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『 Back Fire 』
リオン・ベルティーニ3359)&深町・加門(3516)


 耳元で金属のこすれるような冷たい音がして、丸いリングが後頭部に押し付けられるような感触に深町加門は一瞬全身を強張らせると、手にしていた双眼鏡から顔をあげ、ゆっくりと両手を頭上にあげた。銃口が自分に向いている事を確信して息を呑む。だが、背後から漂うのは殺気ではなくどちらかといえばコーヒー豆の香りのようだ。加門は恐る恐る後ろを振り返った。見知った顔に全身の気が抜ける。
 心臓に悪いいたずらだ。
「おいおい、セーフティーがはずれてるじゃねぇか」
 非難がましく言う加門に、銃を向けていた喫茶店のマスターことリオン・ベルティーニが胡散臭そうに目をすがめて尋ねた。
「・・・・・・何故セーフティーがはずれてると思う?」
「勘だ」
 即答する加門にリオンは内心で「あぁ、やっぱり」と脱力した。この銃火器オンチに夜の闇と同化したワルサーP38の機微などわかろうはずもない。ともすれば、こいつならそれぐらいしている、と何の根拠もなく思っただけなのだろう。
 リオンはP38を胸ポケットに大事そうに仕舞いながら尋ねた。
「何故こんなとこにいる?」
 それに加門は肩を竦めた。
「愚問だな」
 確かにそれもそうである。
 リオンは一つ息を吐くと今加門が双眼鏡を覗いていたビルを振り返った。
 韓国マフィアの拠点ビルは36階建てだったが、この辺りでは高いほうではない。そこに加門の狙う賞金首があった。そしてそれは残念ながらと言うべきかリオンのターゲットでもあったのである。リオンは喫茶店のマスターとは別にもう一つ、暗殺者の顔をもっていた。
「邪魔するなよ」
 加門が釘を刺すように言った。
 リオンは困ったように首を傾げる。それはこっちのセリフでもあったろうか。
 2人はどちらからともなく互いに背を向けると、別段合図したわけでもなく駆け出していた。実際には同時だったのかもしれないが、もしかしたらどちらも自分の方が先だったと主張したかもしれない。
 冷たい2月の風が2人のいなくなった場所を淋しそうに吹き抜けていく。
 空には凍えた蒼い月が悄然と2人を見下ろしていた。

 *****

 ビルの裏口にまわってリオンは壁に背をあずけると拳銃を胸元で構えた。手にしているのは先ほどのワルサーP38ではない。そもそもセーフティーどころか「彼」には弾が入っていなかったのである。最近、酷使しすぎたのがいけなかったのか、ショートリコイル時の高負荷にバレルの機嫌を損ねてしまった。そこでクリーニングも兼ねてメンテナンスをと全弾抜いて分解しようとしたところに暗殺命令がくだったのである。そんな次第でお守り代わりに胸にしまってはいるが「彼」は使えないのだ。
 彼が今手にしているのは英軍特殊部隊SASがサイドアームとして御用達のSIG拳銃、P226である。装弾数24+1発。その着弾は正確無比。10mぐらいの距離なら超一流じゃなくとも敵の銃口に鉛玉を叩き込む事さえ出来る高精度の拳銃だ。普通は初弾がダブルアクションになるのだが、こっそりシングルアクションに改造してある。勿論、お仕事用にサイレンサーは標準装備だ。
 リオンは裏口のドアの脇でゆっくりと一つ深呼吸した。
 それからもう一度息を吸い、吐いて力がいい感じに抜けたタイミングで脇のドアを蹴破り銃を構える。
 続く廊下に人影はなく人の気配すらない。
 しかし訝しく思うより先にリオンは溜息を吐いていた。
「あいつか・・・・・・」
 リオンの予想は概ね当たっていた。
 その頃、リオンが言うところの「あいつ」は、堂々と正面からビル内に入っていたのである。
 あまりに堂々としていたので、受付嬢はおろか誰一人彼が入っていくのを呼び止める者はなかったほどだ。その彼が最上階直通のエレベータの前で上方向のボタンを押した時、初めて男どもがその闖入者に気付いた。
 皆一様に黒服を着てサングラスをかけた男どもが慌てたように加門目掛けて殺到した。
 誰何の声が飛ぶ。
 エレベータはまだ来ていない。
 加門はふてぶてしく男どもを振り返ると、何事かに気付いたようにふと口の端をあげてにんまり笑った。
 赤いカーペットがエレベータに向かって敷かれている。その上を男どもが威嚇しながら近づいてきているのだった。加門は昔見たカンフー映画を思い出しながら「今だ」と思った。これをやらずしてカンフーの達人は名乗れまい。
 チン、という音と共にエレベータが口を空ける。
 その瞬間男どもが一斉に走り出した。
 加門は一歩エレベータに足を運んでその場にしゃがむと同時、赤いカーペットを掴んだ。
 手前にいた男どもが加門の次の行動を予想して反射的に踏ん張ろうと足を止めかけたが、後続の男どもに押されて失敗する。
 加門は勢いよくカーペットを引っ張った。
 面白いように男どもが足元を掬われ転がっていく。1人転べば後は将棋倒しのようだった。阿鼻叫喚地獄絵図とはこういうのを指す言葉だろうか。
 加門はエレベータに乗り込むと閉まるボタンと行き先階ボタンを押した。ゆっくりとエレベータが閉まる扉の向こうに景気よく「バイバイ」と手を振ってやる。
 男どもがわーわー何やら騒いでいたが、それも束の間、喧騒は扉の向こうに消えた。
 最上階直通エレベータはゆっくりと動き出す。途中の階では止まる事のないノンストップエレベータは片面がガラス張りで、加門は夜景を見下ろしながら最上階までの数分を優雅に過ごしたのだった。


 一方、その頃リオンは武器庫にいた。
 彼がその部屋を見つけたのが偶然だったのかはたまた必然だったのかは、かなり微妙なところだ。
 男どもが加門を追っかけ、すし詰め状態のエレベータを最上階へ向かい、更にあぶれた者達が階段を36階まで駆け上がってくれたおかげで、下の階の廊下は全く人気がなかった。もしかしたら監視カメラが見張っているのかもしれないが、それを見ている監視員も加門に首っ丈なのだろう。
 リオンは別段急ぐ理由もなかったので、のんびりとその廊下を歩き自分を呼ぶ声に従ってその部屋へ入った。どうやら彼の特殊な耳には銃が自分を呼ぶ声が聞こえるらしい。正確には武器庫ではなく密売用商品の倉庫だったのだが、そこも彼の特殊な目にはミリタリーグッズしか映っていなかったので、ここは武器庫ということで万事OK。
 リオンは手にしていたP226を腰のホルダーに収めると、銃が収められていると思しきケースを開け、それを手に取った。トップヘビーのずっしりとした重量感。フレームの刻印を確認しなくても分かってしまう、写真でしか見た事がなかったが、それは確かにSIGライフルSG550だ。
 リオンは何のためらいもなくケースに一緒に収められている弾倉をとりあげるとセットした。
 右側に突き出たボルトの操作ハンドルを掴むと思いっきりよく手前に引っ張って手を離す。
 金属が織り成すハーモニーが心地よい。
 初弾が装填される感触に一気にリオンのボルテージは最高潮へ達した。
 正確無比の精度を誇るSIG社のライフルだ。面白いように狙った所に弾が飛ぶと言う噂の逸品だ。あの、が付く加門でさえ的に弾を当ててしまうかもしれない。
 ともすれば湧き上がる欲求は唯一つである。

 ――試したい。

 リオンは自分がここへ訪れた理由を半分以上忘れてSG550を構えた。今一つピンとこない。標的を求めるように武器庫を出たが、そこは無人に等しかった。
 彼は各階停車のエレベータを待つのも面倒で階段を36階に向け駆け上がったのだった。


 加門の乗ったエレベータが最上階に到達する。
 となれば待ち伏せする方は彼が出てくるその場所へ一点集中だ。エレベータのドアが開いた瞬間、大量の拳銃がエレベータの中目掛けて火を吹いた。だがエレベータの中は無人だった。
 勿論、加門だってそんな事は最初から予想済みだったのだ。
 訝しんで中へ入ってきた男どもは5人。エレベータの上で隠れていた加門はタイミングをはかってその頭上から飛び降りた。早すぎれば蜂の巣だったろうが男どもの中に紛れ込んでしまえばこっちのものだ。奴らも不用意に撃ってはこれまい。2人の男の顔面に蹴りを入れる。鼻っ柱が折れる感触が足から伝わってくる。男どもの真ん中に着地すると加門は一番手近の男の、銃を持つ手首を掴んで内側に捻り銃を逆側に捻って落とさせた。素早くその懐に入りこむみ一本背負いよろしく肩越しに投げる。正確には袖釣り込み腰に近いだろうか、投げた男の体で周りの連中を適当に薙ぎ払う。殆ど力任せだ。
 これでエレベータ内に残ってる男はあっという間に1人になった。
 背後から襲ってくるその男の鳩尾に後ろ蹴りを御見舞いして、加門は落ちた拳銃をゆっくり拾い上げる。
 とはいえ撃つ為ではない。
 倒れた男が立ち上がろうと上体を起こしたと同時、加門はそちらを振り返りもせず手にしていた拳銃を投げた。グリップの角が見事に男のこめかみをとらえ、立ち上がろうとしていた男は再び床を這う。
 エレベータに入ってきた男どもの体をまたぐのも面倒で踏み越えて加門はエレベータを降りた。広い廊下に他の男どもが間合いを取りながら屯している。
 加門は斜に構えて品定めでもするように男どもを見やった。
 数が多いなぁ、と内心で舌を出す。
 しかしお誂え向きに廊下は赤いカーペットが、ターゲットのいる部屋まで迷う事なくたどり着けるようにと敷かれていた。
 キラン、と彼の目が光る。
 加門は1階で味をしめていた。
 男どもとの間合いを確認しつつ加門はしゃがむとカーペットの端を掴んだ。一呼吸おいて思いっきりよく引っ張る。
「!?」
 どうやら今回のカーペットはしっかり目打ちされていたらしい、びくともしなかった。
 その隙をついて間合いをつめてきた1人の男が加門のこめかみに蹴りを入れてくる。咄嗟に左手でガードしたがその威力に吹っ飛ばされていた。もしガードが遅れていたら脳震盪を起こしていたかもしれない。壁にぶつけた左肩が悲鳴をあげ加門は床に転がった。
 男が下卑た薄笑いを浮かべている。
 加門は転がったまま苦しそうに蹲って見せた。相手がそれで油断したのだろう不用意に近づいてくるのに、加門はその向こう脛を力いっぱい蹴り上げた。弁慶のなきどころだ、男の動きが一瞬止まる。一転して起き上がると相手が身構えるよりも先に加門は蹴りで相手の脇腹を抉ってやった。
 男が倒れる。
 一息吐くのも束の間、別の男がナイフを持って切りかかってきた。それを左手で払って男の鳩尾に掌底を叩き込む。踏み込みが甘かったのか男は後方に数歩よろめいただけで踏みとどまった。
 その隙に加門は廊下を見渡して何か得物になりそうなものを探す。
 大股で3歩ほど先に飾り付けられた花瓶を見つけて加門はそちらへ1歩を踏み出した。
 切りかかってくる男はある程度ナイフが使えるのだろう的確に急所を狙ってくる。だからこそ避け易い。相手の動きを予測して加門は男のナイフを持つ腕を掴みながら2歩目を出すと、3歩目を出しながら男を自分の方へ引き寄せた。
 バランスを崩しかける男の脳天に掴んだ花瓶を叩きつける。
 男はあっさり床に倒れた。
 間髪入れず、更に別の男がパンチを仕掛けてくる。それを加門が後ろに避けると男は今度は蹴りの構えをした。
 加門はやっぱり昔見たカンフー映画を思い出して廊下の電飾に手を伸ばした。壁からアームが伸び韓国だか中国だかよくわからない雰囲気の笠をかぶった電灯である。そのアームに掴まり片手で懸垂よろしく体を宙に持ち上げ、敵の攻撃を避けるついでに背後に回ろうという作戦だ。
 相手の蹴りと同時に床を蹴る。
 アームに全体重をあずけた瞬間、腕に嫌な感触が伝わってきた。
「おや?」
 思わず首を傾げてしまう。つまりはアームは加門の体重を支えられるほど頑丈に出来てはいなかったのである。所詮、映画は映画だった。
 それは、ミシッという嫌な音をたてて根元から折れた。


 リオンは荒い息を吐いて35階と36階の間の踊り場で一休みしていた。勿論、階段を駆け上がってきたせいばかりの理由ではない。この程度なら、最近ちょっぴり運動不足気味だった体には丁度いいウォーミングアップになった、と彼なら主張するだろう。真偽のほどは推して知るべし。
 しかし、ここまで本当に人っ子一人いなかった。
 韓国マフィアの言うなればアジトで、たった一人の男にこうも容易く翻弄されてていいものか、と内心で思ってみたりもしたが、実際にはこんなものなのかもしれない。マルチに頭の働く奴がいないのか。
 いや、それともそのまた逆なのか。
 加門の味方が他にもいることを見越して後者だったとすれば、キレ者がいると考えていい。闇雲に捜すよりターゲットがはっきりしている以上、その周りを固めた方が守り易いし戦力を集中できるからだ。一網打尽。多勢に無勢の上、警戒態勢を敷かれているなら悔しいがこちらが不利になる。
 どちらにしてもここからは気を引き締めて進むべきだろう。
 リオンは壁に背を預けたままSG550を左手にぶら下げて右手にP226を握った。ライフルの発射音では目立ちすぎる。ターゲットのいる部屋にたどり着くまではSG550の試し撃ちはお預けというわけだ。どうやら本来の仕事を思い出したらしい。
 階上から感じる人の気配は4つ。
 リオンは腕を伸ばしてゆっくりとP226を構えると一発撃った。弾は踊り場の窓に小さな穴を穿つ。
 階段から上がってくる者を監視していたのだろう、4つの気配は一瞬にして緊張の色を帯びる。何とも分かり易い。
「右に2つ。左に1つ。・・・・・・奥に1つ」
 小さく呟いてその位置を確認した。
 左の壁からこちらを覗くように出ている左目を狙う。いつもは弾を惜しんで一発だが、今回はSG550があるので景気よくダブルタップだ。二発連射すればそれだけ相手を確実に殺せる。
 左の壁から数秒前まで人間だったものが倒れてこちらに顔を出した。
 それより早くリオンは右の壁から覗く右目を狙っていた。ダブルタップをツーアクションだ。
 どさりという音はしたが、こちらに倒れてはこなかった。
 後、1つ。
 リオンは身を屈め階段を上り始めた。奥の位置からだと真ん中ぐらいまでは死角になる。
 人が右へと移動する気配。
 リオンは一息に階段を一番上まで駆け上がり、左の壁に一度だけ背を預け一呼吸おくと左足を相手の方へ踏み出した。右手を伸ばし斜に構え発砲の際の反動を吸収する為に前屈みになる。コンマ以下の秒単位での動作だった。
 相手はそれと同時に撃たれたと思っただろう、エイムド・クイック・キルはリアサイトを見ずにフロントサイトだけで照準を合わせて撃つ方法だ。フロントサイトを狙いたい場所のわずか下に合わせるだけで10m余りの距離ならほぼ確実に狙った場所を撃ち抜ける。
 リカバリーは素早くダブルタップ。
 相手は反撃もままならぬまま息絶えた。
 リオンは銃を下ろす。
 その場に静寂が戻った。
 廊下の向こうからかすかに喧騒が聞こえてくる。加門が暴れているのだろう。
 リオンはそちらへと歩き出した。


 最初にその部屋に飛び込んだのは加門の方だった。
 アームがぼっきり折れて落下した加門だったが、上手い具合に蹴りをいれようとしていた男の真上に落ち、男を下敷にしてしまったので、そのまま一発パンチをお見舞いして眠ってもらったのである。要するに結果オーライというわけだ。後は5人ぐらいを適当に蹴散らし、つきあたりの両開きになってる扉を押したのだった。
 畳で換算すれば30畳ほどの部屋には賞金額の20倍くらいはしそうな革張りのソファーと重厚そうなテーブルが陣取っていて、その奥で安楽椅子に揺られながら目的の人物が座っていた。大して動じた風もなく葉巻をくわえている。彼がこうも落ち着いているのは、彼を囲む屈強なボディーガード達のおかげだろう。加門がここまでくるのに倒してきた連中とは明らかに体格が違う。ボディービルダーにも引け劣らない筋肉で覆われた体は、加門の縦にも横にも2倍はありそうだ。彼らと並ぶと加門が子供のように見えてしまう。そんな連中が全部で3人。
 しかし加門は臆した風もなく斜に構えて男どもを睨みつけている。余祐の笑みを装ってはいるが口ほどにものをかたる目はかなり真剣になっていた。
 とはいえ彼の得意とする古武術の基本は筋肉の使い方と騙しにある。この手の体格の力任せな連中は大抵局部的な筋肉しか使っていない場合が多い。パンチなら腕の筋肉だけだ。しかし古武術におけるパンチは全身の筋肉を使う。その一瞬に使う筋肉量は恐らく加門の方が上であろう、それ故に瞬間的なパワーでは加門の方が勝ると思われた。そして騙し。たとえば顔を突きだし体を引く。それだけで相手は間合いを読み違え、ボディーへのパンチは届かなくなるものだ。
 後はそれを成し得る集中力と呼吸。
 先に仕掛けたのは加門の方だった。
 3方向から囲まれる前に各個撃破を試みる。攻めるが勝ちだ。
 目の前にいた男の喉を狙って叩き込んだ手刀はその右腕の筋肉で簡単に阻まれた。動きは思いのほか速い。腎臓のあたりを狙って右足で蹴りを入れる。左手でガードされたがその蹴りはフェイク。右足を軸に回し蹴りで左足の踵を男の鳩尾に叩き込む。すんでのところで男の左腕がガードに入った。加門は全身のバネを使って一点集中。普通なら腕の骨がへし折れてもいいくらいの蹴りは、男の分厚い筋肉を数本切るにとどまったようだ。筋肉断裂の痛みに顔を歪めつつ男は数歩後退さったが、すぐに右手をふるってくる。怒りに任せたような大振りの拳を後ろに飛んで避けた瞬間、右側から殺気を感じた。刹那、別の拳が加門の右のこめかみを殴り飛ばしていた。
 それで加門の体はまるで紙か何かのように軽々と吹っ飛んだ。
 壁にぶつかって転がる。
「げほげほっ・・・・・・」
 肺が軋んで息苦しさに咳き込んだ。口の中を切ったらしく口の端に血が滲む。それを手の甲で拭って加門は壁に飾られたタペストリーの端を掴むと、のろのろと立ち上がった。
 男どもが2人、加門にゆっくりと近づいてくる。
 残る1人は、その主人の傍らに立っていた。
 加門の足が床を蹴る。タペストリーを2人の頭に投げてめくらまし。慌てた2人の一瞬の隙をついてその横っ面に蹴りを入れつつ観葉植物の置かれている部屋の隅へ飛んだ。ベンジャミンを叩き折って間合いを広くとりながら構える。
 2人はタペストリーを忌々しそうに振り払うと憤怒の形相で加門に近づいてきた。
 刹那、主人の傍らにいた男が拳銃を抜いた。
 だがそれは加門にではなく扉の方に向けられていた。
 思わず加門はそちらを振り返ってしまう。だが幸にも他の2人もそちらを振り返っていた。
 扉が開く。
 入ってきたのはリオンだった。
 銃を構えていた男が引き金を引く。
「リオン!」
 咄嗟に加門がその名を呼んで駆け出していた。
 しかし弾より早く走れる筈もない。
 弾の軌跡が見えたわけでもなかったが、それをかわすように右に体を翻したリオンの体が一瞬跳ねる。それはまるで胸を弾が抉ったように見えた。
 リオンの体が傾ぐ。加門はそれをまるでコマ送りのビデオでも見ているかのような気分で見つめていた。
「お・・・おい!?」
 床に倒れたまま微動もしないリオンの体に動揺が胸を掴む。
 それ以上に、怒りともなんともつかない感情がこみ上げて、加門は言葉にならない雄叫びをあげていた。
 殆ど壊れたように手にしていたベンジャミンを振り回す。もしかしたら、仇を討つんだ、くらいに思っていたのかもしれない。
 だがそれは、次の瞬間大後悔に変わるのだが・・・・・・。


 ベンジャミンが男2人を薙ぎ払いその喉笛に突き立った頃、リオンは加門の視界の外で小さく動いていた。当たり前だが、他の連中にも気づかれないようにである。
 日本にはこんなことわざがあるらしい――敵を欺くにはまず味方から。いい言葉だ。もしかしたら中国の兵法書だったかもしれない。
 リオンが手にしていたのは正確無比のSIGライフルSG550だ。今こそ、その威力を試す時である。彼はうつ伏せに倒れたまま伸びた腕を軽く持ち上げSG550の照準を合わせた。
 トリガーを引く。
 カシャーンという何とも小気味よい音が響いた。
 しかもトップヘビーなので思ったほど撃った後の反動がない。
 せっかくのライフルだ。今度はライフルの射程で使ってみたい。
 ちなみに、狙ったのはリオンを撃った相手の方が先である。理由は至って単純明快、何とかぎりぎり弾はかわしたつもりだが、何となく嫌な予感がしたからだ。これは後になって確認してわかったことだが、この予感は当たっていた。胸元に仕舞っていたお守り代わりのワルサーP38に傷が出来ていたのである。どうやら弾がかすっていたらしい。
 閑話休題。
 リオンはターゲットへ照準を合わせてトリガーを引いた。気前よく2発。
 任務完了。
 ゆっくり立ち上がる。
 その姿を加門は顎が外れそうなくらい大口を開けて見つめていた。あまりの出来事に何が起こっているのか理解し得ない顔である。
 リオンはそれに「お疲れ」と言わんばかりに片手をあげた。
「・・・・・・・・・・・・」
 加門は絶句している。
 リオンが踵を返した。
「お、おい。ちょっと待て!」
 部屋を出て行こうとするリオンを、我に帰ったように加門が慌てて追いかける。
「殺っちまってどうすんだよ。俺の賞金はどうしてくれるんだ?」
「さぁ?」
 すっとぼけた様に肩をすくめるリオンに加門がまくしたてた。
「さぁ、じゃねぇだろ、この役立たず。後から出てきて美味しいとこだけかっさらいやがって。俺は最初に邪魔すんなつったじゃねーかよ、おら! 聞ーてんのか?」
 勿論、リオンは何一つ聞いてはいなかった。
 胸から出したワルサーP38のグリップがうっすらへこんでいる方が気に掛かる。彼にとっては何よりもその事の方が重大であったのだ。
 拳銃を手にどこか哀愁を漂わせるリオンに加門は小さくため息を吐いて言葉を噤んだ。言っても今更どうなるものでもない、と大人になったのか。
 外の空気が吸いたくて2人は非常階段への扉を開ける。
 凍えた空気に吐き出す息は白い。
 2人はどちらからともなくそこに座って煙草をくわえた。
 煙が口の中の傷に染みて加門が眉を顰める。その隣でリオンは肺一杯に吸い込んだ煙をのんびり吐き出していた。
 夜空には蒼い月が出ている。にもかかわらず馬鹿みたいな白い雪が、まるで天使の落とした羽のように風に舞ってふわりと2人のもとへ舞い降りた。

「風花ってやつか?」
「あんたが言うと似合わねーな」


 ■END■ 
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
斎藤晃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年01月07日

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