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『『神々の宴会 ― 予言された涙 ―』 』
シン・ユーン2829


【一】

 神、悪魔、の定義は何でございましょうか?
 人は自分たちにとって理解不能な異能の力を持つ存在を崇め、また恐れ、そして都合の良い存在を神と呼び、その逆は悪魔と言うのでございます。
 ならば秦・十九と風見・二十が今見ているモノは、神や悪魔などとは人の都合で呼び名をつけられたモノなのでございますから、怖るるには足らぬモノなのでございましょうか?
 いいえ、違います。異能の力を持つ高位の方々はつまりどちらにでもなるという事なのでございます。その時々の気分で神にも、また悪魔にもなる。
 十九と二十にとって重要なのは、その方々の今の気分でございます。
 では、今一度、問いましょう。方々の今の気分はどうなのでしょうか? それが十九と二十にもたらすモノは……
「だ、誰?」
 二十は驚いた声を喉の奥から押し出すようにして申しました。
 ――人影のように揺らめく姿の客人に。
 それはその方々がこの世のモノではない事を証明しているのでございます。
 彼らが居る場所は朱塗りの正門から屋敷へと続く一本道で、
 彼らはそこで訳もわからずに十九の師匠であり、二十の御家人である桜雪の手紙にあった通りに百八つ雪玉を作り、世話人が御神酒をかけたそれを一本道の両脇に積み上げていただけなのでございます。
 そこへ次々と現れた方々。人影のように揺らめくその姿。しかし驚いた事に十九と二十が作り、御神酒をかけられ、積み上げられたその雪玉を方々が手にした瞬間にそれは仮面へと変じ、その仮面を方々が付ければ、また驚いた事に方々のお姿が着物姿へと変じるのでございました。
 十九も二十もそれを驚いたように見つめております。
 無論、先の語りにてここが双子たちがいつも暮す地ではない事はわかっておいででありましょう。
 刻は大晦日の晩。地は、雪で閉ざされた山奥。隠れ里のように広がる本家でございます。言わずと知れたユーンがかつて暮していた場所。故に双子たちもここに居るのでございます。
 十九は次々と雪玉が変じた仮面を身につけ、着物をまとった身となって、屋敷の中へと入っていく方々を二十と一緒になって見つめながら、これまでの事を思い返しておりました。


 
 +++


「人ではございませぬな、それらは」
 ユーンの顔を見れば、怒りと困惑、悲しみ、様々な感情を織り交ぜた表情が浮かんでおりまして、そしてその織り交ぜた感情の中でも特に怒りの表情が強いのが十九にはわかりました。
 故に門の前に立つ老婆の言葉には抱く感情も多々ありましたが、しかし十九も二十も納得して、敷地内にある離れに行ったのでございます。
「すまないな、十九、二十」
「ううん。ユーン。こっちの方がいいよ」
「そう。あっちは嫌だ。こっちがいい。ユーンもこっちに居るんでしょう?」
「いや、悪いが俺は本家の方で仕事があるから、おまえらと一緒にこっちには居られない」
「どうしても?」
 顔を横に振るユーンに二十が更にお願いしようとしますが、しかしそれを十九が制しました。
「こら、二十。我がままを言っちゃあダメだろう」
 そう十九に諭され、自分の着ているコートの袖から手を放した二十にユーンは苦笑を浮かべまして、そうして二人にそっと呟いたのでございます。
「俺もできるならこっちの方がいいがな」
 告白されたユーンの本音に十九と二十は顔を見合させて、くすくすと笑いあいました。その小さな笑い声は深く積もった雪に全ての音が吸い込まれているかのように静まり返ったその場では充分なぐらいに響いて、いつも時計の秒針が絶えず刻を刻み続ける『羈絏堂』に暮す十九にはそれもあって、彼の心をどこか安心させたのでございます。静寂、は苦手なよう。
 人ならざる者であるから本家への立ち入りは禁じられましたが、しかしそれ以外は二人は客人としての扱いは受けたのでございます。
 離れには二人のお世話をする者もおりました。
 縁側に座り、しんしんと降る雪を眺めている十九と二十。その二人の下に近づいてくる者がおりました。
 真っ白な雪の園に足跡を刻みやってくるのは線の細い女性でございます。雪のように白い肌をし、桜の柄の着物を着込んだその女性は、縁側に座り込みお菓子を食べている二十と、礼儀正しくぺこりと頭を下げた十九を見据える瞳を柔らかに細めました。
 十九と二十の世話人はその人の姿を認めると、慌てて縁側から雪の上に降りて、その人に近づいていくのでございます。
 そう、その人は蒼月・桜雪。または風見・桜雪。本来は姓は持たぬが世間的にはその二つの姓を名乗り、二十の御家人であり、十九の師でもある女性。
 そしてもうひとつ、『桜守』。古の血族のひとつである【護りの森】の当代頭首である者。
「久方ぶりだねー、二人とも」
 桜雪はにこりと微笑んだ。本家への立ち入りは禁じざるをえないが、しかし桜雪は二人の事は決して嫌いではなく、友好関係にあるのでございます。
「お久しぶりです、桜雪様」
「お久しぶりです、桜雪様」
 元気よい挨拶をしてくる二十と、丁寧に挨拶をしてくる十九に平等に微笑みをくれてやってから桜雪は二人と同じように縁側に腰を下ろしました。
「寒くはないかい?」
 優しく問う。
 二人は顔を横に振りました。
「全然。雪がこんなに降ってるのを見るのは初めてだし、それにここに来るのも初めてだから、見てるのが楽しいんです」
 二十はお菓子を食べながらにこりと笑う。
「十九は?」
「やっぱり雪を見てるのは楽しいです。それにここならユーンが来た時にすぐにわかりますから」
 ユーンの名を口にした十九は果たして気付いたでございましょうか? その名前を口にした瞬間に桜雪の黒瞳に冷たい光がほんの一瞬宿った事に。
「そうか」
 しかしそんな冷たい光は紡いだ言葉には一切に込めずに桜雪はそう答えると、縁側から腰を上げました。
「すまないね。明日に備えて少しバタバタとしてしまっていて、貴方たちのお相手もままならない。本当ならゆっくりとお喋りをしたいのだけど」
 どこか儚げな印象がする美貌に苦笑を浮かべると、桜雪は閉じていた傘を開きました。
「あなたたちにも明日は手伝ってもらうよ」
 にこりと微笑みながらそう言って、桜雪は先ほど刻んだ足跡をもう既に埋めてしまった雪への嫌がらせをするようにもう一度真っ白な雪の園に足跡を刻んで、来た道を戻っていきました。
 結局、忙しい最中に彼女がここに来たのはそれでも自分たちの顔を見に来てくれたのだろうか? 十九と二十は互いに顔を見合わせて、そんな事を口にしておりました。やはり刻んだそこから彼女の足跡が雪に埋もれていくその中で。
 そうして、大晦日の朝を迎えた時、二人は世話人から昨日、桜雪が申していた事なのであろう事が書かれた手紙を受け取るのでございます。
 それにはこう書かれておりました。



 おはよう、十九、二十。
 貴方たちにやってもらいたい事があります。
 二人で百八つ、雪玉を作りなさい。
 そして作った雪玉に世話人が御神酒をかけますから、御神酒がかけられたそれを朱塗りの正門から続く一本道の両脇に積み上げていってください。
 お願いしますね。
                                    桜雪



「何だろう、これ。雪玉なんて積んで、どうするんだろうね、十九?」
「わからない。でも桜雪様がやって欲しいと言うのだから、やらなくっちゃ」
「うん、やらなくっちゃ」
 そして十九と二十は桜雪に言われた通りにそれをやりまして、
 今に到るのでございます。
「あァ、お前は人でも獣でもないね。我らになにも感じないのだから」
 それは先ほどの二十の言葉への答えでございましょう。
 そして……
「入らないのかね?」
 方々がそう問うてきました。
 十九は顔を横に振ります。
「禁止されています」
 彼はきっぱりと言いました。
 すると方々が仮面の下で笑う気配がしたのでございます。
 それは濃密に雪が降る大晦日の晩の厳かな空気の中にあってはいささか不謹慎さを感じさせるような落ち着きの無い悪戯めいた笑いでございました。そんな気配が濃密に方々の間の中で伝染していくのです。
 そして方々は驚いている十九と二十を取り囲んだかと想えば、
「気に入ったよ」
 と、くすくすと笑いながら二人を中へと運んでいくのでございました。



【二】


 あの子は自分の半身であったのだ……


 それを桜雪は心の奥底から強く想っておりました。
 そう、あの子はユーンや風鈴屋だけではなく、彼女にとっても大きな存在であったのでございます。
 本家の頭首である桜雪は、人ではなく神と精霊の間の様なやや曖昧な存在でございました。
 そしてあの子とは互いの半身のようなものであったのでございます。
 故に……
「ユーン」
 本家の屋敷の縁側を慌しそうに歩いていた(半ば走って)ユーンを見た時、十九がその名を口にした時と同様に黒瞳に冷たく鋭い光を宿らせたのでございます。
 おそらくは今降る雪の結晶を寄せ集めて凝縮し鍛え上げた刀剣を持ってしても、桜雪の瞳に宿る冷たい光にはその温度も鋭さも比べるまでも無く劣る事がわかりましょう。そう、それほどまでに桜雪はユーンを憎んでいるのでございます。
 桜雪が絶対零度をも越える温度の瞳で見据えるのであれば、ユーンはそれを無感動に受け止めるのでございます。互いが互いを激しく嫌いあっているというよりも……
 ざぁ、っと降り積もっていたはずの雪が再び虚空を舞ったのは桜雪が足下の雪に当たるように身を翻らせたからでございましょう。そのまま彼女は早足で雪が降る中を歩いていくのでございます。
 そして一本の木の下まで来ると、その木に抱きつきながら大声をあげるのでございました。
「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーー」
 それはまるで悲鳴のようでございました。
 心の奥底の、またその奥底にある、暗い暗い暗い深淵のそこから吐き出すような、暗く冷たい、そして哀しい感情でございます。
 どうしようもなく心が不安定で、
 苦しくって、
 哀しくって、
 いっそう心なんて壊れてしまえば、
 そうすれば自分は楽になれるのに……。
 あるいは人というか弱き存在ならばとうの昔に狂い死にしているのであろうか?
 ならば桜雪は今ほど自分というモノを憎憎しく想った事はございませんでした。
 その感情のままに桜雪はばん、と木の幹に握り締めた拳を叩きつけるのでございます。
「危ない、桜雪様」
 あがった声は普段の冷静さを失っているかのように想われた。誰の声?
 それを桜雪が想った瞬間に、彼女の頭の上に雪が降ってきた。幹を叩いた振動で枝から落ちた雪だ。
「大丈夫ですか、桜雪様?」
 駆け寄ってくる人物に桜雪は雪をかぶったまま視線を向けた。
「ホー」
「はい、ヴィス・ホーでございます。ああ、こんなにも雪をかぶってしまわれて。お風邪をめしますぞ」
 ホーは慌てて桜雪の頭にかぶった雪を手を伸ばして払った。
 彼は男にしては小柄で背が低いが、標準の身長である桜雪程度であるならば、なんとか彼女が頭にかぶった雪を払いのける事ぐらいはできたのでございます。
 桜雪の結い上げた長く美しい髪を丁寧に撫でるように雪を払いのける。桜雪は幼い子どものようにホーにされるがままにしておりました。
「ユーンに出会ったのでございますか?」
 桜雪はこくりと頷いた。
 ホーは深刻そうな顔をし、そして口を開きかけて、やめた。
 その後は何事かを考えているような顔をしていましたが、その彼に桜雪は言ったのでございます。
「わかっているの。大人気なく彼に八つ当たりしているという事は。でもユーンは、彼はあの子がいなくなる直前まで最後まで一緒に居た人だから。だから……」
「何も、言いまするな。わかっております。あなたのお気持ちも。俺にはあなたのお気持ちもわかりますから、だから何も言わなくっても大丈夫です」
 桜雪は着ている着物が汚れるのもかまわずにその場に座り込みました。
 涙目で驚きを隠せないでいるホーの赤い髪に縁取られた顔を見るのでございます。
 そして彼女は幼い迷子の子どもが通りすがっていく大勢の人の中でただひとり、声をかけてくれた人の服の裾にすがりつくように手を伸ばすように、言葉を……心の嗚咽を紡ぐのでございます。
「ねー、ホー。本当に……本当にあの子は生きているの……」
 それは問いかけ。
 そこに込められた彼女の願いは痛いほどにホーにはわかっておりました。だから彼は頷くのでございます。
「ユーンが風鈴屋に聞いたのです。そして風鈴屋にも問うたのです。それは本当かと。そうしたら彼は本当だと申しました。だからあの子はきっと無事に生きております」
 ホーがもう一度頷くと、桜雪は彼の両腕を手で掴みました。すごい力を込めて。
「本当に? 本当にそうなの? だって、だって私はその事を聞いてから必死にこれまで以上にあの子を探したのに、なのにあの子はやっぱり見つからなくって……」
「ですから明日の大晦日の晩に八百万の神々にお伺いを立てるのでございましょう? 異界にも通じる方々なれば、何かわかるやもしれぬと。それに希望を持ちましょうぞ」
 優しくそう言葉を紡ぐホーに桜雪は幼い子どものようにこくりと頷いたのでございました。
 雪は降り続けます。
 世界の全てを白で、塗り染めようとするかのように。



【三】


 久しぶりに感じる、この心が暗く沈みこんでいく感じ。


 ざわざわと大勢の人がその場におりましたが、しかしユーンに声をかける者はございませんでした。
 そう、所詮はユーンは殺人の道具。
 汚れた不浄なる存在。
 拭える事のできない溝はユーンの心の中にも、そして周りの人間の中にもあるのでございます。
 地位的には分家の当主でございますが、しかしユーンへの扱いは腫れ物に触るようで、誰もユーンとは喋りませんから、ユーンは自分で仕事を見つけて、その作業に没頭します。そうやって再びこの家のあちこちにある暗い闇から伸ばされる触手から逃げているのでございます。
 当然、心は疲弊していきます。
 思い出したくも無い過去。
 いいえ、いかに手を洗おうが落ちる事の無い血は常に見ておりました。自分の身を汚す、今まで殺した者どもの返り血は。
 だけどそれが、心が疲弊していくのと同時に、濃くなっていくのです。
 ぬめりと、感触をともなうのです。動くたびに。
 それは鮮明にユーンの心を捉え、
 嗅覚はこびり付いていた血の匂いを濃密に心に伝えてくるのでございます。
 寝具の用意を整えたユーンはそれに寝転がりたいという衝動を堪えながら縁側へと働くふりをしながら逃げました。
 いいえ、働くふりなどせずとも、別にサボっても文句は誰も言いますまい。ユーンがそこに居て、眉をひそめる者は居ても、居なくなったユーンに眉をひそめる者は誰も居ないはずなのですから。
 庭を覆う真っ白な雪を、しんしんと降り続ける雪を眺めながらユーンは溜息を吐きました。
「やれやれ、すっかりと忘れていたな。子どもたちは大丈夫だろうか?」
 それだけ心が疲弊し、自分から余裕を奪っていた事にユーンは自己嫌悪を覚えました。そう、ほんの少し目を離した隙に大切なモノが無くなってしまう事は身に染みてわかっていた事なのですから。
 なのに……
「……俺は忘れていた」
 それだけ辛かったんだ、ここが、
 という事は言いたくは無かったのですユーンは。
 だからこそ彼はぎゅっと下唇を噛み締めました。
 そしてそれはそんな時でした。彼が十九と二十の事を想い、双子が居るはずの離れへと視線を移したそこに桜雪が居たのでございます。
 何を言えばいい?
 それがまず彼の心に浮かんだ事でした。
 そう、ユーンにもわかっているのです。彼女が自分を恨んでいる事が。
 自分はあの子が居なくなったその時に最後まで一緒に居た人物。もしもそれが自分ではなく友人の風鈴屋だったとしても、彼は桜雪と同じように最後まであの子と一緒に居て、みすみす行方不明にしてしまった者を許さなかったはずなのですから。
 それがわかるからこそユーンは桜雪に何を言えばいいのかわからず、そして彼女に何か言い訳をするべきでもないという事もわかっているのです。
 虚空を舞う、蹴り上げられた雪。身を翻す桜雪。そのまま彼女は行ってしまい、後にはただ縁側に佇むユーンが残されました。
 彼は桜雪の姿が見えなくなると、そのまま縁側から雪の上に裸足で降りて、
 そして冷たい冷たい雪の上に座り込み、
 両の瞳から涙を流しながら、
 光など微塵も無い灰色の空を見上げるのでございます。
 師匠に拾われた時には、あの灰色の空の上にもどこまでも広がる青い空があると信じられた。
 風鈴屋にあの子が生きている事を教えられた時は本当にものすごく嬉しくって、希望を持てた。
 だけど今はすべてが否定的だった。思考は後ろ向きに向う。
 必死に両手の中に蓄えていた何か生きる上でとても大切な色んなモノがすべて指の隙間から零れ落ちていくようだった。
 ただただ疲れたのかもしれない。
 いったいそうやってどれぐらいしていただろう?
「ユーン、おまえが風邪をひくと、十九と二十が心配するぞ」
 それはどこか親に怒られて近くの公園に家出をした弟を迎えに来た兄の苦笑混じりの優しい声に聞こえました。
「ホー」
「久方ぶりだな」
「ああ」
 声だけをかけて、決してユーンの今の顔を見ないのは、それはホーが優しいから。ユーンは迷子になった暗い真夜中の森で、家の灯火を見つけた時かのような安堵の情を覚えました。
「桜雪様は先ほど湯に浸かり、体をお温めになられて、今は休んでおられる。おまえも湯をもらってこい、ユーン」
 そう言いながらホーはユーンの右腕を掴んで、彼を引っ張り起こした。
 そして、彼は何もかも無くしてしまったかのようなユーンに言うのでございます。力強い口調で。そしてとても優しく温かい口調で。
「確かに昔のおまえは殺人人形だったかもしれない。だけど今のおまえは十九と二十の保護者だろう? あの二人はおまえじゃなきゃ、ダメなんだ。あの二人にとっておまえは誰にも何にも変えられない大切な存在なのだから」
 その言葉にユーンは両目を見開きました。
 そして小さく口だけで笑みを浮かべ、ホーの背中に自分の背中を合わせて、彼にもたれかかるのでございます。
 ユーンは唇を動かし、そして背中に伝わってきたその振動にホーは頷いたのでございました。



【四】


 次々と本家には八百万の神々が来られました。
 皆様、用意された座布団の上に腰を下ろして、くつろがられました。
 雪の中で露天風呂をもらう方々や、用意された美味しいお酒や料理を堪能なされる方々。
 美しい娘たちの踊りに楽しそうに見入られる方々。
 皆様、本当に楽しげにそれぞれに時を過ごしておられました。
 ただしかし、方々のお世話をする者たちが小首を傾げる事柄があったのでございます。それは方々の数とお出しする料理の数が合わない事でございました。
「どうしましたか?」
 廊下からわずかにひそめたユーンの声が聞こえてまいりました。
 そしてその騒ぎの元を作った張本人はにこりと微笑んで、渋い表情をしている隣の十九の服の袖を引っ張るのです。
「聞こえた、十九。ユーンの声だよ」
 エビの塩茹でを食べながら嬉しそうに言う二十にかすかに溜息を吐いてから、十九は頷きました。
「うん、ユーンの声みたいだね」
「驚くかな、ユーン?」
「怒られると想う」
「怒られるかな?」
「うん」
「困ったね」
「うん、困ったね」
 そして二十は方々のひとりがくれた枝豆を食べながらうーんと唸るのです。せいぜい表情だけは深刻そうに。
 ここに来たのは自分たちの意思でございません。方々が悪戯心を起こして連れてきたのです。でも結果だけを見れば、入ってはいけないと言われていた本家に入ってしまったのですから、ユーンにものすごく怒られるかも。
 それは嫌だなー。
 二十は鮎の塩焼きを食べながらうんうんとうめきました。
 そうしてユーンが部屋の中に入ってきたのです。
 その彼の顔を見て、口にくわえていた鮎の塩焼きの隣に置かれていた生姜を二十はぽろりと落としました。
「二十、怖いよ、ユーン」
「うん、なんかいつもと違う」
 時計に囲まれた自分たちの家で常日頃見ているユーンとは確かにそこに居る彼はまったく違う人間に見えました。
 ああ、もう自分たちがここに黙って侵入した事が(でも、方々が無理やり面白がって自分たちをここに連れ込んだ事だけは絶対に主張する)、バレたのだろうか?
 十九と二十は互いに互いの不幸を嘆きあいました。
 しかし二人は気付いてはおりませんでした。
 自分たちが方々によって、たとえユーンでもその存在に気付かないように守られている事を。
 そしてユーンからはいつもの冷静さが失われている事に。
 そう、確かにユーンはいつもの彼と違っていたのでございました。



【五】


 ユーンは落ち着きを無くしている。
 心がアンバランスなんだ。
 ユーンだけでなく桜雪様も。
 心が押し潰れそうなんだ、二人とも。



 ホーは苦々しい気分でユーンと桜雪を見つめておりました。
 そしてその彼の目には覚悟の光があったのでございます。もしもの時は自分が二人をなんとかせねばならない、と。
 そう、彼にとっては確かにユーンも桜雪も大切な人たちなのでございます。
 宴会はいよいよ盛り上がっていきます。
 予感めいた感情がホーの左胸をぎゅっと苦しめる。
 自分ですらこんなにも予感めいた感情に溺れて胸を痛めるのだから、あの二人はさらに苦しいはずだ。
 ホーは見つめます、二人の背を。
 先に身を前に出して、方々に申し出たのは桜雪でございました。
「お願いします。どうか、どうか神々よ。私に私の半身であるあの子の居場所をお教えください」
 鬼気迫るような声で彼女はそう申しました。それだけで桜雪の悲壮で切実な想いが伝わってくるのでございます。
 しかし、
 方々はそれに答えようとはしません。
 美味い酒に酔いしれ、豪勢な料理をたらふく食らう方々にはそれすらも届かないのでございます。
 神々は桜雪の声に耳を貸さずに宴を楽しんでおりました。
 踊っていた娘たちは踊りをやめました。
 接待係も動きを止めました。
「神々よ、どうかお答えください」
 それはもはや悲鳴でございました。
 断末魔の絶叫かのような声でございました。
 ですが、方々は耳を貸しません。
 正座して座るユーンもぐぅっと拳を握り締めておりましたが、しかしついにその拳を畳の上に叩きつけたのでございます。
 ざわりと空気がざわめきました。悲鳴をあげるように。
「落ち着け、ユーン。神々よ。我らが求めているのはただ一つの事だ」
 ホーは方々に訴えました。
 片膝をついたまま腰を上げるユーン。
 その隣で身を前に乗り出させて、「方々。どうか、どうかお願いしまする」懇願する桜雪。
 宴会場の空気はどんどん異様なモノへと変質していく。
「もはやここまでか。所詮、神は己が気まぐれで蜘蛛の糸を罪人の前に垂らしもすれば、切りもする。神は無慈悲なのだ」
 ホーは二人の肩に手を伸ばしました。しかしその指先が彼らの肩に触れようとした瞬間にごーん、と除夜の鐘が鳴り響き始め、
 そして、方々の中からひとりの少女が飛び出したのでございます。
 それは白銀の長い髪を空間に舞わす少女でございました。
 しなやかに彼女は舞いを披露します。先ほどまで舞いを披露していたどの娘たちよりもその舞いは美しいモノでございました。
 いつの間にかユーン、桜雪、ホー、そして十九や二十の眼も釘付けにしておりました、その彼女の舞いは。
 虚空に踊る白銀の髪に縁取られる彼女の顔の大きさは大の男の手の平程度。その彼女の顔の上半分は狐の面に覆われておりまして、晒されている口許には笑みが浮かべてありました。
 彼女は舞いを踊ります。
 それは時に男に恋する少女の切ない想いを表し、
 それは時に男に対する鬼のような女の情念を表しておりました。
 少女は舞いで表現します。女の気持ちを。
 そうして人の煩悩の数、百八つの鐘が鳴り終えた瞬間、
 少女は狐の面を外し、揺らめく影となって、口を開けて、そして言うのでございます。
 希望と言う名の残酷を音声化させるのでございます。言葉を使って。
 そう、パンドラの箱に最後まで残っていたのは希望。希望が何故この世のすべての厄災が封じられていたパンドラの箱に入れられていたのでしょう? 答えは簡単でございます。希望が人を惑わし、不幸に追いやるからでございます。希望を……明日を夢見て、明日こそは、と人は言い続け、不幸になる、そう考えるモノも確かに居る。故にそう神話は生まれたのでございましょう。
 では、ユーンは、桜雪は?
 神が口にいたしますのは希望。
 託宣。
 さあ、答えてやろう。
 おまえらが欲する、あの子とやらとおまえらが絡む未来を。



「風鈴の音色は目を探す。
 目は涙を流し続ける。
 刻は止まったから。
 それはあるべき世界の理。
 曲げる事はできぬ事。
 風鈴は刻の想いを継ぐか。
 それが先の事。
 ならば刻がすべき事は何?
 刻よ、諦めろ。太陽を。
 目は泣かせたくないならば、諦めよ。
 おまえを闇から照り出してくれた太陽を諦めろ。
 おまえの太陽は異形なる者どもを照らすモノ。
 故に欲せられるモノ。
 手を出すのであれば、
 再び取り戻そうとするのなら、
 ならば汝は再び己が手を真っ赤な血に染めるであろう。
 太陽は照らしているのだから闇を。
 太陽は沈んでいる闇の海に。
 刻は作り出すか、新たなる世界を。
 それもいいだろう。太陽は再び汝を照らすかもしれない。
 目が泣く事には変わりはしないが。
 刻よ、選べ。
 己が手を再び血に染めて、己だけ太陽に照らされる光の中の氷に閉ざされた世界に立つか、己が世界となって、太陽に照らされるか。
 しかし、努々忘れるな、太陽を求めれば、おまえは目を泣かせる。
 目は泣き続ける。
 風鈴が奏でるは鎮魂の音色。
 標は九つの頭を持つ龍が住む場所か。
 刻よ、針を動かすか止めるか、それは汝の心次第。
 目を泣かすか、
 太陽を求めるか、
 それは汝の心次第。
 努々忘れるな。
 ―――――」



 ホーは固まった。
 絶句していた。
 そしてユーンを見つめていた。
 わかっておりましたから、少女の姿をした神が告げたのがユーンとあの子の未来である事が。
 揺らめく人影のような姿をした神は、九つの尾を持つ白銀の狐となると、自然に開いた障子の間から闇夜の向こうへと消えていき、
 そしてそれを追うかのように、他の方々も元の姿を取り戻し、濃密なる夜の帳に吸い込まれるように消えていくのでございます。
 残されたのはホー、ユーン、桜雪、十九、二十、その他の家の者。
 そして不吉な、託宣。
「―――――――ッ」
 上げられたのは桜雪の声にならぬ声、でございました。
 そうして彼女はユーンの胸元を鷲掴んで押し倒すのでございます。
「どうして貴方独りでここにいるの?」
 桜雪が言ってる意味はもちろん、ユーンにはわかっております。
 あの日、あの時もそう言われましたから。
 そしてユーンは、
「申し訳ありません」
 そう、あの日、あの時と同じ事を言うだけなのでございます。
 ヒステリックに我を無くし泣き叫びながらユーンを責める桜雪。その彼女を横合いから抱きしめて、ホーは必死に諭します。
「どうか気を確かに、桜雪様」そして彼はユーンに視線を走らせます。「ユーン、俺に任せてここを去れ」
「……すまない」
「ねぇ、ホー。どうして皆居なくなるの? ユーン、貴方が皆を殺したの?」
「いいえ。さぁ、部屋へお戻りを」
 ぐったりとした桜雪を支えてホーは隣の部屋へと続く襖を開けました。
 そのホーの背に俯くユーンは声だけをかけます。
「……ホー」
「なにもできない俺だが、これぐらいはできるさ。気にするな」
 ぴしゃりとそうして襖は閉じられ、その襖の向こうからは延々と桜雪の悲鳴のような泣き声が聞こえてくるのでございました。
 ……。



【終幕】


「勝手に入ってごめんなさい」
「怒ってる……?」
 しゅんとした声でそう聞いてくる十九と二十にユーンは顔を上げました。
「いや」
 ユーンは顔を横に振りました。その時には彼の顔にはいつもの優しく穏やかな表情が浮かんでいるのでございました。無理をしているのが見え見えでしたが。
 立ち上がるユーン。
 そのユーンの右腕の袖を十九が、左腕の袖を二十が掴み、引っ張るのでございます。東京がある方角へと。
 それにユーンは驚いたように両目を見開き、そして苦笑するのでございました。
 そしてユーンは十九と二十と共に、元旦になったばかりの夜の空の下を、雪に足跡を刻んで歩いていくのでございます。
 十九と二十はいつもよりも賑やかにしておりました。
 感じているのでございましょう、ユーンが抱くモノを。だから双子たちは。
 そして確かに十九も二十も聞いておりましたから、あの託宣を。
「あぁ、大丈夫だよ、子どもたち。帰ろうか……、東京へ」
 そして朱色の正門をくぐったユーンの前にホーが立つのでございます。
 十九と二十はホーに頭を下げ、
 ユーンとホーは互いに微笑みあい、
 そして同時にユーンは何かをふっきり、覚悟した光を瞳に宿し、
 ホーは哀れむかのような光を瞳に宿すのでございます。
 ですがホーはユーンに自分が何を言おうが無駄な事はわかっておりました。ですからホーは、
「また会おう」
 そう告げたのでございます。ユーンに。
「ああ、また会おう」
 そしてユーンもそう誓ったのございます。



 目は泣き続ける。
 刻は止まる。
 神は不吉な託宣を告げた。
 果たしてそれは変えられない運命なのでございましょうか?
 それはわかりません。今は誰にも。
 しかし、ユーンは覚悟してしまいました。
 目指す地は九龍。
 ですが、その前に……



「帰ったらおせち料理を作らなければな」
 ユーンはそう言い、
 双子たちはちょっと……いえ、非常に焦った表情をして、それぞれが手に持っている風呂敷包みをユーンに見せるのでございます。
「おせち料理貰ってきたからユーン」
「うん、たくさんもらってきたから、炬燵に入ってのんびりとしよう」
「精霊たちもお散歩」
 壊れた玩具のように手を振って話を必死に切り替えようとする二人にユーンは苦笑しながら小首を傾げ、そしてそのユーンの顔に十九と二十は雪玉をぶつけて、
 静かな静かな元旦の厳かな夜にユーンや十九、二十の楽しげな声が響くのでございました。
 こうして新たなる年は始まったのでございます。
 あの子を中心として運命がどうしようもない悲劇へと向う、皆の忘れられぬ年が。
 ただ今は、ユーンたちは一緒に居られる時を、楽しむのでございました。



 【了】


 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┏┫■■■■■■■■■登場人物表■■■■■■■■■┣┓
┃┗┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳┛┃
┗━┛★あけましておめでとうPCパーティノベル★┗━┛゜

【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【2829 / シン・ユーン / 男性 / 626歳 / 時計職人】


【2794 / 秦・十九 / 男性 / 13歳 / 万屋(現在、時計屋居候中)】


【2795 / 風見・二十 / 男性 / 13歳 / 万屋(現在、時計屋居候中)】


【3859 / 蒼月・桜雪 / 女性 / 600歳 / 『桜守』】


【4171 / ヴィス・ホー / 男性 / 718歳 / 【鍛冶屋】】



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■         ライター通信          ■
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こんにちは、シン・ユーンさま。
こんにちは、秦・十九さま。
こんにちは、風見・二十さま。
こんにちは、蒼月・桜雪さま。
こんにちは、ヴィス・ホーさま。
明けましておめでとうございます。^^
このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
今回はご依頼ありがとうございました。



今回は本家でのお話、という事でプレイングに書かれていた本家の雰囲気や、
神々の設定、それに十九さんや二十さんの雪玉作り、そういう不思議な感じのする描写が、読んでいて心惹かれました。^^
すごく読んでいて面白かったです。
書くのはもっと。^^
そして本家での大晦日と同じように今回のプレイングで惹かれたのがあの子の事ですね。^^
本当にユーンさんはどうなるのですか?
初めてシチュであの子絡みのお話を担当させていただいてからずっと気になっていた事ですが、本当にさらにラストが気になります。^^
今回お任せしてもらった……って、ネタバラシになってしまいますね。^^;


ユーンさんを書かせていただけるのは本当に楽しいです。
双子に接する時の優しいお父さんのような表情と、本家での暗い感じをちゃんとかもし出せていたらいいなと想います。^^


十九さんはやっぱり二十さんのお兄さんのような描写をしてしまいます。
そして二十さんは年相応の子どもっぽい描写が楽しく。
二人の不思議で神秘的な感じは本当に大好きで、もっとそういうモノを書けるようになりたいです。^^
(や、でも今現在のままいくのなら、ユーンさんの物語の最後で二人を泣かせてしまうのですね。((((><))


桜雪さんはどこまでも女性、という感じがプレイングと設定から伝わってきました。
あの子への想いは半身への想いであり、女の想いであり、母親の想いなのかなー、と。
彼女が持つ弱さ、そういうのを出してみたいと想い、今回のように。
これからの物語でまた彼女を書く機会がいただけるのでしたら、次は彼女の成長していく姿を描けたらな、と想います。
(すみません。脳内では物語ラストの壮絶なユーンさんと桜雪さんの姿が延々と浮かんでおります。^^;)


ホーさんは、ユーンさんと桜雪さんの良い仲介役なのですね。^^
ユーンさんとの友情、信頼関係がプレイングからひどく感じられ、今回はあのようなお兄さんのように。
しかしプレイングに書かれていた彼の台詞を見ると、ホーさんもまた何かを抱えているのですね。
一体彼が何を抱え、そして今後、ホーさんはどのような動きを見せるのか非常に期待大ですね。(拳)
あ、や、それとホーさんと桜雪さんの描写は何となく二人とも互いに惹かれあっている、
もしくはホーさんが桜雪さんを好いているような感じになってしまいました。
すみません。僕の趣味です。(−−;
PLさまの中ではお二人の関係はどうなのですか?^^



それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
ご依頼本当にありがとうございました。
失礼します。
あけましておめでとうパーティノベル・2005 -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年01月12日

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