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『<カドゥケウス> 』
瀬崎・耀司4487)&都築・秋成(3228)


 月に吼えよ、獣ども。
 地を這いずる獣ども。
 それとも、声は失われたか。
 蛇ども、蛇ども、きさまは声をも、神に取り上げられたのか。


+++++

 都築秋成は、聞いていたわけではなかった。追っている狐が、どこを由来としているものかなど、些細な問題だ。異国の妖であっても、言葉は通じる。大和の国の妖であろうとなかろうと、妖の多くはヒトを毛嫌いしているか蔑視しているし、頭からとって喰うこともある。
 拝み屋が欲する情報といえば、祓わねばならない対象の得意としている技や、力や、強さ――とどのつまりは、対象の『現在』だ。
 秋成が聞いていた話は、こうだった。

 被害者の家族が見たのは、九尾の狐。けれど、その金とも銀ともつかぬ身体を通して、庭の灯篭が見えたのだ。血のように赤い目を細め、狐はその家の主人の妻に走り寄った。あっと誰かが声を上げたときには、狐の姿は消えていて、奥方はけらけらと笑い出したのだ。
「はーアアアーあああ、この牝の魂は旨いぞえ。冷えた野苺のようじゃ、はアははは」
 はははははは、はアはははははは、
 哄笑は永遠に続くかと思われた。
 赤い目を見開き、甲高い声で笑い続け、奥方は倒れた。彼女の身体から、ふたたび狐が飛び出した。狐は主人の幼い娘に走り寄り、またしても消えた。
「はーアアアーあああ、この童の器は具合が良い。妾のために誂えたのかえ、はアははは」
 主人は確かに記憶していた、
 妻の身体から飛び出した狐は、庭で見た狐よりも一回り大きかったのだ。
 きっと、この娘から飛び出したときは、もっとずっと大きくなっている――
 しかし、その絶望的な推測が真実だったかどうか、主人=秋成の依頼人は確かめるすべも持たなかった。狐は彼の娘の身体に入ったまま、屋敷の外へ、哄笑とともに走り去っていったからである――。

 狐が今も、依頼人の娘の身体におさまったままでいるか、定かではない。ただ依頼人は、事件が起きた直後に、都築家に連絡を入れてきた。急げば次の被害者が出る前に片付けられるかもしれない。
 ――けれど、この方の、娘さんは……。
 奥方はあっと言う間に喰われてしまっているのだ。
 秋成は枯れた草原でひとり、ざりざりと数珠を合わせて黙祷を捧げた。
 依頼人が娘の写真と持ち物を持ってきてくれたために、追跡は容易かったのだ。狐は、そこにいる。

*****

 窓を開けると、月が見えた。
 こんな夜は、寝つけないことが多い。彼は、瀬崎耀司は、溜息を漏らす。しかし口元には、苦笑があった。
 またきっと、人がどこかで殺されているのだろう。
 月は人や妖や神を狂わせる。ことに満月は血を好むという。血を好む神は、耀司に宿っている。そのためにきっと、望月の夜は寝つけないのだ。知らず耀司の気持ちは昂ぶり、自然と笑みさえ漏れてくる始末だった。
「出かけるか……」
 尤も、すでに丑三つ時。24時間営業の店は増えたが、人の世はしんと静まり返る刻に、今も昔も変わりはない。静かな人の世を散策し、月が傾くまでの刻を過ごす――耀司の夜としては、そう珍しいものでもなかった。
 綿入れを着て枯れ野をそぞろ歩く耀司は、月を見上げて、おや、と声を漏らした。月に血がかかっているように見えたのだ。

 いや、血は、流れていた。

+*+*+*+*

 耀司が見たのは、純白の数珠を持った背の高い男が、血煙とともに転ぶところだ。
 秋成が見たのは、呑気に夜歩きと洒落込んでいたらしい、和装の壮年だった。

+*+*+*+*

 月野に、けたたましい哄笑が響く。
 赤い目を細めた幼女が、爪から血を滴らせながら、倒れた秋成に歩み寄る。哄笑はひどくしわがれていて、とても幼い子が上げているものには聞こえない。
 ――まさか、まだ身体を捨てていなかったなんて。
 それを期待してもいたのだが。
 幼女の赤い目には、時折、本来の身体の持ち主の意思が宿るのだ。
 それをも期待していたのに、実際に対峙してみると、その希望が何よりの弊害になっていた。助けを求める視線が哄笑をかき消すと、秋成の心から闘志と怒りもかき消える。
 怨霊と化したヒトの魂と対峙し、強制的にあの世に叩き込んだこともある。31の秋成は、物心ついたときから拝み屋としての仕事に携わってきた。
 しかし、今回の相手は、まだ生きている人間の肉をまとっているのだ――。
 象牙の数珠を握る手も、喉にも、ぐっと力がこもるだけだった。秋成はただ、憑かれた幼女の狂気を見守ることしか出来なかった。拝み屋が手を出してこないことを確信した狐は、嬉々として秋成に踊りかかっていた。

 秋成を吹き飛ばし、彼にとどめをさそうと歩み寄る狐が、ふと視線をあらぬ方向に向ける――。

 そこには、秋成が見た和装の男が、どこか呑気な表情で立ち尽くしたままでいた。
「危ない! 逃げてくださ……!!」

*****

 ほう、と耀司は目を細める。
 幼子……いや、狐だ。耀司の赤い左目が、容易に肉の中で蠢くよこしまな魂を見抜いた。
 ――僕の魂が、美味そうに見えたのか。
 そうであるなら、何とも悪食な妖孤といえよう。
 傷を負って倒れた数珠の男が、血相を変えて何ごとか叫んだ。それも、狐の哄笑に遮られている。
 数珠の男の黒い目を見たとき、その魂を見たときに、耀司はまたしても目を細める。狐がどこからどうやってきて、いまこの場で何をしていたかなど、耀司の興味を引くような噺にはなりそうもなかった。
 ただ血と想いは昂ぶる。
 どこかで、蛇が、
 しゃあッ、
 と、首をもたげた。

 瀬崎耀司の貫手は、どすうっ、と音を立てて幼女の胸にめり込んだ。
 赤い目の幼女は血を吐き、もんどりうって枯れ野に倒れ伏す。小さな身体が何度も跳ね、赤黒い血を吐き続けた。そして、やおらその身体から、金とも銀ともつかぬあやしい光が飛び出したのだった。
 光は熊ほどもある大きさの、九尾の狐のかたちを持っていた。
『おのれ……おのれ、蛇めが!』
 牙を剥く狐を前にして、耀司は口元にうっすらと笑みを浮かべた。
「どの蛇を指して言っている?」
 狐が思わず問い返すまえに、耀司は一瞬で間合いを詰めていた。
「――おまえを、ひと呑みにしてやろう」
 ――なアに、こちらの蛇は、腹が減っているのだよ。

+++++

 秋成の目の前で、狐は滅びた。和装の男の力に、しばしの間秋成は呆気に取られてしまった。
 狐がいたところには、幼女が力なく横たわっている。『気』がゆらめいてるのが、秋成にはわかった。狐に2日間も身体を奪われ、今は肋骨をへし折られて、彼女は命を失ってしまいそうなほどに疲れきっているのだ。
 器と化した幼女を傷つけ、体よく狐を滅ぼした男は――赤い目と黒い目、異様な『気』を持っている。

 冷めた……狡猾な……表情すら持たない……
 蛇だ、
 自分と同じ……

 ふと、秋成の脳裏を、啓示じみたことばがよぎる。
 ことばを振り切り、秋成は自分の傷を顧みるいとまも与えずに、横たわる幼女に駆け寄った。依頼人の娘は完全に意識を失っていた。だが――生きている。秋成は安堵の溜息をついたが、ありったけの抗議の意を、和装の男に向かって目で示してみせた。
 男は笑っていた。
 そして、男の言葉は、貫手のように――秋成の胸を貫いた。

******

「きみの蛇は、眠っているばかりかね」

 数珠の男の魂に隠れるのは、蛇だ。
 耀司が憎み、愛する蛇に、とてもよく似通っている。立場も力も、まるで鏡に映したかのような存在だ。
「それはともかくとしても――お礼の一言くらい、かけてくれてもいいじゃあないか」
 自分の身を護るため、自分の渇きを癒すためとはいえ、間接的に、耀司は人助けをしたのだ。感謝されるならばともかく、何故恐ろしい目で睨まれなくてはならないのだろう。
「――あなたは?」
 男は、耀司よりもいくらか若いだろう。
 敵意のこもった眼差しをゆるめることもなく、彼はそう耀司に尋ねてきた。
「瀬崎耀司。考古学をやっている。……きみは?」
「……都築秋成といいます」
「霊媒さんか何かかな」
「ええ、まあ」
「は、は」
 耀司は、こらえきれずに、そこで笑ってしまった。

+++++

「何が、可笑――」

+*+*+*+*

 耀司は秋成の二の腕を掴み上げ、すぐそこに所作なく生えている古木の幹まで押しやった。秋成の手と視線は、怪我をした幼女を求めていた。しかし、秋成の欲するものすべてを、耀司は容易く秋成から遠ざけてみせたのだった。
「我々は、優れたものなのだ。ヒトが神や妖と呼ぶものを味方につけ、その力を我が物のように振るうことが出来る。蛇は我々のもので、蛇が手に入れられるものは、我々のものでもあるのだよ。何故――拒むのだね?」
 それは、「最初の女」を誘惑した、あの悪魔の化身の目であった。赤と黒の瞳が秋成の目のすぐそばにあった。爬虫類のもののような無臭の息吹が、秋成の鼻を撫ぜている。
 秋成は、反論も、肯定の言葉すらも、口に出せなかった。ただ蛙のように押し黙っていた。秋成の黒の瞳をみつめ、耀司は、すうとその双眸を細める。
「そうか……恐れているのか……然り、然り。僕が抱いているような慢心は、己を滅ぼすとでも言いたいのかね。は、は――力を拒む理由はわかったが、その理由の理由がさっぱりわからない」
 秋成は、林檎をはねのけた。
 胸と腕に、ひりひりとした痛みを感じ始めていた。自分は、狐に、傷つけられたのだ。そしていま目の前には、自分以上に狐(と、蛇)に傷つけられた幼い子供が横たわっている。秋成は無言で耀司を睨みつけながら、自分を古木の幹に押しつける腕を振り払って、幼女に駆け寄った。
「きみの蛇を、いつか見ることは出来るかな」
「……」
 なおも、秋成は答えることが出来ない。
 笑みを保ち続ける耀司をいま一度睨み、秋成は傷ついた幼女を抱えて、枯れ野を立ち去った。
 握り締めていた象牙の数珠の珠のひとつに、亀裂が入っていることを秋成が知ったのは、数日後のことだった。

+*+*+*+*

 いまは、隻眼の月が、蛇を見下ろしている。
 照らし出している。
 林檎は消えてなくなってしまった。

+*+*+*+*

 月に吼えよ、獣ども。
 地を這いずる獣ども。
 それとも、声は失われたか。
 蛇ども、蛇ども、きさまは声をも、ヒトに取り上げられたのか。




<了>
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2005年01月06日

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