいんだよっ!」
「新しいゲームだからずっと待ってたんだもん!」
「あー、うっせーな、ガキは家でパソゲーでもしてろってんだよ。こっちだって金払ってやってんだから文句ねぇだろうが」
「でも順番だもん、それお兄さんだけのじゃないもんっ……」
「るっせぇな、ぴぃぴぃ鳴いてんじゃねぇよ!」
「、ひっ……くぅえ……」

 …………。
 まあ、話から察するに、兄ちゃんは連コしてて、待ってた子供達が直訴してるところなんだろうな。
 ゲーセンでコインの連投ってのは明らかなマナー違反だ。連中が立っている位置からして、そのゲームってのはレーシングゲームなんだろう。確か先日新台になって、サイバー用はまだ出てないはずだ。中々評判が良いらしくて俺も気になっていたんだが、多分子供達もそうなんだろう。本物の車なんかには乗れないから、子供はそういうゲームに惹かれる。いや俺はただ単に娯楽として楽しそうだと思っただけだが。
 しかし、子供相手に怒鳴るってのも中々に大人げないな。見たところ二十歳はしっかり越してるようだが、真昼間からゲーセンに来てるって時点であまり堅気とも思えない。ちなみに俺はセンター試験の為に休校日なだけ。学校は真面目に通っている。子供達も多分そんなところだろう。

「あー、またあいつか……」

 背後で聞こえた店長の声に、俺はぐりっと首を傾げる。

「何、店長知ってんの?」
「この頃よく騒ぎを起こすんだよ、あの男。大人だったらまだお互いの責任だけど、子供相手でそういうことされるとちょっと困るんだよなぁ……あの子達の言い分の方が正しそうだし」
「ま、そうだろうな。どうするよ、坊主――ッておい、勇!」

 殴り合い以降馴染んだオッサンの声を後ろに聞きながら、俺は軽く駆け出していた。と言うのも、男が前にいた子供の服を掴んだ所為だ。怯えて顔をべしょべしょにしている子供を放って置けるほど卑劣漢はしていない、俺は手刀でもって男の腕を打つ。解放された子供達は、慌てて退いて行った。まあ怖いんだろうから、礼の一つも言わない無礼に関してはノーコメントとしてやることにする。

「ッて……いってぇなこのガキ!」
「ガキに対して手ぇ出すんじゃねーよ、見苦しいな。冷静に考えろよ、たかがゲームだろうが。大人なら大人らしくしてろってんだ」
「んだと……?」

 掴みかかって来た手を軽く払い、俺は膝を曲げる。小柄を利点にした攻撃にも随分慣れたのは複雑だったが、弱いよりは余程良いだろう。懐に入るのは容易い、俺は男のシャツの胸倉を掴んで、ふわりと担ぎ上げる。覚束なくなった脚を蹴り飛ばせば一気に身体のバランスが崩れ、その身体は汚れた床に背中から叩き付けられた。呼吸が切れたところを見計らって引き起こし、壁に向かって突き飛ばす。
 まあ、我流の喧嘩で場慣れした、って程度の相手なら簡単に叩きのめすことは出来る。これで少しは頭を冷やしてくれるとありがたいんだが、どんなもんだろうか――俺は歩み寄り、ゲホゲホと咳き込んでいる男の顔を、軽く屈んで覗き込む。真っ赤になっている辺りからやっぱりエキスパートか、なんてことを確認しながら、軽い溜息。
 男はぎろりと、視線を上げる。

「ッ、の……やろッ」
「受身の取れない素人じゃあ、相手にするのは子供しかいないだろうな。頭が冷えたらさっさと出て行けよ、ガキ連中に当り散らしてんの見付けたら今度は手加減してやらねぇぞ」
「いきがってんじゃ、ねぇよ!!」
「ッ!?」
「坊主!!」

 ひゅっと聞こえた空気を裂く音に、俺は反射的に後ろに飛び退く。見れば男はナイフを手にしてよろよろと立ち上がる所だった――確かにこの辺りはあまり治安が良い方じゃないが、それでも子供が遊びに来れる程度には安全な場所だ。ったく、最近の若いもんは頭が悪いにも程がある。武器を持っている相手に対抗する手段はちゃんと憶えているし、動作もちゃんと付いて行く。いつもなら。
 だけど俺はこの時、取り乱してしまった。

「ぼ、うず?」
「ッやべ」
「おらぁあ!」

 髪を押し込んでいたキャップが、飛び退く動作の際に落ちてしまう。はらりと零れてしまったのは肩口まで、ショートボブの髪。男でいるためには邪魔なそれが、さらされてしまう。それに気を取られた一瞬、飛び掛ってきた男のナイフが振り下ろされた。突き出そうとした腕は間に合わず、それは、トレーナーの前部を引き裂く。
 下着もサラシも裂かれ、小さいけれど確かに存在する胸元が、露になる。

「ッの、やろぉ!!」

 俺は思いっきり、だけど手加減はして、男の腕を引き掴み―― 一本背負い投げをした。
 背中を叩きつける三度目の衝撃に、男は気絶したらしい。俺は上着の前を手で押さえる。視線が痛い、常連や店長の視線が、じくじくと鈍く刺さるイメージがある。薄っすらと傷の付けられた胸も、滲むような痛みを伝えていた。
 いたたまれない、いたたまれない。何もかもが失われる感覚、何もかもを無くしてしまった感覚。男としていられる場所も、気安く出来る友人も、何もかも、無くしてしまった。何もかも――くそ、こんな下らないことの為に。

「勇!!」
「勇君!!」

 店長達の声を背後に聞きながら、俺は逃げるように駆け出していた。

■□■□■

「はいおしまいー」

 くくくっといやらしい笑みを浮かべながら皮膚の張替えをしていた闇サイバー医の言葉に、俺は身体を起こして服を整えた。サイバーボディには自己治癒能力がないから、どんな些細な傷だってサイバー医に移植か修理をしてもらわなくちゃならない。それほど目立ったものではなかったけれど、学校で更衣室なんかを使うときにクラスメートから何か言われないとも限らない。はあ、出費が痛い……思いながら俺は、診察台から脚を下ろす。

「しかし、随分浮かない顔をしているねぇ緑川君。そんなに裸を見られるのが苦痛かな?」
「セクハラしてんじゃねぇよ」
「くくく。まあ払うものさえ払ってくれれば別にどうともしないがね。ほい領収証」
「……CIAの経費、は、無理か……。なあ、ところで」
「ん?」
「男の身体をあんたに作らせるとしたら、どのぐらい掛かるんだ?」
「…………」

 ぺろりん。
 出された電卓の液晶を見て、俺は溜息を吐く。

 男に戻りたい、切実に思う。こんな面倒な感覚に陥るのはもう嫌だ、騙しているわけじゃないのに誰かを騙すことになるなんて。そんなつもりじゃなくても、俺の身体は女だから、男としていることは嘘で、人を騙すことで。素でいられる気安い場所はつまり、俺が全員を騙している場所になる。
 ポケットに手を突っ込み、家路を急ぐ。憂鬱は確実に体積を増して、俺の身体を地面に押し付けていた。暫くは落ち込みそうだ、本当に――なんだって、こんな、下らないことで。何が悪くてこうなっちまうのか判らない、何でこんなことに落ち込んでるのか判らない。なんで、こんな身体に入っているのか判らない。なんで、どうして、ああ、くそ。

 涙腺がほんの少し緩かったら、泣いていたかもしれない。
 この身体になって泣いたことなんて無いけれど。
 それでも今回は少し、ダメージが、強かった、かも――

「おう、勇」
「……ぅえ?」

 掛けられた声に顔上げると、そこには左腕をサイバー化した男が立っていた。髭の濃い顔でも笑顔は意外に人懐っこい、ゲーセンで馴染みの常連客。あの時も場に居合わせた一人が、そこに、いた。
 身体が硬直する。部屋はすぐ目の前のアパートなのに、無視して行くことも出来ない。止めてしまった足は動かない、ポケットの中の手は硬く握られている。頭が混乱する、なんで、なんだってこんな所に。家も学校も年齢も、そんなのは一切教えてなんか無いはずなのに。なんで、どうして。

「前に夜中まで駄弁って、店長に追い出された時があったろ。あの時に確かこっちに行ってたからよ、この辺で検索してみたら緑川って家があったからな。ほれ、忘れもん」
「ッ、うあ?」

 ぺし、と。
 被せられたのは、あの時落として忘れたままにしていたキャップ。思い出しもしなかった安物のそれ。ゲーセンに行く時はいつも被っていたから、それなりに馴染みはあるけれど、だからこそ今は少しつらいその感触、感覚。煙草のニオイが近いのは、目の前の男の所為。店内でスパるなって、いつも店長に怒られていたっけ。店長。両替に貸した五百円をまだ返してもらってないのを、今更思い出す。結構前の事だけれど。
 ああやばい、やばい、逃げ出したい、逃げ出したい。

「まあ、なんだ……とりあえず、あれだ」
「…………」
「店長がいつかの五百円返すから、近いうちに来いとよ」
「……でも、俺」
「別に良いんじゃねぇのってことだよ。変わることなんて、坊主って呼ばなくなるぐらいだ」
「ッ」
「それだけだって。な」

 べしべし。
 いつも通りに叩かれた背中。
 俺は帽子のツバを引っ張って、顔を隠す。

「手加減しろって、いっつもいってんだろ!」
「げふぅッ!!」

 奴の背中を、叩いた。


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PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2005年01月31日

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