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『見えないガラス 』
水葉・優樹4073

 それは普段と何ら変わらぬ朝だった。目覚めた時の、カーテンの隙間から漏れる朝日の強さも、起きる時間が同じなのだからほぼ同じ明るさだったし、見回した室内の装飾にも異常はない。床の上に何故か空のコップがすっ転がっているが、あれは昨夜、自分が寝る前に暗闇の中で蹴倒したような記憶があるから、別に不審でもなんでもないだろう。
 それでも何かの違和感を感じたことは事実だった。それはまるで、テレビ画面のカラーコントロールがほんの少しだけ狂っていて、ほんの少しだけ目に映る風景が黄味を帯びていた、と言うような感覚。だが、それも殆どの人は気づかない程度の変化だったのだ。
 「…おかしいなぁ……」
 優樹はベッドの上で上体を起すと、少しだけ寝癖の付いた黒髪をがしがしと掻いた。そんな乱暴にしたつもりはなかったが、揺れた頭が、一瞬だけ割れるように痛む。顔を顰めて頭痛の余韻を探るが、すでに先程感じた痛みでさえ綺麗さっぱり消えて無くなっていた。
 なんなんだ、一体。優樹は首を捻りながらベッドを降り、いつものように手早く身仕度を整えた。

 起きるの遅ーい、と同居人に文句を言われるのもいつもと同じ。尤も、優樹の起床時間が本当に遅い訳ではなく、それがいつものコミュニケーションの一端なだけだ。いつもなら、そんな事ないと優樹も言い返す所だが、今日は曖昧な笑顔で食卓につく。そんな優樹の態度を訝しんだ同居人が、心配そうに顔を覗き込んでくるが、それに対しても優樹は曖昧な笑顔で首を左右に振るだけだった。
 「…だって本当に自分でも何がなんだか分からないんだから仕方ないし……」
 予備校へと続く道を歩く優樹が、ぼそりと小声で呟く。優樹の煮え切らないような態度に、同居人はいたく不満げだったが、優樹自体、その言葉どおり理由が分からないのだから説明のしようがない。風邪でも引いたのなら、その原因になる事柄―――薄着で夜更かししたとか、寒い日にずっと外出してたとか、風呂あがりにうろうろしていて湯冷めしたとか―――が、優樹本人には心当たりがある筈だ。だが、ここ最近ではそのような記憶は全くない。尤も、そんな自己管理の甘さは、霊力を制御する修行の一環としても厳しく指摘される事になるので、特に気を付けていた筈であるし。
 ふと、優樹は改めて見慣れた風景を見渡す。通っている予備校はすぐ目の前だ。自分と同じようにそこに通う生徒達が、立ち止まる優樹を追い越しては次々にそのビルに飲み込まれていく。自分を追い越してはいくが、ビルに入っていかない者達もいる。この近くに、美容専門学校があるからその生徒かもしれないし、或いはどこかの大学生か、またはもう就職しているのかもしれない。そんな、当てどもない想像をぼんやりと頭の中で巡らせていると、不意に背中を誰かに押されるような感覚がした。
 「!?」
 驚きが声にならぬまま、優樹は押されるままに数歩足を前に踏み出す。勢い余ってそのまま更に一メートル程先まで歩く、そうすると当然と言うべきか、今まで優樹が立っていたポイントには、後からやって来た若者が歩いて通り掛かる事となる。
 その時。
 キキキーッ!激しいブレーキの音とタイヤの擦れる音が響いたかと思うと、何かと何かがぶつかる鈍い音が炸裂する。優樹も、そして周囲の人も驚いて振り返ると、自転車通学の学生がどうやらハンドル操作を誤って、歩いていた人に後ろからタックルをかましたらしい。双方とも目立った怪我はなさそうで、自転車の学生が平謝りでキツツキのように頭を下げまくっている。
 そんな様子を優樹は何気なく眺めていたが、ふと気づく。彼らが衝突事故を起こしたその場所…それは紛れもなく、さっきまで自分が立っていた場所だ。つまり、優樹が見えない手に背中を押されなければ、自転車にぶつかられていたのは間違いなく自分だったのだ。
 「………違う、…違うよ」
 優樹は呟き、首を左右に緩く振る。歩調を早めて自分も学生の波に乗り、予備校ビルの中へと入っていた。
 朝の時点で既に、割れた壷の底からは中身の水が染み出し始めていた。それが時間が経つにつれ、染み出す量を増やして今はぽたぽたと滴り落ちている状態。弱くなった部分が決壊して勢いよく水が吹き出すのは、遠い将来の話では無さそうだった。


 教室内はざわざわとざわめいて、始業前の騒々しさそのままだった。目があった友人にはオハヨウと挨拶を交わすものの、それ以上の言葉は続かず、優樹は一番後ろの席に疲れたみたいに腰を下ろす。普段はこんな愛想の無い奴ではないのだが、朝から妙に疲れてしまっている。目許が泣き腫らした後のように熱を帯びているような気がするし、視線の焦点もどことなく合ってないようだ。薄ぼんやりと青い瞳を瞬きしてから目を閉じる。次に目を開いた時、友人のひとりが目の前に立っていた。
 「おはよう」
 「……おはよ」
 「なんだ、元気ねーな。徹夜でガリ勉でもしたか?」
 笑ってそう尋ねる相手に、優樹は無言で首を左右に振る。もう声を発するのも億劫に感じていた。そんな優樹の様子に友人も気づいたか、眉を顰めて顔を覗き込んでくる。
 「…おい、大丈夫か?なんか具合悪そうだけど……」
 「ん……大丈夫…」
 多分。とこれは心の中だけで付け足す。大丈夫と告げるその声そのものが余りに弱々しく、友人が片手を挙げて優樹の熱を計ろうと、額に掌を宛おうとしたその時だった。
 パチン!と何かが優樹の目の前で弾ける。が、友人は至って平気な顔で優樹の額に掌を密着させているから、彼には何も感じられなかったらしい。優樹も痛み自体は感じなかった。ただ、何かが弾けて飛び散ったような感覚を受けただけだ。
 一体何が…優樹が、ぼんやりする頭を必死で建て直し物事を考えようとしていると、一時限め担当の講師が教室に…
 「あれ?先生じゃねーじゃん。あれ、事務のおねーちゃんだろ」
 「静かにしてくださーい!一時限めの講義ですがー、担当の先生が急に体調を崩されましてー、突然ですが休講となりましたー」
 OLのような紺色の制服を着た女性がそう声を張り上げると、教室内のそここで喜びの歓声が上がる。自分達の意思で通っている筈の予備校でも急に貰えた休みはやはり嬉しいものだ。ああ、これなら皆『運が良かった』んだ…と優樹が安堵の溜め息を漏らしたその直後。
 「で、ですがー、…一部の方々には、特別課題が用意されていると言う事ですのでー…その、名前を呼ばれた方は前に来て課題を受け取ってくださーい」
 恐らく返って来るだろう非難轟々を怖れてか、事務員の声はか細くなっている。予想通り、教室内はさっきの倍の騒がしさで盛り上がり、文句が溢れ出た。それでも名前を呼ばれると、渋々ながら前に出てレポート用紙を受け取っていた。その量がどうやら尋常じゃないらしく、こんなの時間内に出来る訳ない、と悲観する声が聞こえてくる。優樹もうんざりしながら自分の名前が呼ばれるのを待っていたが、それはついに聞こえる事なく、事務員はその手に何も持っていない状態で教室を出て行こうとした。
 「あ、あの」
 「はい?」
 女性を呼び止め、優樹は自分が課題を貰っていない事を告げる。が、事務員は首を傾げるだけだ。
 「いえ、私が先生から受け取ったのはこれで全部ですよ?…ああ、この講義を受講する人全員が対象ではないそうですから、あなたは免除されたんじゃないですか?」
 良かったですねぇ、と言うような意を込めて、女性はにっこりと微笑む。では、と軽く会釈をして立ち去っていく彼女の後ろ姿を見詰めたまま、優樹は背筋が凍るような思いがした。
 教室内を見れば、自分以外の全員が課題を受け取り、既に四苦八苦している様子。課題を受け取らずに済んだのは自分自身だ。つまり、休講の恩恵を受ける事ができた『幸運』な人物は己ただ一人…。
 「やばい…」
 慌てて優樹は走り出す。最早、体調が悪いだの気分が優れないだの言っている余裕はなかった。優樹の能力が発動してしまったのだ。それは霊を見たり感じたりする霊力ではない。昔はともかく、今はこの強い霊力を制御する事も随分とできるようになったので、この能力で困る事はまずない。困るのは、集中力が途切れて箍が外れてしまった、『運』を操る能力である。
 『幸運』を取り込み『不運』を放出する能力。ただそれだけなら構わないが、困った事に優樹のこの能力は、他人の幸運を吸い上げ、代わりにと己の不運を押し付けるものなのだ。さっきも、同じ教室にいた学生達の幸運を全て吸い上げ、代わりに不運を全員に押し付けた。あれだけ大人数の幸運を一気に吸い上げた所を見ると、今、優樹の能力は無尽蔵にたれ流しになっている可能性が高い。休講が台無しになる程度の不運ならともかく、生死に関るような運まで遣り取りするような事に万が一なったら…。

 優樹が辿り着いたのは、予備校から少し離れた裏路地の方だ。ここには、一昔前に着工されたが資金不足だか地主とのトラブルだかで工事が止まっている、建て掛けのまま廃墟と化してしまったビルがあるのだ。基礎だけは完成していたらしく、灰色のコンクリート壁が剥き出しの形だけのビルだ。当然、危険なので立ち入り禁止となっているが夜には半端な連中がうろつき、犯罪の温床になっているとの噂もある。が、今は明るい昼間だ。さすがにビル内も静まり返り、うらぶれた風景にはそぐわない、穏やかで暖かい太陽光が、小さな野花へと降り注いでいる。優樹は、この人気の無い空間で能力の発動が収まるのを待とうと考えたのだ。『危険!はいるな』の看板を跨いで中へと侵入する。その後ろ姿を、ひとりの男性が目撃していた。
 「君、ちょっと待ちなさい!」
 その声が優樹に届くより前に、優樹はビルの内部へと入り込んでいた。男性がその後を慌てて追ったようだったが、その事にも優樹は気付いていなかった。
 優樹は、暫く黙ってビルの奥を目指して歩いて行く。足元には、工事途中である事を示すような廃材の欠け片や壊れた工具の他に、これは明らかに工事とは関係無いだろうと思われる菓子の紙屑や漫画雑誌、或いは如何にもいかがわしげなものなどがごろごろと転がっていて、常に足元を見降ろしていなければスムーズに歩行も出来ないような状態だ。
 優樹が辿り着いたのは、ビルの一階、恐らく玄関ホールになる予定だったらしき広い場所だ。窓ガラスが嵌め込まれる筈だった壁には、コンクリート壁が四角く切り取られた箇所が、そこから注ぎ込む太陽光が、周囲の埃のお陰で、窓から床までの道筋がはっきりと見て取れ、何処となく中世の教会のような荘厳ささえ漂わせている。
 それを何気なく眺めていた優樹だったが、背後から人の足音が近付いてくる事に気づき、表情を険しくする。歩きながら振り返ると、そこには先程の男性が立っていた。
 「君、一体こんな所で何をしているんだ?」
 その紺色の制服には見覚えがある。近くの、こことは関係無い工事現場で交通整理をしている警備会社の制服だ。どうやら、自分の持ち場に戻る途中、立ち入り禁止の場所に踏み入って行く優樹の姿を見咎めて後を追って来たらしい。警察とかでなかった事に、優樹はほっとして息を吐くが、それでも他人がここに居る事には違いがない。首を左右に振って曖昧な笑みを見せる。
 「な、なんでもありません…ただちょっと捜し物を……」
 「捜し物?何を捜しているんだい。一緒に捜してあげるから、ここから早く出て行かないと危ないよ」
 警備員は、優樹に大して疑いの念などは持っていないようだ。だが、それと優樹の能力の発動は別問題だ。大丈夫です、と優樹が警備員の傍から遠ざかろうとしたその時だった。
 後ずさる優樹の踵が、何かを踏んだ。何かプラスチックの薄い欠け片らしかったが、それは優樹の体重を受け、パキリと小さな音を立てて粉々に砕ける。また何かが、優樹の中で弾けたような気がした。
 『まずい!』
 逃げろ、と優樹の口が開き掛けた途端、どこからか低く唸るような音が地響きを伴って聞こえて来た。警備員は何事かと辺りを見渡している。次の瞬間、壁の片側がぐらりと傾ぎ、ドミノ倒しのように優樹と警備員の方に向かって倒れて来たではないか。
 「危ないッ!」
 それはまるで、優樹の踏み付けたプラスチック片の砕ける音が波動になって老朽化したコンクリート壁を砕いたかのように。だあぁん!と大きな音と派手な埃を巻き上げながら壁は崩れ、床面に激突した瞬間に大きなひび割れが出来、壁は幾つかのコンクリート片と化した。
 「………う、………」
 唸り声をあげたのは優樹ではない。やがて舞い上がった土埃が収まり周囲の状況が見渡せるようになると、優樹の顔が苦痛に歪んだ。
 尤も、その苦痛は身体への痛みではない。心の痛みだ。崩れた壁は、優樹と警備員と両方を確実に押し倒すだけの大きさであったのだが、瓦礫の下敷きになって呻いているのは警備員だけだ。優樹はと言うと、埃だらけにはなっているが、怪我の一つもなく、さっきと同じように立ち尽くしている。何故なら、優樹の立っている場所だけ、倒れて来たコンクリート壁は四角く切り取られていた。そう、窓ガラスの嵌まっていない窓、そこが丁度、優樹の立っていた場所に倒れて来たのだ。
 ギャグ漫画等で良くありがちな展開だが、此処ではさすがに笑えない。ビル内の大きな物音を聞き付けた周囲の人達が集まってくる気配を遠くに感じながら、優樹は握り締めた拳の爪が肌に食い込む程、強く強く握り締め続けていた。


 倒れて来たコンクリート壁は、壁一枚ではなく、薄い層が剥がれて起こった崩落だったので、下敷きになった警備員も然程深刻な怪我は負わずに済んだ。立ち入り禁止の場所に立ち入った事で、優樹はこっぴどく怒られはしたが、事情を分かってくれている家族達は、優樹に何も言わなかった。
 だが、優樹は、いっそ家族にも罵って貰いたかった。何故能力の制御ができなかったのかと、訓練が足りない所為だと、お前が未熟な所為だ、と…。
 そんな、労りの欠け片もないような言葉を投げ付けるような家族ではないから、その望みは期待薄だったが、それ故に、自虐的な思いばかりが浮かんでくる。
 明かりも付けない自室で、膝を抱え窓ガラスの嵌まった窓から、優樹は綺麗な満月を見上げる。自分のものであるならば、いつか必ず自分の支配下における筈である。一日でも早く己の能力を完全にコントロールし、こんな想いからは開放されたい、勇気は切にそう願った。

 そうすれば、自分自身も何か変わる事が出来るような気がするから。


おわり。


☆ライターより
はじめまして、この度はシチュノベのご依頼、誠にありがとうございました!へっぽこライターの碧川桜でございます。
相変わらずの亀な歩みで、納品が大変遅くなりまして申し訳ありません(平伏)
今回、優樹氏の口調に付いては少々悩みまして…彼の体調不良をいい事に(笑)、口数を少なくさせて頂く事に…もしもイメージを違っていましたらご容赦願います。能力発動の歳の『きっかけ』につきましてはこちらで多少脚色させて頂きましたのでそのてんに突いてもご容赦くださいませ。
ではでは、今回はこの辺で…こんなへっぽこ文書きですが、またどこかでお会い出来るととっても嬉しいです。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年01月11日

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