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『【真の情けは 朧なる月闇の如し】 』
神宮路・馨麗4575


 ――プロローグ
 
 人の声よりも、川のせせらぎと川蝉のさえずりが好きだった。
 神宮路・馨麗は隠れ里……と呼ばれる場所にいる。いつからいたのか、覚えていない。
 物心がついたとき、彼女はこの里にいた。
 里はあまり広くはなかったけれど、森や山や川や丘に囲まれていた。
 彼女は宮司に連れられてやってきた……ようだけれど、馨麗にその記憶はない。どうしてここにいるのだろう? 彼女がその問いを覚えるのは、ずっと先の話だ。
 馨麗は川のせせらぎを聞きながら、巫女装束の裾をたくしあげ、足袋を脱いで川に足をつけている。ひんやりしていて心地いい。ここはすべてが溢れている。人以外のすべてが溢れている。おだやかな空気やさしい水音力強い息吹、そして耳に落ちてくる川蝉のさえずり。
 まだここにいてもいい、まだここにいてもいい、私はここにいたい。
 そんな思いは浮かんでは消え浮かんでは消え、そして消える。
 彼女にそんな意志はない。馨麗はこの里に必要な人材であり、馨麗に本当の自由はない。
 隠れ里……異能力者の里に結界を張る特別な巫女……。
 それが今まだ五つになったばかりの彼女、馨麗なのである。
 
 
 ――エピソード
 
 大人達が言う。
「巫女さまはそうしていなさるがいい」
 馨麗は目を瞬かせる。
 それからゆっくりと口許を持ち上げて、笑っているような表情を作る。
 大人達は満足したような顔で、彼女に恭しく会釈をして神社を去っていく。神社には馨麗と宮司がいる。さきほどまで馨麗は一人神社の落ち葉の掃除をしていたのだが、大人達に見つかって箒を取り上げられてしまった。
 落ち葉のしゃらしゃら言う葉の音は、とても気持ちよいものだから彼女は落ち葉と戯れるのが好きだ。けれど大人はそうは思わないらしい。落ち葉の掃除はとても楽しい。足元のふかふかした土は、ゆっくりと沈んだ足をそっと持ち上げて、一人で口許を歪める。笑っているわけではないと思う。笑いたいような、気になっているだけだ。
 箒を取り上げられた馨麗は、神社の境内に座っている。
 それから思いついたように、ふらふらと里を歩くことにする。
 歩くのは好きだ。右足と左足と、右手と左手と、動いている自分と。なぜ好きなのかはわからない。きっと彼女は、全てを取り上げられてしまったので、自分の意志で動いているということだけが、救いだったのかもしれない。
 でも彼女はそのことに気付いていなくて、ただ散歩が好きなのだと思っていた。
 里で会う人々は、いつも馨麗を遠巻きに眺めている。
「こんにちは」
 ふわりと声をかけると、皆一瞬びくりとしてから答えた。
「こんにちは、巫女さま」
 家々はそれぞれ畑を持っていて、畑にはさまざまな野菜が植えられている。畑の中から、人々はぎこちなく馨麗に挨拶をする。
「こんにちは、巫女さま」
 それはとても余所余所しくて、どこか突き放した響きを持っている。
 なんとなく、五歳の彼女にもわかる。私は、里の誰とも違う。誰も、私の友達にはなってくれない。そう、わかる。何故なのかもわかっている。それは馨麗が巫女だからだ。八つの結界を司る巫女だからだ。
 彼女は多くの力を持たなければならないし、里の誰よりも秀でていなければならない。
 里の人々は、そうやって彼女に接する。
 里の八つの道々に結界を張り、五つを冥府に二つを大迷路に、一つを現に通じさせる特殊な結界を彼女は司っている。その全てのことを彼女はよく理解しているし、自分の担っている物事の重大さも知っている。
 だがそのせいで、里の子供等さえも五つの彼女を見ると、きびすを返し背中を見せて逃げていくのだ。
 散歩の最後、冥府に続く道の前に立った彼女は、道の行く末をじいと見つめながら、途方に暮れていた。
「ねえ」
 と誰かに問いかける。
 いつもならば、式神の緋皇が答えてくれる。でも今は一人きりだ。
 そして緋皇に対して発した言葉ではない。
 誰かに……、誰かに……。
「ねえ?」
 疑問符になる。
 何度も考えた。この先に、自分が消えてしまったら里の皆はどう思うだろう。
 不甲斐ないと憤るだろうか、それとも右往左往して困るだろうか。特別な巫女がいなくなったと大騒ぎになるだろうか。だからなんだというのだろう。馨麗にそんなことは関係ない。馨麗は、そんなこと知らない。
 涙が、茶色い大きな無垢な瞳から溢れ出す。しずかに、五歳の子供とは思えない泣き顔だった。切ない思いは、胸に詰まるばかり。溢れ出した涙はゆっくりと頬を伝い、唇の端に触れた。涙が口の中に入り、しょっぱかった。
 ゆるゆると時間は流れている。
 もう夕暮れ時が近付いていた。
 彼女はじっと、涙を流している。少し泣き疲れていた。ひっくと、一つしゃくりあげて、馨麗は涙を裾で拭いた。乱暴に。まるで自分は今まで泣いていなかった、かのように。涙など流したことがない、ように。ガキ大将が鼻を得意気にさするようなそんな仕草を思わせるほど豪快に、目を拭った。
 それから大好きな散歩道を、一人鼻唄を唄いながら帰った。
 知らない歌だった。誰かが唄っていた歌。その誰かはきっと、馨麗の友達だろう。
 知らない友達、知らない歌、知らない涙、知らない笑顔。
 五歳の馨麗は何も知らない。何もかも知っているのに、何も知らない。
 
 
 ――エピローグ
 
 六歳になった馨麗は、下界、つまり里以外の体験をする為に現に降りた。
 そこには彼女の埋まらなかった何かがあった。
 五歳にして八門遁甲の陣という高度な結界を張った馨麗は、本当に知らない様々なことに出会うことになる。
 埃の匂いのする雨、星空の少ない空、きらきらと輝くネオンボード、街はまるで無機質なのに、道行く人は皆楽しそうで……。
「こんにちは」
 彼女がそう挨拶すると、ふと訝しげな顔になったその女の人は
「こんにちは、どこへ行くの? おつかい? 一人なの」
 そう言って背を屈めた。
 馨麗はふと湧き上がる衝動に押されて、頬をほころばせた。
 ニッコリと笑って、馨麗は言った。
「平気です。きょうりはもう六歳なんですから」
 『ねえ』そう言ったらこの街は答えてくれるだろう。
 独りじゃないよ、そうあたたかく答えてくれるだろう。
 
 
 ――end


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【4575/神宮路・馨麗(じんぐうじ・きょうり)/女性/6/次期巫女長】

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■         ライター通信          ■
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文ふやか
PCシチュエーションノベル(シングル) -
文ふやか クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年01月17日

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