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『オトタチバナは草津温泉の夢を見るか 』
鹿沼・デルフェス2181

「たまには温泉に行きたいよう〜。いつもいつも自分ばっかりずるいよっ!」
 新しい年が明けて三日目のこと。
 ここは東京都内の異界と化した恩賜公園、某女神と眷属の住まう社の1階である。
 幻獣動物園の管理者たる巻き毛の少女は、小さな頬をぷうと膨らませ、女神に苦情をぶつけていた。
「去年、富士の裾野の温泉宿に行っちゃったときも、不思議なホテルに出かけたときも、レディースプランで箱根の老舗旅館に泊まったときも、ずぅーっと留守番だったんだよっ!」
「しかしのう、おぬしにはゲート管理の仕事もあろうし……。動物園を離れるわけには行かぬと思うて……」
「そうですよ。それに箱根はともかく、富士の裾野や某ホテルはリゾートというよりはトラブルに巻き込まれ……」
 その剣幕にたじたじとなった女神と眷属が必死になだめても、少女の怒りはおさまりそうもない。
「ずるいずるい! ――なにさっ、帰ってくるたびにお肌のつやつや度がアップしてるくせに!」
「む?」
 言われて女神は、ふと自分の頬に手を当てる。
 ……確かに、どの宿も、設備充実にして接客対応も文句なしだった。おかげさまで、女神の体調はすこぶる良好である。
「あー。じゃがこの時期、ハイレベルの宿はどこも満室じゃろうし、万が一空いていたとしても正月料金が割り増しされてかなり経済的にもごもご」
「温泉温泉おんせんー! 連れてってつれてって! どうしてもダメって言うならっ」
 巻き毛の少女は、きっとなって両手を掲げ、ポーズを決めようとした。
「変身するよ!」
「ま、待ってください、それだけは」
「落ち着けい! 話せばわかる! 正月早々、変身暴走はやめれっ!」
 女神と眷属は、大慌てで両側から少女を取り押さえる。
 今年一年の相変わらずな大騒動を暗示するかのようなドタバタのさなか……

「ごめんくださいませ。あけましておめでとうございます」
 社全体を柔らかく包み込むような、いとも優雅な声がした。
 騒々しい雰囲気が、一瞬だけひたと静かにおさまる。女神と眷属と巻き毛の少女は、揃って入口扉に視線を走らせーー歓声を上げた。
「おお、デルフェス!」
「これはデルフェスさん。本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます」
「わーい! デルフェスちゃんだ。おめでとー!」
 嬉しげに走り寄った少女は、鹿沼デルフェスのいでたちに、ふと首を傾げた。
「……あれ? デルフェスちゃん、これからどこかへ旅行するの?」
 今日のデルフェスは、中世の姫君を思わせるいつものドレスとはうって変わり、着物を上手くアレンジした斬新なファッションであった。着こなす側に気品があるので違和感はなく、その上に外套をはおっているため、むしろ落ち着いた印象である。そして、右手に大きなトランクを持っているさまが、古典的な旅装に見えたのだった。
「はい。草津へ行こうと思いますの」
「草津っ?!」
 地名を聞くなり、少女は叫ぶ。何しろ草津と言ったら……。
「もしかして温泉? デルフェスちゃん、温泉に行くんだねっ?」
「運良く、宿の予約が取れましたので」
「……いーなぁ……」
 少女は唇を尖らせる。デルフェスはその頭を撫でて微笑んだ。
「予約は、女性3名で行いましたの。宜しかったらご一緒に如何かと思いまして、お誘いにまいりましたのよ」
「ほんとっ?」
「3名ということは、わらわも行って良いのじゃなっ?」
「もちろんですわ。温泉街から少し離れた鄙びた宿ですのでゆったりできますし、泉質は『徳川将軍お汲み上げの湯』として保障つきです。夕食は山の幸づくしの特別料理を別途注文いたしました」
「ほほう〜〜」
「きっと女神さまもお気に召すと存じます。わたくしの招待ということにさせていただきますので、どうぞ費用につきましてはご心配なく」
「やったー! 温泉だー! ばんざーい!」
「デルフェスのポケットマネーでの旅行とは、新年早々豪儀じゃのう!」
 浮かれてはしゃぐ少女と女神を横目で見て、眷属は声を潜めた。
「あの……。それはあまりにもデルフェスさんのご負担が大きすぎませんか?」
「いいえ。昨年は鑑定のお仕事で大変お世話になりましたし、それにわたくしにとっておふたりは、姉上のようにお慕いしている方であり、また、妹のように思わせていただいている方でもありますもの」
 ゆるゆると首を横に振るデルフェスに、眷属は恐縮して頭を下げる。
「それはまた何とも奇特なことで……いやいや勿体ないっ」
「女神さまがたをお借りしても宜しいでしょうか? おふたりがいらっしゃらない間は、とてもお寂しいでしょうけれど……」
「いえっ、もーちっともこれっぽっちも全っ然! どうぞどうぞご存分に。……ああ、この世に女神というものが存在するとしたら、それはきっとデルフェスさんのようなかたに違いありませんとも!」
 ふたり揃って外出するということは、しばし平穏で静かな時間を過ごせるということでもある。嬉しさのあまり眷属は余計なことまで口走り、女神と少女から同時に足払いをかけられることとなった。

 ☆ ☆

 朝から曇っていた空は、やがてはらはらと雪の花を降らしはじめた。
 東京駅から長野新幹線でまずは軽井沢へ。軽井沢からはバスに乗って一時間あまり。
 到着した3人を迎えたのは、すっかり純白に変わった白根山の山頂から麓にかけての風景であった。
「草津温泉の由来は、一説には、仏教における『大般若経』の『南方有名是草津湯』から来ていると言われていますわね」
「そうなんだ。あのねー。あたしが知ってるのはね、ヤマトタケルちゃんが東征した帰り路に、東南方向を振りかえって、入水しちゃったオトタチバナちゃんを恋偲んで流した涙から生まれたっていう開湯説だよー」
「すると、弟橘姫は草津温泉に入る機会がなかったということですわね。お気の毒に」
「その分までどーんと楽しめば良かろう。わらわは雪見酒として、平成14年5月の全国新酒鑑評会で金賞を受賞した、『秘幻』の大吟醸を所望する!」
 大人の女性としてのしっとりした教養に、ある意味満ち……ているのかも知れない会話を交わしつつ、3人は温泉街を歩いていた。
 風情たっぷりの瓦を敷き詰めた歩道を行けば、草津最大の源泉である湯畑が見えてきた。
 街の中心である湯畑から、さらに少し歩く。目的の宿は、創業百二十年余の歴史を持つ純和風旅館であった。
「湯宿」と書かれたのれんをくぐれば、家紋の入った提灯が目に入る。古めかしい帳場は、昔ながらの情緒を残していた。
「お待ちしておりました。鹿沼デルフェスさま他2名さまでいらっしゃいますね。ただいまお部屋にご案内いたします」
「お世話になります。どうぞ宜しくお願いいたしますわ」
「やったー! 温泉まんじゅう食べに行こー!」
「宿に着いての第一声がそれかっ!」
 自分のことは遙か高みの棚に上げ、女神は少女に突っ込みを入れる。少女としては、街のいたるところで売られ、ほっこりと湯気を上げていた温泉まんじゅうがとても気になっていたのだ。
 しかしながらその希望は、
「まずは露天風呂で雪見酒じゃ! もう決定じゃ! 天地がひっくり返ろうとも揺るがせにはできぬ!」
 ――との、温泉宿における女神恒例の主張により、あえなく後回しにされたのだった。

「これはこれは。絶景じゃのう」
 露天風呂は驚くほど広かった。どっしりした天然岩で囲まれた浴槽から身を乗り出せば、目前にそびえる白根山が圧倒的である。
 ひときわ高い岩に手をかけて身軽に飛び乗ると、女神は額に手をかざして目を細めていた。
 先刻からずっと、地酒「秘幻」の大吟醸やら「噴火焼酎」やら「草津ワイン」やらをデルフェスにお酌してもらって雪見酒を堪能し、なおかつ、背中なども丹念に流してもらうという、何様な大サービスを受けた後のことである。
「いけませんわ、女神さま。オールヌードでいらっしゃるのにそんなにオープンになさっては、冬山登山をなさっている方々から見えてしまいます」
「なぁに、見たい者には気前良く見せてやれば宜しい」
「別に見たくないかも知れないじゃん。……あ、ありがとねデルフェスちゃん。すぐ交代するよ」
 デルフェスと巻き毛の少女は、タオルでさりげなく身体を隠し、洗い場にいた。
 ちょうどデルフェスは少女の背中を流し終えたところだった。年の離れた姉に面倒を見てもらっている小さな子供のように、少女はくすぐったそうに肩をすくめている。
「デルフェスちゃんて優しいから好きー。どっかの誰かとは大違いだよ」
 女神の方をちらんと横目で見てから、少女はデルフェスに視線を戻す。……と。
 何か重大なことに気づいた風に、首を傾げたのだった。
「あれぇ? デルフェスちゃんと比べるとさぁ……。態度は大きいけど胸は控えめなんだね。今初めて知ったよ」
「大きなお世話じゃ!」
 言われて女神は、やっと岩から降り、胸を両手で隠す。
「わらわのバストサイズなぞ、どうでもよろしかろう!」
「そりゃまぁねー。誰に迷惑かけるってモンじゃないしねー」
 いいからかいのネタを見つけたとばかりに、少女は含み笑いをする。
 しかしデルフェスは急に真剣な顔になり、はらりとタオルを落として立ち上がった。
「それはいけませんわっ!」
 詰め寄るデルフェスに、女神は後ずさりをする。
「ど、どうしたのじゃデルフェス」
「未婚の女神さまは、ベターハーフに巡りあうまでは、数々の殿方と交際をなさる御身でいらっしゃいます。ましてや恋愛ごとを司るお立場ではありませんか」
「う、うむ?」
「グラマラスな方が、何かと有利ですわ」
「……そういうものかのう……」
「わたくし、胸が豊かになるツボを心得ております。少々微妙な場所なのですが、女性同士ですし、構いませんですわね?」
「……いや……せっかくじゃが、そこまでは……うわっ」
 さらにじりじりと逃げようとした女神は、足を滑らせて尻餅をついた。
 成り行きに目を輝かせた少女は、たたたっと後ろに回りこみ、肩を押さえる。
「デルフェスちゃん! 今だよ! ぐいっと押しちゃって!」
「かしこまりましたわ!」
「ちょ、ちょっと待てと言うに」
「大丈夫です。怖くも痛くもございませんわ。お楽になさって」
「……おぉあぁ〜〜?」

 そして、露天風呂のお湯がさばーんと波立つほどの絶叫が響き渡り――

「――完了ですわ。効果のほどは、一年くらいは様子を見ていただくとして」
「デルフェスちゃんデルフェスちゃん」
 気を失いかけている女神を後ろから支え、少女がきょとんとする。
「……胸まわりが石化しちゃってるけど、これでいいの?」
「――あら?」
 デルフェスはおっとりと両手を組み合わせた。
「失礼いたしました。わたくしとしたことが」

 ☆ ☆

 どうにか胸の石化も解け、部屋に戻ってみれば、すでに夕食の準備は整っていた。
 ぐったりと放心状態であった女神も、ずらっと並んだ前菜を見るなり元のテンションに復帰した。
 梅香百合根、しめじ酒盗焼き、銀杏松葉刺し、山芋りゅうひ巻、菜の花干柿巻、雉の化粧揚げエトセトラ。これらを肴に、デルフェスが追加注文してくれた地酒「道灌」の純米吟醸をお酌されては、機嫌を直さないほうがどうかしている。
「ねーねー。デルフェスちゃん」
 自分は何も食べないまま女神の接待をしているデルフェスに、少女が気遣わしげな顔をする。
「もしかして、去年のことを気にして誘ってくれた? メイド服の鑑定の後、反動で誰かさんが大荒れだったから」
 お酌を続けながら、デルフェスはにっこりと微笑んだ。
「多少は。でもわたくしは、おふたりに楽しんでいただければそれで宜しいのですわ」
「奥ゆかしいなぁ。……それにひきかえ」
「これっデルフェス。一升瓶が空になってしもうたぞ。追加じゃ追加じゃ」
 いい調子で杯を重ねている女神に、少女ははぁぁ〜とため息をつく。
「たまにはデルフェスちゃんにサービスしないと、天罰が下るかもよ……」
 しかし女神に下される「天罰」とは、誰が発するのだろうか。やはり、他の八百万の神々か。
 ……それとも、幻獣であろうか。
 しばらく思案していた少女は、やがて何かひらめいた顔でぽんと手を打った。
 そっと席を離れ、自分のバッグからごそごそと服のようなものを取り出して、そしらぬ顔で戻ってくる。
「どうかなさいましたの?」
「……あのね」
 少女はデルフェスの耳に口を寄せ、何事かを囁く。
「――ま」
 デルフェスの上品なおもざしに、ふと悪戯っぽさが宿った。
「でも……。あとでお怒りになりますわね」
「平気平気。そのときは平常心に戻るまで石化しちゃってよ」

 少女は、去年鑑定した魔法服――着用者の性格を従順かつ淑やかに変えるメイド服――を、デルフェスから預かっていたのだが、それを持参してきたのだ。
 女神を何とか言いくるめ、またこれを着せてしまおうという趣向を思いついたのである。

「少しは形だけでも謙虚になっていいと思うんだよね。ヤマトタケルちゃんのために自分を犠牲にしたオトタチバナちゃんの10万分の1くらいはさ」

 旅館を覆う綿帽子のように、雪は降りしきる。
 オトタチバナも羨ましく思うやも知れぬ新年の宴は、いっそうの展開を見せようとしていた。


 ――Fin.
PCシチュエーションノベル(シングル) -
神無月まりばな クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年01月21日

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