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『歌のある、年越しの風景 』
光月・羽澄1282


 彼女は、嬉しそうに微笑みながら、鞄に服を詰めている。
 12月31日の昼下がりだった。
 今の今まで、光月羽澄には仕事があって(年賀状を書く暇もないほどだったが、このスケジュールを見越して、彼女は12月上旬にはすでに年賀状の準備を整えていた)、彼女は疲れているはずなのだが、表情は明るい。『胡弓堂』の2階にある彼女の部屋のカーテンが閉められ、衣類が詰め込まれた鞄のジッパーが閉じた。鞄の傍らには、古き良き風呂敷に包まれた重箱もある。
 コートの袖に手を通しながら、彼女は呟く。
「……ま、何か足りなくなったら、取りに帰って来ればいいんだし」
 同じ都内にある、世話になっている人間の家で、年末年始を過ごすだけだ。彼女は毎年そうしていた。そしてきまって毎年、急に必要になるものが出てきて、冷えた『胡弓堂』の自室に舞い戻っている。去年は、愛用の櫛を忘れていたことに元旦の朝方気がついたのだ。
「今年は、何が足りなくなるのかしら」
 彼女はそれでも、楽しそうに微笑んで、鞄を持った。
 それと同時に、店の中から声がかけられた。つい先日聞いたばかりの声だが、羽澄がいまもっとも待ち望んでいた声でもあった。
「おうい、羽澄! 迎えに来たぞー!」
 羽澄は笑みを大きくして、重箱を小脇に抱えた。
「はーい、今行くね!」

 羽澄を迎えに来た優男は、Lirvaとしての羽澄や、年末年始の羽澄の世話を焼く、彼女にとって大切な存在だった。雪のために少し汚れてしまった愛車で、彼は羽澄を迎えに来る――もう、何年も前からの、しきたりのようなものだった。羽澄は毎年、この男の家で年を越す。
 大晦日の東京に雪が降るのは、数十年ぶりだという。車はのろのろと慎重に進んだ。視界は白で染まり、羽澄は思わず口を開けて、車窓の外の光景を見入ってしまっていた。
 多くの人が、手に大荷物を抱え、雪から逃れようとするかのように、危うい足取りで道を行く。早く帰って家で大人しくしているべきなのだ。そう考えているのは、車中で他人の心配をする羽澄ばかりではない。
 歩道から目を前方に移す。ワイパーが慣れない雪をかき分けていた。
「今年も皆で過ごせるのね」
「ああ。いつものメンツが揃ってるよ」
「あら、みんなもう集まってるの?」
「おまえは後回しにしても大丈夫だからな」
「何それ、ひどい」
 クリスマスは慌しかった分、この日から数日はゆっくりとした時間が流れる。いまこのときのように、ゆったりと時間はたゆたう。
軽口を叩き合ううちに、羽澄が待ち望む邸宅がフロントガラスの向こう側に現れた。そこは、羽澄だけが待ち望んでいる時間をもっているわけではない。その家そのものが、羽澄を待っている。あの家の中で、待っているのだ。

「羽澄! やっと来た」
「あー、久し振りー」
「また、すごい荷物だなあ」
「だーお前ら、そこにGメンみたいに並ぶな、上がれないだろうが!」
「上がれよ、呑むぞ!」
「ち……ちょっと待って、まだ3時……って、お酒臭ッ!」
「お前らー! 家主の酒を勝手に呑むな!」
 この騒々しさは、年が明けるまで――いや年が明けた後もしばらく続くのだろうと、鞄と重箱を抱えたままの羽澄は苦笑した。
 しかし何にせよ、この喧騒は、毎年この広い家の中にあるべきものなのだ。肉親を持たない羽澄は、この家とこの声たちのおかげで、年末年始、ついぞ寂しさを感じたことはない。ここが自分の在るべき場所で、在ってもゆるされる場所なのだ――この喧騒は、自分を待ってくれている。
 ――ただいま……。
「おじゃましまぁす」
 双子に引っ張られながら、羽澄はこの家に上がり、早くも酒の匂いが漂う居間に入っていくのだった。


 それから、気がついたときには、ひどい雪もやんでいた。そして、日も落ちていたのである。気の利く者は多かったが、羽澄を含めた世話役がおしゃべりの片手間に夕食や肴の用意をしているうちに、毎年恒例の歌合戦が始まっていた。
「今年はあの電飾……じゃなくてセット……ちがった、衣装をやらないんだってな」
「そうなんだ、知らなかった」
「代わりに誰かが目一杯金使うさ」
「みんな衣装とか踊りじゃなくて、歌に注目しなさいよ」
「歌合戦なのになあ、勝ち負けのことみんなどうでもよくなってるんだよな」
「羽澄、そんなにぱたぱた動くなよ。そろそろ座ったらどうだ? 何にも食べてないじゃないか」
「だって、皆動かなくなっちゃったんだもの」
「動かなくていいんだ、もう、誰も。明日になるまで、のんびりしてりゃいいのさ」
「明日になっても、だよ。3日まで休みなんだもの」
 居間でどっかりと腰を落ち着けてしまっている面々が、羽澄にそう笑いかけた。
 もう、と苦笑する彼女は、結局豪華な夕食が並ぶ座卓の前に座ったのだった。
 歌合戦は、半ばほどまで進んでいた。おそらくはクラゲをイメージしたであろう豪華な衣装に、羽澄は思わず、「何だか、旧支配者」と呟いた。

 年が明けていく、
 こうした年明けを、自分はあと何度過ごすことが出来るだろう。

 血の繋がらない家族たちの間を渡るお年玉は、金の姿を持っていなかった。クリスマスに渡されてもいいような、各人の望むものの姿をとっている。
 ふと、喧騒から羽澄は連れ出された。人の熱気がこもる居間から、こっそり、台所に。
「ほら、『お年玉』だ」
 Lirvaのプロデューサーである彼は、居間の様子を横目で伺っていた。まるで、ここが東京の街の真ん中であるかのような素振りだ。羽澄が彼から受け取ったのは、CDと楽譜だった。
「どうしてこそこそするの? ここにいる皆は、知ってるのよ。特別なんだもの」
「知らない奴だって今から来るかもしれないし、そいつは、誰にも知られてるはずがない」
 彼の言葉は謎のようだ。
 羽澄は顔に疑問の意をあらわにしたまま、手渡されたものに目を落とした。

 “Gemini”,

「あ」
 声を上げたあと、羽澄は物取りの目つきで居間の様子を伺った。双子がいる。双子は、まだ夜だというのに、すでに雑煮をつついていた。楽しげに笑っていて、台所の羽澄たちには気がついていない。
 羽澄のもとに、記憶がもどってくる。
 年末の忙しい時期に、彼女は、彼におねだりをしたのだ。『お年玉』にしてくれとは言わなかったが、ただ、急いでほしいと言ってあった。
 それは双子の誕生日に捧げるバラードで、伴奏はピアノだった。

『即興でもいいの。なるべく早く、作ってほしいんだけど』
『誰にやる歌なんだ』
『双子よ』
『今の時期、どんなに修羅場ってるか、わかってるだろ……』
『わかってる。……ごめん』
『まったく。……ま、わかった。そういうことなら、出来るだけやってみるさ』
『ありがとう』

「――ありがとう!」
 喚声を上げて、羽澄は彼に抱きついた。羽澄がこれほどわかりやすく喜びを示すのはそう頻繁なことでもないために、優男は虚をつかれ、よろめいた。
「お、おいおい、まだ一番までしか――」
「それでもいいの。すごく、素敵!」
 羽澄は、年明けからしばらく経った後の完成を覚悟していた。もちろん、楽譜も歌詞も、すべてがまだまだ中途のものであるのだが、羽澄にとっては、もはや出来たも同然のものでしかなかったのである。
「よかったな、羽澄。そんなにいいものもらったのか」
 居間から妙に楽しげな声が上がり、羽澄は明るく笑うのだ。
「そう、すごく、いいものよ!」
 楽譜をいちど見つめただけで、羽澄はそのフレーズを口ずさむことができる。
 流れる旋律は、優しく、素敵なものだった。
「こっそり渡した意味がなくなっちまったよ」
 彼は、羽澄を支えながら、こまった笑顔になっている。

 笑い声と歌声が落ち着くのは、1月3日を過ぎてからだった。
 羽澄は1日の朝、置き忘れたかんざしを取りに、『胡弓堂』へいちど戻るはめになった。




<了>
 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2005年01月06日

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