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『子犬のワルツ 』
佐和・トオル1781)&名城・永遠(2710)

 ペットショップの前で、トワはふと足を止めた。12月にしては暖かな、冬晴れの昼下がりのことである。
 それは関東圏内に42店舗を展開している、犬猫専門の大型店だった。ガラス越しに見た店内は清潔で広い。子犬や子猫の種類も数多く、ケージの中で元気に愛嬌を振りまいている。
 名城トワは、特にペットという存在を欲してはいない。それでもその店に寄ってみる気になったのは、ひとえに恋人の言葉を思い出したからだった。
(犬かぁ……。可愛いな。小型犬だったら飼いたいな)
 以前、トオルがファッション誌をめくりながら、あるページで手を止め、そう呟いたことがあったのだ。それは大手メーカーの新型プリンタの広告だった。高画質印刷を強調するためにプリントされた写真の少女は、小型のダックスフンドを抱いていた。
「いらっしゃいませ。どういった犬種をお求めですか?」
 ペットショップの若い女性店員は、トワを見るなり、購入目的を持って来た客と認めた。
「……いや。正確な種類とか、良くわからないんだけど――小さくて胴の長い」
「かしこまりました。ミニチュアダックスフンドですね。カラーはどのような?」
「カラー? ああ、毛色か。ううん……それはどうでも」
「ポピュラーなのはブラック&タンですが、現在当店にはゴールド、クリーム、レッド、チョコレート・ダップルも揃っております。毛種はいずれもロングヘアーです」
 犬が何色でも別に構わないし、そんなことに人はそれほどこだわるものなんだろうか、と、トワはちょっと考え込む。
 仕事熱心な店員は、どこかポメラニアンを連想させるくりっとした目を細め、ミニチュアダックスフンドのケージが並んでいるコーナーに誘導した。
「へえ。本当にいろんな色のがいるんだな」
 トワは素直に感嘆した。が、その直後、ケージに記載された犬の値段表に目を見張る。
 どれもこれもトワの財布の中身を遙かに凌駕する数字だったのである。
「――何だ、この強気な金額は!」
「お客様。当店の犬は厳選されたブリーダーに大切に育てられた子たちです。自然繁殖にはコストがかかりますので、これが適正価格かと」
 みんな健康な良い子たちですよ、と店員は笑顔になる。商売っ気を超えた、まるで我が子を誇るような口調に、つられてトワも苦笑した。
「ふうん」
「どの子にもそれぞれの個性がありますし、人と同じで、相性というのもございます。カラーにこだわりをお持ちでないのでしたら、お客様と気が合いそうな子を選ばれるのが一番だと思います」
 店員の言葉に頷いて、ひとつひとつケージを見て回る。
 確か、トオルが見ていた広告のダックスフンドは、チョコレート・ダップルとかいう毛色だった。手前にあるケージ内の子犬が、ちょうどその色である。元気に遊んでいる様子が可愛らしく、こいつにしようかとじっと観察していたところ。
 トワの視線を感じるなり、子犬はびくっとなった。遊ぶのをやめて、ケージの隅で固まってしまう。
(……ん?)
 隣のゴールドの子犬も同じ反応を示した。トワが近づくまでは普通にちょこんと座っていたのに、トワと目が合うやいなや、がばっと「伏せ」の体勢を示す。
(……何なんだ?)
 その横のクリーム色の子犬は震えながら目を反らし、次のレッドの子犬に至っては、店員に助けを求めるかのように涙目でケージを叩く始末だ。
「これはつまり……。俺に買われるのがそんなに嫌なのか、こいつら!」
「お客様は迫力がおありになるから」
「迫力って……」
「でも大丈夫ですよ、お客様と似た雰囲気の子が、昨日丁度入荷したところです」
 店員は動じずに、トワを隅のケージに案内した。
 そこには、ブラック&タンの子犬が寝そべっていた。トワが覗き込んでも気にするでもなく、大あくびをしている。
(この色合い、何かを思い出すな。……何だっけ)
 じっと見つめるトワをちらっと確認し、子犬は伸びをした。ひょいと起きあがるとトワと視線を合わせる。
 まるで人間の方が値踏みされているかのような態度に、トワも負けじと睨み返す。
 
 ――子犬とバンドネオン奏者の睨めっこは、数十分続いた。

 根負けして目を反らしたのは、トワの方だった。額の汗を拭いながら、そばで成り行きを見ていた店員を振り返る。
「こいつを貰おう。……カード、使えるよな?」

 ◇ ◇

 トワが持ち帰ったキャリーバッグに、佐和トオルは狂喜した。
「トワ! もしかしてそれ、子犬? 買ってきたの?」
「ああ、おまえが欲しがってたから――ただ」
「ただ?」
「……性格に少々難ありかも知れない。懐かなかったらごめんな」
 自分と張り合えるような根性のある子犬を選んだはいいものの、しかし愛玩犬としてはどうなのか。そもそもトオルは、『可愛い』犬を望んでいたのではなかったか。
 だがそんな心配は杞憂だった。
 バッグの中からおずおずと出てきたミニチュアダックスフンドは、トオルに抱きかかえられると、くぅんと甘えた鳴き声を出したのである。
「うわぁ、可愛い! おっとりした、おとなしい子だね」
「……いや……。そんなはずは……」
「あはは。くすぐったいよ」
 子犬はトオルの顔をぺろぺろと舐めている。その様子はどこからどうみても、飼い主に従順な愛らしい犬に見える。ペットショップでトワと睨み合ったのが嘘のようだ。
「この子、男の子? 女の子?」
「メスだそうだ」
 気合いが入った目をしてたから、てっきりオスだと思ったんだが……と、ぶつぶつ呟くトワをよそに、トオルは子犬とじゃれあいながら、その背を撫でる。
「エクレア、かな」
「何が?」
「この子の名前。ブラック&タンの毛色って、エクレアに似てない? 女の子だし、甘い感じの名前がいいよね」
「……おまえの好きにすればいい。エクレアでもババロアでも抹茶大福でも」
 とりあえず、トワはほっとした。トオルにすんなり懐いたところを見ると、さほど気難しい犬ではないらしい。
 トオルは喜んでいるし、子犬と遊んでいる恋人の姿というのもなかなか悪くない。
 トワはこの段階では、そんな呑気なことを考えていたのである。
 トオルの関心を争う激しい抗争の幕が、既に切って落とされていることに気づかずに。
 そして――
 それはかなり、トワに不利な戦いであることにも。

 ◇ ◇

「……あれ?」
 異変が起こった。
 トオルがテーブルに並べる料理の量が少なくなった、のである。
 ごはん一膳と塩鮭一切れと生卵一個とみそ汁。つましい旅館の朝食のようなそれは、いつもの大量の手料理――味についてはノーコメント――に閉口して慢性の胃もたれをおこしているトワからすれば、むしろ有り難い内容とも言える。
 しかしトオルの料理の量というのは、常に愛情に比例しているのだ。
 量の減少=愛情の低下。塩鮭の上に浮かんだ公式に、トワは青ざめた。
「少なく――ないか?」
 決してたくさん食べたいわけではない。ないのだが。
 おずおずと聞いたトワに、トオルは明るく答える。
「ごめーん。もっと料理に時間かけようとしたんだけど、エクレアが淋しがっちゃって」
 足元でくぅんと鳴くエクレアを、トオルはエプロンをしたまま抱き上げる。
「まだ小さいんだし、ちゃんと構ってあげないとね」
 俺は構わなくてもいいのかと言うには、トワは少々照れ屋だった。むすっとして、エクレアを睨みつける。
 エクレアはエクレアで、トオルに鼻をすり寄せながら横目でトワを見る。ふふん、という声が聞こえてきそうな表情は、生意気な少女が勝ち誇るさまを思わせた。
(こいつ。犬のくせして、猫みたいな計算をしやがる)
「……構ってほしいのか? なら、こっちに来いよ、エクレア」
 猫なで声で手を差し伸べても、当然ながらエクレアは動かない。トオルにますますくっつくだけである。
「そんな怖い顔で呼んだってだめだよ、トワ。エクレアはおとなしい子なんだから、怯えちゃうよ」
 トオルはすっかり猫かぶりの子犬に籠絡されている。
 敗北感に打ちひしがれながら、トワは子犬を指さして怒鳴った。
「何がエクレアだ。おまえの名前なんぞ『つくだに』で十分だ!」

 ぴしっ!

 ミニチュアダックスフンドとトワの間に、激しい火花が散った。

 ◇ ◇

 まったくもって、分が悪い。
 これが人間の少女なら、別の張り合いかたも出来るだろう。美点も欠点もあり、いつかは自分の判断で責任が取れるようになる『人』が相手なら。
 だが、敵はつぶらな瞳の子犬だ。食事を与え病気に注意し、一方的に庇護してやらなければならない、弱い生き物なのである。
 ――だから。
 自分には敵意むき出しのくせに、トオルの腕の中ではおっとりした子犬になっている態度に腹を立て、ひっつかんで引き離しても怒られるのはトワであり、その後でコーヒーを飲んでいるときに腕を噛まれても、それはトワの方が悪いと言われる。
 トオルには素直にお手をするくせに、トワが手を差し出したらばしっと払いのけるのも、やはりトワの方に非があるのだ。
 戦いは常に子犬側の圧勝。トワは孤立無援である。

「はああ」
 フローリングの床にぺたんと座り、トワは壁に背をつける。
 無言で髪を掻きむしるトワのそばに、すとんとトオルが腰を下ろした。
「しょげてるね」
「……まあな。エクレアは?」
「ごはん食べてる。あの子、ごはん食べてるときだけは、俺にくっついてなくてもいいみたい」
「あそ」
 ぶっきらぼうにそっぽを向いたトワに、トオルはくすくすと笑う。
「エクレアってさ、俺よりトワの方が好きなんだよね。気を惹きたいあまりに反発するなんて、可愛いなぁ」
「ええっ!」
 仰天するトワの顔を、トオルは下から覗き込む。
「何だよ。気づかなかったの?」
「嘘だろ?」
「本当。空気の色でわかるよ。それにエクレアは、トワが選んだ子犬じゃないか」
 なおも笑いながら、トオルはトワの首に腕を回した。
「似たもの同士だよね。自分で自分の尻尾を追いかけて、『子犬のワルツ』みたいだ」
「トオル」
「……ちょっと、妬けるかな」
「……トオ」
「わんっ!」
 ――ムードぶちこわしの声が響いたかと思うと、トワの足首に痛みが走った。
 食事を終えたエクレアが、さっそく走り寄ってきて噛みついたのだ。
「この馬鹿犬! 俺に何の恨みがある!」
「くぅん」
 トワに怒鳴られて、エクレアはトオルの膝の上に避難する。
 つまみ出そうとするトワの手は、トオルに止められた。
「だから、トワに噛みつくのは愛情表現だってば」
「……そうは思えねえぞ?」

 再び、ミニチュアダックスフンドとトワは目線で火花を散らす。
 それは、子犬と大きな犬と飼い主との、長い三角関係の始まりであった。
 

 ――Fin.
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
神無月まりばな クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年12月20日

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