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『真夏の鍋の後 』
藤井・雄一郎2072)&藤井・せりな(3332)
●足取り重く家路につく
 それは2004年8月、記録的な猛暑だったある日のことである。
 夕方――といっても、この時期はまだ日が高い。日中より多少弱まるとはいえ、太陽は未だ容赦なく人々に熱線を浴びせかけている。
「どうしたもんかなあ……」
 そんな夕日に照らされた街を思案顔で足取りやや重く歩く、手ぶらのがっしりとした男の姿があった。
(もし扇風機を壊してきたなんてばれたら、どうなることか)
 男――藤井雄一郎はそのもしの場合を頭に思い描き、慌てて頭を振った。何かしら困った事態になるであろうことは、この雄一郎の様子から推測出来た。
(……ばれないといいんだが)
 天を仰ぎ、ふうと溜息を吐く雄一郎。夕焼け空が非常に目に染みた。
 そもそも、雄一郎は何故に扇風機を壊してきたのか。いや、この表現は正確ではない。何故に扇風機を壊して帰ってくるはめになったのか、こちらが適した表現であるだろう。
 それを説明するには、まず雄一郎がどうして扇風機を家から持ち出したのかから始めなければならない。そうすることになった原因は、某所での悪名高き鍋パーティにあった。
 記録的猛暑となったこの時期に、何を思ったか鍋パーティを開くと聞き付けて、雄一郎は扇風機持参で参加したのである。
 これで物理的には――味覚的・精神的にはこの場合どうでもいい――無事に終わっていたならばよかったのだが、何やかんやとあった末にあれこれと物が壊れる事態となってしまったのだった。その中に、雄一郎が持参した扇風機も含まれていた訳だ。
 ……え? 壊れた扇風機を何故雄一郎が持って帰ってないのかって?
 不可抗力とはいえ、証拠の品をわざわざ自分から差し出そうとする犯人などそもそも居ない訳で。持って帰ったら、その時点でばれて勝負ありである。それに、持って帰るには扇風機はちとバラバラになり過ぎたということもあって……。まあ分かりやすい別の言い方をすれば、とっくに原型を留めていない、と。
 そういうことであるからして、雄一郎は何事もなかったかのように帰宅して、扇風機のことについてはだんまりを決め込むことにしたのだった。
 自宅への道を歩いてゆく雄一郎。途中、何人もの通行人とすれ違ってゆく。
「ママー。どうしてあのおじさん、頭が爆発してるのー? それにお顔も服も真っ黒だよー?」
「しっ、見ちゃいけません」
 すれ違った親子連れからそんな声も聞こえてきたが、思案している雄一郎の耳には届いていなかった。
 ……何事もなかったかのように帰宅するのは、今の雄一郎の状態ではちょっと難しいのではないだろうか……?

●おかえりなさい
「ただい……まっ!?」
 自宅の玄関の扉を開けて中に入った雄一郎は、すぐ目の前に妻のせりなが居たことにとても驚いた。
(ま、まさかもうばれてたのかっ!?)
 動揺する雄一郎。この状態、どう考えても帰ってくるのを待ち構えていたとしか思えなかった。
「あら、おかえりなさい。何をそんなに驚いているのよ」
 だがせりなはきょとんとした表情を、動きが固まった雄一郎に向けていた。その手には雑巾が握られていた。
「あ、いや……入ってすぐの場所に居たら、誰だって驚くだろ」
 何とか平静を装い、雄一郎はそうせりなに言った。
「そんなものなのかしら。私はただ、ここの床を拭いていただけなのよ?」
 にこにこといつもの笑顔をたたえ、せりなが雄一郎に答えた。
「拭く? おまえ、何か汚したのか?」
「そう。今日届いた宅配便の箱に泥か何かついてたらしくって、置いてた所が汚れてたから、ちょうど今拭いていたのよ。で、終わってやれやれと立ち上がったら……」
「……そこに俺が帰ってきたって訳だな」
 雄一郎はせりなから視線を外して、はあっと溜息を吐いた。いやはや、見事なタイミングで帰ってきたものである。
「それより……またサイケデリックな格好で戻ってきたものね。今日はいったい何をしてきたの?」
 雄一郎の姿を不思議そうに見て、せりなが言った。視線を外したまま、答える雄一郎。
「あー……ちょっと用事の手伝いを、だな」
「あそこのお仕事?」
「おまえの思ってる所で合ってるはずだ」
 確認するせりなに雄一郎が頷いた。別に雄一郎は嘘は言っていない。鍋パーティという用事に参加し、食べるのを手伝ってきた訳だから。それを仕事と解釈したのは、せりなの勝手である。雄一郎は否定も肯定もしていないのだから。
「ふうん、そうなの……」
 せりなはそう言い、雄一郎の頭の先から爪先まで見直した。
「だけどその様子じゃあ、ずいぶん手こずったみたいね」
「…………」
 せりなの言葉に答えず、雄一郎は無言で靴を脱いで上がった。そのまま居間の方へ向かおうとする雄一郎の背中に、せりなが声をかけた。
「そのままお風呂に直行ね。準備は出来ているから、夕ご飯前にさっぱりしていらっしゃいよ」
「……分かったよ」
 雄一郎はそうとだけ言うと、そそくさと風呂場へと向かった。そして風呂に入り、汗やらすすやらを綺麗さっぱりと洗い落とした。
「バスタオルと替えの下着、ここに置いておくわよー」
 風呂場の外からせりなの声が聞こえた。それ以外、何かを雄一郎に聞いてくる様子などない。
(よしよし、ばれてないみたいだな)
 雄一郎は安堵の溜息を吐き、湯舟の湯を両手で掬って顔を洗った。とても気持ちがよかった。
 雄一郎は風呂から上がり、下着で首からバスタオルという姿のまま台所へ向かった。冷蔵庫の中から、冷えた缶ビールを取り出すためである。
 冷えた缶ビール片手に居間へとやってくる雄一郎。テレビの前にどっしりと腰を降ろすと、缶ビールのプルトップを開けた。風呂上がりのビールを味わいながら、夕食が出来上がるのを待つつもりであった。
 とそこへ、すぅ……っとせりながやってきた。せりなはテレビを見始めた雄一郎の背後に立つと、こう話しかけてきた。
「ねえ、お風呂上がりすぐで暑くない? 汗はちゃんと引かせた?」
「大丈夫だって、これがあるし」
 缶ビールをせりなに見せる雄一郎。せりなが自分のことを気遣って、そんなことを聞いてくるのだと雄一郎は思っていた。しかし、そうではなかった。
「でも……それだけじゃ不十分でしょう? ほら、例えば扇風機なんかがあれば便利なんだけど……」
 続くせりなの言葉を聞いて、雄一郎の身体が固まった。汗がどっと吹き出してくる。
「……そういえば、家にあった扇風機はどうしたの?」
 にっこり微笑んで、せりなは雄一郎に尋ねた。直後――。
 スパーーーーーーーーーーーンッ!!!
 とってもいい音が家中、いや隣近所に響き渡った。せりなのハリセンが、雄一郎へ見事に炸裂した音である。
「また藤井さんの所よ」
「今度は旦那さん、何やらかしたのかしら……」
 ちなみに隣近所でそのような会話が交わされていたことは、非常に余談である。

●お見通しですとも
「…………」
 夕食の席、雄一郎はぐつぐつと煮立って湯気を出す『それ』を黙って見つめていた。差し向いで座るせりなとの間には、ガスコンロの上にどっしりと腰を据えている土鍋の姿がある。言うまでもなく土鍋の中には具がぎっしりだ。
「……どうせ、まともに食べてこなかったんでしょう?」
 せりなは頬杖をつき、雄一郎の顔をじっと見つめて言った。それを聞き、どきりとする雄一郎。ハリセンの一撃を喰らった後、扇風機を壊してしまったことは白状したが、鍋パーティのことまでは話していなかったのだが……?
 どうして知っているのかという視線を、せりなに向ける雄一郎。するとせりなは、ふふっと笑ってこう言った。
「私には分かるんだから」
 ええ、分かるんです。特にあなたのことですから――。

【了】
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高原恵 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年01月17日

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