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『雪の白 』
有澤・貴美子1319)&シュライン・エマ(0086)
 ――日本語はとても不便だと、そう思った。
どうして伝える言葉が一種類しかないのかと。
それでは、私はその言葉を彼に言うことが出来ないのだと。
言った途端に、私達の関係は捻れてしまうというのに。

「だから、言わないよ。勘違いされても困るしね」

うーん、私って大人の女性、とか色々呟きながら、少し寂しそうな目を彼方にやった。

『雛を送り出す親の気持ちですか?』

つい先程届いたメールには、簡易な文字しか見えない。慰めの一切含まれないそれに、それ以上に平素な単語を返し、空を仰いだ。

雪が降ればいい。
白い雪と、音を呑む異界に紛れていたかった。



「で、後始末はいつもあなたなのねぇ」
別に期待はしていなかったが、と付け加えて、有澤貴美子は少し冷めたアッサムティーに口を付けた。ポットの中にはまだ一杯分くらいは飲めるだろう量が入っているが、まだ飲まなくてもいいだろう。
シュライン・エマは多忙から久しく足を踏み入れていなかった喫茶店で、貴美子の前の椅子に腰掛ける。腕にはめた時計から、既に約束していた時間よりも数十分も遅刻していたことを認識して、シュラインは申し訳なさそうに肩をすくめた。貴美子は気にも介していない様子で、顎の下で指を組んでみせる。
大きな鞄を膝の上に下ろし、シュラインはテーブルの上にA4の封筒を置くと、貴美子が中身を確認した。中に入っているのは数十枚の書類の束だった。
「やる気はないけど、やってることは確かだから安心して」
シュラインは疲れを顔に浮かべたまま、店員にコーヒーか何かを注文した。そして愉しそうに言葉を継ぐ。
「やってるってったって、実際は武彦の御友人サマのお蔭だったりするんだけどね」
「……なら、そっちに報酬払うべきかしら」
「無料奉仕がモットー、というか、趣味の蒐集物から情報を提供している暇人だ、って言ってたからいいんじゃない。今度菓子折りでも持ってくから」
草間興信所はさほど儲かってはいないようだが、それでも仕事は耐えないらしい。金にならない仕事が舞い込んでくる、というのが正しい表現なのだろう。貴美子は時折自身の下請けの仕事を回しているので、二人ともどうやら食い繋いでいるらしいが。今回も幾つかの調査を依頼したのだが、貴美子自身が思っていたよりも足取りは掴めなかったようで、時間も労力も掛かったらしい。仕事をするのは殆どがシュラインの担当。所長の武彦といえば、主に肉体労働全般、というか、そもそもそういう仕事があまり舞い込んでこないのであるからして、シュラインばかりが忙しいという結果になっている。
注文した飲み物をお互い口にしながら、貴美子は口元を軽く笑みを象らせた。
「もう一つ、仕事いいかしら?」
俄かな話に、シュラインは眉根を寄せる。厭、というよりは、今は仕事の話は遠慮しておきたい、という顔。
「今日の夜、なんだけどね。一緒に食事しない? 最近出来たイタリアンの店に行きたいな、って思ってたんだけど、相手がいなくて困ってたの」
依頼ってそれなの、と問うような視線に、
「シュライン、いいかな? おごりよ、私の」
「いいわ。時間と場所は後でメールして。この後もう一つ仕事あって、もう行かないといけないの」
「OK」
軽く返事を返し、シュラインはその場を後にした。どうやらまだ仕事があるらしい。

シュラインが去ってから、貴美子はリダイヤルボタンを押し、呼び出しを行う。数コールもしない内に無愛想な声が聞こえ、続いて陽気な声が聞こえる。
「こっちは上手く行ったわ。そちらは?」
首尾は上々との返事に、貴美子は満足気に頷いた。
「なら、完了し次第また連絡するから、それまでばれないようにね」
お互い様だ、と。
そこで電話を切った。
空は暗雲、気温は低い。
「雪、降るかな」
すっかり冷め切った紅茶を飲み干し、貴美子はポットの紅茶をカップに注いだ。

予定時刻丁度。
指定されたレストランでシュラインは名前を告げ、案内された場所には貴美子はいなかった。その代わりに、よく見知った人物がいた。
「貴美子は?」
「あ?」
草間武彦もシュラインの登場は予想していなかったらしく、驚いた表情をみせていた。不快、という成分は皆無なので、その展開に不満ではないのだろう。取り敢えず、と向かいの席を勧める。
「貴美子と食事、なんだけど?」
シュラインは訝しげに問う。確かに、この席は「有澤貴美子」の予約席だ。そこに自分達がいる、ということは恐らく理由は同じなのだろう。
「偶然。俺も奢られて食事」
予想通り、とシュラインは笑い、携帯の新規メールに目を通して再び苦笑した。武彦も同時に同じ行動を取り、複雑そうな顔をしていた。
「で、当の貴美子は?」
「一応今メール来たけど、同じじゃねぇか、多分」
「……別件依頼」
「同じく。でも金は出してくれるってさ、経費で」
武彦は笑って、頬杖から顎を外す。折角だから、とメニューを取ろうとするシュラインに代わって、Aコースだかなんだかを勝手に注文した。どうやらそれが一番高いらしい。貧乏性だ、まったく。
「ところで、お疲れ様」
シュラインの言葉に、武彦は何がと問う。
「別に実際に動いたのは別のヤツだし、俺は何もしてないよ。その後の経費のやりくりの方に、俺は金 一封をあげたいね」
「あら、くれるの?」
「そんな金があったら、とっくに使い込んでるって」
にっと歯を出して武彦は笑う。真っ直ぐな視線に、シュラインは言葉を返さずに目を細めた。以前に、この目が好きだ、と貴美子に話したら、
「お金の苦労と天秤にかけたら、呆気なく負ける目だけどね」
と冗談交じりに返されたことがある。結局は見た目。そう至って、我ながら困惑した。逆に、性格が目に出ているのだと言い訳してみたりもしたが、どちらにしろ好きだということに変わりはない。
……好きなのよ、どちらにしろ。
ふいに視線が武彦とぶつかる。思考が思考なだけあって、シュラインは急いで視線を逸らした。
「で、休暇申請でも出すか? 最近仕事ばっかで体疲れてるだろ?」
それすら気付かない声に、シュラインは内心安心しながら答える。
「そうね。そうしたら楽だろうけど、生憎仕事は山積みでね。武彦が一人でやるならいいけど、そういう訳にもいかないでしょ」
微笑を浮かべ、シュラインは武彦に笑ってみせる。
つられて武彦も、不器用な笑みを浮かべてみせた。
その笑みも何もかも。
堪らなく好きな自分がいた。



雪が降ればいい。
白い世界は全てを包み込み、思考は存在しない。
ただ自分自身の存在を噛み締めるだけ。
冷たい風を頬に受けて、貴美子は煩わしそうにマフラーに顔を埋めた。
「……雪、降るといいな」
ぼそりと呟いた言葉は白い吐息になって、冬の空気に溶けていった。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2005年01月27日

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