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『□■□■ 鬼鳴 ■□■□ 』
来生・十四郎0883



「ママ、どーしてこの坂は通らないのー?」
「んー? ここにはね、怖いお話があるのよー」
「怖いお話?」
「そう、むかーしむかしにね、この坂の上には鬼が出て、お姫様を食べちゃったんですって。一緒に居たお侍さんもぱくん、って。怖い場所だから、あんまり通りたくないの」
「僕、怖くないよー?」
「でも、だぁめ。さ、帰りましょう?」

 通り過ぎていく親子の会話に、来生十四郎はぼんやりと坂の上を見上げていた。巨大な木が枝を腕のように広げ、真っ黒な影をアスファルトに落としている。それだけが不吉の気配を感じさせる、それ以外は、まったく普通の道である。
 取材するにはあまりにもオカルト臭が強過ぎ、彼が記者として勤める『週刊民衆』ではボツを食らいそうなネタだった。どちらかと言えばそれ専門の、アトラスなどの分野なのかもしれない――思いながら彼は脚を進めていく。それほど急でもない坂道を、ゆったりと、上っていく。道には茜が差し始める逢魔刻、見れば、近くの家には軒並み『売り地』の貼り紙がされていた。外された表札の跡に微かな侘しさを感じながら、スローテンポで脚を前に出す。
 頂点を越えれば次は下り坂になるが、日が傾くとそちらの面には木の陰が濃く掛かってしまい、真っ暗になる。それが、この坂が暗闇坂と呼ばれる所以だった。

 噂を聞いたのは偶然の事だった。たまたま寄ってみた興信所で、飲みに出ないかと誘ってみた探偵が、こんな噂の調査なんてやってられるかー! と卓袱台を引っ繰り返す勢いで投げ出した書類。そこに記されていた、話の種にもならなそうな噂。
 暗闇坂で、死んだ恋人を探してすすり泣く男の声が聞こえる。
 異界都市となって久しい東京ではまるで珍しくなく、超常現象と縁の薄い郊外でもありきたり過ぎてどうともされない地味な話。それでも興味を持って貴重な休みを潰しに来た自分は、中々の物好きなのだろう――くくっと笑えば、咥えた煙草の灰が道に落ちた。


――――――う、ううッ……


 坂の頂点に差し掛かったところで、声が響く。何の躊躇いも恐怖も感じずに振り向けば、そこにはボロボロと涙を零している男が佇んでいた。気配もなく、その姿に明確性もない。向こう側の家が、身体を透かして見える。現実ではない次元にいる、現実とは違うレイヤーの上に存在している、人はそれを、幽霊と呼ぶ。
 煙草を携帯用灰皿に突っ込んだのは、別段意識を集中させるためではなかった。ただ単に短くなってフィルターの焼ける音に気付いただけのこと。新しい煙草を取り出し、火を、点ける。夕焼けと同じ色をした炎がヂッと音を立てる。その気配に男が顔を上げた。知っている顔が、晒される。

「よぉ、鬼さん。あんたこんな所で何やってんだ」

 声を掛ければ、男は涙を袖で拭った。ぼろぼろの顔は成人男性として見るに耐えないほどに醜悪なイメージを与える、見目麗しくない。涙に赤く色が付いている所為もあるのだろうが――拭えば拭うほどに、色は広がる。その顔を汚らしいものに変えていく。

「人を、待っているのです――」
「ほぉ。誰を待ってんだい」
「恋人、です――道ならぬ恋であったので、あの世で結ばれようと、約束をしたのです――」
「……ほぉ」
「ですが、彼女が来てくれない……待っているのに、ずっと、待っているのに、彼女が来てくれない――」

 う、っとまた男は泣き出す。
 嗚咽は肩を揺らし、顔を染めていた。無精髭の目立つ痩せこけた顔に赤い色が広がり、服の袖も汚れていく。その様子を眺めながら十四郎はぼんやりと煙草の火を眺めていた。じりじりと延焼し、フィルターに近付いてくる赤い色。炎と同じ赤なのに、夕焼けと同じ赤なのに、どうして男の顔を染める色はこんなにも醜く視界に映るのか。それはほんの少しだけ、不可思議な心地だった。
 指にフィルターを挟んで煙草を離すと、口元からは霧のように白い靄が広がる。茜色にそめられたそれは、ふわふわと空気の中を漂った。僅かに吹いた風が頭上の木を揺らし、枝を鳴らす。ざわざわと聞こえる音と共に、煙が霧散して行った。

「そうだろうなぁ」

 独り言のように、ぽつりと十四郎は呟く。
 男は顔を上げて、不思議そうな顔をしてみせた。

「そこの家があるだろう、今は売り地扱いで表札も剥がされてるんだがな。何年か前に事件があって、それ以来、ここらの家は軒並み引越しちまったんだ」
「――――」
「男と妹が住んでいてな……両親はもう死んでて、二人っきりで寄り添うように暮らしていた。妹は明るくて器量も良く近所でも好かれてたし、兄貴も真面目で熱心な男だった。言い換えれば融通が効かないって奴だよな、それも」
「――――」
「一緒に暮らしてると情ってのは移るもんだ。二人っきりで、なんて言ったら余計にな。募っていくそれを勘違いしたのか、それとも本気だったのか、ある日から兄貴は妹を監禁し始めた。愛しているから、ってな」
「――――」
「誰にも会わせない、悲鳴も上げられないように猿轡を噛ませて、ただ愛玩した。だが仕事に行っている最中、妹の恋人がやって来て助けだそうとする――逆上した兄貴は、包丁で二人を滅多刺しにした後、首を括った。遺書には、あの世で夫婦になると残して」

 ふぅっと煙が吐き出される。男の涙は止まっていた。
 手はだらりと下げられ、その首には索状痕が見える。
 十四郎は、にやりと、幾分人の悪い笑みを浮かべていた。

「五年前だったか。俺はまだ駆け出しの記者でな、そんな地味な事件ばっかり担当してたもんさ。都内の面白そうなのは全部先輩様方のお手付きで、残り物ばっかりってな。懐かしいもんだ」
「わ、たし、は――――」
「よく覚えてるよ。お前から救おうとした妹の恋人まで殺したくせに、妹がお前の元に現れるはずがねぇだろうが」

 人を食う鬼が出る、坂には鬼が出る。歩いていたお姫様に一目惚れをした鬼が居た、鬼はお姫様を攫おうと手を伸ばした。その手は護衛のお侍に切り付けられて、怒った鬼は、彼を一飲みにしてしまう。お姫様は恐ろしくなって、懐剣で喉を突いて死んでしまった。悲しんだ鬼はお姫様の死体も一飲みにする。すると、彼女が持っていた懐剣が、鬼の喉を引き裂いた。鬼の血が散らばって、坂の上に散らばって、夕暮れの赤い色が近付くたびにそれが浮かび上がる。
 だからここは暗闇坂。赤い色に呼応して、黒い色が浮かび上がる。闇の中から声がする、鬼がすすり泣く声がする。だた欲しかったのに、ただ愛していたのに、ただそれだけだったのに、どうしてどうして。

「どうして、どうして――――」

 鬼が叫びを上げて消えて行く。
 十四郎はぼんやりと、空を見上げた。首都圏を抜けると空気は綺麗なもので、一番星も鮮明に拝むことが出来る。きらきらとしたそれを見付け、くっと笑った。藍色の空は赤い色の名残など一片も感じさせず、ただ広がっている。無情のように、無常のように、無上のように。
 煙草を携帯用灰皿に押し付け、彼は歩き出す。坂の上には完全な闇が落ちていた。ざわざわと木の枝が鳴る音に追い駆けられるのを無視すれば、諦めたのかやがて音は聞こえなくなった。ポケットに突っ込んだ手には、携帯電話が触れる。

「さてと、野暮用も済んだし、探偵さん誘って飲みに出るかね……」

 後日、暗闇坂の噂はぱたりと止み、空き家や売り地にもぽつぽつとだが新しい住人が入り始めたらしいという話を十四郎は聞いた。新しい家主は坂に影を落とす巨大な木を嫌い、切り倒してしまったらしい。暗闇を失った暗闇坂を、あの母子は歩いているのだろうか――取材現場に向かって転がす車の中、灰皿に乗せた煙草を取りながら、彼はぼんやりと空を眺める。
 茜色は綺麗に広がっていた。


<<"Still I Love You" is over>>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
哉色戯琴 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年01月24日

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