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『命のおわりは、やはり蒼 』
光月・羽澄1282)&時永・貴由(2694)


 老いた古物商を前にして、羽澄は、この老人は一体いくつなのだろうと考えていた。この古物商と調達屋『胡弓堂』との付き合いはかなり古い。店に住み込みでバイトをしている光月羽澄は、このミステリアスな老人に会うたびに、そう思うのだ。初めて会ったときから彼は老人で、いつも同じ服を着ていた。
「ホウ、ホウ――今日は、冷えるの。雪が降るかもしらん」
「そうですね。――あ、店長なら、あいにく……」
「いやいやあ、今日はこの店でいちばん若くて元気な、あんたに頼みごとがあってねえ」
 好々爺、ということばが、この老人の称号にはぴったりだ。
 老人の頼みというのは、人里はなれた山中に住む陶芸家から、製作を依頼していた青磁の壷を受け取りに行ってほしいというものだった。陶芸家は多忙で、山を下りることさえままならないという。納品は庵での手渡しに限られていた。
 その手間を差し引いても余りあるほど、その陶芸家が造る青磁のものは素晴らしい出来ばえだ。陶芸家は若く、女性だという。
「そこで、調達屋さんの出番というわけじゃ。わしはご覧の通り、山を登るにはもう歳を取りすぎた」
「私でよければ、お引き受けします」
「そうかそうか、助かったよ。……くれぐれも、気をつけていきなさい。そうじゃ、何人かで連れ立って行ったほうがいいかもしれん」
「えっ?」
「……その山ではな、よく神隠しが起きるそうじゃ」
 長い灰色の眉の下で、老人の目がきらりと光った。

 そういったいきさつがあり――

 羽澄に週末を奪われたのは、時永貴由だ。貴由というのは羽澄の無二の親友で、彼女の急な頼みにも、二つ返事で快諾したのだった。
 出発の日、羽澄と貴由は完全防寒の出で立ちで、山のふもとにある村の駅に集合した。
「あけましておめでとー! 新年一発目に神隠し山に登るなんて、今年も幸先いいよ」
「ごめん、週末予定あったでしょ?」
「いいのいいの。リングなんていつだって造れるんだから。山登りなんて、若いうちしか出来ないよ」
「そう言ってくれると助かるなあ。じゃ、気合入れて行こっか」
「おう!」

 山はうっすらと雪をかぶっていて、道らしい道もない。なるほど、冬に不用意に足を踏み入れ、遭難したとしても無理はない話だ。
 神隠しの山なのだ、ここは。
 しかし、ふたりの少女にはさまざまな能力があったし、若さもあった。特に、貴由の力は道なき道を探りだすのに大車輪の活躍をみせた。ふたりは山に入って一時間半ののちに、早くも目的地の庵に到着していたのである。
「はあ、着いたあ。さすがに山道は疲れるね」
「日が暮れる前にふもとに着けるかしら?」
「ぎりぎりかも」
 白い息をつきながら、ふたりは山中にぽつねんと立ちつくす一軒家に近づいていった。
 戸を叩こうとして、羽澄は思わず、ミトンをはめた手を止めた。
 引き戸はびっしりと黴に覆われており、ガラスは埃で汚れ、灰色になっていた。彼女は思わず、貴由と顔を見合わせた。貴由も無言で羽澄を見つめ返し、口をわずかに開いて、息を殺していた。
 羽澄はほぞを固めると、戸を叩いた。濁った音がした。
「はーい」
 そうして奥からやってきた応答は、いやに澄んでいたのである。
 がらり、と黒い戸が開いた。

 現れたのは、戸とは不釣合いなほど小奇麗な若い女性だった。薄い生地の作務衣を着ている。この女性が、どうやら陶芸家その人であるらしい。
 彼女はふたりの少女の顔を見て、ふわっ、と微笑んだ。
「雪が降ってから、初めてのお客さまね。どちら様のお遣いです?」
「あ、ええと――」
 見とれてしまっていたのかもしれない。
 その違和感と美しさ、えもいわれぬ怪奇に。
 羽澄が用件を告げると、陶芸家はふたりを中に招いた。寒いでしょう、と――。
 確かに、寒い。ここはまるで、雪女の支配下にあるかのようだった。


 庵の中は、奇妙なほど広く感じられた。至るところに作品が置かれていたが、雑然とした様相ではなく、どこか整然としていた。囁きを押し殺しているかのような沈黙があり、仲の良いふたりの少女も、知らず黙り込んでいた。
 寒いでしょう、と招き入れられたというのに、庵の中は寒かった。暖房が入っていないのではないかと思えるほどだ。
「ねえ、羽澄……」
「なに?」
 陶芸家が作業場に入ったときだろうか、貴由がようやく口を開いた。
「何だか、この壷とか皿とかさ――」
「はい、これがご注文の品ですよ」
 女が作業場から出てきて、貴由が口をつぐんだ。どうも言い出しにくい内容の話であったためと、陶芸家の手に抱かれた壷があまりにも美しかったためだ。
「わ……」
 羽澄も思わず感嘆の声を漏らす。
 青磁の壷は、ひんやりとした、どこか艶かしい輝きを持っていた。とてもうつくしい壷だ。陳腐だが、そんな言葉で頭の中が埋め尽くされていく。羽澄も貴由も、芸術には明るかったし、日本伝統の美術品に日常で触れている。ふたりには、その壷の良さがわかった。
「きれい! ほしくなっちゃった」
「すごいなあ。私もこういうの、造れるようになるかな」
「箱に入れてお渡しするけれど……もう日が暮れますよ。うちは全然かまいませんから、今日は泊まっていかれては?」
「えっ――」
「ちょうどね、今日は野兎が罠にかかったの。ご馳走できますよ」
 ふたりは確かに疲れていたし、寒さを感じていたのだが、見ず知らずの人間の家に喜んで泊まるほど無作法ではない。わずかな間、ふたりは目配せをした。
 明日は日曜だ。


「でもさ、ここ、外と同じくらい寒いんだよね」
「文句言わないの。野兎の煮込み、あったかくておいしかったじゃない」
「それはそうだけど……」
「ね、貴由、ここに来てから何か暗い」
 ふたりは、せんべい布団の中だ。暗闇と北風の唸り声の中、ふたりはひそひそと会話を交わしていた。
 貴由は眉をひそめ、布団の中から顔を出すと、羽澄をかるく睨みつけた。
「暗くもなっちゃうよ。羽澄、何にも感じないの?」
「何にもって……確かに、ちょっと変なところだけど……芸術家の家だし……」
「まったく。最近アトラスとか興信所の仕事やりすぎて、『変』が『普通』になっちゃったんじゃないの? ――変どころじゃないよ。これは、異常」
「そう……かな。まあ、言われてみれば、引っ掛かるところはあるけど……」
「でしょ?」
「そう……何だか、あの壷とか……見たことがあるような気がする――」
 羽澄は布団の中にもぐりこみ、夢を見ようとした。
 気だるい疲れを癒したかったし、早く山を下りて、街に戻りたかった。
 だが、振動が彼女を呼び覚ます。

 突然、音もなく襖が開いて、冷めた空気の中、金槌が閃いた。
 どすうっ、と金槌は枕を破った。貴由がそれまで頭の下にしていたものだ。貴由はすでに布団の中から飛び出していた――彼女は、寝巻きに着替えてはいなかった。
「はあ……はあ、はあ……」
 荒い息をついて、金槌をそば殻の中から引き抜いたのは、若い女陶芸家だ。瞳は暗闇の中で爛々と輝き、この庵と同じ、異様な気迫を湛えていた。
「はあ……はあ、逃がしは……しない……」
 うぐるアッ、と咆哮を上げ、陶芸家は作品を壊す際に使うのであろう、巨大な金槌を振り上げる。その速度たるや、女の力では成し得ぬほどのものだった。
 だが、
「あ、は――あッ……?!」
「羽澄! そのまま!」
「OK、大丈夫よ!」
 同じく、すでに布団から飛び出していた羽澄が、硝子色の鎖を振るい、低く高い振動を用いて、女の動きを完全に封じ込めていた。彼女ならば、そのまま女の骨を折るなりして、ねじ伏せることも出来た。だが、それを貴由が制止したのだ。
「何か……何か、『中』に入ってるよ……!」
 女の目を覗きこんでいた貴由は、そこで、しッ、と印を切った。
「おいで!」

 それは、何処から現れたものか。
 貴由の命に従い、忠なる式神は貴由の頭を飛び越えた。黒狼の姿をした式神は、女陶芸家の喉もとに咬みついた。だが、血は流れない――
 黒狼がその牙に捕らえ、女の中から引きずり出したのは、年老いた男だった。髷を結っているところからみて、現代の霊ではないようだ。
『おお、おお、おのれ、女狐ども!』
 黒狼の牙にかかりながら、魂は怒号した。
『わしの「吸」……わしの「溜」……わしの作品。おまえたちを叩き……のばして……焼きつけて……わしは、「不浄」を洗い流してくれる……!』
「その女のひとは、大丈夫。どこも悪くなってないよ」
 魂の怒りには耳も傾けず、貴由は羽澄に言う。
「こいつは、喰わせちゃっていいね?」
「逃がさなければ、どうしたっていいわ」
 ヨシ!

 黒狼は、古い魂の喉笛を喰いやぶった。断末魔とともに、どす黒い粘液じみたものと化した魂は、たちまち、黒狼のあぎとの中へと吸い込まれていく。
 北風ががたがたと障子を揺らす。羽澄は、倒れる陶芸家をしっかり支えた。陶芸家が目を覚ます頃、黒狼は食事を終え、また何処かへ消えていた。


 壷は白木の箱に入れられ、羽澄や貴由といっしょに、始発電車に揺られている。
 電車は、2時間に一本だ。逃せば面倒なことになるところだった。
「あのお爺さん、わかってて私をやったような気がするなあ」
「そう?」
「何となく、私たちなら神隠しに遭わない、と思ってたみたいな……」
「なら、いいじゃない。その爺さんは悪魔とかじゃないってこと」
「悪魔ね……」
 あの古い魂は、若い陶芸家の心の迷いに付け込んだ、悪魔だったのだろうか。並みならぬ執念と、異常な観点を持っていた。我に返った陶芸家は、庵に置かれている作品のほとんどが、造った覚えのないものだと言っていた。
 いま羽澄が抱えている青磁の壷は、どちらなのだろう。どちらの陶芸家が出かけたものだろうか。
 思案に暮れる羽澄を、携帯の呼び出し音が――Lirvaの曲が、現実に引き戻す。
 壷を抱えていて両手が塞がっている羽澄の代わりに、貴由が出た。
 相手は、アトラス編集部の碇麗香。直々に、調査の依頼だ。めずらしい。
『曰くつきの壷があるのよ。同じシリーズっていうのかしら――いま日本にいくつ残っているのかわからないけど、少なくとも、最近になって2つ壊されているわ。光月さん、骨董品なら詳しいと思ってね』
 どんな特徴の壷か、とふたりは聞かなかった。
 ただ、黙って、複雑な表情の顔を見合わせていた。

 青磁の壷にきまっている。
 これは、とてもうつくしいものだから。




<了>
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2005年01月20日

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