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『ひとひら 』
東雲・飛鳥2736


 一番初めに三日月を細い糸のようだと例えたのは誰だろう。
 しぃんと静まりかえった夜の中、東雲飛鳥はそんな事を考え、ふと頬を緩めた。
 
 年の暮れも押し迫った冬の夜、どうにも寝つくことが出来ず、東雲はふと月夜の散策をすることにした。夜風は凛としていて、頬にあたると途端に背筋がぞわりとするような、そんな冷たさをもっている。
しかし、だからこそ余計に、冬の夜空は美しい。
どこか凍りついているような星が瞬き、銀色に輝く三日月は、眠りについた世界をほの白く照らし出している。
 東雲は澄んだ水底を思わせるような瞳を細め、しんしんと降る月の光を仰いだ。
薄く目を閉じると、それはまるで雪や桜の花弁といった、儚い美しさを感じさせる。
冷えた指先を吐く息で温めながら、東雲は、ふと、自分と同じように空を見上げている女の姿に気がついた。

「綺麗な夜ですね」
 適度な距離を保ちつつ、東雲は女に声をかけた。
女はその声に気がつくと、曖昧に笑って頷いた。
「……冬の夜空は、眠りに落ちているような、ゆっくりとした光り方をしますね」
 そう答え、女は再び夜空を仰ぐ。

 東雲は、女のその返事に、小さな笑みを浮かべてみせた。
想像していなかった言葉だった。
こんな夜更けに声をかければ、あるいは警戒されるだろうかとは、思っていたが。
「面白い表現をされますね。……言われれば確かに、そんな感じを受けます」
 ゆっくりと女に歩み寄る。
少し、女と話をしてみたいと思ったからだ。
「でしょう? ほら、あの小さい星なんか、ちかちかと瞬きしているようで」
 女はそう返してふわりと笑んだ。
短く切り揃えられた薄い茶色の髪が、その笑みに合わせてふわりと揺れる。
女が指差した場所に目を向ける。
そこには確かに、かすかに光る暗い星が、ちかちかと消え入りそうに揺れていた。
「……こんな夜更けに女性が一人で出歩くなんて……」
 夜空を見上げながら、東雲が告げる。
「大丈夫です。あたしに声をかける人なんて、そうそう滅多にいませんから」
 夜空を仰ぎ眺めたままで、女が答える。
東雲はついと視線を女に向けて、青い瞳をゆったりと細めた。
「普通の人の目には触れることのない存在だから?」
「ええ、そうです」
 女は東雲の問いに対して大きく頷き、無邪気な微笑をのせて、東雲の方を見つめた。
「あたし、自分で死を選んだんです。このマンションの屋上から飛び降りて」
 そう続ける女の言葉に、東雲は近くに建つマンションに目を向ける。
一人暮しの女性を主なターゲットとして賃貸している、白壁のアパート。
数えてみれば11階ほどあるから、飛び降りれば、まず命はないだろう。
「そうですか」
 女の答えに、東雲は小さく首を縦に動かして、それから再び夜空を眺める。
横の方で、女が小さく笑っているのが分かる。
「どうして死んだのかとか、なんで成仏しないんだとか、訊かないんですね」
 のんびりとした口調でそう放つ女の言葉に、東雲は低い唸り声のような返事を返し、首を傾げた。
「そんな事情はあなただけのものですし、私には関わりない事ですから」
 すると女は自分も夜空に視線を送り、歌うように呟いた。
「体を亡くしてから初めて、色んな事が判るようになりました。――――例えば、あなたがヒトではないものを抱えていることとか」
 小さく笑いながらそう言った女に、東雲は思わず目を向ける。
「……私の本性がお分かりになる、と?」
 丁寧に告げる言葉だが、相手に否と言わせないような残酷な響きが含まれている。
女は柔らかい髪をふわりとなびかせ、東雲の目を見据えた。そして確と頷いた。
「綺麗な月が、あなたの影を暴いていますし」
 そう述べて細い指で東雲の影を指し示す。
見れば、月光に照らし出された東雲の影は、ゆらりゆらりと、二本の角の形を描き出していた。
「……なるほど」
 穏やかに笑う。女も笑い、静かに目を閉じた。
「よく、桜の木の下には鬼がいるんだよって、おばあちゃんに聞かされました。そんなの嘘だって笑ってたんですけど、本当なんですね」
 やはり歌うように、女が言う。
「今は桜の季節ではありませんよ」
 東雲が返すと、
「こうして目を閉じると、月の光が花弁のように感じるんです」
 女が夢見がちに呟いた。

 しぃんと静まりかえった夜の中。
眠りについた世界を照らすのは、糸のような三日月と、瞬きを繰り返す星の光だけ。
その夜空の下にあるのは、鬼を隠した青年と、体を亡くした女だけ。

「奇妙な夜ですね」
 ふと口をついて出た笑いを含め、東雲が告げた。
「まったくですね」
 女も笑った。
「奇妙ついでに、一つ二つ、お訊ねしてもよろしいですか」
「ええ、どうぞ」
 夜空を眺めたままの女に、東雲は一瞬迷った後、真っ直ぐな問いかけをぶつけた。
「そんな若い身空で、なぜ命を絶ったのですか?」
「やはり気になりますか?」
 女が可笑しそうに口許に片手をそえる。
「一つ、参考までにお聞きしたいのです。私は自ら命を絶とうとするほどの、その激情を知りません。この身には、そんな強い念など浮かばないのです」
 真っ直ぐな問いかけと、真っ直ぐな視線。
女はふと笑うのを止めて、東雲の目を見つめて言葉を告げた。
「あたしには、誰よりも好きな人がいました。でもそれは決してかなわない心だったんです」
「なぜ、かなわないのですか?」
「あたしもその人も、同じ女だったから。彼女はあたしの心を知りながら、ごく普通の恋愛をし、ごく普通の結婚を」
 語尾がかすれた。
東雲はわずかに首を傾げ、眉根を寄せた。
「あたしは、だけど、彼女と永遠にありたかった。だからいれものを捨てたんです。風となり、土となれば、離れることなく彼女を包みこめるから」
 ほんの少しだけ睫毛を伏せて、女がそう言葉を続けた。 
「永遠に」
 東雲が呟いた。
「そう、永遠に」
 女が頷く。
「私には理解出来ない。……永遠に続く心があるなどと」
 東雲が頭を振った。
女はただ静かに笑い、「二つ目の質問は?」と歌った。
「……風となり、土となりたいと願うあなたなのに、なぜこのような場所に縛られているんですか?」
 途端に、女の顔が曇る。
「あたしの心が、この場所に食い込んでしまったから」
 伏せた睫毛の下で、女は自分の足元を見やった。
そこには欠けた小さな石が、小さな青い輝きを放ち、アスファルトの中で息づいている。
飛び降りた時につけていた指輪の石が、アスファルトに食いこんでしまったからなのだと、女は続けた。
「あるいは、この霊となっても残る形が、あたしをこの場所に繋いでいるのかもしれません」
 口惜しそうに告げられた女の言葉に、東雲は顔を持ち上げて女を見やった。
「私の元に来れば、魂さえも残さず呑みこんであげたのに」
 東雲の目がかすかに揺れる。
女は東雲のその言葉に、睫毛を持ち上げて目線を重ねた。
「……あたしを、食べるというの?」
「ええ。そうすれば、あなたは風となり、土となれたかもしれません」
「……でも、あたしの心は?」
 不安げに首を傾げる女に、東雲はひどく優しい微笑みを向けた。
「心はあなたのものですよ」
 そう返して微笑みながら、東雲はゆっくりと片手を持ち上げる。
女はびくと肩を震わせて、何事かを考えるような顔をした。
「……あたしを食べても、あなたがあたしの心を理解出来るようにはならないと思うよ」
 東雲の指先を眺め、女が告げる。
東雲は笑って目を細め、首を傾げた。
絹糸のような金髪が、夜風に舞ってふわりと揺れた。

 女も、笑った。


 翌朝、東雲は、女がいたマンションの近くの公園で、別の女の姿を見とめた。
その女は幸福そうに、膨らんだ腹を抱え、歩いていた。

「――――さあ、いきなさい」
 東雲はそう呟いて、掌の中の小さな石を粉々に砕き、宙に放つ。
冬の風が石の粉を巻き込んで、きらきらと流れていく。
「これで、あなたは自由なのでしょう?」
 続けたその声は、風に吸いこまれて消えていく。

 天には、澄み渡る青い色が、澱みを知らず、浮かんでいた。 


―― 了 ――
PCシチュエーションノベル(シングル) -
エム・リー クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年12月27日

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