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『メビウスの輪 』
オーマ・シュヴァルツ1953


 ”ソレ”は全て、不確かなもの。


 紅蓮の炎が身を焦がす。
 熱を感じさせぬ赤は、けれどそれでもオーマ・シュヴァルツの体を苛む。身体には一切の傷をつけず、見えない所でオーマの心を食む。じわじわと侵食していくそれからは、けして逃げられない。
 炎は、己の心が作り出す幻影。故に強大な威力を持つ。
 原因は数多。そして全てがある一つの現実に起因して、最後にはそこに還る。
 終わりのないメビウスの輪の上で、己の心だけが捩れ曲がり、また戻り――それを繰り返すだけの――。


 ******

 
 ソーンにやって来てから、どれ位の時が経ったのだろう。それは、自身の勤める薬草専門店でふと考えた事だった。
 駆込んできた怪我人の治療中に考える事ではけして無いのだが。
「長くも短くも感じられるねぇ」
等としみじみと呟いたオーマに、怪訝な声がかけられる。
「……オーマ?」
「何でもねぇ。――おう、終わったぞ」
 不思議そうに自分を見上げる少年にそう言って大きな手で彼の頭を撫でてやると、少年はくすぐったそうに笑った。
「服まで汚しちまって、またかあちゃんに怒られっぞ?」
「だって〜……」
 唇を尖らせるその仕草が可愛くて、オーマは紅色の瞳を僅かに細めた。
 それから、おもむろに体を震わせてみせる。
「俺の奥さんなんざぁ、もう怒ると怖えの何の。ぼこぼこにされて、その怪我より酷い事になる」
 少年の顔が何かを想像して青くなる。オーマはもう一度頭を撫ぜてやる。
「だが、怒るのは心配してくれてるからなんだぜ?だからおまえも、かあちゃんの言う事ちょっとは聞いてやれ」
 白い歯を出して笑い、少年の背をぽんと叩いて押し出す。少年ははーいと手を上げた後、店から飛び出していった。
 素直に返事をして行きながらも、出た瞬間には忘れていそうな様子にオーマは苦笑する。
 出した医療箱をしまい、仕事に戻る。
 医者でもあり薬草専門店の店員でもあり、そして何よりヴァンサーであるオーマ。その肩書きはこれだけに終わらず、腹黒同盟総帥やら親父道師範やらと数え上げるとキリがない。
 そんなオーマの毎日はとても充実しており、同じような日など一日として無い。故に、オーマがソーンを訪れてからの日々は、長くもあり短くもあった。
 出会いもまた幾多、かけがえの無い想い出は募り、例え目的あった旅路でもそれを終えても、離れ難い場所だ。

 彼の住んでいた『異世界』はこのソーン程穏やかでは無く、寛容でも無かった。
 元来人とは自らと異なる者を受け入れ難い生物だ。その上異端である対象が殊更強力な存在であれば、それだけで畏怖と恐怖を集中させてしまう。例えば今まで隔たりなく過ごしていた者だったとしても、その力を目の当たりにして一度は懸念を抱くだろう。
 もし、その力が自分に向けられたなら――と。
 そうした思いがひっそりと息づき、やがて周りに広がり、そして爆発はやってくる。
 オーマの過ごした世界はそうだった。人々の間に芽吹いた恐怖は、異端を排斥しようと猛り狂い、おぞましい程の殺意となって向けられた。
 オーマもその危険に晒され、そしてやはり己の力を振るう。嘆きと怨嗟しか生まぬ悪循環がそこにはあった。
 けれどこのソーンには、何の差別も存在しない。それは無数の種族を内包するからなのか、自分と違う事・自分に無い力を持つ事が、懸念を感じるに至らないからなのか。
 人々は何時でも自然体で純朴でいて、限りない優しさで満ちていた。
 オーマの素性が確かでなくとも、長きを生きる身の上でも、そして世界を破滅に導ける程の力を持っていたとしても。人々はオーマの心を、想いを汲んでくれる。
 そうして大切な者は増し、愛しさは果てない。
 チリリと、時々身を焦がす炎は、拭えない『想い』と『過去』と共に、鎮まる事は無いとしても。

「ちょ、オーマ!?」
 その時胸に去来した感覚は、オーマにとって馴染み深いものだった。
 客を押しぬけ店外へと走り出たオーマに、背後からかかる声。
「悪い、急用だ!!」
振り返る事もせず頭の後ろで手を振って、オーマの長い足が地を蹴る。
 鋭敏に研ぎ澄まされた感覚に導かれ、聖都を一直線に駆け抜ける。
 医者も店員も一時の間休業、今からは本業の時間だ。
 ヴァンサーである、オーマ・シュヴァルツという男の、課せられた使命が待っている。
 異世界で八千年の歴史を誇る国際防衛特務機関ヴァンサーソサエティ、 オーマの様な異端者達がその力を管理される場所。そこで、オーマ達異端が生きる為に課せられた使命――。
 その定め有ってこそ、『異世界』で忌われながらも生きて行けるのだ。
 『異世界』でオーマ達の更に上をいく猛威『ウォズ』の存在は、『ヴァンサー』を許容出来る程の脅威だった。つまり、ウォズに対抗できるのはヴァンサーだけだったという事。
 『ウォズ』相手にヴァンサーに向けた殺意は意味を成さず、結局力ない人々はヴァンサーに頼る他なかったのだ。その胸に燻る恐怖だけは、それもまたメビウスの輪の様に消せないのだけれど。
 そうしてウォズを封印する為に力を駆使するヴァンサーが今ソーンに居るという事は、そのままソーンにウォズが出現する現実を指していた。
 やがて聖都エルザードを抜け出た後、オーマの体が人ならざるものへと変じた。
 オーマの不確かな存在の一つともいえる、銀色の獅子――本来の姿そのものの毛色を持って、大きな獅子が背に生える羽をはためかせた。
 一瞬で雲間まで飛び上がり、エルザードから距離を置くものの、オーマの視力を持ってすればエルザードの街は鮮やかに一望出来た。
 燃える炎を宿した瞳を僅かに歪めて、オーマが吼える。
 オーマの瞳は街から離れ、切れ切れと流れる雲を見据えていた。
 その、雲の切れ間には。
 自分と同じ程巨大な黒い獣が、悠々と浮かんでいた。
 鋭い牙と赤い舌を覗かせながら、獣――『ウォズ』はオーマを泰然と見下ろしてくる。
 金色の瞳が三つ、定位置と額からオーマを射抜く。
 そのウォズはウォズたる所以など見受けられない程、このソーンでは珍しくも無い存在に感じられた。ソーンの人々が仮にソレを見たのならば、『魔獣』の一言で済んでしまいそうなもの。
 けれどオーマには、それがウォズだとわかる。懐郷の念であったり焦燥であったり、何とも形容しがたい感覚ではあるが必ずソレとわかる、第六感とでもいうものがある。危険を知らせる為なのか、ウォズが近づけばわかるのだ。
 そのまま赤と金がしばらくの間交錯したが、動かぬ獣を前に痺れを切らしたのかオーマが口を開いた。
「何か、用か……?」
 封印しなければならない相手に向かうにしては随分優しげな口振りだった。
 オーマの信念、不殺という決意はウォズにあっても変わらない。共存出来る道があるのならば、そうしたいとさえ思うのだ。
 それにウォズから殺気というものが感じられなかった。
 けれどウォズは問いに何の反応も示さず、ひたと視線を合わせてくるだけ。
 長すぎるくらいの沈黙に、また耐え切れずオーマが紡ぐ。
「何だってんだ!?俺様はなぁ、別に暇じゃねえんだよ」
 そうしてまた数分。
 それからやっと、その空間に変化があった。
 一瞬何が起こったのか理解しかねる程唐突に、瞬きをした一瞬にオーマの見る世界が闇一色に塗り替えられた。オーマと獣を鋏で切り取って、違う空間に持ってきたかのような――。
≪あなたは、道は無限であると言う≫
 獣が微塵も動かぬまま声を発した。しかしそれは声と呼ぶには酷く曖昧に、淡くこの世のものとは思えぬ響きを持っていた。
 瞠目するオーマに、ウォズが続ける。
≪けれどまた、一つだとも言う≫
「何だ、こりゃあ……!!」
思わず叫んだのは、自らの意思に反して己の体が人形へと戻った為。そして獣の姿が揺らぎ、変じた為。
 変じたモノを見て、オーマが唇を魚のようにパクつかせた。
 黒い獣は、見知った者の姿でそこに居た。そしてまたすぐに姿を変えてはそれを繰り返す。
 妻へ、娘へ、友へ、記憶の中の人々へ――オーマに何かを与え、残していく者達。太い腕で守り慈しみ、共に歩いていきたいと感じる者達。記憶に残る限り、そして今に至るまでの出会いの証。
≪では、問う≫
 妻の顔で、妻の声でウォズは――それさえも本性では無かったのやも知れないが、淡々と言う。
≪あなたの胸に刺さる記憶の棘、あなたを紅蓮の炎が焼き尽くす未来、終わりのないメビウスの輪から逃れえる、あなたの求める救いが見つかるとしよう≫
 銃を具現化しながらもその重みを確かめるだけのオーマが、訝しげに眉根を寄せる。
≪あなたの杞憂全てが一瞬で吹き飛ぶとして、あなたはその代償に温もりを失うとする≫
≪得るものはあなた自身であり、あなたの世界の安寧であり、心の平安である≫
≪失うものはあなたを慕い、あなたを愛し、あなたの傍の大切な命である≫
 巡る人々の顔がやがてウォズに還る。
≪あなたは、救いを選ぶのか。それとも、代償を選ぶのか≫
「……不躾に何を……」
 見透かすような瞳が酷く勘に触り、オーマは低く唸った。
 ウォズの質問の理由はわからないが意味はわかった。己を苛む不安を取り除き、自分の素性を知り、己の世界で蔑視されることなく、自分の望む誰も殺さない世界を得る事が出来る。けれどそれを得る為に、今大切に想う人々を失えるか。
「てめぇ、何なんだ……!?」
≪それは答える必要性を感じない。あなたはの答えは如何様か≫
「それこそ、答える意味があるかってんだ!!!」
吼えると同時に具現化された銃を、威嚇の意味で放つ。
 ――が、獣に掠る筈だったそれは、獣を通り越した。一瞬薄らいだ姿に、オーマはその存在の放つえも知れない雰囲気に一つの真実を見出した。
「幻、ってか?」
その幻様が、何の意思あって現れそんな事を聞いてくるのか。毒づいた言葉は、しかしオーマの唇を放れる事なく凍った。
 獣の背後に、懐かしい風景が蘇った。
 そしてやがてヴァンサーソサエティを映し出す。それに向ける人々の様々な色の光を。
≪わたしの行動は何かの思惑あってのものでは無い。ただわたしは純粋に、あなたの選ぶ道が知りたいのだ≫
≪あなたの過去になど興味がないけれど、あなたが選ぶ未来にはとても興味をそそられる≫
 また獣の姿が揺らぎ、違った形を取る。
 それは、オーマ・シュヴァルツ。鏡の様に姿を映し、その姿が昔の自分へと変わる。若々しい青年姿のオーマは、銀色の髪を持っていた。迸る力には目を見張るしかない。
≪さあ、あなたの答えは如何様か?≫

 再度問われて、オーマは重い口を開いた。
 開いて、そして――。


 ******


「……あ?」
 惚けた声を上げて、視線を巡らせた。
 見慣れた調度類に自身の居る場所がエルファリア別荘の自室だとわかる。
 日差しが明るく窓から注ぎ込んでいる中、オーマは夢を見ていた事だけを思い出した。
 ああ、夢だったのだ、と――。
 自分がどう答えたのかは思い出せない。ただ満足そうに獣が笑むその後ろに、メビウスの輪を見たのだ。
 その輪を紅蓮の炎に焼かれる自分が歩き、そしてその周りの闇に、異世界の風景が見えたのだ。
 見た異世界はとても美しく、否、美しかった筈で。けれどそれの詳細がわからず、何時の風景なのかはわからない。
 ただ輪の上で自分もまた、幸せそうに笑っていた。


 それは、全て不確かなもの。
 自分の過去や記憶や、未来や。そこに生きる人々やその感情が。ヴァンサーやウォズや、あの異世界が。そして【道】というものが。
 全て全て不確かなもの。

 けれどオーマは、その不確かさが、何故だかとても愛しく思えた。


 終わらないメビウスの輪の上で、今日もオーマは――。




END
PCシチュエーションノベル(シングル) -
ハイジ クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2005年01月28日

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