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『□■□■ 夜半の戯れ事 ■□■□ 』
エリス・シュナイダー1178


 銀食器を綺麗に拭き終えれば、一日の業務は終わりだった。執事が休暇を取っているので、その間は銀食器磨きが彼女の業務として加算されている。銀はすぐに酸化して錆びてしまうので、一日たりとも磨くのを休むと、たちまちに黒ずんでしまうのだ。銀食器を見ればその家の執事の良し悪しが判ると言われるほどに重要な業務を任されるというのは信頼の証なのだろうが――エリス・シュナイダーは苦笑混じりの溜息を零す。
 朝一番に起きるのはいつものことだが、夜も一番に遅くまで起きている羽目になるとは思わなかった。これから部屋へ戻りがてら見回りをして、やっとメイドとしての一日が終わり、彼女個人としての短い一日に移行する。暗い廊下、窓の鍵を確かめながらゆっくりと進み、彼女は自分の部屋に辿り着いた。短い髪に形だけの状態を付けられているヘッドドレスを外し、大きく伸びをする。

「さて……今日も一日、始めましょうか」

 夜半も過ぎての言葉にしては矛盾だったが、彼女は気にしない。エプロンドレスを脱いで皺にならないようクローゼットに収め、パジャマに着替えてから、唯一持ち込んだ私物の家具である戸棚を開く。観音開きの小さなドアに指を掛ければ、そこには、街が広がっていた。
 内部のスイッチを入れれば、小さな白熱灯が点灯する。街にとっては今が朝なのだ。ほんの少し感じられる熱線を楽しみながら、彼女は手を伸ばす。ミニチュアの世界、ドールズハウスよりももっともっと小さくて精巧なそれ。

 指先に触れたのは、赤い車だった。ポルシェの丸いラインと金属の冷たい感触を遊びながら、軽く光に透かしてみる。小さな小さなフロントガラスの向こうには人影が見えて、何かを訴えるような顔をしていた。しかし、人形の言葉などいちいち聞いてはいられない。一頻り眺めたら、放るように道路に戻す。きゅるきゅると走って電柱にぶつかる姿に、仕方ないな、と眼を細め、次の人形を。
 大きさはまちまちで、縮尺も統一はされてはいない。集められているものも実に雑多だった。街には似合わない戦車や旅客機、線路も無いのに路面電車。だが、調和など必要ない。これはおもちゃなのだ、合理的な収集などしなくても良い。欲しいものだけを、集める。収集なんて、蒐集なんて、そんなものだ。

 人形を二つほど手に取る。さらりとした感触は頭部、髪の毛だ。通常の織物では考えられないほどのなめらかさは、その細やかさゆえのものである。爪の先ほどの頭から、十万本もの糸が垂れている。とても現在の技術では出来ない芸当だろう。
 頭を掴んでうっとりと見詰めていれば、最初はバタバタと手足を動かしていたそれも静かになる。顔の部分が蒼褪めて不細工になり、彼女はぽとりとそれを落とした。ひしゃげた身体から何かが滲み出して街を汚すが、それほど気にはならない。もう一体の人形をみれば、豪奢なドレスを纏っていた。シルクの裾が心地良い。丁寧に道の上に下ろし、次に興味を惹きそうな対象を探す。

 巨大なビルも、先日新しく街に追加した風景だった。だが辺りが平屋の家ばかりなので、どうも景観としてそぐわない。移動させようと屋上の部分を摘まむと、ぱりぱりと音がたった。どうやらガラス窓の部分を指で潰してしまったらしい、まったく――壊れたものならいらないか、彼女はそのまま指先に力を込める。ぽき、と簡単にそれは折れてしまった。
 少し興が乗って、そのままゆっくりとビルを潰していく。欠片がぼろぼろと近くのミニチュアの上に落ちてしまったが、あとで片付ければ良いだけの事だ。小さな小さなガラスの中には、いくつもの人影が見える。一緒に潰してしまっていることになるが、まあ良いだろう。


 代わりなんて、いくらでも。


 完全に粉砕したビルを、更に押し潰して更地にする。ぱきぱきと何かが折れる音が響くのは、なんとなく心地が良かった。指先に伝わる感触も愉快を誘う。ある程度平らになったら、土台ごとはずして、ゴミ箱に放り込んだ。
 破片が降り注いだ近くの民家は、いくつかの屋根に穴が開いてしまっている。これももういらないか、と、土台を外して掌の上に乗せた。庭付き一戸建ての可愛い家で、犬小屋もあるのが気に入っていたのだが、壊れたものにはいつまでも固執しない。直すのも、これほどまでに精巧すぎてはすっかり元通りとはいかないのだ。片手を被せ、サンドイッチのようにする。ぐしゃりと潰れたそれを、またゴミ箱に。

 ふと手前の道を見れば、先ほど落とした人形が倒れたままになっていた。立たせようと頭を掴み、脚を真っ直ぐに伸ばしてから、地面に垂直に向かわせる。だが関節の部分がぐにゃりと曲がって上手く立たない。まったく仕方ないと、彼女はそれもまたゴミ箱に放り投げる。

 不意に、戦車がキャタピラを鳴らしながらストローのような砲身を彼女に向けてきた。ぽんッ、と小さな音を立てて発射された鉄球は、彼女には届かず、手前の公園に落ちる。アーケードが凹んでしまった。お気に入りだったのに、と、彼女は戦車を持ち上げる。トップとボトムを力技で引き剥がし、中に入っていた人形を道の上に落とした。
 迷彩服にヘルメット、典型的な軍人の格好をしたそれの腹を、指先で押し潰す。まったく、今日は気に入っていた街が随分潰される。次の休みには、また、新しい土地を持ってこないと――土台の大きさはちゃんと計算しなくては。ぼんやりとそんな事を考えていると、ぽきりと軽い音と振動が爪先に伝わった。人形の腹が大きく凹んでいる。ブーツの脚を掴んで、それも、ぽいっとゴミ箱に投げ捨てた。

「可愛いですね、なんでも小さいものは可愛らしくて大好きです」

 ふふふ、と彼女は一人呟く。
 街は静かに、照らされている。

「さて、次は一体何を付け足しましょうか――ああ、ビルを一つ壊してしまいましたね。戦車も壊してしまった。犬小屋のある家は、視覚的に可愛らしいですし――それに、公園。次は噴水のある公園が、きっと可愛らしいですね」

 指折りリストアップしながら、彼女は壁の時計を見る。あまり遊んでもいられない、明日の朝も早いのだから。まったく、人の仕事を押し付けられていると、自分の時間が減ってしまっていけない。それでも覚えがめでたいと言うのは、きっと喜ぶべき事なのだろうけれど。
 白熱灯のスイッチを切れば、もう街は夜。中間なんてものはない、彼女の世界に夕焼けなど必要ない。そんなものは無くたって、何も困ることなど無い――だってここは、人形の街なのだから。
 彼女だけの、街なのだから。

「次は何を足しましょうか……もっと色々なものがあると、楽しいですね。遊園地なんて良いかもしれません」

 ふふふ、と彼女は戸棚の扉を閉じる。
 そして完全なる静寂が、街を覆いつくす。

「さて、今日はもう眠ってしまいましょうか」

 ベッドに腰掛け、明かりを落とし、彼女は指先を眺める。
 世界一つを制御できる、自分の魔法の指先を。
 くすくす笑う声が、毛布の中に吸い込まれた。



<<"PLAY play PLAY" is over>>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
哉色戯琴 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年01月21日

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