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『反逆者 』
新座・クレイボーン3060


 彼には、アインという名の思い出がある。
 自分に新座クレイボーンという偽名をつける以前の名前は、アインだった。アインの前は、LIVE FOR ALL。そして、意識下に封じ込めている真の名まで、彼は持っている。彼にとって、名前というものは、さほど重要なものではなかった。好きなように呼べばいい、と思っている。
 ――おれは、「おれ」でいればいいからさ。
 アインと名づけられ、色々な意味で可愛がられていた頃は――そう昔のことでもないはずだが、随分と古い記憶のように錯覚してしまう新座がいた。
 橙と赤の悪魔――すなわち焔に愛でられた記憶のほうが、鮮明かもしれない。だが、彼をアインと名づけたふたりの『飼い主』のことと、ふたりと過ごした日々は、忘れようとしても忘れられなかった。焔を思い出せば彼らも一緒に思い出すし、彼らに開けられたピアスの穴は未だに彼の左耳にある。

 あの頃、彼は自由ではなかったが、のびのびと生きていた。

 彼はいまは独りきり、ヒトの姿をとって街に溶け、焔と銃声、死角からのびる手に怯えている。傍目から見ると、彼は少しもびくびくしているようではなかったし、そもそも彼に自覚はなかった。彼は封じ込められた真の名同様、誰も知らない心の奥底で、焔と孤独を恐れている。


 己に首輪とピアスを架したふたりの飼い主に、彼は、いちど逆らったことがある。
 従順な彼でも、内には獰猛な獣性を秘め、実際に、悪魔じみた姿かたちを持っているのだった。純白の神馬が暴走するのは、珍しいことではあるのだが。
「いやだ! 絶対いやだ! そんなこと出来るわけないだろ!」
「『いやだ』だァ?! てめェ、ンな口きける分際か?! てめェはな、飼われてんだぞ! 俺たちに、飼われてる、ペットだ!」
「何でいやなんだ? この馬に体当たりかますだけでいいのに」
「いやなもんはいやなんだ、だって、そいつは……」
 数ヶ月に一度、その都度場所を変え品を変え、億単位の金を動かす闇レースがある。彼は、もう何度もその場で走らせてもらっていた。どれほどの額の金が動こうが、彼には特に興味がなかった。そこで走って勝つと、飼い主ふたりはとても喜んだし、いつもよりも豪華な食事をとらせてくれたりするのだ。
 そのレースで使われるのは、後ろ暗い馬たちばかりと相場が決まっていた。彼が次に走るレースの情報を、飼い主ふたりはどこからか手に入れてきたらしい。ここのところ一連のレースで稼いでいるある葦毛の馬を転ばせろと、飼い主は彼に命じたのだった。
 葦毛の馬は、彼がよく知る馬だった。あちこちに火傷を負った、若い馬だ――
「だって――」
「だってもクソもあるか、この野郎!」
 言いよどむ彼に、飼い主のひとりが――この男は、人外だった――拳を振り上げた。
 彼は馬のものでも人のものでもない咆哮を上げると、一瞬で姿を変えた。神々しい白光をまとう神馬へと。
 翼持つ一角獣は、人外の飼い主の鉄拳をひらりとかわし、薄いドアを蹴り破ると、屋外に躍り出た。翼で飛び立った彼を、ふたりの飼い主は追うことが出来なかった。


 そこで暮らしていたのは、さほども昔のことではないはずなのに、屋根を見たとき――匂いを嗅いだとき、彼のこころは懐かしさで震えた。
 火事の爪痕はどこにも見出せず、厩舎の中には、彼が知らない若い馬たちが入っているようだった。緑の地に舞い降りた彼は、翼をしまい、いなないた。自分を育ててくれた人間たちが、迎えに来てくれると信じていた。
 彼は忘れていた。
 火の夢の中ですら、忘れてしまっていた過去があった。
(右目はもう駄目です。体の火傷もひどいですが……何より、骨折がありますから――)
 忘れることで、正気を守ろうとしていたのだ。
 忘れていたせいで、彼は散々に打ちのめされることになる。彼を迎えたのは、温かい手と声ではなく、猟銃の咆哮だった。
「――化物だぞ! 生きてやがった!」
「生け捕りにする気ないのか、おまえ?!」
「角ある獣だぞ! すんなり捕まえられると思うか?! 死体でも、大学は引き取ってくれるはずだ!」
「麻酔銃は――」
「忘れたのか?! あいつには昔っから麻酔が効かなかった!」
「くそっ――だから、化物だってのか!」
 びしっ、と彼の首筋に熱い痛みが走った。象でも殺せる弾丸は、矢継ぎ早に襲いかかってきた。彼は驚き、いなないて、翼を広げた。
 咆哮は牧草を弾き飛ばす。弾丸は容赦なく彼を目指し、後足の腿を撃ち抜いた。
 そこでようやく、彼はこころの奥底の底に押しこめていた記憶を引き出し、焔の夢とすげ替えることが出来た。自分は一度といわず、何度も人間に殺されかけている。信じていた優しい男たちが、化物だ、と顔を恐怖と嫌悪に歪める様を見た。
 彼は打ちひしがれ、泣きながら、空に戻った。
 さらに戻る先を、彼は選ぶことが出来なかった。
 ――おれ、どこに行こう。
 いや、
 ――おれ、どこに行けるだろう……。

 包帯を涙で湿らせながら、鼻をすすり、足を引きずって、彼は結局、日本の何処ともつかない郊外に辿りついていた。そこには、広大な敷地があり、小ぢんまりとした家があって、鬼畜属性の人間がひとりと、暴虐な人外のふたりが住んでいる。
 彼は、そこで飼われていた馬だ。
 大騒ぎをして、飼い主を裏切り、結局また戻ってきてしまった――あわせる顔がないというのは、まさにいまこの状況を指す。
 きっと、ふたりはもう自分を入れてはくれないだろう。ドアは自分が蹴破ったままだ。ここに座りこんでいたら、きっと、「消えろ」と怒鳴りながら斧やスコップを振り回してくる。殴られ、いたぶられ、殺されるかもしれない――
 だが、行くあてはなかった。
 彼は涙を流し、しゃくり上げながら、ドアが吹っ飛んだ玄関の前で座りこんでいた。

「はやく入れ」

 その声が、頭上から降り注いできた。
 飼い主だ。
 ふたりの飼い主が、どうにも複雑な表情で、彼を見下ろしていた。泣き腫らした隻眼を上に向けると、おほ、と人外の飼い主が悦んだ。
「いいねェ、いい顔だ。また見られて嬉しいぜ」
「怪我してるじゃないか。まったく、人間が馬より凶暴だってこと、よく知ってるはずだろう。そこまで天然だったのか?」
 人間のほうの飼い主は、かがんで、彼の目を真っ向から見つめてきた。
 それから、優しく抱きしめてきた。
「お、お、おれ、お、……う、う、う――」
「大丈夫だ、安心しろ。戻ってくると思ってた。寒いから中に入ろう、な?」
「う、う、うん――」
 飼い主は、ピアスが入った彼の左耳に、そっと口を寄せる。
 そうして恐らく、ほくそ笑んだ。
「でも、今晩は、お仕置きだ」


 どんなに虐められても、どんなに遊ばれても――彼はふたりの飼い主に問うた、
「おれ、ここにいていい?」
 彼が泣こうが叫ぼうが、飼い主たちは、笑っていた。
「ここにいたけりゃ、俺たちに従え」
 痛みと快楽には、もう慣れていた。
 ただその晩は、さすがに、いろいろと激しかったが。
「俺たちに従ってりゃ、捨てやしない――おまえは、可愛いペットなんだからな」

「おれを捨てないで。おれを見てよ。おれをかまって。
 おれ、ここに居たいよ……ここで泣いて、笑っていたいよ。
 何でもする……いい子にする……だから、おれ、ここに居ていいでしょ――」



 アインという名の思い出。
 腿の傷は、完治して久しい。火傷とはわけが違う傷だったのか、治療が良かったのか、彼の生への執念が呼び起こしたのか。
 代わって、孤独の傷が彼を責め苛む。
 彼はそれに気づかず、街を行く。
 いまの彼――新座・クレイボーンは、たった独りだ。それには、もう、慣れていた。それに、彼は、いま自分がたった独りだということに気がついていない。




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年12月20日

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