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『■この手にあるもの■ 』
麻生・光希2937

 ベッドの上に腰掛けていた麻生・光希(あそう・みつき)は、ふとした物音で顔を上げた。
 なんのことはない、ただ、それは小刻みに時に忠実に動く秒針の音だった。
 珍しく、ぼうっとしていたようだ。
(すっかり幸せボケしたものだな)
 ぼんやりと、そんなことを思う。

 最近、恋人が出来た。

 それは、一般には喜ばしいことなのだろう。
 事実、光希だって幸せなのは確かだ。
 だが、と、光希はふと、昔死んでしまった恋人のことを思い出す。
 25年間の光希の人生の中、一陣の風のように通り過ぎていった彼女のことを。
 彼女が死んでから、一度でも彼女のことを忘れることはなかった。寧ろ、既に心の一部だったのかもしれない。忘れられることが出来なかった。

 ───このまま、彼女のことを忘れてしまっても良いのか?

 忘れることが、果たして本当の幸せと呼べるのだろうか。



 人が、遺して行くものはあまりにも大きい。
 それが無二の愛する者と想いあっていたのなら、尚更だ。
 けれど、死は突然にやってくる。世の中は不公平なのに、ただそれだけは平等に、誰の上にも突然に。
 愛する者を亡くした時、人は其々に夢を見る。
 それは、決して取り戻せない過去の思い出。
 光希は、「新しい恋人が出来たから」と、「愛する人が新しく出来たから」と、簡単に割り切れる心の持ち主ではない。そんな彼だからこそ、かつて死した恋人と、今の恋人の愛を得ることが出来たのだろう。
 ───もし、今の恋人すら喪うことになってしまったら?
 光希の頭の中に、そんな考えがふと浮かび上がる。生涯の恋人・伴侶と想ってやまなかった者に死なれた者は、誰しも一度はその考えが浮かぶだろう。
 多分、今度こそ人を異性として愛することは出来ないだろう、と思う。



 部屋が暗くなってきた。
 カーテンを閉めようと立ち上がり、窓に近寄った光希は、カーテンを持ったその手を硬直したかのように止めた。
<じゅしじょう ろっか───>
 かつての恋人の声が、聞こえた気がしたその瞬間、彼は一面の雪の世界にいた。
「いるのか」
 光希は辺りを見渡す。ふわり、と何か暖かな風が横切った気がして、夢中でそれを追いかけ走った。
<せんじょう ろっか───>
「どこだ!?」
 彼を知る者がもしこの場にいたら、普段の彼らしからぬこの言動に驚きを隠せなかっただろう。だが、光希にはそんなことはどうでもよかった。
 ここがどこで、何故自分がここにいるのかということも頭になかった。
 白い自分の息。吐き出されるピッチが極限までに達したと思った時、彼はようやく立ち止まった。一面の雪景色───その中に、立ち竦む。
 あれは───確かに、かつて愛していた者の声。言葉。
 間違いない。
「扇状六花、広幅六花、樹脂状六花───」
 六花、六花、二花三花。
 どれも、彼女に教わった、雪の名称だ。
 彼がその言葉を口にした途端、ふわりと「風」が光希の頬を撫でるように「現れた」。
 この雰囲気は、知っている。確かに、かつて光希が愛し愛され止まなかった恋人のもの。
<あなたの『中』は、こんなにも雪で埋め尽くされてしまっていたの───>
 「風」がたおやかな声ならぬ声で光希の頭に語りかけてくる。
 ここは、光希の「中」。
 彼女が死んでしまってからは、一面の雪景色となった。

 花の温度はどれくらい?
 寒い地に咲く花蕾
 凍てつくそこにも奇蹟が咲くの
 たとえ そこが極寒の地でも
 住むところもなく さ迷い歩いたすえ 朽木の根元に倒れ伏しても
 私は あなたに 還りたい
 扇状六花 広幅六花 樹脂状六花

 ───かつて、彼女が冗談半分に光希に詠んで聞かせた詩だ。
 あの頃は、何もかもが幸せだった。確かに、幸せだったのだ。
<でも>
 哀しみに唇を噛み締める彼に、「風」は一所を「指差す」。
<あの樹が、あなたの中にできたの>
 見ると、遥か遠くのほうに、小さな、雪の中に悠然と立つまだ若い桜の木があった。心なしか、その樹の周囲も薄桃色で暖かそうだ。
「ああ」
 光希は、理解した。
「あれは、彼女だ」
 今、確かに愛している新しい恋人。
「彼女だ───」
 ひゅるりと風が優しく微笑むかのように、通り過ぎてゆく。いつの間にか涙を流していた光希を一瞬の間だけ、包み込むかのように。



 気がつくと、元の自分の部屋に戻ってきていた。
 いや、本当にはずっと、ここにいたのかもしれない。精神だけが、あの場所に行っていたのかもしれない。
 ふわりと、胸の奥に暖かさが残っているのを感じる。
 かつての恋人が既に心の一部になって、もしも一生離れないのだとしても。
 そんな光希と出逢い、今の彼女は愛してくれたのだ。
 ふと握ったままの掌を開いてみると、かすかに桜の花びらが一枚残っていて、一度きらりと光って、消えた。

 ───いいんだ。

 光希は、何かに感謝するようにその手で再び握り締め、祈るように額に当てる。もう片方の手を、その上に当て───胸の中にとめどなく溢れる暖かさに涙した。

 ───俺は「このまま」で……彼女を愛して幸せになってもいいんだ───

 それを悟ったのだ。
 光希にいつか、かつての恋人が言ったように、今の恋人が言うのかもしれない。
<あなたの名前は、人の心を暖かくする名前ね>
 ───と。
 光希はその夜、いつまでも───長く知らず自分の「中」にあった一面の雪が少しずつ溶けていくのを感じ、それを一生忘れぬようにとでもするように、両手を額の前で組み、窓の外に降り始めた桜の花びらのような雪を前に、頭を項垂れ、確かな幸せの兆しに涙を流していた。




《END》
**********************ライターより**********************
こんにちは、初めまして。発注有り難うございますv 今回「この手にあるもの」を書かせて頂きました、ライターの東圭真喜愛です。
室内ではありますけれど、精神世界に少し光希さんに行って頂きました。密かに東圭のかつての自作の詩や小説ネタがところどころに組み込まれているのですが、今の光希さんにはぴったりの題材かなと思いまして、多少ネタとして使った程度で殆どオリジナルと言ってもいいかと思います。
PCさんのお名前は出すことが出来なかったのですが、昔の恋人さんのことを好き勝手に書いてしまいまして、お気に召されるかどうかビクビクしています;
ともあれ、ライターとしてはとても楽しんで、書かせて頂きました。本当に有難うございます。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。これからも魂を込めて書いていこうと思いますので、宜しくお願い致します<(_ _)>
それでは☆

【執筆者:東圭真喜愛】
2005/01/08 Makito Touko
PCシチュエーションノベル(シングル) -
東圭真喜愛 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年01月11日

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