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『相遇説不定命運 』
フィガロ・エレク=アレクシス2488)&ストラウス(2359)

 空に浮く大岩に、一つの街があった。眼下の大陸に鎖で繋がれたそれには、美しく整然とした町並みが広がっている。
 見上げ見る大岩にどんな力が働いて、重力に反して浮いているのかは誰にもわからない。ただこの世界に、人が生まれる太古から存在していたと聞く。
 大岩の中心には尖った塔が立ち、どこか物々しい雰囲気と共に空に溶け込んでいた。
 その中で、ローブを羽織った者が三人、奇妙な紋様を描いた壁の前に立っている。壁とローブの者の間には円形のプールがあり、その中に桜色の水がたゆたう。
 塔の中はそれだけ。他には何も無く、天井は高く高く――尖塔の形そのままに細くなる。寒々とした空間で、三つの影は微動だにしない。
 塔は神殿の一部であり、出入りを許される者は高位の神官と王族だけだった。とすれば、その場に立つ三人の地位も自ずと予想が出来る。
 その内の一人、黒いローブに他と同じく目深にフードを被った小さな影が、凛とした声で放つ。
「来る」
 呟くそれに二人の神官が顔を上げる。
 と、壁の黒い紋様が淡く光出した。
「アレクシス様」
 白ローブの一人が、黒ローブの影に言う。焦りを帯びた若い声に、返る声は穏やか。
「見ておれ」
 絶えず壁に注がれる視線に習う様に、声を発した神官も表情を改めた。光は尚も発光を続け、ほの暗い室内を段々と埋め尽くす。
 瞑目する程の強い光に白の神官は思わず両手で顔を覆った。故に、壁から現れたモノに気づくのが遅れる。
 水飛沫を上げたプールの音に思わず瞳を開ければ、いつの間にか光は消え、何時も通りの黒い紋様が描かれているだけ。だが違うのは波打つプールと高く上がった水飛沫。
「アレクシス様」
 怯える白の神官と、冷静な白の神官の声が、それぞれの思惑を持って紡がれると、一時の間を置いて黒の神官は――アレクシスと呼ばれた神官は、くるりと反転する。
 プールもやがて穏やかさを取り戻し、何時も通りに桜色の水面が高い天井を移す。
 が、その中心に浮くものは。
「水から引き上げよ。目覚めてからは丁重にもてなすが良い」
 アレクシスは二人の神官を置いて、さっさと塔の扉を押し開き、太陽の光の下へと姿を消した。


 ******


 塔から神殿の外廊を経て王宮へと続く道を進みながら、黒ローブの神官、フィガロ・エレク=アレクシスは目深に被ったフードを背中へと落とした。
 現れた顔貌は若く、まだ娘と呼ぶに相応しい。長く尖った耳と褐色の肌、長い髪は黒く艶やかに大理石の床を滑っている。大きな瞳の色は深い海の色、そこに潜むは叡智。
 足音の一つも立てぬのは、アレクシスの体が宙を浮いているからだ。
 そのアレクシスを見とめると道行く者達は須らく、深く頭を下げて彼女を見送る。
 そこから、アレクシスの高い地位が窺えた。
 その背後に、彼女を呼ぶ声が掛かった。
 不肖者と老齢の白い神官に怒鳴られながら駆けてくるそれは、塔に置いて来た若い神官だった。老神官の言葉に、神官ははたと立ち止まり、その場に平伏してアレクシスを呼んだ。
「何があった」
 だが彼女は特に否を責めるでも無く、神官に言葉を紡がせた。この世界に置いてアレクシスの地位とは確固たる、それも人々にとって神にも近いものだったが、アレクシス自身にとっては全くどうでも良い事だった。
 アレクシスに促されて、若い神官は荒い息の下で言う。
「使者様が、お目覚めになられたのです!!けれど、その――どうしたら良いのか!!」
「わしは丁重にもてなせと言うたが?」
「ですが、その――言葉が通じないのか、何の反応も頂けないのでございます」
 青ざめる神官の言葉に、アレクシスも秀麗な眉根を微かに歪めた。
「わしが行こう」
 そして塔へ向かって、足を速めた。


 ******


 この世界は魔力に満ちた、魔法世界だ。魔法使い、魔術師、魔女――様々な名のつく職種、種族が住まう。色々な世界との中継地として、異世界からの訪問者も多い。
 けれど稀に、何かに導かれたように神聖な神殿の中に現れる者がある。生来の異界との門からでは無く、通常門として機能していない塔の中から現れる者を、この世界では神の使者として扱っていた。
 そんな存在は極少であるが、この世界で永の月日を過ごしてきたアレクシスにとっては、初めての事では無い。
 塔から現れ出た使者は多種多様、元来の語調は違ったらしかったがこの世界の語源を良く理解して意思の疎通は図れた。言葉が通じぬというのは意外だと戻った塔で、しかしアレクシスにはすぐに分かった。
 水から出でた男は力なく大理石の上に腰を下ろしていた。
 服装は派手な色合いで纏められ、吟遊詩人や占師の様に人目を引くものだった。長い手足がすらりと伸び、浅黒い肌を飾る金と銀の装飾は高尚な造りだ。頭にターバンを巻き、今は濡れそぼった長い髪の毛がその下に垂れている。瞳の色は月の光を収束したような金色。眼を見張るような美しい青年だったが、アレクシスが黙視していたのは彼の表面で無く内面だった。
 アレクシスには様々な地位と能力がある。神殿の大神官であり、占者であり、魔女であり、賢者であり――その知識も魔力も高く評価される。
 そして何よりも、人の感情を読み取る事に長けていた。内情、あるいは過去――その人間を見ただけでそういったモノが想像できてしまうのだ。そしてそれは必ずといえる確立で当たる。
 アレクシスの見た限りでその『使者』は、感情が欠乏していた。悲しみや苦しみ、絶望……深い深い闇を知って、感情を失った生きる屍とでも言おうか。
 幾度死を望みそれに続く行為に身をやつしても、この者は死ねない体である。
 そう悟り、アレクシスは少し、否とても安堵した。その青年は、青年に見える不死人はアレクシスと酷く似通っていた。そして、それが嬉しかった。
「この者の身は、しばらくわしが預かろう」
 魔力を持って青年の体を瞬時に温めると、アレクシスはそう言って彼の腕を取った。
「運びましょう」
 己の力で立ち上がるとは思えぬ青年を見て、長身の神官が言う。だがアレクシスは小さく微笑み
「大事無い」
軽々と、青年の体を持ち上げた。持ち上げたというよりは、操った。青年の体をあやつり人形として繰る。
「どうなさるのですか?」
「そうじゃの……少し、話をしようと思う」
「でも、アレクシス様?」
「案ずるな。この者は言葉を知らぬのでは無い。ただ感じること、考える事、動く事――その全てを放棄しているだけじゃ。こういった者への対処には、覚えがあるでの」
 神官の不安を遮って、アレクシスは美しい顔に苦笑を浮かべた。有無を言わさぬ光を瞳に称えたアレクシスに、二人の神官は静かに頭を下げた。


 ******


 青年の名は、ストラウスと言った。アレクシスはそれを予想したのだが、しかし間違ってはいない。
 ストラウスを引きずるように連れていった先は、己の広大な屋敷だった。王宮の敷地、庭園の外れに位置するそれにストラウスを連れ込むと、アレクシスは何事かを紡ぎながら彼の頬に張り手をかます。
 ストラウスの体が二度揺らぎ、やがてその目に生気が宿った。
「……ここ、は……?」
 嫌に簡単な覚醒であったが、アレクシスの魔力を持って無理やりに起こしたのだ。本来ならこう簡単にはいかない。
「お主が願った通りの、別世界じゃよ。良かったの、逃げる事が出来て嬉しかろ?」
「あ、なたは……?」
 掠れた声には覇気が無い。だがアレクシスの言葉に傷ついたような表情をして見せた。
「わしは、フィガロ・エレク=アレクシスと名乗っておる。お主と同じ様に、永を生きる者よ」
自分を見つめるスルラウスに、アレクシスはこの世界の事と自分の事を掻い摘んで話した。ストラウスはどこかホッとした様な、それでいて痛むような吐息を漏らし、瞳を閉じた。
「私は、どうすれば良いのでしょう……」
「知らぬ」
 すげない言葉に、ストラウス苦く笑った。疲れた老人のような彼に、アレクシスは片眉を上げる。
「死なぬ体。滅びた国。その謎を解明したいのじゃろう?――蘇り続ける命に、怖気ついたか?」
「!?……あなたは一体……」
「わしはわしじゃよ。それ以外の何者でも無い。何時死ぬか知れぬ、朽ちぬ体を持って居てもな」
 アレクシスには分かる。ストラウスは熱砂の国で育ち、そして老いて死ぬであろう生を逸脱してしまった者。故郷は突然に滅び、愛する者を失い、ただ一人姿を変貌させ生き残り、そして少しの希望を持って彷徨い続けた。けれども彼は老いず死なず、朽ちず絶えず、そしてあまりの絶望に故郷から逃れる事を選んだ。
 死にたい。死ねない。戻りたい。戻れない。葛藤の中で何時しか疲れて歩く事を止めた。ただそれだけの事。
「わしが何者であろうと、そしてお主が何者であろうと、それがどんな意味を持つであろうな?それを知れば己の心が休まるのならば探せば良い。逃げ続けたいのならそれも良かろう。ただ人形の様に、その瞳に変わり続ける世界を映すのも、良いじゃろう」
 二人の黒髪を風が優しく揺らしてゆく。
「じゃがそれはお主が選ぶ事で、わしの知った所では無い。おぬしの道を気紛れに示してやって、さてお主は満足出来るか?」
ストラウスは答えられない。それは正論を射ているように思えた。最善の結果に行き着けば心から感謝するだろう。だが最悪の結果の前で、それでも良いとは言えない。
 けれど自身で選んだ道のその結果が恐ろしくて堪らないのだ。
「わ、私は……」
意味も無く声が震える。胸が痛い。へたり込むストラウスの頭上から落ちるアレクシスの声は、どこまでも冷たい。
「可哀想な自分はさぞかし愛しいじゃろうな?」
思わず見上げたアレクシスの顔には優しさの欠片も無い。
「逃げるならばそうすれば良い。わしがお主を、誰の目にも留まらぬ世界へ運んでやろう。お主がいつか果てるまで、心に小波も立てず居られるような場所への……」
アレクシスはそう言い置くと、打ちひしがれるストラウスを一人残して、屋敷へと入って行った――。


 ******


 ストラウスが己の現状を理解出来たのは、それからしばらく日が過ぎた後だった。
 美しく咲き誇る花々に囲まれて、やがてぼんやりとした思考が、沈みきっていた心が癒されていく。アレクシスはストラウスを居ないものとして生活している様に思えたし、ストラウスもストラウスで食事も睡眠も必要としない身故、アレクシスの事を正しく見たのはその日が初めてだった。
 自分の生まれ育った景色と、あまりにも違い過ぎたからかもしれない。慣れた黄色い視界も、気だるい空気も、身を焦がす太陽も無い。
 様々な世界が遠く近く異世界として繋がっていた事はストラウスとて知っていたが、けれどそれは夢を見ているようで、だからなのか悲しみも痛みも、冷静に感じる事が出来た。
 自分はどうしたらいいのだろう。
 それはストラウスが己の世界をさ迷っていた百余年の間、苛められていた思いだった。一人残されて、どうすればいいのか。どの道を進んでいけば良いのか。
 誰かに答えを求めた。けれど誰も居なかった。救いが欲しかった。けれどそんなものどこにも無かった。ただ一人暗闇の中で、吐露する激情も費え。
 数日前、アレクシスに言われた言葉の数々が、それだけが鮮やかに蘇る。
 彼女の澄んだ瞳は、無機質だった。
 そう思ってストラウスは、微かに口元を歪めた。
 彼女は自分の過去を、思いを、まるで全て見たかの様に理解している。
 けれどアレクシスは責めも、哀れみもしなかった。関係無いと突っぱねて、好きにしろと言った。救いを求めたストラウスに、答えを与えて救われるのかと言った。
 彼女と自分は似てると思った。けれど似ていないとも思った。
 彼女はしっかりと生きていく。自分は後ろ向きに、過去に囚われているだけ。彼女の言葉通り、自分を憐れと思う事で痛みを和らげようとした。逃げて逃げて逃げて発狂する所まで堕ちて、けれど自尊心が最後の最後で邪魔をする。
 だから苦しい。
 どこまで落ちていいのかわからない。どこまで逃げれば終わりが来るのか、世の理を逸した体が、いつ果てるのかわからない。
 だから怖い。
 答えを求めて彷徨って、けれど望んだ結果を得られるとは限らない。
 
 ――だから、目を逸らす。

「答えは決まったか?」
 ふいに掛かった声に、ストラウスはゆっくりと顔を上げた。穏やかな美少女が、花の上を浮きつやって来る。
「顔色が良い。それに……少しは、目が覚めたかの?」
「アレク、シス様……」
「フィガロで良い。――外から来た者は、わしをフィガロ卿と呼ぶ」
 アレクシスは眉間に皺を寄せ、低く言った。理由はわからなかったが、ストラウスは彼女の言葉に従う。
 小さな花を手折り、アレクシスが瞳を閉じた。ローブを脱ぎ軽やかなドレスを纏ったアレクシスは美しかった。清廉としたその姿に、ストラウスは目を奪われる。
「気負わず歩くことは出来ぬかの?」
「……え?」
 唐突に言われて、ストラウスは小さく首を傾けた。困ったような微笑が向けられる。
「逃げたい時は逃げれば良い。目を逸らしたくなった時には、目を瞑れば良い。泣きたい時は泣けば良いし、怒りたい時に怒れば良い。時には戦い、時には立ち止まり、時には戻り――道は一つでは無い」
様々な色を表情に乗せ、アレクシスはストラウスの腕を取った。促されるままに立ち上がり、彼女の示す方角を見る。
 日が西に傾き、濃い影を作る。風は心地よく吹きすぎ、星々の輝きが小さく感じられる。
「お主に、未来の予想が出来ようか。預言者と目されても、わしとて全ては分かるまい。小さな行為とて世界を目まぐるしく変えていく。その全てが、天地創造の神以外誰に知れよう」
断言するような口調に、圧倒されたように唾を飲み込んでストラウスは彼女を見返る。
「例えばわしがお主と出会うた事で、何かが変わるかもしれぬし変わらぬかもしれぬ。未来など正しく知りはせぬわ」
真摯な光を称えた青い目が、ストラウスを射抜く。アレクシスは尚も続けた。
「わしは人は出会うべくして出会うと思うておるが、しかしそれを運命とは言わぬ。決められたものなど何も無いと信じておる。故に、お主には逃げずにおって欲しいと願う」
「それ、は……」
「お主がどんな道を選んでも、わしは言いたい事を言うたのだから後悔せぬだろう。――だから深くは考えるな」
 さらりと言ってのけた言葉にストラウスは苦笑するしか無く、やはりどこか苦痛に耐えるように顔を伏せた。
「私は……」
「答えを一つに絞る必要は無い。ただ未来は誰にもわかれない――誰にも。お主の選ぶ一歩を、お主だけは誇れると良いな」
唇をかみ締めて微動だにしないストラウスにアレクシスはそう言って、それきり、彼女も黙った。
 次第に空を深い闇が包み、広い庭園を暗黒に染め抜いても、二人は空に輝く星の光を頼りにただ立ち尽くした。
 

 ******


 多忙を極めるアレクシスが屋敷を離れ、戻った時。
 そこに、麗しくも憂いに満ちた青年の姿はどこにも無かった。
 遠く微かに彼の足音を聞いた気がしたが、アレクシスはただ何時もの日常を送っただけだった。
 遠くどこかで異世界への門が開いたのを感じても、アレクシスは何の感慨も得なかった。


 ――ただ。

 自分に良く似通ったあの青年が、前を向いて一歩を踏み出してくれればと。
 そう、祈った。


 いつかまた出会う未来に、それぞれが幸せならば良い。



PCシチュエーションノベル(ツイン) -
ハイジ クリエイターズルームへ
聖獣界ソーン
2004年12月24日

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