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『□■□■ 夕暮れは囁く ■□■□ 』
七枷・誠3590



 曰く付きの書物なんてよく相手にしていたし、物に憑く――何かに寄生してしか存在出来ない程度の概念に遅れを取ることは無いと、思っていた。それは自負だったのかもしれないし、自惚れだったのかもしれない。どちらにしても同じ事で、戯言遊びの結果でしかないが――七枷誠は、はぁっと巨大な溜息を吐いた。
 書物の所為か、自分の体質の所為か。取り敢えず下校途中で突然異界に取り込まれるのは勘弁して欲しい、テスト前で鞄も重いと言うのに。斜陽が続き続ける捩じくれた空間の中で、彼は、廃墟から伸びる長い影を見下ろしていた。

 魔物の異界。人間やそれに類するものが作り出したものならばまだしも、まったく違うベクトルを向いている種族が作り出した空間の捩じれに巻き込まれる機会と言うのは、絶対数がそもそも多くは無いだろう。彼もそういった空間に足を踏み入れたのは初めてだった。
 知っている町並みをしているにも関わらず、そこは瓦礫や廃墟の群れと化している。異界の主のイメージなのだろう、そういえば先日手に入れた文献でそんなことが書いてあった。荒廃した廃墟の異界を持つ魔物――『逢魔が時』。
 詳しい記述は無かったが、どちらにしても一度取り込まれてしまったら自分で這い出せる法はない。完全に相手の影響下にあると言っても過言ではない状態なのだから。だから彼はなんとなく、ぶらぶらと、矛盾する町を歩く。知っているけれど知らない場所である町並みを楽しむように、眺める。

 ざり。

 音。

 振り向けばそこに、牙を向き出しに低い呼吸音を響かせる魔物が佇んでいた。

 落ちる唾液はアスファルトを溶かす、一目瞭然の強酸性。触れれば骨まで染み込んで簡単に溶けてしまいそうなほどの圧倒。冷や汗が背筋を伝うのを感じながら、彼は取り敢えず重い鞄を投げ捨てた。敏捷性を確保しておくに越した事は無い、どさり、落ちた音を合図にしてそれは――彼に、飛び掛っていた。
 一撃と飛び散る酸を避けながら、誠は文献の内容を思い出す。異界を持つ魔物、逢魔が時。人を幻影に引き摺り込んで食らう魔物。狩りを楽しむ属性。異界に生存する、最も遭遇してはならない――『再生するもの』<リジェネイター>。
 無限の再生、無限の進化、無限の適応。相対した物を粉砕するためにその身体の構成を直し、抗体を作り出し、そして相手を薙ぎ倒す。貪り食らう。狩りと再生と強さを本能のように求めるそれ――爪を避ける、生まれた真空波が制服の袖を破った。単純に物理攻撃だけを意識してもいられない。

「溶解と融解を内包しながら姿を保つ獣、あるべきは侵食の果ての消失、その姿を現すことをここに『命じる』!」

 生まれた言霊が浮かび上がり、魔物の口元に集まる。強酸性の唾液、意味を分解すればそれは徹底的な融解を司る物質である。その力を強化して働き掛けることで、内部から身体を溶かしつくすことを期待しての言霊だったが――集まった光は薙ぎ払われて簡単に消える。誠はチッと舌を鳴らし、その腕を避けた。
 どうやら百戦錬磨までは行かずとも、幾度かの戦闘を経ているのは確からしい。まだ生半可のきらいのある自分の言霊ではその領域に干渉する事はできない、少なくとも『再生するもの』の中という領域には。
 身体の内部に働き掛けられないとなれば外部だが、その身体は硬い。鋼鉄とは陳腐な表現だが、落ちていた瓦礫を言霊でぶつけてみてもそれはびくともしなかった。続ければ効果はあるだろうかとひたすらに打ち込むが、絶えず向こうも攻撃を仕掛けてくるので集中力がそがれる。結果、言霊には最善の力を持たせることが出来ないでいた。

「己持つ力の全てを斥力に変え今こそ地面を離れ、彼の獣の持つそれに従うことをここに『命ずる』!」

 巨大な瓦礫は勿論、飛礫状の物を剥きだしの眼球に向けもしたが、それは悉く溶かされた。唾液といわず粘膜の全てが酸性であるらしい。迂闊に近付くことも出来ない、相手に攻撃をさせない。確かに飛び道具を携帯しているものなどそうはいないだろうから有効な手段ではある。
 そして、よしんば飛び道具を使用された所で、硬質の皮膚で弾き飛ばせば良いだけなのだ。遠距離からの攻撃は投擲など手段は限られる、そしてそれらは必ずしも近距離の打撃に勝るわけではない。
 完全に狩りを楽しんでいるのか、誠をじわじわと追い詰める魔物は、時々笑い声のような唸りを発した。無敵モードの反則ゲームを自分の強さと勘違いしている小学生を連想して、誠は少しだけうんざりする。自分もそうだった時期があったことを思い出して。

 だが無敵モードにも穴はあった。相手も同じモードなら無効という場合や、自分の攻撃が全く相手に当たらなかった場合。
 そして――相手がそれを凌駕するほどの裏ワザを保持していた場合。

 服装検査に感謝するのは初めてだと、誠は上着の胸ポケットから生徒手帳を取り出した。繰り出される爪を避けながら、メモページを数枚一気に破り取る。流石にポケットに戻す余裕は無かったのでそれを投げ付け、時間を稼いだ。散った紙に眼を塞がせれば、ぐらぐらと身体を揺らして振り払おうと足掻きだす。
 くるりと筒状にした紙片に噛み切った指先から流れる血で『加速』の文字を記せば、言霊による性質の付与が完了される。その脇に無限ループを固定し、相手に、向けた。

「――表裏続き続けるメビウスの象徴、それが意味するは無限、加速は限界を超えて溢れ出すのは力の奔流、矛盾の空間に散らばる其れをここに収束させることをここに『命じる』」

 眼に張り付いた紙片はまだ取れていない、狙うならば今しかない。もがきながらも身体をこちらに向けてくるのは獣の勘か、魔物の本能か。

「狩りを楽しむほど驕れる能も無い者が其れを続けるのも矛盾、その矯正を――ここに、『命じる』」

 紙の砲身から言霊の力が溢れ出す、淡い光が生まれる。矛盾と言葉がそこに収束し、架空の弾丸を作り出していた。襲い掛かる魔物が鼻先まで迫るその瞬間、彼は、構成していた論理をその口唇から零し出す。

「無限の加速が産み出すは無限の質量、ここに生じる加速は前方に広がる全てを消失させる、世の理の実行をここに――『命じる』!」

■□■□■

「あ、やべ」

 異界の消失により現実世界に戻された誠は、とっぷりと日が暮れた空を見ながらぽつりと呟く。

「……生徒手帳、回収しそびれた……」
PCシチュエーションノベル(シングル) -
哉色戯琴 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年12月13日

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