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『鬼と鬼 』
鬼伏・凱刀0569)&朱束・勾音(1993)

 この世は人の世。人のもの。昔の事なんざ知らねえが、少なくとも今はそうだ。人以外の何者かが跋扈する事はあっても、それはあくまでただの通りすがりに過ぎない。そいつらがこの世で何らかの権利を求めるなんざ、おこがましい話だ。そんな奴らは切り捨て封じ込め、俺の手足としてこき使ってやるだけだ。
 待っていろ、目にものを見せてやる。


 がぁん!と大きな音がしてテーブルが引っ繰り返る。大理石製の巨大なそれは、何があっても到底倒れなさそうな程に重厚なものである筈なのに、鬼伏に掛かると、まるで安いラワン材製であったかのように軽々と吹っ飛んでしまった。飛んでいったテーブルは、壁にぶつかってまた大きな音を立てる。その音と鬼伏の憤りに怯えた数人の人達が、周囲の壁に張り付いて身を小さくする。ここは、とある高級クラブの店内なのだが、鬼伏がひとしきり暴れた後の今となっては、それは既にただの面影となりつつあった。
 鬼伏が片腕を伸ばし、腰を抜かしていた男性店員の襟首を引っ掴み、軽々と吊り下げる。ヒッと息を飲む音をさせ、店員は顔面蒼白になって歯を打ち鳴らした。
 「テメエは知ってんのかよ、その朱束とか言う鬼の事を」
 「し、知りません…ほ、本当です……」
 店員は、必死な様子で震える声で答え、力なく首を左右に振る。チッと舌打ちをして鬼伏は、そのまま指の力を抜いた。当然、捕らえられていた店員の襟元は外れ、そのまま鬼伏の足元に落下した。その男の身体を無造作に蹴飛ばし大股で跨ぐと、鬼伏は振り返りもせずに荒れた店を出て行った。

 その噂を聞いたのは、いつどこでだっただろうか。既に覚えてはいないが、その時に感じた感情の昂ぶりだけは未だに身体の芯に残っている。ぎりりと奥歯を噛み締め、血の色をした目を釣り上げる。その気迫に怯え、野良犬がキャンキャンと甲高い声で鳴きながら走り逃げていった。
 この界隈に、朱束と言う女の鬼がいるらしい。それだけなら別に何て事はない。己の前に姿を表すような事があり、そいつが役に立ちそうなら中に取り込むだけだし、箸にも棒にも掛からぬ小物ならそのまま切って捨てるだけだ。だが、その朱束とか言う鬼、そいつは組織の主として君臨し、鬼や魔物のみならず、人までも己が手足として使っているらしい。
 「ふざけた野郎だぜ、鬼の分際で人を使役するとはな…」
 気に食わねぇ。鬼伏は苦々しげに言葉を噛み潰し、吐き出す。無意識に、その言葉に呪を絡めていたか、偶然、呑気に近くを通り掛かった子鬼がそれに捉われてしまう。まるでニシキヘビが獲物を捕らえたときのよう、がんじがらめにされ哀れな悲鳴をあげた。
 「うるせぇ!」
 鬼伏の一喝で、ヘビは一気にその輪を縮め、小鬼の身体を散り散りに押し潰してしまった。周囲に飛び散った小鬼の肉片を求め、低級魔物どもがそこに群がり、我先にと生臭い血を舐める。そんな浅ましい様子を、鬼伏は何の感慨も無く見下ろした。
 役鬼の一体にしてくれる。頼むから殺して楽にしてくれと懇願するまで、比喩でなくその身が粉になるまでこき使ってやろう。
 鬼伏の唇の両端が緩やかに持ち上がる。が、それは決して笑顔ではなかった。


 「?」
 誰かに呼ばれた気がして、部屋の中で一人、朱束が振り返る。いつもの如く、埠頭の廃墟で取引の真っ最中だったのだが、仕事中は静かにするようにとよくよく言い含めてあるのに、何故か妙に外が騒がしい。己の命令を敢えて違えるような勇気のある者はここにはいない筈だが、と訝しがりつつ、朱束はその部屋を出る。その途端、目の前に広がる光景に、朱束の赤い瞳が驚いたように丸く見開かれた。
 「……おやおや」
 表情ほどには驚いておらぬ様子で、朱束が他人事のように呟く。助けを求めてか贖罪を求めてか、朱束の方に手を伸ばす側近の一人は既に事切れている。そいつの、腰より下の肉体は見当たらない。本来なら下半身があるだろう場所に、おびただしい血溜まりと潰されて地面になすり付けられた脂の痕があっただけだ。周囲に漂う血生臭い匂いに軽く眉を顰める朱束を護るよう、残った側近達が走り寄って来た。
 「お前達、気を付けるが良いよ、でないと……」
 朱束の言葉は途中で途切れる。空から不意に降ってきた(としか言いようがないのだ)巨大な脚や拳が、側近達を叩き潰し、地面に擦ってすり身にしてしまったからだ。
 「言い掛けて飲み込んぢまった言葉ってのは、妙にモヤモヤするもんさね。この胸焼けをどう責任とってくれるんだい」
 「そんなの俺の知ったこっちゃねぇ」
 野太い怒号がどこかから降って来る。朱束の側近達を残らず叩き潰したのは、天をも仰ぐほどの巨大な業鬼。その肩に、ひとりの男が立っている。腕組みをした朱束がこちらを見上げている事に気付き、その巨漢からは想像も出来ないほどの身軽さで業鬼の肩から飛び降り、音もなく地面に降り立った。
 「テメエが朱束とか言う鬼か」
 「人に名を尋ねる時はまずは自分から、って習わなかったのかい」
 まぁ私は人じゃなく鬼だけどね、と鬼伏からツッコまれる前に自ら申告しておいた。が、鬼伏は全くそれを聞いていない風で、朱束の立ち姿を不躾なほどにじろじろと眺める。その視線が、明らかに『モノ』を見る目であったから、朱束は肩を竦めて苦笑いを零した。
 「…全く、無粋な事ったらありゃしないね。お前、人間だろう?人間のやる事とは到底思えないねぇ。見てごらん、この惨たらしさ。まるで鬼の所業のようだよ」
 朱束はそう言って軽く笑い声を立て、己の周囲を手の平でぐるりと指し示す。そこには、一時前までは生きた人間であったものの残骸がそこここに散らばり、風に乗って生臭い匂いを撒き散らしていた。鬼伏は、朱束の手の動きにあわせて自分も辺りを見渡し、その惨状を目にするものの、それがなんだと言う顔で朱束の赤い目へと視線を戻した。その鬼伏の目を真正面から受け止め、朱束がふと思い出したような顔で立てた人差し指を頬に宛がった。
 「さてはお前だね、ここ最近、そこら中で私の事を聞いて回っていたのは」
 「結構苦労したぜ。なかなか尻尾を掴ませねえんでな」
 「私にも都合があるからねぇ…そうそう好みにも煩いんだよ、こう見えても」
 鬼伏の、まさに人とは思えない程の猛々しい怒気に臆した様子もなく、朱束は飄々と言葉を継ぐ。そんな態度が更に癇に障ったか、鬼伏は、そんな事は聞いてねえと口の中で呟くが早いか、己の二の腕に刻まれた呪言の紋様を親指の腹で擦った。すると、摩擦により擦れた呪言の切れ目から数え切れない程の餓鬼が湧いて出て来たではないか。
 「…ふぅん、鬼を使役するとはね。どうりで気が荒い筈さね」
 興味深げに朱束は頷く。鬼伏によって召喚された餓鬼達が、競い合って朱束目掛けて襲い掛かってくる。それ薙ぎ払うよう、朱束が片腕を斜め下から上へと振り払った。その切り裂いた風の隙間から、鬼伏が召喚したのと同じような餓鬼が現われ、鬼伏の餓鬼へと襲い掛かったのだ。
 餓鬼達は互いに食い合い、醜い戦いを繰り返す。さっきそっちで鬼伏の餓鬼を食い尽くし、いつもより大きく腹を出っ張らせた朱束の餓鬼が、背後から襲い掛かられ、頭から貪り食われていく。古い時代の戦争のように、身体と身体が入り乱れ、悲鳴や怒号が飛び交う様子を、朱束と鬼伏は、宴の両端に立って互いを、そして餓鬼どもの遣り取りを見ていた。腕組みをした朱束は、どこか楽しげな笑みなど浮かべ、餓鬼が互いに喰らいあうのを眺め、鬼伏に向け、言った。
 「見てごらんよ、この醜くも逞しいさまをさ。これぞまさに人の世の縮図さね」
 「利いた風な口を聞く。鬼も人の世に長く寄生してっと、それなりの物言いを覚えるものか」
 「そりゃねぇ。伊達に長く生きちゃいないさ。お前なんざ足元にも及ばないんだよ、本当は。…ほら、あれ。あの餓鬼なんざお前にそっくりじゃないか」
 そう言って朱束が、長い爪で一体の餓鬼を指差す。餓鬼の中でもひときわ身体が大きく、ずば抜けてすばしっこく力も強そうだが、その分、必要以上に凶暴で敵味方関わらず、手当たり次第に千切っては投げ、引き裂いては噛み砕いている。揶揄う朱束の声に鬼伏は、珍しくも口の中で何かもごもごと文句を言っているようにも見えた。


 が、それは文句などではなかった。鬼伏は、口の中で、朱束を取り込む為の呪言を紡いでいたのだ。
 鬼伏の術はある意味、力ずくである。鬼伏が鬼を伏す方法は、説得する事でも信頼を得る事でもない。相手が承諾しようがしよまいがそんな事は一切関係ない。これと思った鬼は、まずはその息の根を止める。勿論、ただ殺してしまってはそのまま息絶えてしまうので、その前に術を施しておかなければならないが。術をかけられた上で殺された鬼は、鬼(オニ)と言う存在から鬼(キ)と言う現世では肉体を持たぬ存在へと変わる。そのままでは当然、キはいずれは消滅するか他の存在に取り込まれるかされ、いずれにしてもこの世で存在し続けることは叶わない。そんなキが現世に留まり続ける為には、何らかの手段が必要だ。鬼伏は、キとなった鬼を己の中に封じ込め、その後、キの、己の存在への渇望を利用して、自分に依存しなければならない状況へと追いやるのだ。
 その為には、あらゆる意味で貪欲な鬼でないといけない。存在する事に余り執着がなく、また妙にプライドが高い鬼は、人に依存する事を良しとせず、鬼伏の中に封じ込められても、そのまま消滅する事を選んでしまう。一番いいのは鬼としての能力の高さは勿論だが、貪欲で現世に執着もあり、また諦めの悪い鬼である。そう言った鬼は鬼伏に使役させられていても、常にその封印から脱却する機会を伺い、鬼伏の支配に抗い、中で暴れる。そう言った鬼を御する事は並大抵の事では無いが、その分、強大な鬼の力を自由に行使する事ができるのだ。

 朱束の、鬼としての能力は申し分ない。飄々としてはいるが、あらゆる意味での欲望も強く、それを叶える為なら手段も選ばない。人の上に立つ事を覚えた鬼は、人に伏せられた時の抗いようもまた格別で、それを力づくで押さえ込み行使させる事は、鬼伏にとっては何よりの楽しみでもあったのだ。
 鬼伏は、密かに口腔で紡いだ呪を、唾を吐き掛ける時のようにして朱束に向けて放つ。それは僅かな時間差を置いた二種類の呪だった。最初の呪は鬼を縛し動きを止めるもの。その直後に効果をもたらすよう放たれた呪は、縛した鬼を封じ込める為のものだ。それら二つが絡み合い、ほんの少しだけ前者の呪が先行して朱束目掛けて飛んでいく。その速度は、それらが目に見えるものであっても、鬼の視力をもってしても捉える事は容易ではない程の高速であったが、朱束はそれをろくに見もせず、腕組みをしたままひらりと身を翻す。が、それも鬼伏には予想の範囲内だったか、呪はまるでそれ自体が別の生き物であるかのように、急激な方向転換をして朱束が身を避けた方に再度向かった。絡み合う呪は、朱束の目前まで迫る。この至近距離では、如何な鬼でも避けられる筈がねえ。そう確信した直後、鬼伏は、まさに信じられないものを目にした。朱束の口許に余裕の笑みが浮かぶと同時、呪に向けられた朱束の手の平に何かの層が発生する。すると、同極の磁石が反発しあうかのように、その層に弾かれて呪言は全くの逆方向に飛んでしまったのだ。
 「…何ぃ……!?」
 「やれやれ、さすがに危ないところだったねぇ…お前、私にこんな労力を使わせるとは、いい度胸をしておいでだよ、全く」
 そうは言うものの、全く疲れていない様子で朱束がわざとらしく自分で自分の肩を揉む。その態度に激昂した鬼伏は、血火を振り被り、朱束目掛けて斬り掛かる。その動きは、筋肉の乗った逞しい体躯からは想像できない程に素早く軽やかで、また的確に朱束の急所を狙っていた。朱束は、腕組みをしたまま微動だにしない。視線すら、鬼伏を見てはいなかった。今度こそいけると、だが余裕は見せる事無く、鬼伏は渾身の力を込めて血火を振り下ろす。朱束は動かない。…いや、動かなかったように見えた。そう見えたのだが、鬼伏の血火は、朱束の肩先でピタリとその動きを止めた。何、と鬼伏が目を剥くと、幅広の青龍刀は朱束の人差し指と中指の、たった二本の指で白羽取りされていたのだ。
 「な、………」
 鬼伏が思わず歯噛みをする。朱束は、全く動いていなかった。が、彼女の片肘から上だけが、まるで瞬間移動をしたかのように突然その位置を変え、己の薙ぎを難なく捕らえたのだ。更に強く鬼伏が奥歯を噛み締めると、臼歯のエナメル質が砕けるような鈍い音が口腔で響く。鬼伏は、血火の刃を捉えられたまま、そのまま下へと押し込もうとした。鬼伏の二の腕で、隆々たる筋肉が波打ち、盛り上がる。それだけ力を込めて血火を押し込んでいるのに、青龍刀はぴくりとも動かない。朱束の表情も、先程までとなんら変わりなく、平然としていた。
 鬼伏のざんばら髪が、何かに煽られてふわりと舞い上がる。篭める気迫が対流を起こし、周囲の大気を巻き上げているのだ。それに気付いた朱束の唇が、鮮やかな程の笑みを浮かべる。白羽取りした刃を横へと薙ぎ捨てると、瞬時に帰ってくる次なる鬼伏の攻撃を避け、後ろに跳び退った。地面に食い込んだ血火を引き抜き、構えながら、鬼伏が朱束をねめつけた。
 「逃げる気か」
 「人聞きの悪い事を言うんじゃないよ。今日は時間がないんだ。またにしておくれ」
 まるで、一緒に飲みに行く約束を順延してくれと頼むかのような飄々とした朱束の態度に、さすがの鬼伏も興が殺がれたようだ。舌打ちをしながら血火を退く。その様子に、朱束が軽く声を立てて笑った。
 「お前、そんなに私を取り込みたいのかい。どうだい?私を使役させたいのなら、いっその事、私をお前に惚れさせてごらんよ。案外、一番手っ取り早いかもしれないよ?」
 「バカか、テメエは」
 朱束の冗談に、鬼伏は苦々しげに言葉を吐き捨てる。再び朱束が声を立てて楽しげに笑った。
 「しかたがねえ、今日は捨て置いてやる。だがいつか必ず仕留めてくれる。覚悟しとけ」
 「良いだろう、受けて立とうじゃないか。嫌いじゃないからね、そう言うのも」
 そう言って朱束はくるりと背を向け、歩き出す。命や自由の遣り取りさえ、ゲームのように楽しげに構う朱束の様子に、鬼伏はもう一度舌打ちをすると背を向ける。後は後ろも見ずにその場を立ち去っていった。


おわり。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2004年12月24日

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