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『□■□■ 裏路地の肯定 ■□■□ 』
天城・凰華4634



 油断大敵という言葉を作った先人は偉大だ。どんな敵よりも、己が一番の敵である。己の命をもっとも危険に晒すのは、己以外の何でもない。

 はぁッと深い息を吐きながら、天城凰華はひと気のない裏路地を歩いていた。
 退魔師としての仕事も随分慣れていたし、気配を読んでもそれほど大した獲物ではないと思えた。いつものようにハルバードを手に向かった、廃トンネルの中。仄明るく辺りを照らすそれは――雷を操る種類の小物だった。通り掛る人間を襲って怪我をさせるとの事で依頼を受けたのだが、その属性は聞いていない――水を扱う彼女にとって、それは天敵に近い能力だった。
 だが魔力はそれほどのものではない、気を付けていれば雷撃など簡単に避けられた。掠る程度は大したダメージではなかったし、追い詰めるのも容易く。だが、完全に捕らえたものを重槍で薙ぎ払った途端に――。

「ッ、ぁあ……」

 視界が霞む、吐息も荒い。とにかく部屋に戻って安全を確保してから手当てを。部屋まで持つのか? 手足の痺れは最高潮に達している、特にハルバードを握っていた両手の火傷は酷かった。皮膚が裂けて血が滲んでいるし、場所によっては焦げてすらいる。最後の最後にやってくれた、完全に油断していた。予断もしていた。これは敵にやられたと言うよりは自滅に近い――神経がビリビリと痛む錯覚に、彼女は顔を顰める。ふら付いた足は縺れ、硬いアスファルトの地面に身体が倒れた。
 起き上がろうにも、両手が痛む。力が入らない脚は痙攣して、もう歩けないと訴えてでもいるようだった。辺りはまだ薄暗い、夜が明けきっていない薄明の世界。真夜中よりは幾分マシだ、発見時間も早くなりそうで。

 ともかく今は、もう。

 彼女は意識を途切れさす。
 すぐ近くの店のドアが開いて、ドアベルの音がカラコロと響いた。
 ヒールの足音が、近付く。

「……朝っぱらから不景気だねぇ、店の前で。ん――意識が無いのかい? それにこの怪我……。まったく、舞い込んでくるのは妙な品物ばかりじゃないらしいね」

 ぱたん、とドアが閉じられる。
 道の上に凰華はもう居ない。
 顔を出した太陽が、『アンティークショップ・レン』と書かれた看板を照らした。

■□■□■

 視界が天を指すように高い。見下ろした下界は何ともちっぽけで、玩具かジオラマのようだった。ゼンマイ仕掛けの人々が逃げ惑う街を眺め、息を吐く。寒くも無いのに色が付いていた。氷や雪粒を大量に含んだそれが、飛礫のように街ほ破壊する。人を破壊する。
 念じれば胸の宝玉が淡い光を纏い、周りにちょっとした氷山ほどもある氷の塊が出来上がる。大気中の水分で足りなかった分を人から奪い取ったのか、からからに乾いた死体がいくつか目に入った。川は干上がり、森も一気に枯れる。命を吸い取って出来た氷――そこに映り込んでいる自分の姿は、龍だった。

 見境無く氷弾を打ち込む。街は穴だらけになって、死体だらけになった。車が玉突き事故を起こしている、そこに氷を打ち込む。破裂した消火栓から水柱が上がっていた、それを瞬時に凍らせて薙ぎ倒す。下敷きになった子供を助け出そうとしていた母親が、スリップ車両に突撃される。

 そこには破壊と阿鼻叫喚とが満ちて、冷たい世界を作っている。
 氷のように閉ざされた心は、痛むことが無い。
 何も感じずに、ただ薙ぎ払う。全てを打ち砕き、破壊する。
 楽しむことすらも無く、ただただ破壊を愛する。
 愛するのに、まるで楽しんでいない。
 矛盾しているような感覚を――他人事のように眺める、もう一つの自我。

 何をしている? 破壊をしている。何故? 理由など必要なく。何が気に入らなくて? 別に。何が愛しくて? 別に。何を壊したくて? 何も。何を作りたくて? 何も。

 狂っている? 別に。
 正常なのか? さあ。
 ならば清浄なのか?
 こんな破壊の何処が?

「狂ってる――よ。こんなのは正しくない、僕はこんな事望んでいない」
「そう。それで?」
「やめろ。僕はこんなことしたくない――したくない、んだッ」
「だから?」
「やめろよ!!」
「無理。諦めれば?」

 酷薄な自分の声に、叫び声を上げた。

■□■□■

「煩いよ」

 ぺし。
 ……冷たい。

 見上げたのは知らない天井と、知らない女性の顔だった。凰華は一瞬心臓や思考が止まるような錯覚を覚え、それから飛び起きようとする――が、女性に肩を押されてそれは阻止された。何が起こっているのか、ここがどこなのか判らない。額が冷たいのは、どうやら冷やしタオルが乗せられているらしい。気持ち良いが、そこが問題の焦点ではない。

 女性はチャイナドレスを纏い、赤毛だった。もちろん見覚えは無い、天井同様に。何となく嗅覚に訴えるものがあって辺りをよく観察すると、雑多な箱が積まれていた。カビのような、紙魚のような、古い物達が持っている独特のそのニオイ――古物商か何かなのか。勿論そういう人間にも縁は無いが、と、彼女は疑問を浮かべる。頭を掻こうと布団の中から出した手は、包帯が巻かれていた。少し雑だが、手当てが成されている。見れば反対の手も同様だった、鼻を寄せれば薬のニオイがする。女性を見れば、キセルにマッチを寄せているところだった。

「ああ、手当ては適当にしといただけだから、ちゃんと後で病院に行きな。ったく、怪我人が保険証持ってないってなどういうことだい……何か面倒ごとに携わってるなら、印鑑と保険証は携帯するもんだよ。保健無しで病院に掛かったらぼったくられんだからね」

 庶民的な警告だった。
 正しいけれど何か違う、突っ込みどころがスルーされている。

「それと、倒れるなら真昼間に表通りの方が良いだろうね。仕事の時間帯も考えた方が良いよ、若い娘が裏通りに倒れてたんじゃ危ないからね……あたしみたいな物好きがいつでもいるとは限らないんだから」
「貴方は――」
「ああ、あたしかい? 蓮ってんだ、碧摩蓮――このショップのオーナーでね。あんたが店の前で営業妨害宜しく倒れてたもんだから、思わず拾っちまったよ。ともかく、腹は減ってないかい? あるのはスープぐらいだけどね」

 行き倒れを介抱して、意識を取り戻した相手に聞くのはまず経緯だろう。少なくとも絶対に保険証よりはそちらの方が重要事項だ、それは万人共通で通用する常識だ。蓮が部屋を出て行ったのを確認して、凰華は身体を起こす。ぺたりと冷たいタオルが毛布に落ちた。
 見れば、アンティーク調のベッドである。客用と言うよりは彼女自身のものだろう、部屋も私室のようで、彼女の色や私物が置かれてある。サイドボードには部屋の空気に合わないプラスチックの洗面器があり、中には氷水が張られていた。自分の為に――だろう。もしかしたら、ずっと付いて。

 食事が済んだら落ち着いたと見なされて、何か訊ねられるかもしれない。蓮の医学知識がどの程度の物だかは知れないが、火傷と矛盾しない作り話を考えておかなければなるまい――恩人に対して嘘を言うのも中々のストレスだが、問われても答えられないものは答えられないのだ。守秘義務というものもあるし、自分の能力も積極的に口外はしたくない。
 嫌な夢も、見てしまったことだし。
 常人とはあまり、近付きたくない。

「ほれ」

 差し出されたトレイには、ポタージュスープとパンが乗っていた。ジャムも添えられ、八つ切りにされたリンゴも別皿に乗せられてある。そして、水と薬。

「……薬……なんですか?」
「抗生物質だよ。両手の火傷は随分深いみたいだからね、破傷風を防ぐためにさ。食事は、それで足りないならリンゴをもう一つ剥くけれど? 自分で剥けって言いたいところだけど、それは酷だろうからね」
「あ、いえ――大丈夫、です」
「そうかい。それじゃあたしはそろそろ店を開けるから、食ったらとにかく寝ちまいな」
「あ――あのッ」
「ん?」

 さっさとドアに向かった蓮の背中に、凰華は声を掛ける。

「なんで――聞かないんですか。何も」
「別に興味が無いだけだよ」
「でも、僕はッ」
「見たところ成人してるようだし、それなら自分の事は自分の責任だろう? むしろ、今回はあたしが生温くその責任を奪った形だしね。その上で何か聞こうとするほど偉くもないし、勿論興味も無い。ただの行き倒れの娘には、それほどの食指なんて動かないもんさ」

 くくっとシニカルな笑みを浮かべ、蓮はキセルを二口吸った。吐き出された煙は濃い、僅かにそのニオイが漂ってくる。あまり好きだとは思わない、煙草の香り。彼女が纏う香り。

「自分が変だと思い込むと、それは周りに伝染する」
「――――――」
「肯定しな。長いんだろ、人生」

 笑って、
 ドアが閉じられた。

 スープは暖かくて、パンは柔らかかった。リンゴは甘くて、どれも美味しい。言われたとおりに薬を飲み、凰華は横になる。
 肯定する、自分を。自分というモノを。ともすれば暴れだして悪夢を招くだろう自分と言う存在を、根本から、受け入れる。それはとても難しくて、とても自明の事だった。自分を受け入れていられるのならその人物は強くて、いつでも、幸せでいられる。不安や不信があれば夢にそれが現れる。
 初めて会った、まったくの行き摺りである蓮は、凰華を容易く受け入れて肯定しているのだろう。両手の火傷、出血、無言、不信――うわ言、寝言。全て怪しむに足るファクターでありながら、それを凰華として認識している。

 毛布は暖かい。
 煙草のニオイが染み付いている。
 少しだけ、よく眠れそうだと思えた。



<<"It' s YOU ARE" over>>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
哉色戯琴 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年01月20日

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