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『一人と独り 』
真名神・慶悟0389)&朱束・勾音(1993)

 「あら」
 女の、真っ赤に色付いた爪先が慶悟のつむじを撫で、覗き込む。その金糸の根元に、見慣れない黒い部分を見付けたからだ。掻き分けて根元まで露わにしないと分からない程度の長さであったが、色を抜いた慶悟の髪に見慣れた女にとっては、この酔狂ものが改心したかのような錯覚を引き起こす程、物珍しかったのだ。
 「慶悟の髪、元は黒髪なのね」
 「当たり前だろう、これでもれっきとした日本人なんだから。この色は見せ掛けさ。牡孔雀の尾羽みたいなものだ」
 抜き直してこなきゃな、と慶悟は、自分の金色の前髪を上目で見ながら指で摘まんで引っ張る。傍らで立ったままのミニスカートの女が、感心する程細微に装飾を施した爪の指先を頬に宛がい、納得したように頷いた。
 「そう言われてみればそうよねぇ…でも何となく、慶悟なら元よりキンパツでも可笑しくないかなぁって思えちゃうのよね」
 女はただ単に、如何ような遊びにも慣れていて物腰もスマートな慶悟になら、欧米人の血が混ざっていても不思議ではない、と言う意味でそう言ったのだが、慶悟にはまた違った意味にも聞こえた。だが、この、ただの遊び友達である女に慶悟の事情が知れている筈も無く、単なる自分の思い込みだろう、と慶悟は小さく苦笑を漏らした。
 『…昔の話さ、昔の』
 人によっては数年前など、過去の域に入らないかもしれない。だが慶悟にとっては、最早遥か昔の事だった。
 「それじゃ、慶悟にも真っ黒の髪の頃があったのね」
 女の声が、慶悟を現実に引き戻す。ワンテンポ置いてから、勿論、と頷いた。
 「そりゃもう、見た目どおりの純真無垢で穢れのない、極めて愛らしい美少年だったとも」
 「やだぁ、もう、信じらんなーい。そんなカワイイ慶悟、見てみたかったわぁ」
 嘘クサーイ、等とけらけら笑う女の尖った顎先を見上げながら、慶悟の意識はふとその数年前へと遡っていた。


 長きに渡り繁栄してきた歴史の重みは、それに関わる人々に多大なる知恵や経験や誇りなどを与えはするが、同時に、異質なもの、変わろうとするもの、強大なものに対しての惧れや嫌悪感から、それらを排除しようとする傾向が顕著になる。それが、ただの慢心になるだけならまだしも、怠惰になってしまうと後はもう、どのように優れたものであっても堕落していくより他にない。
 真名神一門が壊滅した時の事情は杳として知れない。一部では、怪異絡みの騒動でと噂されているが、もしや、これまで歴史の主要な舞台の表裏で活躍し続けていた真名神の一族に、油断があったのではないかと実しやかに囁く者も居た。
 それは偏に、一門壊滅と言う大事の中、生き残った者がたったの一人だった事に由縁していた。


 「…で、私の所にお鉢が回ってきたと言う事かえ」
 「そ、そんな滅相もない…」
 くくっと楽しげに喉で笑う勾音に対し、男はただひたすらに恐縮し、頭を下げるのみであった。
 「しかし、お前ともあろう者が持て余す程の凶相とはねぇ…」
 「面目も御座いません。ですが私の枠を超える存在となると、万が一の時、御前様に何か不都合があってからでは遅い、と思いまして…」
 「まぁ、厄介事は種のうちにこちらの元に持っといで、と言ったのは私だからね。それに…」
 ゆったりとした動作で腕を組み、勾音は視線を閉められた扉の向こう側へと移す。閉め切られた隣の部屋に居るだろうその存在に、興味津々な様子で口端を上に持ち上げた。
 男は、京都で陰陽師の才を営む一族のひとりで、その一族が鬼の血を引いていることから勾音とも縁があり、忠実なるしもべでもあった。
 その陰陽師が系列のひとつとして名を列ねていたのが、例の真名神を頂点とする陰陽道の繋がりであり、それ故、たった一人の生き残りを引き取る羽目になったのだが、その少年―――生き残りは齢十四歳のまだ少年であったのだ―――に浮かぶ、只ならぬ気配の凶相に怖気付いたと言うのが正直なところだった。
 勾音は真っ直ぐに閉められた扉の方へと歩き、ノックもしないでいきなり扉を勢いよく大きく開けた。真四角の部屋の、一辺の真ん中に扉が付いており、開け放った扉の真正面にある隅、その右側の隅に小さなボストンバッグがひとつだけ置いてあったが、人の姿はない。部屋の中央には椅子がひとつ置いてあったが、勿論そこにも人影はなく。勾音は数歩前へ足を踏み出し、部屋の中へと進む。立ち止まり、ゆっくりと己の左側を向く。するとそこには一人の少年が、ボストンバッグとは対角の部屋の隅に凭れ、無表情な目で勾音を見返していたのだ。
 「なんだい、こんな狭い部屋でカクレンボかい?」
 「そんな年じゃない」
 勾音の揶揄いにぶっきらぼうに答えた慶悟は、憮然とした様子で腕組みをする。こうして見るとちゃんと四肢のある普通の人間なのだが、さっき勾音が慶悟の存在に気付くまでのほんの数秒、その黒髪が部屋の薄闇に紛れ、まるで霊体かと錯覚する程、慶悟は巧みに己の存在感を隠していた。
 「そんな不細工な顔をおしでないよ、折角の男前が台無しじゃないか」
 「………」
 笑み交じりの勾音の言葉を跳ね返すよう、慶悟がキッと勾音を睨み付ける。その視線は、ある意味で子供らしい、拗ねを含んだものであったが、その褪め切った目は子供のそれではなかった。
 これまでの大人達とはまるで違った態度を示す勾音を、なんだこいつと言わんばかりの視線で、慶悟は目の前の女を見た。今の慶悟なら、『好い女』とでも称するのだろう。際どく切れ込んだ深い襟ぐりから覗く豊満な胸元、その前で自信たっぷりに組まれた両腕、赤い爪、赤い唇。毒々しいまでにきらびやかで派手な女なのだが、匂い立つような女の色香よりも先に、禍々しい何かを感じる。慶悟の瞳が、ふと何かの違和感を感じて揺れる。彷徨う視線が、勾音の額の上でぴたりと止まる。ほんの僅かにだが黒い瞳が驚きで見開き、次いで困惑で揺れた。
 「おっと、懐の符は出すんじゃないよ。幾らこの角が珍しいって言ってもね」
 勾音が可笑しげに喉を鳴らして笑う。慶悟は、勾音の額に生えた角にも驚いたが、それよりも、勾音に先手を打たれた事の方に驚いた。
 慶悟は、目に見えてはっきりと、符を出そうと身構えた訳ではない。目の前の異形に気付いた瞬間、思考能力で考えるよりも早く、封の呪術が、そして符のある上着のポケットが脳裏に浮かんだに過ぎず、あえて言うならそれにつれて指先がほんの僅か蠢いただけだ。恐らく、たったそれだけの情報から勾音は慶悟がこの後とるだろう行動を予測し、牽制を掛けたのだ。慶悟は、そんな勾音を恐ろしいと思うより先に悔しさを感じ、下唇を噛み締める。そんな少年の様子を勾音は、満足げな様子で眺めていた。


 勾音が、京都の陰陽師を呼んだ。鬼の血を引く男が隣の部屋から恐る恐る顔を出すと、振り返った勾音の口許が笑みの形になる。
 「この子はうちで預かるよ」
 いいね?と勾音は陰陽師に了解を得るも、男にとってそれは願ったり叶ったりの状況なのだから反対する筈もなく。尤も、もとより男に決定権はないのだから、結局は同じ事だったのだが。
 「お前もいいね?」
 「どうせ嫌だって言ったって、俺に決定権はないんだろう?」
 男のへりくだった様子を横目で見ながら慶悟がそう言う。すると勾音は目を細め、今にも吹き出しそうな顔で少年の顔を見る。
 「そうだねぇ…、どうしてもお前が嫌だって言うんなら仕方がないさね。だが、よく考えてごらん?お前にとって、今どうする事が一番得策かを。今、何を捨てて何を手に取るべきか、聡いお前なら分かるだろう?」
 どうする?と言わんばかりに、勾音が腕組みをしたまま黒髪の少年を見詰める。慶悟は暫く無言で口をへの字にしていたが、やがて溜息と共に結論を吐き出した。
 「…厄介になる」
 「その言葉、忘れるんじゃないよ」
 それだけ言って、勾音はその部屋を出て行こうとする。その背中に、慶悟の声が飛んだ。
 「言っておくが、俺は、何一つ捨てるつもりはないからな」
 そんな挑戦的とも言える慶悟の物言いにも、勾音は気に障った様子もなく、ただ口許で笑うだけだった。
 「それは結構な事さね。そこまで言い切るって事は、それなりの覚悟があると言う事だろう?だったら私は何も言わないさ」
 それは、突き放した言葉のようでもあり、信頼ゆえの言葉のようでもあり。そのどちらなのかは、恐らくこれからの自分次第なのだと一瞬にして悟った慶悟は、どこか神妙な顔で頷く。己の意を得たらしい慶悟の様子に、勾音は満足げに微笑んだ。付いておいで、と顎をしゃくって慶悟を呼ぶ。予想外の勾音の言動に、謀らずしもびくっと身体を弾けさせた慶悟は、そのまま駆け出し勾音の後を追おうとしたが、
 「お前、ここには意地汚い連中も大勢いるからね。アレを持っていかないと、後で困った事になるよ」
 アレ、と言って勾音が指差したのは、慶悟が持参したと思しき小さなボストンバッグだ。無造作に床に放り出してあった様子から、それを見た大抵の者は、ただの着替えか何かだろうと思い込んでいたのだが、勾音にはしっかりと気付かれていたようだ。慶悟は、またも悔しげな表情で下唇を噛み締めると踵を返し、ボストンバッグを小脇に抱え込む。真名神一門壊滅の際に慶悟が持ち出した、一族の財が詰まった鞄を。


 そうして慶悟は勾音の元で日々を暮らす事になったのだが、それは、勾音の庇護を全面的に受けられると言う訳では決してなかった。勾音は暇があれば慶悟を構い、揶揄っては色々な場所に連れ出し、己のお供をさせたが、慶悟の行動そのものを縛りはしなかった。勾音の周辺には実に様々な人間(或いはそれ以外も)が屯しており、中には意味もなく慶悟に悪意を持つものもいたが、それらを退けるのは慶悟自身の仕事だった。勿論、勾音が気に入っている慶悟に悪さをしようとした等と勾音に知られれば、そいつはただでは済まなかっただろうが、相手も巧妙にそれを押し隠していたし、慶悟も勾音に告げ口するような事はしなかった。いつも影でそう言う輩と対峙していた慶悟だったが、気付かれていない筈なのに、いつも何処かから勾音の赤い視線に晒されているような気がして、居心地の悪い思いを感じていたのだった。


 「そう言えば何年になるかい。お前がここを逃げ出してから」
 「逃げ出したとか人聞きの悪い事を言わんでくれ。俺はもう必要がないと思ったから、あんたの元を円満に出て来ただけじゃないか」
 眉を潜めて慶悟が抗議をする。それでもちゃんと素直に「四年」と答える辺り、未だに勾音の事が苦手である事には変わりないようだった。
 ここは、東京でも指折りの高級割烹料亭の一座敷である。財力と権力だけでは敷居を跨ぐ事を許されないと言う、今の時代にあってなお、そんな頑なな姿勢を取り続けている店なのだが、そんな限られた者しか入る事を許されない奥座敷のひとつで、勾音は勿論慶悟も、馴れ切った様子で寛いでいた。世間的には、慶悟の年や地位では、このような店に縁がある筈が無いにも関わらず。
 仲居が運んできた冷酒を、自分の猪口に注ぐ。そのまま徳利を座卓に戻そうとするが、思い直して勾音にも差し出し、赤い爪が支える猪口に、同じように少し黄ばんだ酒を注ぎ込んだ。
 「…なんだ、こりゃ。抜栓したてじゃないか」
 酒を一口含んだ慶悟が、眉を顰めて猪口を卓に戻す。同じような表情で片眉を掲げた勾音も、それ以上酒を飲む事はしなかった。
 「この店も質が下がったんじゃねぇの。あんたの目が行き届いてないようだな」
 「別に私が手取り足取り管理している訳じゃないからねぇ。そこまで酒の味が分かる客など来ないって事だろうよ。見た目偉そうな客ばっかだけどねぇ」
 くくっと喉で勾音が笑う。暗に、慶悟が、ここの客としては異質であると言っているようだが、それに気付いた慶悟が、軽く肩を揺らして笑う。
 「そりゃしょうがねぇよ。誰だって行き着ければ、何にでも慣れるもんさ。成人どころか中学も卒業してねぇような俺を、普通なら門前払いを食らわせられるような高級料亭や高級クラブに、夜毎連れ回していたのはどこの誰なんだよ」
 「いい経験だっただろう?うちのバーテンダーに話してごらんよ。きっと羨ましがるさね」
 「いい経験、ねぇ……」
 どうだかねぇ、と恍けて慶悟がにやにやしながら脚部分に見事な螺鈿の細工が施された脇息に体重を預ける。そんな様子を座卓の向こう側から眺めつつ、勾音が言った。
 「考えてみれば、お前の夜遊び癖は、その頃身に付いたもののようだねぇ」
 「そうか。それなら、あんたと毎夜出歩いたのも、全くの無駄じゃなかったって事だな」
 「…聞き捨てならないね、その言葉は」
 冷えた空気を纏って目を細める勾音に、畏れる事もなく慶悟は軽く声を立てて笑った。


おわり。


☆ライターより

 いつもありがとうございます!碧川桜でございます。
 復帰!したかと思いきや、相変わらずのノロノロビームなペースですみません(滝汗)折角発注して頂いたのにひたすら申し訳ない限りで…この借り(借り?)はいずれ……等とふざけた事を言う前に、ひたすら精進するべきですね(汗)
 ではでは、下らないお喋りもこの辺で…またお会い出来る事を心からお待ち申し上げて下ります(平伏)
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年12月16日

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