『だいだっそう 』

シキョウ（2082）

「おっさんぽ♪おっさんぽ♪」
　真っ直ぐ真っ直ぐ前を見て。
　むかし言われたように、しゃんと背筋を伸ばし。
　にっこり、と道行く人に笑いかけた小さな少女。
「こんにちわ〜〜〜〜ッ！！」
　呼びかけられた人々は、最初きょとんとして、それからくすっと笑い…目元を細めて、
「こんにちは」
「元気いいなぁ」
　口々に、挨拶を返して来た。
　それが、なんだかとても嬉しい。
　そとにでたのなんて、どのくらいぶりだろう？
「わーーーーーっ、おはな〜〜♪きれいだね〜〜〜〜〜」
　いつも、「外に出たら危ないから」と止められていたのだが、そんな忠告は怒る人間が目の前から見えなくなった途端空の向こうへと飛び去っていた。
　今は、目をきらきらと輝かせ、この先に見えるかもしれない何かに期待感を高めてずんずん進んで行くのみ。
　少女――シキョウは、こうしてこっそりと家を抜け出して来たのだった。

*****

　ずんずん進むと、当たり前だがいつかは行き止まりに突き当たる。
「あれー？」
　こっくり、と首を傾げつつ、前を見て、後ろを見て、右を見て、左を見て、上を見る。
　空はほんの少ししか見えず、前方には建物の壁。左右も高い塀…ここは、路地の突き当たりだった。
「わーーーーーー。ほそいみちをいくと、こういうところにでるんだねーーーーーー」
　路地裏もまた、彼女にとっては初めて見るもの。年季の入った目の前の家の壁をぺたぺたと触ってみたり、ぴょんぴょん跳ねて塀の上に飛び上がろうとしてみたりしては、きゃあきゃあと楽しそうに笑う。
「たかいたかーーーーーーーーーい、ばああッッ」
　ふにゃああッッ！？
　大声で跳ね回り、その常人とは思えない足のばねでぴょいんと塀に手を伸ばすと、塀の上で昼寝していた猫を驚かせ。その上にぐぐっと顔を持ち上げてそこから見える風景ににーっと笑い。身軽に塀の上に飛び乗ると、届かない空へと手を伸ばす。
「あーーーーーーッ、たべものだーーーーーーーッッ♪」
　細い隙間から、いくつもの路地を抜けた向こうに見えた市場が見え、目を輝かせたシキョウが塀の上を素早く駆け出し、あっという間にその場から消えた。

*****

「これなーーーーに？」
「んん？なんだぼうず、リンゴも知らねえのか？」
「ええええええええ、りんごってまっかなの〜〜〜〜〜〜〜〜〜！？うそだーーーーーーーーッッ、りんごっていうのはねーーーー、しろくってかくかくしてるんだよ〜〜〜〜〜〜ッッ」
「それは皮剥いたリンゴだろうが！！…ほらほら、そこにしがみ付いてると商売にならねえよ、あっち行った行った」
「ぶーーーーー」
　とことこと他の店を興味津々で見てまわるシキョウ。
　やがて、ぴたりと足を止めたのは、様々な色の石や金属を繋げて作ったアクセサリの露店だった。目をまん丸にして色とりどりのペンダントやブレスレットを眺める少女に、売っていた男が客と見たか声を掛けてくる。
「どしたい、おじょうちゃん」
「えッッ」
　ぱちくり。
「…どしたい？そんなびっくりした顔をして」
「おじちゃん、シキョウのこと、おんなのこってわかるの〜〜？」
「そりゃあなあ。これでも色んな客を見て来たからなぁ。まー確かに男に見えなくも無いが、男はそんな目で商品を見やしねえよ。――どうだい。何か気に入ったのはあるかい？」
「ううううう〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッ。おじちゃん、ありがとうううううう〜〜〜〜〜〜。シキョウね、シキョウね、いっっっっっっつもオトコノコあつかいされてるんだよーーーーーー」
「そーかそーか、そりゃ難儀だな。ちゃああんと女の子なのになぁ？」
「うんッッッ」
　こくこく、と大きく頷いたシキョウが、
「ああああッッッ、これそっくり〜〜〜〜〜〜っ！」
　ひとつのペンダントを、これまた目を丸くして見つめて、そーっと、そーっと手に取ってみる。そのまま、ペンダントに付いていた石を指で動かしてから首を傾げ、
「いろ、かわらないね……ちょっとがっかり」
　ごそごそと自分の胸に下がっているペンダントを取り出して、眺めてみた。
「そりゃあおじょうちゃん、ここで扱うものなんてたかが知れてるさ。それでも安いから、若い子は結構買って行くがね。――ほう？そりゃまた随分と変わった石だね」
「うん、だーーーーーいじなものなんだよー。シキョウのたからものーーーー」
「そーかそーか。おお、そこの可愛いおじょうちゃん、髪飾り買わないかい？安くしとくよー」
　にっこりと無邪気な笑みを浮かべたシキョウに微笑を返し、他の客らしい女性に顔を向けて声を掛けた所で、シキョウがぴょんと立ち上がってくるくると周囲を見回す。
　きゅるるぅぅぅ……。
　気付けばもう昼近い時刻だったせいか、シキョウのお腹から可愛らしい音が漏れ、
「おなかすいたよーーーーーー」
　いつものように口に出してみる。
　――だが。
　いつもなら、ぶつぶつと文句を言いながらも食事を用意してくれる者の姿は無く、あれ？と思い切り首を傾げてしまう。
「おーなか、すいたーーーーーーッッ」
　今度はさっきよりも大きな声で。数人が振り返ったが、知った顔を捜すシキョウの様子に不思議がりながら、その脇を通り過ぎていく。
「なんでだろう？おなかすいたっていったのにごはんがでてこないよー」
　不思議で不思議でしょうがないらしく、首を捻りながらくるくるとその場で回転していると、どん、と前方から誰かが突き当たり、
「おっと。悪いな」
「ううん、シキョウいたくないからへいきだよ〜〜〜。いいこでしょーーーーーーーーーー？」
　にこにこと笑いかけるその様子に「お、おう」と少し腰が引けた様子で頷くと、その場から逃げるように立ち去って行ってしまった。
「？？？」
　不思議そうな顔をしてその後を目で追い、それからお腹が空いていた事を思い出しながら、いい匂いのする方向へ誘われるようにふらふらと歩いて行った数分後。
「ああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッ！？！？！？！？！」
　市場にいた人間全てがばッと一点へ集中してしまう程の大声が、あたり一面響き渡った。

*****

　橋の手すりの上に、小柄な人影がちょこんと座っている。俯いた頭を風が柔らかに撫で、緑色の髪を揺らしても、ぶらぶらと足を動かすばかりで顔を上げる事は無く。
　ほんの、３０分前は元気そうに街を闊歩していた少女、シキョウ。
　その同じ姿が、しょぼんと肩を落とし、俯いている。
　――シキョウが何よりも大切にしているペンダントが紛失した事に気付いてから、シキョウは市場じゅうを駆け回り、そして聞きまわった。答えは全て、ＮＯ――知らないと言う者ばかり。
　アクセサリ屋にいた時にはあったと言うのは流石に覚えていたようで、市場のどこかに落としたのだろうと思っていたのだが…どうやっても見つからない。
　終いには半泣きでうろうろと歩き回るのを見かねたか、露店の人々や客までが一緒になって探し始めたが結局見つからず、慰めるつもりか少しずつ持って来てくれた食べ物でとりあえず涙は収まったものの…。
「よっ、おじょうちゃん」
「あ、さっきのおじちゃんだ〜」
　帰り道なのか、手に木箱をぶら下げ、下に敷いていた敷物を小脇に抱えていた男がにこにこと笑いかけてきた。
「探し物は見つかったか？」
「…ん〜ん」
　ふるふると首を横に振る少女に、そうか、と男が呟いて…顎に手を当てて何事かを考えると、
「ちょっと心当たりがあるんだが、一緒に来るかい？」
　その言葉にようやく顔を上げた少女が、こくりと頷いて橋から降り立った。

*****

「帰ったぞ」
「お帰りなさい…っと、その子は？」
「ああ、客だ」
　路地の裏を抜け、細道とくぐり戸をいくつか越えた先にある、酒場のような場所に２人は訪れていた。駆け寄って荷物を受け取った体格の良い男が、男の後ろに付いて来たシキョウを不思議な物を見るような顔で見つめている。
「ほら、ぼさっとしてないで元の場所に戻して来い」
「は、はい」
「すまねえな、気の利かない奴らで。おじょうちゃんは――ジュースでいいか。何か食うか？まあ尤も、こんなトコじゃあ昨夜の残りのごった煮くらいしかねえが」
「うんッ」
　そのまま自分も食事にするつもりか、どん、と酒瓶と豪勢に盛り付けた深皿を２つ置いて、
「しかし災難だったなぁ」
　しみじみと声を上げる。
「あれはね、シキョウのいちばんだいじなたからものなんだー。せんせいのところにいくまえからもっていたんだって〜〜」
「先生？」
「えーーーーっと。そだててくれたおとうさん？」
　大の大人でも満腹になりそうなシチューをぱくぱくと口にしながら、男の問いに答える少女。ううむ、とその答えを聞いた男が口をへの字に曲げる。
「そんな大事なモンを無くしたのか…そりゃあ、探してやらねえとな――おい！」
　くうぃっ、とカップに注いだ酒を煽った男が、別の扉に向かって鋭い声を上げる。
「なんスか？ボス」
「今日市場で『仕事』したヤツがいる筈だ。それも俺の目の前でな。とっ捕まえて今日の稼ぎ全部引っ剥がして来い」
「了解しました」
「――ま。今日はヤツのせいでこっちの仕事も流れちまったし、慰謝料ってトコだな」
　ぱちくりと目を丸くしているシキョウに、にぃっと大きな笑みをこぼした男が、
「大人の話さ。気にしないで食え食え」
「うん、おいしーーね。シキョウのいえにもねーーーー、おいし〜〜〜ごはんつくるひとがいっぱいいるんだよ〜〜〜」
「そうだな、うん。メシが美味いのはいい事だ。それに酒もな…っと、これはおじょうちゃんにはまだ早いか」
　興味の視線が次第に酒瓶に向かっているのに気付いたか、男が苦笑しつつ首を振る。
「そういやあ、あの石はなんなんだい？俺も初めて見たんだが」
「おなじいろのはなをね、せーせーしたんだって。よくわからないんだけど〜〜おもいをうつすちからがあるっていってたんだよ〜〜〜」
「思いを…映す力か」
　流石に異界の連中は面白い物を持ってるな、そんな事を小声で呟きつつ、次第に世間話に興じて行く２人。
　シキョウは、今住んでいる病院の話や、身内の話、困った事、楽しかった事、美味しいもの、そういった事を止め処なく口に乗せて行く。まるで、一瞬でも話が途切れてしまうと、困った事が起こるとでも言うように。
　そして――暫く後に、扉が開き、男の命令で出て行った若い男が、小さな皮袋を手に戻ってきた。
「戻りました。素早いヤツでしたがなんとか捕まえて全部出させました。ヤツは放置で宜しいんで？」
「構わねえ。俺は警備隊じゃ無いからな。で――あるか？」
　ざらざらざらっ、と皮袋から流れ落ちたのは、小銭と小さなアクセサリばかり。真剣な顔でその中を見ていたシキョウが、
「あ…あったああああ〜〜〜〜〜〜ッッ！！！」
　心底嬉しそうな顔で、叫び声を上げた、その途端。

　――シキョウの手に触れたペンダントの石から、一瞬にして部屋中に光が満ち溢れた。

　それは、純白の花の色に似て、淡く。月の光のように冴え冴えとして。
　すぅ、と引き込まれるように光もろともシキョウの手の中に収まった後も、その場には沈黙が残っていた。

*****

「そこをまっすぐ行けばおじょうちゃんの家に着くからな。今度は、大事な物はしっかり管理するんだぞ」
「うんッッ、ありがとう〜〜〜〜〜〜〜、おじちゃん」
「あー、それとだ。俺も含めて、知らない人間に今日みたいに簡単に付いていかないようにな」
「はーーーーいッ」
「……まあ、気を付けろ。じゃあな」
「うん、おじちゃんもばいば〜〜〜〜〜〜いッッッ！」
　苦笑しつつ別れた男がどうしてシキョウの住む病院を知っていたのか、とか、どうやって取り戻したのか、とか、そういった事は駆け出した途端シキョウの頭から飛び去っていた。
　ただ、今は、
「ただいま〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッッッッ！！！！」
「ど、どこ行ってやがったコラああああああああっっっっ！？！？！？」
　懐かしい怒鳴り声にもにっこりと笑いながら、
「おさんぽだよ〜〜〜〜〜〜ッ、ねえ、こんどはいっしょにいこ〜〜〜〜ね〜〜〜〜〜〜〜？？」
　気のせいか疲れ切っている様子の少年に、全速力で飛びついたのだった。


-END-

PCシチュエーションノベル（シングル）

間垣久実

聖獣界ソーン

2004年12月17日