この門は、世界と世界の境界線。門の先に、たった一歩足を踏み入れただけで、さながら、イギリス童話の世界の迷い子になってしまう。
アスファルトの代わりに、色とりどりの石畳。杖の先から伝わって来る感覚が、妙に懐かしさを感じさせてきてやまなかった。
ほのかに香る花々が、まるで自分をこの先へと、誘ってくれているかのようでもあった。風に乗って遠くから流れてくる小さな噴水の水音が、こっそりと青年の耳に、囁きを残して消える。
――ほら、セレスティ様。ゆっくり、でも是非、お急ぎになって。この先で、このお屋敷のご主人様があなた様のことを、待っていらっしゃりますから。
その声音に応えて歩みを進めると、やがてすぐに、特別に青年の――この家のもう一人の主人でもある、セレスティ・カーニンガムの耳をくすぐる響きがあった。
Too Ra Loo Ra Loo Ral, Too Ra Loo Ra Li...
とぅらるら、と、風の流れに、甘やかな歌声が溶け込んでいる。
その声音は、明らかに、少し先のティーテーブルに腰掛けている、この家の女主人、ヴィヴィアン・マッカランのものであった。
どうやらその膝の上では、いつの間にこの家に住み着いたのか、小さな子猫が一匹、眠りについているようであった。
セレスは優しい笑みを浮かべると、そっと誰よりも愛しい彼女の名を呼んだ。
「ヴィヴィ」
「……セレ様っ!」
辛うじて立ち上がることを押し留めた女性が、愛しい人の登場に、驚きと喜びの声をあげる。
「こんにちは、ヴィヴィ。確か今日は講義が無いと聞いていましたから、時間ができたので、つい来てしまいました」
ケーキの入った小箱を掲げ、くすり、と微笑んだ。
ヴィヴィの予定については、彼女に直接問わなくとも、大体の憶測はつく。いつ講義があるだとか、休講になっただとか、多弁な彼女の話の中には、沢山の、セレスへのメッセージが込められている。その一つ一つを、セレスは決して聞き逃さずにいるのだから。
「こんにちは、セレ様。あ、座ってくださいっ、お疲れでしょうしっ」
「ではお言葉に甘えて、ヴィヴィの向かいに、お邪魔致しますよ」
「あ、でもその前に、あたし、お茶を淹れて来ますね!」
ごめんねぇ……と膝の上から子猫を抱き上げると、早速ヴィヴィは立ち上がった。そのまま、両手を差し出したセレスへと、子猫を預けようとして、
「でも、セレ様、足は――、」
「こんなに小さい猫さんでしたら、平気ですよ」
セレスの膝の上に降ろされた子猫は、早速その、暖かな膝の上でまるくなる。
……不意に、ヴィヴィの視線が、きょとん、と、その子猫の上で留まっていた。
彼女の様子に気付いたセレスが、子猫を撫でる手を止める。
「どうか、なさいましたか? やはり私がお茶を……」
「いいえっ! ち、違いますぅ……!」
ヴィヴィは慌てて否定すると、
「ちょっと、羨ましいしぃ……って、思っただけですぅ!」
セレ様は、とってもお優しい方だからぁ……、んもうっ! あたしったら、一々、しかも猫にまでヤキモチしなくたっていいに決まってるのにっ!
知らず零れ落ちた正直な言葉に咄嗟に口を押さえつつも、むくれる顔は見せまいと、すぐにくるりと踵を返した。そのままぱたぱたと、玄関の方へと駆けて行く。
あっという間に遠くなった彼女の香りが、ほのかにその場に残されていた。
静かな時間が、訪れる。
「Too Ra Loo Ra Loo Ral――やっぱり私には、ヴィヴィのように上手には、歌えませんね」
子守歌の拍子に合わせ、セレスは子猫の背を指先で軽く叩いた。
愛しい人の帰りを心待ちにしながら、セレスはそっと、その時間に身を委ねていた。
Too Ra Loo Ra Loo Ral.
そういえば、あの日の――お互いのぬくもりが暖かかったハロウィーンの夜にも、彼女が歌ってくれた子守歌を、思い返しながら。