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『□■□■ MALICE HOLIC ■□■□ 』
我宝ヶ峰・沙霧3994


 人が死ぬのは当たり前で。
 私が疎まれるのは当たり前。
 空が明るいのは当たり前で。
 私が暗いのは当たり前。

 そんな時期が昔、確かに、目前に、存在していた。

 爪を噛み続ける動作はなんというか、日常生活の一端だった、今にして思えば。右手の親指、爪をギリギリと噛み続ける。噛み進めるとやがてそれが肉に到達するのは自明、そして私はそれをも噛み進めた。指先から溢れて流れ出す赤い色と鉄の味、生臭い有機的なそれ。口の中には常にそれが溢れて、自分から流出していく生を自覚すれば、どこか陰鬱な心地にすら――ならなかった、か。その心地はいつも私を包み込んでいたし、抱いていた。だから今更自覚的になるなんて労力の要る無駄なことなんてしていなかった、と、私は思う。殆ど無くなってしまった爪に飽きたら肉を噛む。痛覚なんて自分の精神や脳内麻薬の分泌でどうとでも出来た。自覚的にしようとすれば困難だけれど、無自覚なら容易い。あってはならない痛みを、脳が、隠蔽する。

 だったらその便利な脳は、どうして私の眼を盲くしてくれなかったのか。
 それは今を持ってしても、謎の事だったりする。
 どうして私の耳を聾してくれなかったのか。
 それも、以下同文。
 どうして亡くしてくれなかったのか。
 以下省略。

 外部に対する印象は、常に『汚い』だった。汚い。人間は汚い。多重構造の脳の中に原始や獣を飼っているにも関わらず、生きているだけで幸福だという原初的な機能は失ってしまっていた。だから色々な複雑な感情を表出する。死にたいとも思えば死にたくないとも思う。生を基準にしているかと思えば、死をそれに挿げ替えたり。気持ちの悪いことこの上ないほどに矛盾していて統一感なんてまるでない、その異様さ。
 自分の都合如何で死を尊び、疎む。滅びを愛し、蔑む。自分勝手な主観の世界で生きるのは結構なことだけれど、そんな我侭で概念を圧迫されたってこっちが困る――『概念』が、困ってしまう。
 だから私はいつも俯いて爪を噛んでいた。行動に専念することで思考を遮断し、触覚で他の感覚を全て廃棄していた。暗い情念が纏わり付くイメェジを自覚せずに、粉砕していく。何も考えないようにしていく。何も何も。
 自覚すれば最後、脆い最後の糸は途切れて行くだろうことなんて、いくら幼くて世界を自覚していなくても判ることだったのだから。

 きらいきらいきたない。
 この世は全身全霊に穢れている。
 私は全身全霊に穢れている。

 だから血を流して生を流出させる。滅亡が生を内包する気持悪い矛盾を垂れ流す。だけどそれすらも、向けられる疎ましいまでの昏冥を断ち切ることが出来ない。薙ぎ払うことの出来ない気持ち悪さはいつまでも私の身体を覆いつくして、何もかもを、遮断していた。
 人に会っても判らない。人に会わなくても判らない。言葉を掛けられても判らない。言葉を掛けられなくても判らない。感覚は閉じられて自分の内側に篭る、ただ指先から流出する生を感じる。ゆっくりと死の割合が高まっていくことを自覚すれば、そんな自分の内部すらも否定してしまいたくなった。

 何もかも否定して、逃避して、拒否して。
 嗚呼なんて素晴らしい人生。
 悪意は中毒性を持ってひたひたと迫ってくる。

「貴女は自分が本当に嫌いなのね」

 指先をゆったりと、だけど確かな強制力を持った力で口元から引き剥がされる。感覚の逃避場所が奪われたことで私はその声を認識し、いつの間にか自分の前に立っている何者かを自覚した。閉じられた感覚の中に進入する異人。血管に混入された異物のように不快。では、ない。
 呆れるような溜息と、仕方なさそうに浮かべられた微笑を見上げる。血塗れの手が、その人の白い手を染めていた。酸素と結合したヘモグロビンはすぐに黒く変色して、それもまた気持ちが悪い。白を汚す黒。生を穢す死。私が汚す、その人。
 浮かべられた微笑が不意に消える。鋼鉄のイメェジ、そして、告げられる言葉。それはある意味で言霊のように機能した。意思を持った言葉が私の中に滞留して、強制力を、持った。心地よいほどに強引な力を持った言葉が紡がれる一瞬前、開いた口が大きく息を吸い込む仕種、何もかも、今でも鮮明に覚えている。鮮やか過ぎるほどにはっきりとした、記憶として。

「貴女が貴女を信じなくて、一体他の誰が信じてくれると言うの?」
「――――」
「死にたくない、そう願う連中を毛嫌いする。良い、否定しない。貴女がそれを否定することを、否定しない。貴女は否定ばかりを持っているけれど、例えば自分すらも否定しているけれど、じゃあ肯定は何処?」
「こ――ぅて、い」
「そう。貴女を受け入れて受け止めて抱き締めて肯定してくれるものは、何処にあるの」
「ど、こ」
「これから出会うかもしれない。でももう出会っている。それを自覚して」

 ゆっくりと、汚れた白い指が私を指す。暗い部屋に差した突然の陽光。いや、そんな凶暴なものでもない――それは薄明。月光のように柔らかに、背中を丸めて膝を抱えていた私を包み込んだ。
 綺麗に整えられた爪の先、私の鼻先が触れるか触れないかの位置にある。笑みを向ける気配、そして、仕種。意味が判らない、そういう顔をしていた私に、その人が告げる。

「まずは貴女自身。違って?」

 暗い顔で俯くな。爪を噛んで血を流すな。死の連想から逃げるな、生だけを肯定するな。
 笑え。笑いつくせ。笑い殺せ。頬の筋肉を吊り上げて人を見ろ。皮肉も軽蔑も愛情も何もかも笑みで肯定しろ。
 自分が内包するものを固定するな。
 笑え。

 脅迫のように。
 言霊のように。
 呪いのように。

 私は笑って、笑って、笑って、笑って、笑いつくして。笑い殺して。
 だけどやがては本当に嬉しくなって、楽しくなって、愛しくなって。
 ああほら。楽しい。私の中は死と滅だけが満たしているものじゃない。
 新しく生えた爪が不恰好なことすらも楽しいと感じられる、それが私。

 肯定しろ。

■□■□■

「ッ、んー……うし、良い朝っ」

 背伸びで筋を伸ばした腕で勢い良くブラインドを上げると、中々に綺麗な空が広がってた。朝の青空はどこか寒々しいけれど、ひどく爽快なイメージ。だから私は御機嫌に、にっこり笑う。ガラスに映った自分の顔、寝癖が付いてることに次は苦笑いを。あーあ、寝相が悪かったかなー昨日は、前髪の跳ねが直らなかったら悲劇だわ、朝の硬い身体でシャワーは中々の拷問だし。

 夢の中では自覚的だった、だから嫌な汗は一つも掻いていない。さらさらしたパジャマはまだ夢の残滓と温もりを纏っている。ぱたぱた鳴らしたスリッパは、戯れに購入したアニマルスリッパ。我ながら可愛すぎるものを選んだと、間抜けな顔のパンダに向けてまた微笑。洗面所の鏡に映る自分は、ぎこちなさを感じさせずに、笑っている。

 だから今日も笑う。
 過去が薄れても懐かしいものになっても。
 私の誓いは懐かしいものに古びたりはしないから。
 今日も生き続ける脅迫に、呪いに、言霊に、勇気に。

「おはよー、私っ」

 笑顔を向けるんだ。



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東京怪談
2004年12月06日

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