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『書籍返却奮闘記 』
綾和泉・汐耶1449



 綾和泉汐耶は、嘆息を吐き出す。
 図書館所蔵の本が幾つか返却されていないのだ。期限を完全に過ぎているために、これは回収の必要性を感じた。……これほど経っても返さないということは、忘れている、あるいは返す気がない、と判断できる。
「困るのよね。貸し出してる本なんだから」
 あくまで図書館の本。なんとしてでも返してもらわなければ。
 返却要求をするために、汐耶は電話の受話器を持ち上げる。ちょうど来ていたマリオン・バーガンディが小さく手を挙げた。
「本を返さない人がいるんですか。なんならお手伝いしますよぉ」
「ありがとう、じゃあ代理で取りに行ってもらおうかしら」



 事務所の電話が鳴る。
「はい、草間興信所」
 電話の向こうの声は聞き覚えがあった。
「あら、汐耶さん。今日はどうし……」
 汐耶からの説明を聞いて、シュライン・エマは少し視線をさ迷わせると、頷きつつ答える。
「私のは期限は過ぎてないはずだけど……。え? ああ……武彦さん?」
 少しだけ振り向いて、物で山積みになったデスクを見遣った。
「……それは申し訳なかったわ。すぐに探すから。タイトルは……ええ……ええ、わかったわ」
 受話器を置き、軽く嘆息一つ。
 雑誌を読んでいる草間武彦を呆れたような目で見遣り、腰に軽く片手を当てる。
「武彦さん、図書館から借りた本を返してないらしいわね」
「あ?」
 武彦は雑誌から目を離さず、声だけ返してくる。その口ぶりからすると、忘れていたようだ。
「汐耶さんから電話だったんだけど、本を返してください、だそうよ」
「……そんなもの借りた憶えはないんだが」
「憶えがなくても、記録には残ってるのよ」
「勘違いじゃないのか?」
「武彦さんの勘違いだと、私は思うけど」
 冷たく言われて、武彦は「そうか」と呟くとまた雑誌の記事に没頭する。どうやら本を探す気はないようだ。
 シュラインは大きく溜息をつくと、腰から手を離してデスクに近づく。
 借りたまま忘れているのだから、こういう所に埋まっている可能性が高いはずだ。
 シュラインは危うい角度で積み上がったファイルの山を下から上へと眺め、デスクの周りを一周した。外側から見た限り、お目当ての本は見当たらない。
(……ということは、真ん中あたりに埋まってるかもしれないってことね)
「武彦さん、少しは片付けたらどう?」
「どこに何があるか、把握してるから触るな」
「……把握してる? じゃあ図書館の本はどこにあるの?」
「……」
 武彦はまた無言になってしまう。
(片付けるなってことだけど、それじゃあ本は見つからないじゃないの)
 デスクを再度眺め、顔をしかめる。よく見ればホコリがたまっている箇所まであった。
(このへんかしら……)
 汐耶から貸出日は聞いていたので、このへんだろうと見当をつけて手を突っ込む。
「これかしら」
 ごそごそと手先だけの感触で探していたシュラインは、適当な当たりをつけてソレを引っ張った。
 が。
 一瞬で動きを止めてしまう。
 硬直しているシュラインに気づいた武彦が雑誌から顔をあげた。
「どうした?」
「………………手を抜いたら、この積み上がった山が崩れそうなのよ」
 瞬間、武彦が無言になって青ざめる。
 事務所内は、嫌な静けさに支配されていた……。



「あのぉ。三下さんはいらっしゃいますか〜?」
 アトラス編集部を訪れたマリオンは周囲を見遣る。
 あそこ、と指差された方向に視線を向けた。そして近づいていく。
「三下さん、こんにちは」
「え? あ?」
 仕事中だった三下忠雄は顔をあげ、マリオンの姿を確認すると、おどおどしたように「なにか?」と尋ねてきた。
「代理で来たんです。さっき、図書館から本の返却要求の電話をしたんですけど」
 忙しそうな編集部内を思い、マリオンは苦笑する。
「これでは確かに……電話を取れる状況ではないですね。実は図書館の本を返していただきたくて」
「図書館の、本? 僕、借りてましたか?」
「実は返却期間をとっくに過ぎている本を、三下さんが借りていると、聞いて来たんです。返してください〜」
「あ、えっと、ちょ、ちょっと待ってくれ、ますか……。今、その、手が空いてなくて」
「ええ〜? そうですかぁ。家にあるんですか?」
 三下は己の記憶を辿っているらしく、そしてすぐに青ざめて俯いた。
「あ、あのぉ……返さなきゃいけないんですかねぇ」
「それはそうですよ。図書館の物ですから」
「………………」
「どうかしましたか、三下さん?」
「いや、その」
 慌てる三下は、ちらちらと自分のデスクの引き出しに視線を遣っていた。マリオンはそれに気づいて、一番下の引き出しを指差す。
「もしかして、そこにあるんですか?」
「えっ!」
 ぎょっとして三下はのけぞる。図星のようだ。
「返してください、三下さん。あ、返してくれたら、このお菓子差し上げます」
「いや、そう言われましても」
 あは、は……と、乾いた笑いを洩らす三下の前で、マリオンは首を傾げる。
 そっと引き出しを開けて三下が取り出した本を見て驚く。
「三下さん……もしかして」
「はいぃ……」
 表紙についた、シミ。
「実はコーヒーを零してしまって……それで、その、慌てちゃって………………すみません」
「汚しちゃったから、ずっとしまってて……忘れてたんですね」
「…………ほんと、すみません」
 無言になった二人。
 マリオンは三下の横のデスクのイスを引っ張って、座る。
 そして、無言でお菓子の袋を開けてぽりぽりと食べだしたのだった。



「ここね」
 汐耶は手元に持ったメモを見て、住所を確かめる。
 郊外にあるその家に、本を借りたままの人物がいるのだ。
「名前は」

 出迎えてくれたのは、城ヶ崎由代だった。
「これはこれは。先ほどお電話をくださった司書さん」
 汐耶は静かに見つめてから口を開く。
「城ヶ崎さん、『アルバテル写本』を借りたままになっています。返却を要求します」
「ようこそおいでくださいました」
 にっこりと人の良い笑みを浮かべた由代は、汐耶を家に招く。
「本を探しますので、どうぞ上がってください」
「……結構です。ここで待ってますから、本を取ってきていただけます?」
「そんなことおっしゃらず」
「…………」
 汐耶は嘆息して、仕方なく家へと足を踏み入れたのだ。
 由代は紅茶を、座っている汐耶の前に出す。良い香りのもので、思わず汐耶が感心したような顔つきになった。
「どうです? いい葉なんです。お気に入りでして」
「確かにいいものでしょうけど……。
 そうではなくて、本を取ってきてください」
「まあまあ。ああそうだ。司書さん、今日はいいお天気でしたよね」
 笑みを浮かべて言われるので、汐耶は無言で由代を見遣り、紅茶のカップに手をつける。
 少しだけ口に含み、飲む。
「城ヶ崎さん……どうしてさっきから本を取りに行こうとしないんですか」
 冷ややかな汐耶の視線に、由代は笑顔のまま。
「味はどうです?」
「……誤魔化さないでもらえますか。
 まさかと思いますが、どこかに紛失したり、又貸しをしたり……汚したとかいうことでは、ないですよね?」
 どんどん声が低くなっていく汐耶の前で、由代は苦笑した。
(参ったな。司書さんは意地でも本を回収するみたいだ)
「いえ、ちゃんとありますよ、本は」
「なら早く持ってきてください。あれは図書館の本なんですから」
「……どうしても、今お返ししなければいけませんかね、司書さん」
「返却期限はとっくに過ぎていますから」
「………………どうしても?」
「どうしてもです」
 二人の間に見えない火花が散った。
「もう期限が過ぎているのだから、もう少し待ってもらえませんか?」
「ダメです」
「そんなこと言わずに」
「期限以内に返すのが図書館の本を借りる上での約束事。その本を読みたがっているのはあなただけではないんです。返ってこなくて困っている人も中にはいるでしょう。返ってくるのをひたすら待っている方も……いるかもしれませんね」
 そこまで言われては、と由代は肩を落とす。
「実はあの本がまだ必要なんですよ」
「…………」
「研究中で、あの本がないと困るんです。もう少しだけでいいので、お願いできませんか?」
 汐耶は無言で紅茶を飲む。その沈黙が逆に怖い。
「研究結果をまとめて報告するというのは、どうでしょう? お願いできませんか、司書さん」
「……………………」
 紅茶を飲み干し、カップをソーサーに置く。
 汐耶は由代をじっと見つめてから、嘆息した。
「わかりました。でも、その研究が終わるまでですから」
「本当ですか!」
「喜ばないでください。だからと言って、いつまでもお貸ししているわけにはいきません。研究を早急に終わらせてください」
「はい。早めに終わるように努力します」
「……あまり長く持っていると、力づくで返してもらいに来ますから」
 釘をさす汐耶に、由代は笑顔で「はい」と返事をする。
 汐耶はスケジュール帳を取り出して、「延滞許可」の文字を書き込んだ。



 マリオンから受け取った本を持って、汐耶は草間興信所まで足を運んでいた。
(…………)
 無言で本を見遣り、嘆息する。
「実は、怒られるのが怖くてずっとしまってたみたいなんですよ、三下さん」
 マリオンの説明に、汐耶は「そう」と、力なく呟いただけだった。
 残るは草間武彦のところに貸し出し中のもののみだ。
 電話を何度かけても出ないことから、何かあったのではと思ってここまで来たのだが……。
「まさか、本を返したくなくて電話に出ないわけじゃ……ないわよね」

 事務所のドアを開けた瞬間、視線が汐耶に集まる。シュラインと、武彦のものだ。
「こんにちは……?」
 怪訝そうに言葉の最後に疑問符をつけた汐耶は、デスクの『山』に片手を突っ込んだままのシュラインと、その向かい側でどうしようか困っている武彦の姿を……見た。
 半眼で二人を見遣る。
「なにを……」
「動くな!」
 武彦の声に、ドアから離そうとしていた手を止める汐耶。
「汐耶さん、この山の中に本があるみたいなのよ」
「え……」
「でも、手を抜いたらこの山が崩れそうで……」
 しーん……。
 思わず汐耶が青ざめた。
 崩れるって……あの、物凄い量の山が???
「そっと抜いてもダメなの?」
「それが……上の部分からさらに物が落ちてきていて、腕がうまく抜けそうにないの」
「………………」
 汐耶は深呼吸して、ドアから離れて近づいてくる。なぜか、足音もたてずに。
 そろりそろりと近づいて来た汐耶は、シュラインの後ろに回り込んで覗く。
 見事にかっちりとはまっている腕。
 これは引き抜いたら大惨事だ。
「とにかく全員動くな」
 鋭く言い放った武彦だったが、だからと言って、この状況をどうにかできるわけでもない。
 ここに居るのはたった三人。
「と、とにかく腕を引き抜かないと……」
「そんなことをしたら……!」
「だいたい武彦さんが片付けないから……っ」
 言い合い、またも静かになる。
 汐耶はシュラインの腕の、埋まった部分を見つめた。
「去年のうちに返してくれていれば、こんな事態にならずに済んだのに……」
「俺を睨むな」
 女性二人に睨まれて、武彦は居心地が悪そうだ。
「……ゆっくり抜けばなんとかなるかもしれないわ」
「そ、そうかしら……」
 汐耶の提案にシュラインは不安そうだ。だいたいその積み上げられた山が、どういう風に崩れるか想像できない。
 積み上げすぎだ、どう考えても。よくこれが今まで倒れずにいたかのほうが、不思議でならない。
「そっとよ」
「ええ」
 シュラインは頷いてゆっくりと手を引く。しかし、止めた。
「こ、これは無理じゃないかしら……」
「でもいつまでもこのままでいるわけにはいかないでしょ?」
「……」
 仕方なさそうにシュラインはゆっくりと腕を抜きにかかる。ぐらり、と山が傾いたので全員が小さく息を呑んだ。
 ゆっくりと、引く。
「大丈夫。ゆっくり」
「ええ」
 小さく揺れているものの、まだ崩れる気配はなさそうだ。
 もう少し……!
「! 抜けた……!」
 安堵するシュラインだったが、武彦が呆然と山を見上げているのに気づいた。
 ぐらり。
 大きく傾いで、刹那。
 物凄い音をたてて武彦に雪崩のごとく、デスクの上から物が襲い掛かった。
「ぎゃあ」と小さな悲鳴が聞こえたような気はするが、武彦が完全に埋まってしまっているので詳細は定かではない。
 シュラインと汐耶は何が起こったのかしばらく理解できずに、ぼんやりとその光景を眺めていた。
 そしてややあってから。
「汐耶さん、この本でしょ?」
「え……ええ」
 シュラインから本を受け取り、汐耶は頷く。
 とりあえず。
「……か、回収完了……ってことにしておこうかしら」



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┏┫■■■■■■■■■登場人物表■■■■■■■■■┣┓
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┗━┛★あけましておめでとうPCパーティノベル★┗━┛

PC
【1449/綾和泉・汐耶(あやいずみ・せきや)/女/23/都立図書館司書】
【0086/シュライン・エマ(しゅらいん・えま)/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【2839/城ヶ崎・由代(じょうがさき・ゆしろ)/男/42/魔術師】
【4164/マリオン・バーガンディ(まりおん・ばーがんでぃ)/男/275/元キュレーター・研究者・研究所所長】

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■         ライター通信          ■
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 この度はご依頼ありがとうございました。ライターのともやいずみです。
 二度目となりますが綾和泉さま、今回はご参加ありがとうございました。コメディ路線、がんばりました! 笑っていただけると……嬉しいです。
 シュラインさま、城ヶ崎さま、マリオンさま、初めましてとなりますが、ご参加くださってありがとうございました。
 一つの流れとして今回書かせていただきましたが、いかがでしたでしょうか?
 楽しく書かせていただき、大感謝です!
 楽しんで読んでいただけたら嬉しいです。
あけましておめでとうパーティノベル・2005 -
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東京怪談
2005年01月24日

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