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『かたち 』
照亜・未都3623

 電車を降りると、頬の上をすべる空気はひどく冷たい。改札へと向かう人々の口元から吐き出される息が白い靄になって、中空へと消えていく。ぶるりと身震いして、もうそんな季節なんだなと照亜未都は考えた。制服の上に羽織ったハーフコートだけでは、日没間際の厳しい冷え込みは防げなくなっている。無防備な足元と首まわりが寒い。
 のんびりと歩く。小柄なほうなので、仕事帰りで家路を急ぐ大人たちの歩幅に無理に合わせても転ぶだけなのはわかっていた。家路を急ぐ人々に次々と追い越されながら、どうしようかなと思案する。ついこの間授業のノートを一冊使い終わってしまって、新しいのを買わなくてはならない。ノートぐらいコンビニでも売ってるけど、高いし種類も少ないし。
 改札をくぐって駅の外に出た。西の空にわずかに残る紫の光の名残は、そびえたつ駅ビルや量販店の建物が放つ極彩色の明かりに比べるとあまりにも儚い。行きかう人々はそれが当然という顔をして、お互いに無関心な様子ですれ違う。未都と同じ車両に乗っていたはずの人々は、皆さっさと各々の帰途について散り散りになってしまったのだろう。
 それは当然のことなのに、でもなんだか置き去りにされたようで寂しい。
 その気持ちは泡のように一瞬ではじけて消える、ただの印象にすぎないのだが。

 駅ビルに入って、書店の隣にある文具店でノートを買った。
 外の冷気とは正反対に、ビル内は暖房が効いている。帰りの途中の寄り道なのか、未都と同じような制服姿も目立っていた。会計を済ませて、同じ学校の見知らぬ生徒たちとすれ違う。今度は誰か友達と来ようとひそかに決める。
 店内に流れているのはよく聞いてみると毎年この時期に流れるクリスマスの歌だ。もうそんな時期なんだ‥‥とあらためて思う。クリスマス、どうしようかな。
 下の階へと降りるエスカレーターに向かう途中でふと足を止めた。
 赤と緑のクリスマスカラーでディスプレイされた手芸店は客もまばらで、店員は暇そうにレジであくびをしていた。



 帰宅して部屋に戻り明かりを点けた。留守の間無人だった自室はすっかり冷え切っていて、コートを脱ぐよりも先にまずヒーターのスイッチを入れた。寒い。
 部屋が暖まってから着替え、机の一番下の引き出しを開けてみた。すぐに見覚えのある紙袋を見つけて少し躊躇ったが、思い切って中を開けてみる。
 記憶の中と同じ場所にあった紙袋の中身は、記憶の中と同じところで編むのをやめた毛糸のセーター。手編み独特の粗い手触りは覚えがあった。
(どうしようかな‥‥)
 駅ビルの手芸店は毛糸のセール中で、だから未都はこの編みかけのセーターのことを思い出したのだった。

 編み始めたのはいつだったろう?
 よく覚えていないが、たぶん事故よりも前だ。お兄ちゃんに渡すつもりで編んでたんだから。棒針で編むのはこれがはじめてだったので、確か図書館で入門書を借りてそのとおりに編み始めた。かぎ針編みとは勝手が違うので最初はずいぶん手間取ったが、もともと手先は器用なほうだったのですぐ慣れた。
 途中で物足りなくなって一度全部ほどき、色の違う毛糸も使って模様を入れることにした。その間に返却期限が来たので入門書は図書館に返し、自分のお小遣いで中級者用の教本を買った。お兄ちゃんに渡すんだから、ちゃんとしたものを作りたいもの。
 その間に本格的に冬がやってきて、年末が迫ってきた。どうせならクリスマスに渡そうと、毎日飛ぶように家に帰って続きを編んだ(一度授業中に編んでいるのを怒られて以来、学校で編むのはやめていた)。
 もともと何かを作るのが好きなせいもあって、熱中するとそれひとつに没頭してしまう。気ばかりはやって目数を間違えることもしばしばで、そのたびに編み目をほどいてそこからやり直すのでなかなか進まなくなった。早く早くと思うほど手はなかなか思うように動かせず、何度もほどいているうちに毛糸はよれよれになってひどく悲しかった。最初から編み直すしかないのかと迷っているうちに、あの事故が起きて未都は人間ではなくなった。

 そっと、手袋に包まれた手に触れる。
 未都のこの少女の姿は、人間だったころの己の姿を模しているにすぎない。いかなる不思議によるものか、事故に遭って以来、未都の魂はあくまで手袋にあった。自分はすでに人間ではなく、普通の意味での肉体を持たない。
 現在の自分は明らかに『ヒト』ではない。
 けれども心は、自分が『モノ』であることを拒んでいる。
(どうしようかな)
 ヒトでもモノでもない中途半端な自分を、未都は感じている。
 今の自分が、いったいどんな顔をして大事な人に――お兄ちゃんに会えるというのだろう? 
(どうしよう‥‥)
 真新しいほうの紙袋を開ける。新しい毛糸は安くて、色もなかなかよかった。机の奥深くから引っ張り出した以前の編み物よりもきっといい物を編めるだろう。一方の編みかけのセーターは、毛糸がよれているせいか編み目も不恰好でいかにも下手だ。初心者丸出しだ。ひどい。こんなもの、とても渡せない。
 今の自分なら、もっとずっと素敵なセーターを編める。
 これはもう捨ててしまえば、さっさと新しい編み物にかかれる――未都がするべきことは、
(どうしよう)
 編みかけのセーターの、輪編みのかたちになった棒針に手をかけて、
(どうすれば)
 編み針を一気に引き抜けばいい。
(どう――)
 そうして中途半端なものはさっさと捨てて、新しい完璧なものを――。



 ‥‥開け放したままだった引き出しに、買ってきたばかりの毛糸をしまいこんだ。
 部屋はいつのまにかじゅうぶんに暖まっている。制服をハンガーにかけて、明日の時間割を確認する。明日使う教科書と一緒に、紙袋をはがした新しいノートも鞄に入れた。時計を確認すると、夕飯の時間まではまだ間があるようだ。
 テーブルに広げた編みかけを、そっと撫でる。
 これは自分だと思った。過去の自分。未熟で焦っていた自分。お兄ちゃんに少しでもいいところを見せようと無理に背伸びをして、追いつこうと躍起になっていた結果が、このよれよれの編み目なのだ。
 これをほどいたら、きっと、あのとき必死になっていた自分もなかったことになる。
 ヒトでもモノでもない‥‥中途半端な未都のままで終わるだろう。
(そんなのいやだ)
 自分がヒトなのかモノなのか、未都自身にもまだわからない。
 けれども、セーターひとつさえちゃんと仕上げられずに、自分自身のかたちを知ることなどできるだろうか。
 編み針に手をかける。どんなかたちにしよう。編み方はまだ覚えているだろうか。サイズ、ちゃんと合ってるかな。それにそう、編み目の数はいくつだったっけ?
 だけどこのセーターは、このままにしておいたらセーターでさえないのだ。
 だから未都は軽く息を落として肩の力を抜き、ずっと放っておいたこの編み物を再開する。

(どうしようかな)
 どうやって、お兄ちゃんに渡そうかな。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
宮本圭 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年12月24日

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