▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『空は無邪気に青く 』
真名神・慶悟0389)&真名神・命依(2513)

 誰がつけたかは分からないが、実に皮肉な名前だと苦笑した覚えがある。忌み子と大っぴらな陰口を叩かれつつも、己の生まれもった能力を一族の為に文句ひとつ言わず差し出した姉。その身に異質なものを呼び寄せ蓄えんとするその稀有な力は、まさに己が命を糧として差し出し、依らせるものであった。そうした事を繰り返したその先に何があるのか、何が待ち受けているのか。真名神・命依は不安に思う事はなかったのだろうか。
 それは、今となってはどう足掻いても知る事の出来ない、永遠の謎となってしまった。


 夜明け近い屋敷の最奥で、静かな読経の声が響く。その声は幾重にも重なり響き合い、何人もの人間が声を合わせ、またはそれぞれの役割に合わせて違う呪言を唱えていた。
 真名神一門が暮らし、陰陽道の役目を成しているその屋敷の一番奥は、限られた者しか足を踏み入れる事の出来ない座敷だ。
 慶悟も実は一回も入った事がない。能力的な資格から言えば、慶悟にはその資質が充分あったのだが、その座敷で一日の殆どを過ごしている―――それは遠回しな隔離だった訳だが―――姉の命依に、頻繁に会わせたくない、と言うのが一門の意向だったからだ。
 その日も、夕方頃からその読経は始まっていた。怨霊退治のような依頼に於いて、符や言でその場で調伏する事が困難な場合、真名神では特殊な手段が嵩じられた。
 今、依頼を受けたその土地にも、真名神の者が居る。煙のように沸き上がる、一部の人間にしか見えない怨念の渦を、呪を言葉で紡ぐ事で成長を抑え、動きを封じ込める。本来ならここで呪符なり祈念なりで魔を封じ込めるか消滅させるのだが、今回はそれが出来ない。そこでどうするかと言うと、まずは現場に来ていた別の陰陽師が、魔の上空に空間の切れ目を作る。その切れ目は、真名神の屋敷側に居る陰陽師の力も借りて、例の座敷の天井辺りへと繋げられた。すると、念を渦立たせる魔は、その空間の繋ぎ目から、まるで掃除機か何かで吸い上げられるかのよう、人には聞こえない悲鳴を上げながら空間の裂け目に吸い込まれて行く。執着した場所から引き剥がされた魔が辿り着くのは、当然、真名神の屋敷内だ。そこに居るのはひとりの女。時にその表情は幼い少女のようであり、ある時は成熟した大人の女のそれである時もある。それは、己の中に存在する、真名神一族の中にあっても希有な能力の所為であろうか。霊や鬼、人ならざるものなどが命依に惹かれて集まり、その中で人の意識と鬩ぎ合うから、彼女はいつも揺れるような表情を称えていたのかもしれない。
 渦巻く怨念は、目の前にいる命依の存在に気づくと、条件反射のように彼女目掛けて飛び掛かる。それを畏れもなく、命依は受け止め、己の身体の中に取り込んだ。尤も、もしも命依がそれを拒否したくとも、それは叶う事はなかったが。命依には、本人が望むと望まざるとに関らず、何かそう言ったものを惹き寄せるフェロモンのようなものがあったのだ。
 命依の黒曜石の瞳が光と表情を失い、濁ったビー玉のようになる。それは、命依の中で存在を主張する魔が、本来の住人である筈の命依と鬩ぎ合っているからだ。そうするうち、魔の方にも隙が生じる。その瞬間を狙い、回りで控えていた真名神の陰陽師達が、一斉に封印の呪言を唱え、憑依させたままの命依に向けて鋭く印を切った。
 ザッ!と空気を切り裂くような音がしたような気がした。実際には、切られた印が空を飛んだ音であって、普通の人間の耳には届かない類いの音だ。稲妻のようなそれは水平に宙を斬り、命依の身体を通過する。生身の人間には効かないとは言え、中で切り裂かれる魔が感じる衝撃は、魔と絡まり合っていた命依にも当然届く。ぐっと息を詰まらせるも、一瞬目を硬く閉じただけで、その端正な美貌を歪ませるような事は無かった。
 依頼が完了し、陰陽師達は座敷を出て行く。疲れからか、片腕を畳について俯く命依を案ずる者などいない。小間使いの女達が現われ命依の世話を焼くが、それもどこか事務的で、労りの言葉どころか、全く言葉を発する事がない。それも既に馴れた事なのか、命依は特に気にした様子も見せなかったが。
 だが、その黒い瞳は僅かに感情の揺れを見せる。やがて、ゆっくりと全てに向けて瞼を降ろした。


 「……あ」
 長い廊下で慶悟が立ち止まる。屋敷の回廊で、広い庭を挟んだ向こう側の廊下を、姉の命依が歩いているのだ。珍しく、お供の者は誰もいない。ひとり、足音も立てず気配も殆ど見せず、楚々とした雰囲気を漂わせていた。
 たったひとりの血を分けた姉弟なのに、一日の内でも顔を合わせる事が出来る機会は、随分限られているような気がする。日中は、修行だの行儀作法だの茶華道のお稽古だのと、何かと忙しい事もあるが、何よりも一門が、慶悟が命依と関わるのを良しとしていない風情があった。潜在能力的にも陰陽師としての将来を期待され、幼い頃から厳しく躾られている慶悟と、蔑ろにされている訳では決してないが、それはあくまで忌み子としてどちらかと言えば障らぬ神に祟りなし、と言った感じで周囲と距離を置かれている命依では、互いに姉と弟らしい関わりを保つ事が叶わなくても仕方がないのだろう。
 立ち止まり、姉を見詰める弟の存在に、命依も気づく。歩みを止め、中庭の方を向くと、自然とそれは慶悟と正面切って向かい合う恰好になる。
 無駄に広い庭だから、例え名を呼んでも、相手には満足には伝わらないであろう。そうでなくとも、慶悟が命依と言葉を交わしていると、いつもどこからか誰かの視線を感じたから、居心地が悪くて長く話していられる事ができない。命依には気づかれないように細く溜め息をつく慶悟の、風に揺れる黒い髪を、命依は静かな視線で見詰めていた。
 やがて、誰かが慶悟を呼ぶ声がする。それになにか一言二言と言葉を返し、慶悟は踵を返した。背を向ける直前、松の枝振りの隙間に見えた姉の顔は、いつものように美しく、またいつになく寂しそうにも見えた。

 その時、命依は既に自分の運命について何かしら悟っていたのかもしれない。その事を、もっとあの時点で突き詰めてみるべきだった、と慶悟は金色の髪を掻き上げながら、想像の域を越えない後悔をするのだった。


 それから暫くしたある日、命依が一族の里を出て行く後ろ姿を慶悟は見た。とうとう追い出されたのか、と慌てて駆け出した慶悟を、教育係の年老いた陰陽師に止められた。
 「心配する事はない。依頼を受けただけだ。彼女でないと、片付けられない仕事なだけだ」
 「でもどうしてここを出て行く必要があるんだ?今までだって、出て行った事はないだろう。いつものように、次元を繋げれば済む話じゃないか」
 そう反論する慶悟に、陰陽師は無言で首を左右に振る。
 「物事はいつも同じように片付けられる訳ではない。その時その時の状況と相手に応じ、手段を変えていける事こそが、陰陽師として生き残る術だ」
 陰陽師の皺の深い顔をじっと見詰め、慶悟は説得力ないな、と苦笑いを零した。

 命依は、陰陽師の言葉どおり、真名神が受けた依頼を解決する為に里を出た。いつも通り、土着の魔を封印して治める事が目的であったが、この時、真名神の陰陽師達は、何かあっても命依が全てその身に呑み込んでくれる、とばかりにタカを括っており、その魔の正体が何であるかをしっかりと事前に見極める事を怠ったのだ。少し綿密に調べれば、その魔がどれほど危険なものかは容易に判った筈だった。それなりの準備をして能力の高い陰陽師を揃えて向かえば封印出来たものを、油断が、この後のとんでもない事態を招く結果となったのである。
 幾人かの陰陽師達が、対象の魔の動きを制限する為の呪を口の中で紡ぐ。その中央で、命依は静かに正座をし、その時を待っていた。その表情はいつもように美しく、そして気高く映える。薄暗い洞窟の中にあってなお、そこだけぼんやりと明るく光を放っているかのようにも見えた。
 その時、その場の空気がぐらりと揺れる。魔が動き始めたのだと悟り、その場に緊張が走った。命依も閉じていた目を開き、己の目の前の宙を見る。そんな命依の黒い瞳が、驚いたように見開かれた。
 「……これ、…は………」
 待って、と命依が陰陽師達を制止しようとした。が、時既に遅し。陰陽師達の呪言により、活性化した闇が、一気にその力を強大化させ、皆の前に立ち塞がったのだ。
 「な、…なんだこれは!」
 「こんな悪意の篭った怨念は初めてだ……」
 「怨念なんて生易しいものじゃないぞ、これは…これは、…闇そのものじゃないか…!」
 口々に陰陽師達が言う、その真ん中で動かない命依目掛けて、闇はその身を翻し、彼女に取り憑いた。
 「命依に憑いたぞ!今だ!」
 「いや、…無理だ……」
 呆然と、陰陽師のひとりが呟く。その目は恐怖で閉じる事ができないかのよう、カッと見開かれて命依を凝視している。命依は、その身体に取り込んだ闇の、どす黒い負の力に細い肩を震わせている。なんとかここにいる陰陽師達で封印出来るぐらいにまで、この闇の力を抑え込もうとしたが、その努力はあっさり打ち砕かれる。闇は、命依の力そのものを利用出来ない事を知ると、彼女の身体に取り込まれたままで巨大化し、その洞窟一杯に広がると、近くにいた陰陽師のひとりを頭から呑み込んでしまったのだ。
 「ダメだ!逃げろ!」
 「だが、命依が……」
 「無理だ、もう私達の手には負えない!」
 そんな叫びを上げる陰陽師達を、闇は次々と呑み込んで行く。その度に、彼らの力を吸収して更に巨大化していく。その中央で、逆に取り込まれそうになりながらもなんとか己を保っている命依が、苦しげにその整った眉を潜めた。
 「いけない……ダメ、これ以上は……」
 止めて、と己の中の闇に懇願するが、そんな言葉を聞くような相手ではなく。命依自体を己の支配下に置こうとする闇との攻防も、次々と陰陽師達の能力を吸収している闇が相手では命依に余りに分が悪すぎた。消え掛ける意識の中、命依の脳裏に浮かんだのは、たったひとり、血を分けた実の弟の顔だった。
 『……けいご、………』
 細い声が、その名を呼ぶ。それが一門を根こそぎ壊滅させてしまう切っ掛けとなろうとは、命依もさすがにそこまでは考えが及ばなかったのである。


 「………ん?」
 慶悟が振り返る。どうした、と尋ねる教育係を尻目に、慶悟は空を仰いだ。
 『今、誰かが俺を……』
 「うん?何事だ」
 思案する慶悟の脇を、幾人かの陰陽師が焦った様子で走って行く。それを見た教育係の年老いた陰陽師は、慶悟にそこに居るようにと言い残し、走っていく陰陽師達の後を追った。
 「気の所為か…まぁ、いいか」
 深く気にするのは止め、慶悟は近くにあった木の根元に腰を下ろす。両手を頭の後ろで組んで枕にし、太い樹の幹に凭れ掛かった。頭の上は抜けるように青い空と白い雲、この里が人里離れた山の中にある所為か、ここで見る雲はいつも早い速度で流れて行く。今日もやっぱり、煙を棚引かせたような雲があっという間に慶悟の視界を右から左へと横切って行く。何気なくそれを眺めていた慶悟だったが、不意に身体を起こし、険しい表情で空を見上げる。
 「…何だ、あの雲……いや、あれは…雲じゃない…!?」
 慶悟が見たのは、白い雲に混じって灰色の雲、それも次第に濃度を増し、いつしかそれは真っ黒の雲になってこちらを目指してくる。それが、意思を持った闇の塊である事に気づいた慶悟は、先程の陰陽師達の騒ぎがこれに起因していたのだと理解した。
 それは、命依が取り込んだ、いや命依に取り憑いた闇の塊だったのだ。呑み込まれた陰陽師達は全員闇の一部と化し、命依自身も既に半分以上闇に支配され掛かっていた。その残った僅かな部分で命依は故郷を、ひいては弟の事を想ったのだ。それを繁栄して、闇は命依の記憶を辿ってここまで飛んで来た。命依の残った意識の中では、弟に会いたい気持ちとこの闇を連れ帰ってはいけないとの相反する気持ちが鬩ぎ合っていた。時折、闇が身を捩って苦しんでいるような様を見せているのが、その証拠だ。だが、一回開放され掛かった闇の力は半端では無かった。闇は真名神の里に降り立つと、そこにいる陰陽師達を呑み込み始める。今度は人間だけでなく、霊力を帯びた鏡や刀などの物も呑み込み始め、そこに潜む力を全て己のものにしていく。
 『ダメ…逃げて……』
 「……姉さん?」
 身構えた慶悟に、姉の声が響く。弟を、最早自分の力では制御できない闇の犠牲にしてはならない。そう願う命依の気持ちは、裏返せば慶悟への深い愛情と邂逅への渇望を示していた。闇が、それに応えない訳がない。やがて闇は、この真名神の里でたったひとり最後に残った陰陽師、つまりは慶悟の目の前に立ち塞がった。
 「……な、………」
 慶悟は、その闇の禍々しさと強大さに思わず息を飲む。それでも、その闇の真ん中に、命依の顔が小さく浮かんだのを見逃さなかった。
 「姉さん!」
 『慶悟…ダメ……』
 苦しげに顔を歪めた命依は、それでも弟を案じ、来てはならぬと首を左右に振る。闇の中で、抗わんと姉が必死に闘っている事に気づいた慶悟は、それを援護しようと両手で印を組み、呪言を唱え始める。その瞬間、その力を自分のものにせんと、闇が慶悟目掛けて飛び掛かった。
 「……ッ!」
 言を中断されて慶悟が舌打ちをする。闇の第一撃は横っとびに転がって難を逃れたが、地面を転がった拍子に肩を打ち、その痛みに身体の自由が奪われた。その隙を見逃す筈はなく、闇は嬉々として慶悟に襲い掛かる。伏せた位置から腕を突いて上体を起こし掛けた慶悟の顔が、歪んだ。
 「……ッ、ダメ―――……!」
 命依の悲鳴が闇を切り裂く。弟を護らんとする彼女の気迫は、闇を全て己の中に取り込み、封じ込める事に成功した。が、半端ではない闇の負の力を抑え込む為には、彼女自身の能力を完全に混ぜ合わせる必要があり…結果的に、命依は完全に闇と同化してしまったのだ。
 「……ね、えさん………?」
 恐る恐る、慶悟が姉を呼ぶ。ぐらり、と首がもげた人形のように命依の首が傾ぐ。ゆっくりと顔を上げたその表情は、既に見慣れた姉のものではなかった。ぞくり、と慶悟の背筋を寒気が走る。多分、生まれて初めて感じただろう、本能的な恐怖と言うものを、まさか実の姉に感じるとは思いも寄らず、慶悟の唇が細かく震えた。
 「け、…慶悟………」
 「姉さん!?」
 その声に、慶悟は叫ぶ。がくりと項垂れた命依、再び頭を起こした時、その整った顔に浮かんでいたのは、紛れもなく、姉の優しい笑顔だった。
 「……姉さん……」
 「……………」
 命依は何も言わない。何も言えないと言うよりは、言葉そのものを失ってしまったかのようだ。儚げな、優しい風のような微笑みを浮かべたまま、命依は闇に呑まれて行く。その背後で次元の穴がぽっかりと開き、命依の姿は少しずつ消えていった。


 姉さん、と慶悟が声無く姉を呼ぶ。思いは溢れるが言葉にならず、いっそ涙になって迸ればまだしも、それすら許されぬ慶悟の慟哭は、少年の中で蟠りとなって留まるのみだ。
 次元の穴は既に塞がり、周囲は何事も無かったかのように静まり返し、青い空は知らぬ顔で澄み切っている。里の建物は台風が通り過ぎた時のように悉く壊され、人の気配は己以外はさっぱりしない。そんな中で慶悟は、周囲の荒らされようなどどうでもよく、ただ姉の非存在だけが、大きくぽっかりと空いた穴のように空虚に感じていた。

 数日後、噂を聞いた京都の真名神の一派が里に駆け付けると、慶悟はその場で座り込んだまま微動だにしていなかったと言う。

 それはまるで、凝り固まってしまった少年の心そのものであるかのように。


おわり。


☆ライターより
いつもいつもありがとうございます!(平伏)碧川でございます。
相変わらずののろくさペースに、残念ながらクリスマスプレゼントにはならなかったです…(涙)努力はしたんですが。
慶悟少年がお姉さんをどう呼ぶか、のご指定はありませんでしたので、こちらであのような呼び方にさせて頂きました。ご了承くださいませ。
ではでは、またお会い出来る事をお祈りしつつ…今年は大変お世話になり厚く御礼申し上げます。どうか良いお年をお迎えください。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年12月27日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.