『私は時間の値札は見ない主義です 』

神宮寺・夕日（3586）＆深町・加門（3516）

　――プロローグ
　
　超美人、うわ東大なの。げ、今は刑事？　すげぇキャリアウーマンって感じじゃん。俺憧れちゃうなあ。もしかして強いとか。あははは。
　……とか。
「そんなことないですよ」
　なんて猫なで声で言ってしまったり。
　神宮寺・夕日はレストラン・吉祥寺の広いトイレで吐き気を抑えていた。もちろんツワリなどではない。実を言うと、この合同コンパという名の交流会が彼女は苦手なのである。何が嫌いかと言えばさんざん男に持ち上げられるとか、円滑な会の進行に差し障りが出ないようについ笑顔と愛想のいい声で答えてしまう自分の意識とか。
　合コンは無意識の悪意と作為的な好意に満ちている。
　トイレの大きな鏡に映る自分の顔色を見て、ハンドバックからファンデーションとチークを取り出す。心情的な顔色がもし肌に表れるとしたら、今夕日は最低な顔つきをしていることだろう。だがそんなことはなく、少し顔色が悪く見えるだけだった。
　髪型をさささと直し、学生を気取って着てきたウェスタンシャツを整え赤い縁取りの度抜き眼鏡をかけ直してから、夕日は大きな溜め息をトイレに流しピンヒールのブーツを鳴らしてトイレを出た。


　――エピソード
　
　この合同コンパに出ることになった原因は、深町・加門である。
　いや、直接の原因ではないかもしれない。だが、ともかく彼なのである。何が問題だったかというと、彼があまりにもうだつがあがらなそうで、話を聞いた夕日の知人達が「悪い男に引っかかっている」と認知してしまったのだ。そういう理由があり、夕日はこの合コンに呼ばれている。
　目の前には、天然パーマで手足が長くてあたたかそうなチェックのシャツを着た男が座っている。彼は会話に参加することなく、煙草をすっていた。手元の灰皿は店員が二度ほど交換したにも関わらず、山になっている。
　夕日の知人が用意した対夕日平気が、この深町似の男であった。
　似てないとは言わないが、似ているからといってなんなんだと思う。
　いや、似てないよりは似ている方がいいに決まっている。職場の某たたき上げ刑事のひょろ長いボサボサ頭に、毎朝トキメキかける夕日だった。ひっかけたビジネスコートが哀愁を誘う。
　セッティング通り、深町似の男と夕日は隣同士に座っていた。
　だが、気質までそっくりなのか知らないが深町似の男はしゃべらない。煙草を切らして立ち上がり、戻ってきて席に座ったときにだけ、こう言った。
「あんた、つまんなそう」
　夕日がぎくりと身体をこわばらせる。だが彼は興味がなさそうに、チューハイを店員に追加した。
　レストラン・吉祥寺には大きな窓がついていて、団体客は窓から遠い奥へと通される。話しかけられても生返事を繰り返すようになった夕日は、ウーロン茶を飲み潰されていくはかなき休日のことを考えていた。こうして潰れなかったにしろ、加門と共に過ごせた筈はないのだけれど。
　前に座っていた知人が窓を指して目を丸くしている。
「ちょ、喧嘩よ」
　彼女は窓を指差していた。半ば反射的にその方向を見やると、厳つい三人の大男が細長い男の肩を突き飛ばしているところだった。偶然とは恐ろしいもので、その細長い……モスグリーンのトレンチコートを着て煙草をくわえている、やる気のなさそうな天然パーマの男は、深町・加門だった。
「あ、加門」
　夕日がつい口走ったのを聞き取った知人が、嫌そうな顔で夕日を見つめる。
「おい、まさか例の彼？」
　夕日は素直にうなずいた。
　窓はスクリーンのようにＶシネマ系の映像を流していた。小突かれた加門は一歩足を引き、口にくわえていた煙草をぺっとアスファルトに吐き出した。相手の男が殴りかかろうと右腕を振り上げたところへ、思い切り顎を殴りつけた。その後加門は逆端の男の股間に思い切り膝蹴りを入れ、フリーだった左腕の肘で真ん中の男の頬を弾いた。
　三人の男達が霧散するように窓からいなくなる。倒れたのだろう。加門は下を眺めながら、煙草をポケットから一本取り出して火をつけた。
「喧嘩が強い……」
　知人の呟きを受けて夕日が顔を明るくする。
「ねえ、でしょう？　カッコイイでしょう！」
「……あんた重症だわ」
　夕日には十二分ほどかっこよく映っているわけだが、彼女にとっては違うらしい。
　立ち上がった一人の男の髪の毛を引っ掴んで、加門が煙草をくわえたまま何かを言っている。それから最後にその男の頭を放り投げ、頭は店の窓に当たった。
　加門は店の方向を指してまた何か言い、自動ドアを踏んでレストラン・吉祥寺に入ってきた。夕日ははたと自分の立場に気がついた。今なんと夕日は合コン中である。これを見つけられたら、何を言われるかどうなるやら想像もつかない。
　しかし加門はウェイターの案内も待たずに団体客近くのカウンターまで歩いてきて、なんと奇跡的なことに、夕日の方を見た。
　さ……さいあく……。
　夕日の呻きなど加門には聞こえない。
　そしてあろうことか彼は上機嫌で言った。
「よお、神宮寺」
　ヨレヨレのコートのまま、彼は夕日の席まで近付いてきた。夕日の方は、冷汗ダラダラである。
「聞いてくれよ、今日あのラッキー野郎にジャンケンで勝ったんだぜ」
　加門はヘラヘラ笑いながら顎をさすった。
「そ、それはよかったわね」
　彼は近くに座る席がないかどうか見回してから、夕日がどうやら他人と一緒であるということに気がついたらしい。
「あ、邪魔したな」
　気分を害された風ではなく、両眉を少し上げただけで加門は片手を上げてカウンターへ向かった。
　このチャンスを逃す夕日ではない。
「じゃあ、そういうことだから」
　彼女は笑顔で合コン途中で呆気にとられているメンバーに別れを告げ、ハンドバックとコートを持って席を立った。カウンター席に座ってメニューも見ずにコーヒーを注文している加門の隣に急行する。
「偶然、私もブレンド飲もうと思って」
　夕日は加門に言った。加門は煙草を片手に持って、隣に座る夕日と団体客を見比べた。
「お仲間さんは？」
「ああ、あれ？　井戸端会議みたいなもんだから」
　手をひらひら振ってみせる。加門はじいと団体客を見つめてから、気がついたように言った。
「合コン？」
「いやだから井戸端……」
「脈がないってわけだ」
　加門がニヤニヤ笑う。煙草の灰を灰皿に落としながら、ふうと白い煙を吐き出した。
「脈って、そんなんじゃ」
「片思いってやつだろ。お前見てりゃわかるさ」
　言って加門は少し寂しそうに笑った。一本煙草が吸い終わる前に、コーヒーが運ばれてくる。持ってきた店主に夕日もブレンドを頼んだ。
　どうしてそこまで辿り着いていて、加門はそれ以上を気付かないのか。
　片思いをしていることまでわかっているのなら、相手が誰かぐらい推してわかるのではないか。もしかして、気付かないフリをされているのだろうか。無言の拒絶というやつ？　それは救われない。あまり救われないので想像を却下する。
「あのさ」
　このまま勢いで言ってしまえば、と夕日は土壇場度胸をくくった。
　しかし加門はコーヒーに目を落としながら言った。
「そういう相談はパスだ。聞くのも好きじゃない」
　ぴしゃりと言い切られて、夕日は口を噤む。加門は煙草を灰皿に押し付けて消し、その立ち昇る煙を見上げながらコーヒーを一口飲んだ。
「そんな言い方はないんじゃないの」
「うるせぇなあ」
　真相が真相なだけに、しつこく食い下がるわけにもいかない。
　何か言葉を継ごうと試みたが、口をパクパクさせるだけに終わった。
「誰かいるだろ、適任者が」
　加門はふふりと笑った。
　今日の彼は果てしなく上機嫌らしい。
「お腹へらない？」
　顔を覗き込むようにして聞くと加門はコーヒーカップから口を離した。
「金ならないぞ」
「やあねえ、あんたみたいな甲斐性なしに頼る桜田門だと思わないでよ」
　夕日が余裕の笑みを浮かべると、加門は特に考えるところがないといった顔で夕日を見返した。
「じゃあ、そうだな……テンプラでも食いに行くか」
　加門はコーヒーを飲み干した。
「お前のオゴリで」
「ま、任せなさいよ」
「でもなぁ、ツケがあるから入りにくいんだ」
「ツケ？　ツケなんかがなんぼのもんよ。こっちは冬のボーナスもホクホクだもの」
　決まったと加門が立ち上がる。その時夕日のコーヒーが運ばれてきた。置かれた伝票を手にとって、ポケットの小銭を手に取り出した。
　取り残されたコーヒーには見向きもせず、もちろん遠き思い出になりかけている合コンも深町似の男も記憶の片隅にも納めずに、夕日は加門について店を出た。


　加門の愛車である青いクーパーは路上に停めてあった。
　運転席から助手席の鍵を外して、加門が中に入るよう合図する。
　乗り込むと車の中はやはり煙草くさかった。外見はきれいに掃除がしてあるだけに、中と外のギャップがすごい。
「あんた、誰と喧嘩してたの」
　夕日がシートベルトをつけながら聞いた。加門は手際よく車を発進させる。
「見てたのか。知らん賞金稼ぎだ」
「仲間に因縁つけられてたのね」
　呆れたように言うと、加門は口を尖らせた。
「仲間だなんて思ったこたぁねえよ」
　ハンドルに片手を置きながら、加門はふわぁと大欠伸をした。
　
　
　東京駅周辺の細かい車道調整を眠たい目をしたまま切り抜けて、車は裏路地に入った。
　古い看板のテンプラ屋の二台しか入らない駐車場の前でクーパーは停まり、加門が夕日に声をかける。
「降りろ。車入れるから」
　夕日は言われた通り車を降りた。
　……本当は、バックをするときに後ろを振り返る運転手と急接近が楽しみたかったのだが、降りろと言われてしまっては仕方がない。食事まで漕ぎ着けたのだからよいとしよう。それにしても、見上げたテンプラ屋はなんとも心寂しい雰囲気を漂わせた佇まいだった。
　どうせ高いなら、お洒落な……店とかね。
　心の中で少し抗議してみるものの、車から出てきた加門の前に口には出さなかった。
　加門はガラガラと引き戸を引いて、中に入った。続いて入ると油の匂いが鼻についた。店内は見た目ほど狭くはなく、座敷に二組ほどの客が入っていた。
　加門が片手をあげる。
「よお、大将。ひさしぶり」
「ああ、深町さん。あんたツケ踏み倒して逃げたのかと思ってたぜ」
　大将が顔をあげて眉根を寄せた。加門は片手をヒラヒラ振りながらカウンタに座った。
「払いにきた」
「そりゃあ景気がいいじゃねえか、なんだめずらしい」
　店主は夕日を見て目を丸くする。加門はそれに気がついてうやむやに言った。
「ああ、それは俺の」
「見りゃわかるよ、カウンタじゃなくてテーブルにしたらどうだ」
「別にいいよ。いつものやつ、二人分」
「ありゃあ女の子にゃあ多いんじゃねえの。まあ加減してやらあ」
　夕日はすごすごと店の中に入り、木の椅子を引いて加門の隣に腰を下ろした。中から中年の女性がお茶を運んでくる。彼女は加門と挨拶をして、夕日にも愛想良く会釈をした。
　手渡されたおしぼりで手を拭いていると、お通しのような小皿が二人の前に置かれた。
　山菜が盛り付けられている。
　店内を見回すと、あちこちに古い映画のポスターが貼ってあった。
　無言で小皿を食べ切った加門に訊く。
「よくくるの」
「ああ、あいつらとたまに」
　あいつらとは、加門がいつもつるんでいる数人の賞金稼ぎ達だろう。
「へぇ……渋いお店ねえ」
　加門は夕日の耳元に口を近づけてささやいた。
「そのかわり高い」
　夕日は突然降ってきた顔にめまいがする思いで、そのなんでもない台詞を聞いた。
　衣の跳ねる音がする。
　
　
　――エピローグ
　
　夕日が財布を出したレジスターの前で、大将は加門に言った。
「女の子に出させるのかよ、深町さん」
「今日はこいつが言うから連れてきたんだ」
　いけしゃあしゃあと加門は言って、ごちそうさんと片手をあげて引き戸を開けた。
「……カードでいいですか」
　気の毒そうに見つめられて、夕日はそれを振り切るように言った。が、内容は情けなかった。
「三回払いで」
　深町・加門のためにためたツケは約八万円。しかも好きなだけ食べろと夕日が豪語したせいで、本日の額は二万二千円だった。十万円が出る食事代……これは……人としてどうなのだろうか。
　しかしそういうところは徹底的にルーズなのか、加門が気にしている素振りはまるでない。
　外へ出るとクーパーが道に出ていて、加門がボンネット越しに言った。
「お礼に送ってってやるよ」
　片手に煙草を持ってその手をボンネットに乗せている姿は、夕日にとっては、まさに運命の相手であり赤い糸の先であり、極論的に言えば皇子様なのかもしれない。

　
　――ｅｎｄ
　
　
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■　　　登場人物（この物語に登場した人物の一覧）　　■
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【3586／神宮寺・夕日（じんぐうじ・ゆうひ）／女性／24／警視庁所属・警部補】
【3516／深町・加門（ふかまち・かもん）／男性／29／賞金稼ぎ】

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■　　　　　　　　　ライター通信　　　　　　　　　　■
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少し深町氏の機嫌をよくしてみました。
お気に召せば幸いです。

文ふやか

PCシチュエーションノベル（ツイン）

文ふやか

東京怪談

2004年12月27日