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『解けぬ闇 』
久我・高季3880)&曲・闇虎(3884)


 呼ばれたか、或いは、呼ぶのか。
 滔々と流れ込む先には何が待つのでもなく、ひたすらの真の闇そのものは永劫蟠り沈んで、在る。
 闇自体は、呼ばぬ。何ものをも、呼ばず、何ものをも、受け入れてその身を深くする。そればかり。
 なれば、この身じろぐ闇は、何者ぞ。
 ――カラ、ン。
 闇の裡より欠片ひとつ、転び落つる。

 ***

 朔風の通う道なぞり、枯木立を往くすがら、不意に契りを結んだ相手の囁きが耳朶に触れた。時剋は既に日を違えようとする頃合にて、遠くに喧騒流るるのみの深夜、その小さな一言さえも、空間を制するほど、大きく届く。
 ――高季。
 名を呼ばれる。それに煩わしいように僅かに眉を曇らして、久我高季は曲闇虎の顔を一瞥した。返事は、してやらない。代わりに、深く吐息を落としてやれば、闇虎は先程まで笑っていた表情を無に変えて、肩を竦めた。
「怒ってんの?」
「誰が」
「高季。……それとも俺がナースに人気で嫉妬した?」
 今度も答えてやらなかった。怒りのためではない。軽口に付き合ってやる気力を持ち合わせていなかったのだ。
 電燈を頼らねば覚束ぬ斯様な刻限までの残業に、迎えに来たと現れた闇虎を知って階下に向かった高季の前、同僚と看護士と、談笑する闇虎の姿があった。久我家の経営する病院のことだから、誰か闇虎を知る者があって入れたのだろう。漸く仕事を切り上げて帰宅の段になり、隣を行く闇虎へ、珍しいな、と掛ければ、小さく笑みを返された。――「ここ数日、まともに寝てねぇだろ?」
 この闇虎の発言に関しては、闇虎自身に言いたいことがあったのだが、とりあえず今は家に早く辿り着きたいと云う心持ちが先。断りなく足を速めれば、闇虎もそれに合わせてきた。そうして振り向かず夜気に身を晒して、短く風を吸う。冷え切った夜風が口中さっと染み入りて思考も澄まされる心地。コートのポケットの内にある手を出そうと腕を持ち上げれば、その動きを闇虎の手に止められた。
「放っておくわけにもいかないだろう」
 投げるようにそう言って、高季は別の、自由な左手を懐へ差し入れた。闇虎は透かさずそれも止めようと、高季の右手を開放して今度はその大きな腕で、高季の肩を抱き寄せて顔を添わす。高季の頬に闇虎の呼気が触れて、其処ばかり熱の在処かと覚ゆ。
「高季疲れてるだろ? 俺が行くって」
「……その疲れの半分はおまえのせいだと思うが」
「サービス過剰が身上だから俺♪」
「分かっているなら少しは自粛しろ」
「だからそのお詫びも兼ねてさァ――俺が、行く」
 耳許に、妖の身である男は咽喉を顫わせて低く嗤った。

 ――カラン。

 高季と闇虎の往く後ろ。
 そろそろと這う闇の気配。
 常人と違う二人の気を喰むつもりか、裡に招き入るつもりか。
 後者なら疾うに。

 高季は後方を確かめずに、視線を行く末に据えたまま、場の由を探った。普段は使わぬ道だが、自宅までの近道ではある。あるが併し、毎日此処を過ぐのは良しと思われず、急ぎの時以外には通らぬ木立で、それは偏にこの澱んだ気の流の故。そのうち祓いを行うべきかとは思案のうちにあったもの、先述の通りにこの道辿るは急ぎ足。等閑にしたは己の越度ではないが、それでも些かの悔いはある。
「……選りに選ってこんな時に来なくてもいいだろうに」
 自分は今、疲れているのだ。
 高季のその呟きを拾って、闇虎は独自の解釈を以て答えた。
「デートの邪魔するなって?」
「疲れてるんだ、俺は」
「だから何度も言ってるじゃん。俺が行くって」
「それは駄目だ。俺が行く。おまえは先にこの木立を抜けて行け」
 この男に任せると、後で何を要求してくるか分かったものではない。要求されるモノの見当は付くが、だからこそここで闇虎に譲るわけにはいかぬのだ。
「ヤだ。絶対ェ俺が行く」
「駄目だ」
 堂々巡である。

 ――カラン。
 ――カラ、カラ……カ、シャン。

 ふと途切れた二人の会話の隙に入る響。触れ合うような掠れるような、それが幾重にも曳いて、そうして少しずつ、二人に近付きつつあった。
 相変わらず高季にぴったりと添うたままに、闇虎は合わさるほどに間近なその眸を、高季の眸を、覗き込む。左眼の朱金、右眼の蒼灰。己と対となる色合いを満足げに見遣って、闇虎は口角を深く引き上げた。高季がその意味を覚り制止したも遅く。
 振り返った鵺の眼は、闇を捉えた。

 咄嗟、急襲に及ぶかと思われた高季は構えて印を結ぼうとしたが、それまでには到らず、眼前の、振り返った先の、等間隔に灯り落とす電燈の間、相容れぬ闇の蹲るを見ゆ。

 ――カラン。

 唯々黒の。併し向こう透かし見え、完全なる黒のそれではない。黒のと称するは純然なるの意ではあるが、身の色を以ての黒に非ず、存在を以ての黒――闇の深きである。
 滞る気の腐敗に生じたモノか。それとも呼ばれたか、己らが匂に、引かれて、形を成したか。
 漸く高季を開放した闇虎が、一歩進み出た。闇はたじろがず、却って応うるようにうねり、ぐっと色を濃くして身を擡ぐ様はちょうど、鎌頸擡ぐ蛇の種の如く、小鱗の代わり纏うは禍の薄霧か、朧々界を明らかにはせぬ。
 ――カシャ。
 刹那その闇より洩れ聴こえた先程からのその音に、査せずとも闇の中核を察して、高季は闇虎の背に声掛けた。
「視えたか」
「視えた」
「闇虎、下がれ」
「ヤだって言ったろ?」
 笑みを含んだ言葉が終わらぬうち、相手が痺れを切らしたか闇虎の頸へ躍り懸かる。黒蛇の先端はいつの間にか分かたれて生類の口のようにぱっくりと開き、闇虎の喉笛目掛け細い躰を撃たせた。
 ――喰らうつもりか。
 高季は動かなかった。先に彼の闇捉えたは闇虎。闇が先に狙い定めたも闇虎。この程度では戯れにもならぬだろう、手出しは無用と知れていた。
 蛇の態、闇はその高季の思わくに違わず、闇虎に触れることさえ叶わずに、その前で静止した。闇虎の癖のある黒髪が風少なの今宵にあって風に嬲らる。風雨は鵺に従う。約した風が闇の裡を浚い、その中心を捕らえていた。
 併し。
 ――取り込むつもりか。
 蛇は、否、今や再び本来の闇そのものとなって形を崩した黒は、散り散りとなって靄と闇虎を囲む。凍て雲懸かりて霞む月のよう、高季を振り返る闇虎の眸、朱金の煌めきが闇に垣間見えた。闇虎は、笑んでいた。遊んでいるのか、そう問う代わり、高季の唇は短く呪を唱え指は印を結ぶ。拡がりを見せていた闇はそれだけで風に一息に攫われたように霧散し、後には僅かに闇虎の拳の周りに煙るばかりである。
「人の獲物、取るなよ。高季」
「獲物とも呼べんだろう。早くそれを砕け」
 闇虎は言われて、ゆっくりと拳を開いた。途端、再び顕れ出づ黒霧は、闇虎ではなく高季の方へとその手を延ばす。
 ――取り込むつもりか。
 ――闇に、俺を取り込むつもりか。
 ――それなら疾うに。
「……闇虎」
 小さき呼び声に従い、鵺は掌に乗る白き欠片を握り潰した。パキ、と微かに砕く音があっただけで、高季に近付く闇の触手も消え失せる。
 拳を解き、其処に在るは、骨蛇の骸。
 闇虎の意にあらぬ小夜風が木立を渡り下りきて、その白粉のような片を運び、追風となって夜の闇へと融け入った。闇虎は残った細かな粉も手を反して夜へと還す。さらさらと零れ落つ白は僅か。それを見届けると、高季はこの場処自体を浄めてしまおうと新たに結界の印の形を取ろうとして、またもや闇虎に止められた。
「……何だ」
 陰陽師の一族にあって結界の術に長けた高季を、こうして止めるのは珍しい。
「浄化はまた今度」
 軽い調子で言われ、高季は眉を顰めた。対峙した相手が自分たちのような者なら良いが、放っておけば更に強力な、厄介な禍となる。そう告げると、闇虎は口の端を上げ意味ありげに笑った。「これ以上働いたら、高季、家に帰った途端に爆睡しそう」
「明日は休みだ。構わないだろう」
「俺が構うの。反応鈍い相手とヤってもつまらねぇじゃん」
 この男の思考は色事と直結しているのだろうか。
 高季は頭痛さえ感じ始めた頭を振って、結界は諦めて先に歩き始めた。程なく辺りの気配探り異常無しを確かめた闇虎が、その右に並ぶ。二人歩く時は、闇虎は右側を好んだ。高季の右眼、蒼灰色を傍に見る。
 強くなる夜風に乱された、長めの薄茶の髪を掻き上げて、木立を抜けたが合図のように、高季が口を開いた。
「……遊んでたのか?」
「何が」
「『蛇』と」
 闇霧を纏うて尚、笑っていた鵺の朱金が胸裡に影。
「別に? どうなんのか見てただけ」
「蛇の性は……」はぐらかされたような気がした。「蛇の性は、鵺が裡にも在るか?」
 闇虎は片笑んだ。「どうだかな」
 目許に懸かる前髪が煩わしい。高季はまた髪に触れようと手を遣るが、その途中で手頸を掴まれた。腰を抱かれる。口唇を吸われ、放され、此方が嘆息したところで今一度。深く。
 夜の結びは間遠い。ひんやりと凝固した夜の底、其もいずれトきホグるが末。
 併し真の、そのものは。

 ――闇なら疾うに、此処に。


 <了>
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
香方瑛里 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年12月24日

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