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『□■□■ 月夜の雪吠 ■□■□ 』
天城・凰華4634



 月は嫌いだ。
 頭の上でふわふわとした光が降り注いでいる。月齢は十六、満月としては最終日。月に一度は必ずやって来るこの三日間を超えてしまえば、また落ち着いた毎日が過ごせる――天城凰華はぼんやりとシャーレを眺めながら、そんな事を考えていた。実験用の水溶液が入ったプラスチックのそれには、綺麗な丸い月が映り込んでいる。
 春の盛りに杯に月や花を映すならば乙なものだとも思えるが、彼女にとってはただ満月が忌まわしかった。月齢が十四、十五、十六――その三日間が俗に満月と呼ばれる時期だが、月に一度のその三日だけは研究所を締めている。鍵を掛けて閉じ篭って、研究器具を片付けることで自閉し自衛する――いつもの過ごし方に疑問は、今更感じない。こうしていなければ、いけないのだから。

 パキッと、手に持っていたシャーレが鳴る。
 中の水溶液が凍り付いていた。
 チッ、と彼女は舌を鳴らす。

 月の巡りと身体のバイオリズムが一致しているのは偶然なのか必然なのか判らないし、別段それをどうとも思っては居ない。煩わしいのは本能と衝動が抑えられないこと、そして、能力が暴発してしまうことだ。まだ実験をするはずだったサンプルまで凍らせてしまったらしい、薬品棚には近付かないほうが良さそうだ――彼女は溜息を吐き、ドアを開く。ノブに薄っすらと霜が落ちた。

 吹き抜けになっている庭園を囲む設計になっている研究所の作りが、彼女は好きだった。没頭しすぎて身体の節々が痛む頃、やっとドアをくぐって廊下に出れば、すぐにガラス窓から庭園が覗ける。一階に研究室を持っているお陰で草花も近く、ドアを開ければすぐに緑のニオイが入ってくる。
 ぼんやりと夜の庭を眺めれば、闇が薄っすらと張った膜で、そこは別世界のようにも見えた。月の光は淡すぎて、それらを照らす力も無い。首都圏の宿命、ぼやけた月の力。それでも自分の理性を壊してしまうには充分で、少しだけ悔しさもある。

「まあ、自制の出来ない僕が一番に悔しいのだがな――それを言うのも、癪に障るか」

 ふっと自嘲の笑みを浮かべ、彼女は白衣のポケットに手を突っ込んだ。中に入れていた鍵がちゃりちゃりと音を立てていたが、それもやがて無くなっていく。手から発せられる冷気の所為で凍り付き、纏まってしまっていた。まったく、本当に、制御の出来ない力と言うのは無駄で邪魔にしかならない。
 自分の力が疎ましいのは、少なくとも満月の時だけだった。普段はちゃんと堪えられているし、日常生活にも支障がない。それを使って退魔師としての仕事もしているのだし、無法者の始末にも、役立っている。だが、いかんせん力が強すぎて――煩わしいと思うことだって、少ないわけでは、無くて。

 嫌な夢も見るし、嫌な想像はいつもしている。もしも夢のように自分が自我を失ってしまったら、何もかもを壊してもまだ足りないほどの破壊衝動に囚われてしまったとしたら、そこから抜け出すことが出来ずに楽しみながら――何もかも、知り合いも知らない人間も殺して壊し尽くしてしまうことがあるとしたら。
 力は怖くない、自分も多分怖くない。一番に怖いのは、それがいつかありえるかもしれない可能性――なのかも知れない。そして、想像。何かが起こってしまうのだと思い込んで自縛する想像が、怖くて堪らない。ぞくりと走る悪寒は、いつも心を冷やす。白衣に突っ込んだ手を、握り締める。

「――随分、妙な時間の来客だね。僕はアポを取っていない客と言うのは所内に通さない主義なのだけれど」
「天城凰華、氷竜の力を持つ退魔師にして研究者――所内に張られた霜の様子から見て、噂は真実らしいな」
「さあ、冷蔵庫でも壊れているんじゃないのかな」
「学者には不要な力だろう。我々にその能力、渡してもらおう」
「だから、人の話を――」

 背後から掛けられた声に淡々と答えていたが、向かってくる気配に彼女は身体を翻した。床に手を付けば漏れ出した冷気がタイルを伝っていく。脚を固定すれば終わるだろうと思ったが、男達――侵入者は複数だった――は、その靴を脱ぎ捨てて彼女に向かってきた。ナイフや札と、物理・超常の力で対策は練ってきたらしい。チッと舌打ちをして窓を蹴破り、広い庭に逃げる――が、木の陰にも複数の気配があった。
 空に眼を向ければ、小さくだが飛行機の陰が見える。上から進入してきたらしい、随分な手間を掛けて――もっともそれは無駄にはならず、こうして巣の中に誘い出されたのだが。
 再度舌を鳴らし、彼女は手近な木の枝を折る。冷気を纏わせれば、植物故に水分が多かったのでかなりの硬度を持つ棍棒に変える事は出来た。だが、元が弱すぎる――長持ちはしないだろう、何か武器を奪い取らなくては。

 ざっと見たところ、把握出来る頭数だけで十人以上はいるだろう。下手をすれば二十人か、女一人に随分な多勢で掛かってきたものだ。向かってきた一人を殴り倒し、その手に持たれたナイフを奪う。冷気を纏わせ、刃先に氷で注ぎ足しをすれば、ちょっとした剣になった。
 二、三人を一気に薙ぎ払うが、いかんせん元の刃が細すぎて耐久が無い。避けながら冷気を発してみるが、それについての対策はされているらしかった――黒い妙なスーツを着込んでいる。温度耐性が強いものなのだろう、研究材料のカタログで見たこともあるもの。物理攻撃が最適かと殴り付けるが、それでも数が多くては埒が開かない。
 不意に呪文が聞こえ、そちらに視線を向けると同時に、白衣の袖に札が貼り付けられる。剥ぎ取ろうとする刹那、激しい電流が身体を貫き、彼女の膝が崩れた。隙を狙って複数の同じ札が飛んでくる、そして――雷撃が、その身体を支配した。

「――――か、ぁぁああぁぁあッ!!」

 ぶすぶすと、煙が立ち上った。鼻の奥できな臭いニオイを感じる。
 電圧による高温が服の化学繊維を焦がしているのか、シャツが焦げていた。気に入っていたのに、と、一種どうでも良い考えが過ぎる。頭の中は白黒のテレビのようにぼやけたイメージしか掴めず、思考回路もよく繋がらない。脳内までショートさせられたようだ、機械でも無いのに。同じぐらいに致命的な打撃では、あったけれど。
 が、ッと頭を蹴られる衝撃も、曖昧に感じた。何もかもが曖昧に感じた。ざわざわと髪の先から発せられる冷気が霜の下りた草の上に広がっていく――だが、男たちはまるで気付く気配が無い。

「属性がわかっていれば、攻略も容易いものだな」
「いくら人外の化け物でも構造が分かっていればこんなものだろう」
「おい、そっちで脚を持てよ。早く運び出して解体しなきゃな」
「ああ、生物化学班の変態達がお待ちかねだ――」

 ビキッ、と。
 彼女の身体に触れた男の腕が、一瞬で凍りつく。

「あ――あ、うわぁあぁ!?」
「ッばかな、あの電圧で」
「ば、化け物ぉお!?」

 凍った腕を薙ぎ払えば、それは簡単に折れた。出血も無く切断されて地面に落ちたそれを眺めながら、凰華はゆっくりと立ち上がる。汚れ、焦げたシャツの間から、冷気が迸っていた。そして――びしびしと、辺りを凍らせていく。逃げようとする男達はみな脚を取られ、そして体液を止められていった。

 猛る声が、月に響いた。

 氷像は薙ぎ倒され、
 駆逐され、
 蹂躙され、
 そして、
 雪のように散っていく。
 青い龍はただ、月に吼えた。

■□■□■

 生臭いニオイが、充満していた。
 有機物が散布された庭の中、凍りついた植物達は何も語らない。爽やかに風を送ることも、優しく葉音を聞かせてくれることも無く、ただ無言で霜に埋もれていた。そして、その真ん中に佇む彼女――凰華自身も、心に落ちていく霜を感じていた。
 ただ、庭園は冷たかった。

「なんで――こう、なるのかな」

 氷の中にへたり込み、ぽつりと彼女は呟く。
 解けた髪が顔を隠し、月を遮っていた。
 ぼやけた月は天上にいる。
 ただ、そこにいる。

「何で――なんで、何で何で何で何でッなんでだよ!? なんで、こんなッ」

 凍りついた地面を殴る。
 皮膚が裂けて血が流れる。
 それでも止めない。
 殴り続ける。
 赤が落ちていく。
 涙が落ちていく。

「僕は、なんでこんなに、怖いんだよ――――」

 月だけが嗤っている。
 月だけが知っている。
 月だけが泣いている。
 月だけが嘆いている。

 月だけが、咲いている。

「――――僕は、怖くなんかなりたくないんだ……」


<<"Is this FEARNESS?" over>>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
哉色戯琴 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年01月20日

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