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『『彼の者、怪異につき ― 闇の暗鬱なる観察 ―』 』
―・影3873


 薄暗い路地裏、腐ったどぶ水の臭いが漂う薄闇の中で彼はそのセールスマンのネクタイを掴んだ。
「ねえ、金を出しなよ、お兄さん。そうすれば痛い想いをしなくってもすむよ?」
 悪い。宿題するの忘れたから、ノートを貸して。貸してくれたらジュースを奢るからさ。というような気安い声で、彼はそう言った。
 そう言う彼が着ているのは有名私立高校の制服だ。
 ネクタイを掴んで、セールスマンを吊るし上げる、というような乱暴な事をしているにも関わらずにその彼の眉目秀麗な顔に浮かんでいるのも穏やかな顔。
 まるでこれはゲーム、だと言わんばかりに。
「すみませんが、お金はありませんね」
 そう言ったセールスマンは何を考えているのだろうか? 少年は180センチぐらいの長身だが、彼の背は標準ぐらい。体型も細身だ。腕力では見た目は敵いそうも、無い。まあ、そのセールスマンが何らかの武道の有段者、もしくはそのトランクの中に銃でも入っていれば話は別だが。
 少年はにこやかに笑いながらセールスマンのネクタイから手を放した。
「ふーん、そう。じゃあ、痛い想いの方を選択するわけだ」
 言うが早いか少年がセールスマンに殴りかかる。
 しかしその拳がセールスマンの顔の前でぴたりと止まる。
 まるでカウンターを叩き込まんとするかのように少年の顔の前にもセールスマンの手が伸ばされていたから。もっと正確的に言うのなら、その手に時計が握られていたから。
「何のつもり?」
 見えているのかいないのかわからない細い目をさらに細めて、そのセールスマンは涼やかな声を発した。
 薄暗い路地裏のどぶ臭い空気を震わせて、セールスマンの声が広がる。闇に。
「ですからね、私はお金を持ってはおりませんので、その分、物であなたにお支払いすると申しているのですよ」
「物で? つまり、その時計という事?」
「そうなりますね」
「はん。時計ならもう」
 と、彼は自分の左の手首に視線をやって、舌打ちをした。そこにあるはずの時計が無い。
「どういたしました?」
「何でもないよ」
 そして少年はセールスマンから時計を受け取って、それを左手首に巻いた。
 とてもスマートなデザインの時計だ。文字盤にはカレンダーと月の満ち欠けの絵柄がある。
「説明書、は必要ですか? なにせそれはちょっと特別な時計ですから」
「特別な時計って。確かに見ないデザインの時計だけど、取り扱い方には格差は無いだろう。いいよ、別に。それに面倒臭い」
 彼は肩を竦めながらそう言って、セールスマンの乱れたネクタイを両手で整えてやる。
「お兄さん、運が良かったね。この時計に免じて許してあげる」
「それは、ありがとうございます」
 セールスマンは慇懃無礼に礼をした。
 彼はまた肩を竦めて、そしてもうセールスマンは無視して、その路地裏から去っていく。
 そのすべてを見ていたカラス。
 喫茶店の出す生ゴミ目当てだったのだが、しかしそのカラスは目当ての生ゴミ漁りもしないまま「カァー」と不吉な死の宣告でもするかのような鳴き声をひとつあげて、飛んでいった。
 そう、そのカラスは見たのだ。
 黒一色で統一したそのセールスマンの姿が少年が彼に背を向けたと同時に闇に溶け込むかのように、消えていったのを。
 そして路地裏にたゆたう闇にやはり涼やかな声が響き渡る。
「ああ、ただしその差し上げた時計の代価はもちろん、ちゃんと頂きますけどね。あなたの幸福と言う代価を」



 ――――――――――――――――――
【Begin Story】
【Kusama?T】

 ぱちーん、とものすごく軽快ないい音がした。
 涙目になりながら友人の頬をひっぱ叩いた手をもう片方の手で心に痛そうな顔をしながらぎゅっと握り締めて、彼女はさらに感情を爆発させた。
「ばかぁ。あんた、何をやってんのよぉ!!!」
 叩かれた頬を手で押さえながら彼女の友人は顔を俯かせて、嗚咽を漏らし始める。
 彼女はきゅっと下唇を噛み締めて、友人から目を背けた。
 修羅場、という訳ではない。
 感情の齟齬も無い。
 ただ彼女達は追い詰められているだけなのだ。
 いや、追い詰められているのは友人だけ。彼女は違う。
 違うのに彼女は緊迫した、切羽詰ったような表情をしていた。自分の方こそがぎりぎりの死地にいるような。
 肩までのセミロングの黒髪に隠された彼女の顔に浮かぶ表情は果たしてどのような物なのだろう?
 草間武彦はそれを思い浮かべ、苦そうに顔を歪めた。
「二人ともやめろ。やってしまった事を責めたって、どうしようもないだろう。しかし、どうにも厄介だな」
 サングラスを外して、眉間を揉み解しながら草間は大きく溜息を吐き出す。
「あの、この事件、やってもらえますか、探偵さん?」
 ただ泣きじゃくるだけの友人に代わって、彼女がそう訊いてきた。
 だから草間は苦笑するのだ。
 ――断れる訳が無い。
「ああ。やらせてもらおう」
 本来の俺はハードボイルドな探偵なんだがな。軽く開けられた口から零れ出た溜息がそう言っていた。お盆を両手で持って、草間の隣に立つ妹はくすくすと笑っている。
 草間の了承の言葉に喜びを溢れさせて、「絶対にアタシの友人を助けてくださいね」と指きりまでさせられた草間は、さらに彼が望むハードボイルドな探偵とはかけ離れたのだが、しかしその時の彼の顔に浮かぶ表情はまんざらでもなさそうだった。



 +++


 持ち込まれた依頼は例に寄ってやはり怪奇絡みの難事件だった。
 依頼主は有名私立の学校に通う女子高生だ。
 彼女らの学校では心霊ゲーム…俗に言う『こっくりさん』が流行っていた。
 一枚の紙に鳥居(赤で書くと効果が絶大するらしい)、YES、NO、そしてあいうえおを書き、10円玉を用意して、三人でやるモノ。
 この『こっくりさん』に対しては、何かと意見がわかれる。
 科学者はただの催眠作用による戯言だ、とか、無意識に手が動いているだけだとか、そのように言うし、霊能力者は心霊スポットに入るのと同じで絶対にやってはいけない事だと証言する。
 数年前には全校生徒が『こっくりさん』が原因で病院に運ばれる事件が起きている。
 そのせいか学校によっては校則で『こっくりさん』は禁止されている場合もあるらしい。
 どうにも扱い方が厄介なモノなのだ。
「確かその時も評論家とかニュースのコメンテーターは催眠作用によるものだと言っていたな」
 草間はコーヒーを啜りながら記憶の一片を音声化させた。
「ええ。そう言われていた。でも、アタシも心霊関係の番組って大好きだったからその当事にやっていた番組に出ていた霊能力者さんの言葉を覚えてるんです。『こっくりさん』というのはヨーロッパなどで行われていた心霊研究によって生み出された交霊会の儀式を簡素化したモノで、確かに眉唾な交霊会は多く存在していたから、そこで行われていた儀式には信憑性が無いモノが多く存在するが、でも中には本当に霊が降りてきて、その交霊会のメンバーに悲劇をもたらした例なども多くあるって。つまりがその違いは本物の霊能力者が混じっているか、否か、って」
 友人のためにも草間武彦の探偵助手をする事を申し出た彼女は、さっそく有能な助手としての働きをするためにも自分の知っている知識を披露した。
「なるほどな」
 草間はこくりと頷く。
「それで、その肝心の霊能力者は居たのか? 君の友人の中には?」
「いいえ。死んだ二人にも、そして彼女にも霊感なんて無かったわ」
 彼女は首を横に振って、そしてまた顔を歪めた。思い出してしまったのだろう。あいつが来る、助けてぇ、と恐慌状態で叫びながら屋上から飛び降りた友人と、ひどく歪んだ字で、あとひとりも連れて行く、と書き残された手紙がある部屋で首を吊っていた友人の事を。
 草間の妹が温かなホットミルクのお代わりを、体を震えさせる彼女に渡した。
 最後のひとりである友人はずっと学校を休んで、部屋の中で震えていたらしい。それを彼女が説得し、兼ねがね噂に聞いていたこの草間興信所に友人を説得して連れてきたのだ。必ず草間武彦が助けてくれると。
「それにしてもどうして『こっくりさん』なんか」
 彼女は掠れた声で呟いた。
 草間は空になったカップをテーブルの上に置く。妹が「お代わりを飲む?」と聞いてくれたが、草間は「ありがとう。もういいよ」と呟き、煙草を吸おうとした。が、しかし18歳の少女がいる場所でやはり煙草は吸えないので、出しかけた煙草を苦い表情をしながら箱に戻し、「やっぱりコーヒーのお代わりをくれ」と妹に頼んだ。
「はい、兄さん」
 ぱたぱたとスリッパの音を立てながら台所へと行く妹の後ろ姿を見送りながら草間は口を開いた。
「三人の中に霊感を持つ者がいないのなら、容疑者は、道具、なんだろうな」
 それは当てずっぽで言ったのではない。これまでの彼の経験が言わせたのだ。草間は多くの人間を見てきた。呪われた道具を手にして、不幸な目に遭った人間を。
「あの子たちが使った『ウイジャボード』? ああ、うん。西洋の『こっくりさん』…えっと、『エンジェルさん』という交霊儀式の道具」
「そう。彼女が言っただろう? 最初に自殺した少女が真っ黒な服を着て、黒いトランクを持ったセールスマンにそれをもらったって」
「ええ。でも人の良さそうな人だったからって。それで信用したって」
「知らずに彼女らに渡した? 善意が故の表情か。それとも確信犯だからか」
 人の前に降り立ち、人間を誘惑する時に悪魔が浮かべる表情は、天使が如き笑みである、というのはあまりにも広く知れ渡った事実である。
「草間さん……」
 不安そうな声を出す彼女に草間は「大丈夫だ」と言い、そして妹に渡されたカップの中の熱い液体を飲み干した。しかし喉から胸に落ちたその熱い液体でも、彼が感じる薄ら寒さは拭う事ができなかった。



 ――――――――――――――――――
【Kage?T】


 人とは数々の制約によって縛られている。
 その中でもより大きく人を縛るモノが時間だ。
 では、その時間から解放されたら、人はどうなるのだろうか?
 生まれた疑問は答えを欲した。
 私は人を知りたいのだ。
 あの子らが、どうして人に執着するのか、その理由を知るために。
「誰ならその答えをくれるのでしょうね?」
 私はトランクの中から取り出した【時計師】という名の時計の説明書で紙飛行機を折った。
 それを青い空に向って、飛ばす。
 風の無い世界を紙飛行機はどこまでも飛んでいく。
 そしてひとりの少年の胸にその紙飛行機はすぅーっと砂糖菓子が水に溶け込むように、消えていった。
 そう、もうこれでその少年と【時計師】との縁が出来上がったのだ。
 あとは自動的に私が何もせずとも彼の方からやってきてくれる。私が持つ時計を彼が受け取りに。
 そして薄暗い路地裏。あのどぶ臭い空気が飽和しきれぬほどに空気に孕まれた場所で、私と彼は出会った。縁という名の運命の糸に惹かれあって。
 腕時計時計は当然、出会う前までに消え去っている。それは彼と【時計師】との縁の前では希薄な縁しか持たぬから。
 それで彼は晴れて【時計師】の所持者となった。
「さあ、見せてください、私に。時から解放された人間が何をするのか?」



 +++


 別に小遣いが不足してるわけではなかった。
 誰かをぶん殴らなきゃ気がすまないストレスを抱えているわけでもない。
 そう、ただ僕は暇なだけだ。
 ただそれだけで、僕は人を殴るし、カツアゲもする。
 退屈なんだ、ひどく。
 欲するのは刺激。
 だから僕は不良、と呼ばれる行為をするのだと想う。刺激を求めて。
 え? 求める方向性が違うって?
 いや、いいんだよ、これで。
 だって僕はこれまで【良い子】を演じてきたのだから。
 それなのに僕は、ワクワクする事に出会えなかった。だから、これまでとは正反対の悪い事をするだけ。ひょっとしたらあるかもしれないだろう、面白い事がさ。
 恰好だけは、今まで通り。
 そうやって周りを騙す事も悪い事だろう?
 そして僕は良い子のふりをして、悪事を働く。
 スマートに。
 だけどそれでも僕は出会えなかった、僕が生まれてからずっと感じている退屈から僕を救い出してくれるワクワクに。
 ――そんな風に死にそうなぐらいの退屈に溺れている時だった、僕の前にワクワクがやってきたのは。



 +++


「きゃぁー」
 12月21日。二学期終業式が行われていた体育館に悲鳴が響き渡った。
 男子学生たちすらも声を失って、愕然と立ち尽くしている。
 壇上ではひとつの屍が転がっていた。
 先ほどまでマイクを使って、喋っていた校長だ。
 しかし彼は血の海で転がって絶命していた。
 心臓に深々とナイフを突き刺して。
 それを体育館の壇上の横にある闇の中から見つめている影はにんまりと微笑む。
「なるほど、君の方向性はそちらですか。では、見せてくださいね。君の行き着く先と言う奴をね」



 ――――――――――――――――――
【Kusama?U】


「これもさ、『こっくりさん』のせいなの?」
「さあ、どうだろうな」
 恐怖も露に言った彼女に草間武彦は首を左右に振った。
「どうだろうな、って、違うと想うの? 草間さんは?」
「可能性の問題を言っている」
「可能性の問題? じゃあ、可能性で言うと?」
「9割、違うだろうな」
「はい?」
 彼女は両目を見開いた。
「どうして、そう想うのよ、草間さん」
「そうだな。殺し方、か」
「殺し方?」
「ああ。これまで交霊儀式『こっくりさん』により現れた怪異によって殺された者は、自殺に追い込まれていただろう? しかし今回の校長の件は他殺だ」
「他殺、ね」
「そう」
「でも、アタシだって見ていたのよ。校長が校長以外誰も居ない壇上で、突然に胸にナイフを突き刺して、倒れたのを」
「トリックも何も無い、か。でも相手が能力者だったら?」
「え?」
「常人には不可能な事でも、能力者になら可能だ。誰もいない壇上で、人を殺すのはな」
 草間はなんとも苦りきった表情で重い溜息を吐いた。
 どうやら、自分も『こっくりさん』の影響を受けているのかもしれない。



 ――――――――――――――――――
【Kage?U】


 校長を殺したのは、前々から話が長かったからと、女子生徒にセクハラを行っていたから。
 それ以外の理由は別に無い。
 手に入れた【時計師】の能力によって起こした殺人だ。警察では絶対に自分を見つける事はできないだろう。
 誰も居ないはずの壇上で起こった殺人。
 しかしトリックなど存在しない。
 それは彼が【時計師】の能力で時を止めた世界でやった事だ。校長の前にまで行って、時が止まった世界で思いっきりナイフを投げつけた。
 時が止まった世界。しかしそれにも法則があった。【時計師】の能力で時を止めても、その時が止まった世界から彼は切り離されているようで、そして彼はその時が止まった世界に影響を起こす事ができるらしいのだ。だから彼はナイフを投げた。彼が投げたナイフはしかし、時から切り離された彼が投げつけたモノだからこそ、のろのろとではあるが時が止まった世界で校長に向って飛んでいっていたのだ。
 そして彼が自分が元居た場所に戻り、止めていた時を動かした時、時が止まった時間の中で彼に投げつけたナイフは弾丸のようなスピードとなって、校長の胸に突き刺さった。
 検死医はその殺害状況もさることながら校長を即死させたそのナイフの一突きにも首を捻るのだろう。常識ではありえないような力でナイフが刺さっているのだから。
 少年は、昨日の夕方に得た【時計師】の能力をそこまで理解しているのであった。
 普通のただただ平凡な者に【時計師】が渡っていれば、それはおそらくは悪戯の道具とか、私怨による犯罪、欲求を満たすための犯罪に使われていたのだろう。そこから足がついたかもしれない。
 だがそれを手に入れた少年は心の奥底から退屈していた。退屈は神をも殺すか? 玩具を手に入れた子どもほど怖いモノはないだろう。
 色んな事がただ退屈に思えるほどすべてを見越せる彼だからこそ、彼は私怨とか欲求の為にその能力を使わない。
 ただ、退屈を潰すため以外は。
「だけどまあ、それでも僕の周りでこれ以上殺人は行わない方がいいかな。そこからの関連性を見つけられる可能性も無くない」
 口の中だけで呟く彼は、人込みの後ろから忙しく体育館の中に出たり入ったりしている警察関係者を眺めていたのだが、同じく自分と同じように体育館に出たり入ったりする警察関係者を眺めている人物に気がついた。
 自分と同じ学校の制服を着ている少女と、そして彼女と何事かを話している男性。
 絶対的なる【時計師】という能力を得たが故に野生動物が持つ危機を回避する直感を持った彼はその二人を見て、気付いた。
「敵、というわけ。彼らは僕の」
 それに気付いた時、彼は身を震わせた。戦慄にではなく、武者震いだ。
「面白くなってきたね。退屈を紛らせそうだよ」



 +++


「ほお。敢えて敵に向うのですか、君は。それは何故? 好敵手。そんな感情を人は持つというのですか。いや、そうではない。退屈だから。退屈を紛らわせるために君は彼を敵にまわす。退屈を紛らわせるためならば、やはり彼も殺す。君は神となったつもりでいるのですかね? 神、神ですか」
 影はおどけたように肩を竦めた。
 彼がいる場所は屋上だ。つい最近、彼が渡した【ウイジャボード】によって降霊させた怪異によって死んだ女子高生が飛び降りた。
 もうひとり、自殺した女子高生もいる。
 あと残りひとりも死ぬのだろう、面白半分で降ろした怪異によって。
 おそらくは彼女らの誰一人として独りだったら、それをやらなかっただろう。しかし彼女らは三人、複数であったから、それをやった。それは集団心理。
 影が見たかったのはそれだ。だから彼女らに【ウイジャボード】を手渡し、それを彼女らが使う過程までの心理の動きを観察し終えた後は、興味を無くしていたのだが――
「やれやれ。こちらはこちらでまた面白い事になっているようですね?」
 影はひとり口元に手をやりながらふむと頷くと、周りの薄闇に溶け込んで消えていった。



 ――――――――――――――――――
【Kusama?V】


「それでどうするの?」
「どうするも何も、これは無視をする」
「無視をする?」
 草間の言葉に彼女は目を鋭くさせた。そして嫌悪の感情も顕に草間に食ってかかる。
「無視するって、人が死んでいるのよ? 犠牲者が出ているの。それを無視するって、それで次の犠牲者が出たらどうするのよ? しかもそれがアタシの知り合いだったら、夢見が悪い」
「正論だな。それは」
 草間は溜息を吐いた。
「だが、俺にはクライアントがいて、そしてそのクライアントのために調査をしているんだ。この事件がクライアントにも危険を及ぼすと言うのなら、俺はこの殺人事件の調査をしよう。しかしこれは明らかに『こっくりさん』に関する事象とは無関係だ。だったら、俺は先にするべき事をしなければならない。俺は探偵だからな」
「それは…それはわかっているけど」
 彼女はぎゅっと拳を握り締めて、固くまぶたを閉じた目の端から涙を零した。
「…かったわよ。わかったわ。じゃあ、草間さんはどうぞ、アタシたちの依頼の方を優先して調査してください。アタシはこの事件の調査をするわ。それじゃあ、さようなら、探偵さん」
 そして彼女はセミロングの髪と短い制服のスカートの裾を翻らせて、走り去っていった。
 草間は大きく溜息を吐いた。



 +++


 女子高生たちが【ウイジャボード】によって降霊させた怪異は何かはわからない。
 その怪異が何か、それが判明しなければ払う事は無理だ。ならば生き残った彼女を守るためにはその【ウイジャボード】を渡してきた正体不明のセールスマンを見つけるのが一番手っ取り早いのだろう。彼ならばその対象法も知ってるかもしれない。
 しかしそれは二者択一によって得られた結果であって、どちらにしろ雲を掴むような話。草間がそのセールスマンを捕まえられるという保証は無い。
 向こうから現れれば話は別だが。
「黒で統一した正体不明のセールスマン。背丈は標準。体型は細身。細い目をした青年。わかっているのはそれだけだ」
 その正体不明のセールスマンに【ウイジャボード】を受け取ったのが屋上から飛び降りた女子高生だという。
 どこでそれを受け取ったのか、どうやって二人が出会ったのか最後の一人は知らない。だからそれを知ってる誰かを虱潰しに彼女の交友関係を辿って見つけるのが、草間が取った方法だったのだ。それによってセールスマンを見つけようと。
 そして草間は通りがかった男子学生にも試しに声をかける。
 彼に探しているセールスマンの特徴を口にした。
 その彼は首を左右に振った。
「知りません、ね」
「そうか。悪かったな」
「いえ。ところでそのセールスマンがどうかしたんですか?」
「……いや、何でも無い」
「そうですか。それでは失礼します」
「ああ」
 草間は重い息を吐き、その男子学生の後をつけ始めた。



 ――――――――――――――――――
【Kage?W】


 やはり尾行してきたようだ、あの男は。
 彼は後ろは見ずとも草間武彦が自分を尾行してきている事に勘付いていた。
 そう、そうでなくっては困る。そのためにわざとセールスマン、という言葉を口にしてやったのだから。
 草間武彦はあのセールスマンの特徴を口にしながらも、セールスマン、という言葉は口にしなかった。
 だから彼は愚か者のふりをして、わざとセールスマンという言葉を口にした。そうすれば草間武彦が自分の後を尾行してくるとわかっていたから。
 一体どんな理由で草間武彦があのセールスマンを追い求めているのかはわからぬが、しかし草間武彦をほかっておけばやがて自分の驚異となる事も彼にはわかっていたし、そしてそれが最高の退屈を潰せるとっておきのわくわくである事もわかっていた。
 それだけで彼にはそれをする意義があった。
「これは最高のゲームだよ、草間武彦」
 そして彼は後ろを振り返り、多くの人たちが行き交う中で草間武彦と目を合わせた。
 にやりと笑い、【時計師】の能力を発動させる。
 瞬間、時が止まり、その時が止まった世界から切り離された彼だけが動く事ができる。
 草間武彦の後ろについて、止まっていた時を動かせた。
「なっ」
 驚愕の声を草間武彦は漏らし、彼はにやりと笑う。そして後ろから宣告した。
「ただの人間であるあなたは、僕の敵ではない。ゲームオーバーだよ、草間武彦」
 そして彼は再び時を止めて、草間武彦の前に行き、彼のサングラスをはずすと、にこりと笑いながら校長を殺したのと同じように草間武彦の心臓に向って、ナイフを投げつけた。



 ――――――――――――――――――
【Kusama?W】


 草間武彦と喧嘩別れをしもののひとりの男子学生を追いかけていく彼が気になって、彼女は草間武彦の後をつけた。
 少し離れて、彼女は草間武彦を追いかけ、その背中を見ていたのだが、その彼女の背を戦慄が襲った。
 なぜならほんの一瞬前まで、草間武彦の後ろには自分の視界を遮る人物は誰もいなかったのに、しかし瞬きをしたそのほんの一瞬に自分と彼の間には人が居て、
 そしてその人物は、なんと草間武彦が尾行していた男子学生であったのだ。
 間違い無い。
「そんな。だけど、どうして?」
 彼女は緊張に焼け付く喉をひくひくひとさせた。忙しなくまつげを瞬かせて……
 ――その一瞬であったのだ、男子学生がまた現れた時と同様に空間に掻き消えて、そして……
「草間さん。嫌だ、嘘でしょう?」
 彼女は、無感情な声でそう言った。
 喜怒哀楽がはっきりとしているからこそ、その声が彼女の絶望を物語った。
「草間さーーん」
 そして彼女はゆっくりと前のめりに倒れた彼の元へと全力で走り寄るのだ。
 草間武彦の周りに集まった人々を掻き分けて、そして血の湖の中に沈んでいる彼を抱き起こして、人が見ているにもかかわらずに左胸に深々とナイフを突き刺した彼を抱きしめた。
 制服や髪、肌に顔が彼の血に汚れるのにもかまわずに。
「草間さん。草間さん。草間さん。アタシのせいだ。アタシがあなたを巻き込んだから。アタシがあなたの元に事件なんか持ち込まなければ」
 ああ、自分はこの人に恋をしていたのだ。淡い恋心を抱いていたのだ。
 自分は平凡な娘だった。
 容姿も人並み。学力や運動だって。
 不思議なモノに惹かれていたのは、だから。自分があまりにも普通であったから、だから普通ではないモノに惹かれた。
 草間武彦の名前はだから前々から知っていた。一種の都市伝説かのような人だったから。
 だから興味を持ったのだよ、アタシは、あなたに。
 数々の奇怪な事件を解決に導いた怪奇探偵。友人のあの子には悪かったが、友人が化け物に狙われている、と口走った時には自分は感謝した。この友人を彼の元へ連れて行けば、自分は彼と縁ができるから。
 ただの普通の女子高生である自分が、普通ではない人の世界に立てる………
 ―――だけどそんな感情が、彼を殺した。
 だったら自分は、自分がすべき事は……
「どうすればいいの? あなたになら草間さんは助けられるのでしょう?」
 彼女は自分の涙と草間武彦の血で汚れた顔をいつの間にか自分の前に立っていたその人物に向けた。
 黒一色で身を固めたそのセールスマンに。



 ――――――――――――――――――
【Kage?X】


「幸も不幸もお望みのままに、貴女様は何をご所望致しますか?」
「草間さんを助けられる物を」
 人々の輪の中で影は彼女に穏やかに微笑む。それはまるでお手伝いをするからお小遣いを頂戴、と言っている我が子を見守る母親の表情のようでもあった。
「それを貴女が望むのならば、私はその商品をお渡しするまでですよ。それが私なのですから。ただ、一つ私の質問に答えていただけますか?」
「なに?」
「貴女はどうして彼を助けたい、と望むのですか?」
「好きだから。女はね、好きな人のためならば、強くなれるのだよ。世界中の誰よりも」
「それで自分が死ぬ事になってもですか?」
 影がそう口にした瞬間に、彼女は冷たい氷の世界で、それでも花が咲き綻ぶように美しく凛と微笑んだ。
「好きな人が自分の分まで生きて幸せになってくれるなら、そんなにも喜ばしい事はないじゃない。それに絶対に草間さんはアタシの事を忘れないでいてくれるもの」
「それを貴女は喜びにすると?」
「ええ」
「では、これはどうでしょうか? もしも草間武彦が貴女の事を忘れたら?」
「それでも、かまわない。一番大切なのは草間さんが生きる事ですもの」
「ふん、なるほど」
 影は満足そうに微笑んだ。
「それが人ですか。なるほど、やはりこの私には理解できない。人間などは。どうしようもなく愚かなモノだと思えば、この世のどのようなモノよりも清らかに思える。不安定、なのでしょうかね? 善悪が定まっていない」
 舞台俳優のように影は両手を大きく開いて、詠う様にそれを口にする。
 彼女は溜息を吐く。
「さあ、アタシは答えたわ。だから草間さんを」
「そうでしたね」
 影はトランクから砂時計を取り出した。
 そしてそれを彼女に手渡す。
「それは【時の砂】。その砂時計を草間武彦の手を握りながらひっくり返しなさい。そうすれば、彼の過ごした時間が貴女の物となる。戻せる時間は5分。今ならジャストです。ただし頂く代価は貴女の幸福。故に草間武彦は貴女の事を忘れますよ?」
 影は細い目を更に細めながら試験官の中の液体を観察するように草間武彦の手を握りながら【時の砂】をひっくり返す彼女を見つめていた。
 彼女が【時の砂】をひっくり返した瞬間に浮かべた表情は、確かにとても嬉しそうで、幸せそうで、そしてほっと安堵してる表情であった。
 ………。


 草間さん、大好きだよ。アタシはあなたを愛してます。



 ――――――――――――――――――
【Kusama?X】


「俺はどうして?」
 確かに自分は死んだはずだ。それなのにどうして?
 草間武彦は行き交う人々の中で立っていた。記憶が混乱している。確か自分は【こっくりさん】をやって怪異に取り憑かれた娘を助けて欲しいと救いの手を差し伸べてきた彼女の母親の依頼で……
「どういう事だ?」
 確かにその記憶があるのに、しかしどうにもそれは違うような気がした。
 ――わからないけど。
「くそぉ」
 苛つきのままに舌打ちをし、そして彼は自分を確かに一度は殺したはずの男子学生を追いかけた。
 見失った男子学生だが、左胸の鋭い痛みと、そして心に感じるとてつもなく哀しい喪失感が彼の居場所を教えてくれた。難なく草間武彦は彼を見つけ出す。
 裏道を使って、男子学生の前に先回りしてやった。
 無論、その男子学生の顔に浮かんだのは驚愕の表情であった。なにせ彼は自分が殺した男を目の前にしているのだから。



 ――――――――――――――――――
【Kage?Y】


「馬鹿な。草間武彦。あなたは殺したはずだ」
 訳がわからない。
 一体何が起こっている。いや、そんな事はどうでもいい。
「だったら今一度、殺してあげますよ、草間武彦」
 彼は【時計師】の能力を発動させた。
 時が止まった世界で、彼はナイフを握り締めて、草間武彦へと突っこんでいく。そのまま今度こそ彼を殺すためにナイフを突き刺すつもりだ。
 しかし……
「ああ、言い忘れていました。【時の砂】には副作用があるのですよ」
 小さなビルの屋上から眼下の世界を見下ろす影は静かに呟いた。
 彼の瞳は見つめている。正義と悪、という概念の対決を。
「草間武彦、正義の味方を気取るのは結構。だからこそ、死ねぇー」
 彼の持つナイフが草間武彦の左胸を突き刺す、そう想われた瞬間、しかし彼は紙一重でそのナイフの切っ先をかわし、
「馬鹿な」
 時が止まった世界の中で、大きく両目を見開く彼の顔面にカウンターの一発を叩き込んだのだ。重い一発を。
 影は口の片端を吊り上げる。
「【時の砂】によって一度、自分が過ごした時を他人に移した者は、もう二度と前に進む時から解放される事は、無い。つまりは【時計師】の能力もまた、草間武彦を止められないのです」
 道路へと吹っ飛ばされる彼に草間武彦は言う。
「別に正義を気取るつもりはない。ただ俺が敵対する人間が悪、という概念の側に立っているだけだ」
 そして男子学生はアスファルトの上に転がり、倒れた時に【時計師】をアスファルトに叩きつけてしまった。
 その瞬間に時は動き出した。
「うぎゃぁーーーー」
 あがった断末魔は男子学生のモノ。彼の腹部を車のタイヤがひいた。そしてその衝撃が【時計師】を襲い、【時計師】が今度こそ完全に壊れて、それで彼の腹部にタイヤが乗った状態で時は止まった。
 男子学生は永遠に死ね無いまま、苦しみを味わう事になるのだ。
 それが因果応報か……。



 ――――――――――――――――――
【Kusama?Y】


 草間武彦はアスファルトの上に男子学生が落としたサングラスを手に取ってかけると、口に煙草をくわえた。
 そしてそれに火をつけて、紫煙を吐き出すと、ズボンのポケットに手を突っ込みながら自分の隣のビルの屋上を睨み吸えた。正確にはそこに居る、者を。
 ズボンに手を突っ込んで紫煙をくゆらせる草間武彦と、
 それを屋上から見つめる影の、
 視線がぶつかり合う。
 一方は憎しみを込めて。
 一方はただただ喜を込めて。
「ようやく会えたな」
「そうですね。あなたからするとそうなりますか。しかし私はずっとあなたを見てました。あなたを、あなたたちをね」
「おまえは何者だ?」
「何者? 私は見ての通りにただのセールスマンですよ。名前は、影と名乗っておきましょう」
「セールスマンだと? 多くの人を不幸にして」
「不幸、というのは人の概念です。そしてそれは他人から見ての物。その擦れ違いが人から争いを無くさせない。私はお客様が望む物をお渡しするまでです。他人がどう想おうが、お客様はお喜びになられてますよ」
「くぅ。話にならんな」
「そうですか? それで、するとあなたはどうするのでしょうか?」
「俺か? 俺は、だったらおまえを倒す」
「倒す、ですか」
 影はくっくっくと笑った。
「すると私も、悪、という概念の側に立つ者なのですか。まあ、良いですけど」
 影はぱちんと指を鳴らした。
 転瞬、時は動き出す。
 草間は男子学生が居た場所に目をやるがそこには彼の姿も、血の一滴も無かった。
 きっと彼は時と時の狭間で今も、そしてこれからも苦しみ続けるのだろう。
 草間は溜息を吐いた。その彼の耳に影の声がした。
「そうそう。彼女の愛に免じて、あの最後のひとりは私が助けましょうか。今回は実に色々と実り在る物を見せていただけましたからね。それではごきげんよう、草間武彦」



 ――――――――――――――――――
【ラスト】


「瞬影」
 影は己が能力名を口にした。その瞬間に、彼女に取り憑いていた怪異は影に呑みこまれて、その存在を消された。
 そして彼は魂が抜けたように茫然としている少女ににこりと笑い、闇の中に消えた。


 こうして影と草間武彦が出会う事となった事件は解決した。
 ひとりの少女の命を代価として。
 ………。



 ― fin ―


【今回の商品の一覧】


【ウイジャボード】
 俗に言う交霊儀式『こっくりさん』の西洋版の道具である。
 この【ウイジャボード】自体が凄まじい霊力を秘めているので、霊感の持ち主ではなくとも、ほぼ間違いなく交霊儀式を成功させられる。
 が、これを扱った者のすべてが奇怪な変死や不慮の死を迎えている。例外は現時点では一名だけだ。

【時計師】
 見た目はただの時計だが、時を止める力を持っている。

【時の砂】
 他人と手を繋いだ状態で、その砂時計をひっくり返せば、その繋いだ人の時間を5分間だけ自分に移動できる。ただし、この【時の砂】によって時を移された者は以後、前に進む時の法則から切り離される事は無い。


 ++ライターより++


 こんにちは、影さま。
 いつもありがとうございます。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。


 今回は影さんと草間武彦との出会いを、という事でこのようなお話を書けたのがとても嬉しく、そして非常に嬉しかったです。^^


 ちょっと後日談を。
 草間武彦はこの次の日に新聞に載っていた女子高生の変死事件の記事を読んで、涙を流したとの事です。


 影さん、は本当に味のある魅力的なPCさんで書くのが本当に楽しいです。
 暗鬱なる夜闇の魔王、という感じでいつも書かせていただいているのですよ。^^
 今回は前回よりもまた一段とその雰囲気も出せましたし。
 本当に草摩としては満足のできる作品になりました。
 PLさまに満足していただければ本当に幸せでございます。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 本当にご依頼、ありがとうございました。
 失礼します。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
草摩一護 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年12月13日

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