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『人魚姫のお仕事 』
海原・みなも1252


 あの人は何時だって突然なのだ。
「ねぇ、みなもちゃん……あの人」
「……解ってる、でも大丈夫だから」
 学校からの帰り道。
 心配そうに声をかけてくれる友人に笑い返す。
 現実から目をそらすのは良くない事だと前を見て、やっぱりどうにかならないものかなどと思い……眩しい物を見るかのようにみなもは目を細めた。
「やっほーーー、みなもちゃーーーん」
 事実眩しかったのかも知れない。
 とても良い笑顔で走ってくる水泳部の先輩は、みなもの手を取るなりくるくると回り出す。
「えっ、あのちょっと……!?」
「うふふ、うふふふふ。さー、いきましょうかーーー」
「ああ、いきなり何処へ!?」
「ダメー? うふ、うふふふ、あはははは」
 くるくると……天下の公道で笑いながら回るのはかなり恥ずかしい。
「いえ、あのその……私は大丈夫だから」
「ならよしっ! ゴーー!」
 後半は友人に心配をかけないように言った言葉だが……喜々としてスキップまで始めた先輩に、またもやどこかへと連れて行かれる事になったのだった。
 この先輩は何時だって神出鬼没なのである。



 半ば予想はしていたから心配はしていなかったのだが……連れてこられた場所は既に何度も通った水族館だった。
 水泳部と演劇部の先輩がそろい踏み。
「ごめんねぇ、みなもちゃん。さっきは徹夜と納期開けで明けでテンションがおかしくなってたのよ」
「何やったのよ……あんたは〜〜」
 栄養ドリンクを飲みつつ半眼で呻く演劇部の先輩に、思わずみなもは手を振る。
「いきなりでビックリしましたけど、大丈夫ですよ」
「ほら、みなもちゃんは良いって。やっさしぃーーー」
 抱き締められ、何故か頬ずりまでされた。
 まだテンションは高いままなのだろう。
「あんたね……まあいいけど……さてと、本題に入りましょうか〜〜」
 ビンをゴミ箱に放りつつ、取りだしたのは薄い全身タイツに下は魚の尻尾のような物。
「今日試して欲しいのはこの衣装ね〜」
「夏向けのイベントで人魚姫をやる事になったから、その試作品のモデルをやって欲しいの」
 向こう側が透けて見えるのではないかという思える程に薄い布で、尻尾の部分は鮮やかな色彩。
 シンプルな作りだが、逆にそれが尻尾を引き立てる作りになってる。
「きっと似合うわ」
「あ、ありがとうござい、ます」
 素直に言葉を返せなかったのは、水泳部の先輩の表情は絵に描いたような笑顔だったからだ。
 嫌な予感がヒシヒシとする。
「この衣装着て貰う前にやって置いて欲しい事があってね〜」
 取りだしたのは薬のビン。
「前の着ぐるみの時トイレ大変だったじゃない〜、でね〜〜」
「さ、先に済ませておくんですか?」
「それもあるんだけど、この服も着るのがすごーーく大変でね……今の内に全部出しちゃって欲しいのよ」
 にたりと影のある笑みで詰め寄られ、みなもは手を挙げたまま後ずさるが後は壁だった。
「な、何ですかそれ……」
「大丈夫よ、医療用の下剤だから」
 ぐっと親指を立たせながらの言葉に、みなもは深々と溜息を付く。
「の、飲まなきゃ何ですよね……」
「トイレはいけないからね〜、どっちにしても」
「ねっ、お願い。みなもちゃ〜ん、あなたしか頼める人居ないのぉーー」
 猫なで声にくわえ、キラキラと濁りきった瞳で言われ……あえなくみなもは頷き首を縦に振る。
「わかりました………やります」
 深々と溜息を付き真っ赤になりながらも、みなもは渡されたビンを受け取った。



 お手洗いをすませた後はいよいよ服を着る事になるのだが……。
「じゃあ服脱いでね」
「はい…」
「衣装がこれだから、全部ね」
「はい……」
 セーラー服に手をかけ、きちんと畳んでテーブルの上に置く。
 衣装を着るためとは言っても、何一つ身にまとわないのは恥ずかしい。
「衣装の前に保温クリーム塗るから」
「保温用と接合用の兼用の物で〜、水の中でも冷えにくいし衣装もずれないようにするために塗るのよ〜、まあ楽にしてて」
「はい、お願いします」
 その調子と水泳部の先輩がみなもの手を取りたっぷりとクリームを手に取り塗り始める。
 粘性の強いクリームは塗ったら直ぐに透明な色に変化して行き、保温用と言う事だけはあって暖かい。
 足首や太股。
 腹部や胸。
 下の方から上にかけて丁寧に塗り込んでいく。
 腰辺りにまで来た所で、くすぐったさに身をよじるが背中を滑る髪にハタと気づいた。
「あの、髪は……」
「あっ……腕まだ塗ってなかったわよね、ピン上げるからそれで止めちゃって」
「はいっ」
 まだ色々と試行錯誤している最中らしい。
 だからこそみなもが呼ばれたのだろう。
 髪をとめている間にも背中にクリームを塗られ、腋や二の腕までにも触れる手。
 深く考えると頬が熱くなるのを感じ、慌てて首を振る。
 続いて腕や指先、最後に足の裏までを塗り終えてから、先輩達が協力して衣装を着せてくれた。
 尻尾の方から慎重に、素材は弾力性のある物で片足ずつでも何とかはいるようになっている。
 クリームの滑りもあったからだろう。
「こっからが勝負よ」
「みなもちゃんも協力してね〜」
 お尻の部分まで入れてしまえば座る事が出来て大分自由になる。
「あの、クリームは最初は腰まで塗るのじゃダメなんですか?」
「……」
 遠い目をする二人、どうやらしてはいけなかった質問らしい。
「とにかく続行よ、みなもちゃん、がんばってね」
「はいっ」
 尻尾の形を特殊な機材で整えながら、上半身もしわが寄らないように着せていく。
 一見ホットカーラーのようにも思えたがひんやりとしていて、足にピッタリと張り付いて行くのが解った。
 足の形も解らないし、全身が繋がっているのだから上手く着る事が出来ればみなもが変化した姿よりも……上手く人魚に見えるかも知れないと思うとなんだか何とも言えない気分になってくる。
 着るのにかかった時間は20分。
 クリームの酔っていた部分のシワを伸ばすのに必死になっていたりして、なおかつ張り付く前に着なければなら無いために急ぎだったからと集中していたから余計に疲れた気がする。
「お疲れさまー」
「はい……」
 まだ試着の段階なのだ。
 本番はこれから。
「ちょっと足動かしてみて、上下左右に一回転。どれぐらい動くかも確かめたいから」
「はいっ」
 気合いを入れ直して真っ直ぐに伸ばした足を上下に動かす。
 ここは多少曲がりにくい物の何とかなりそうだ。
 それで左右……。
「あの、もともと左右は無理なのでは……?」
「………そりゃそうね」
 膝だけでそんなふうに動く事なんてできないのだから、腰を使ってならなんとか動ける程度だ。
 こうしてきてみるとこの衣装は見た目よりも暖かい。
 薄い素材はまるで裸のような着心地なのに、少し体を動かしただけで暖まってきた。
 水の中に入り称を演じるのならこれぐらいがいいのだろう。
「着心地はどう〜」
「はい、軽いですし、泳ぐのに問題はないと思います」
「じゃあ次は実践いってみようか……」
「はいっ、頑張ります」
「おー」
 なにやら覇気のないかけ声だが……その理由をこの後いやという程に思い知る事になった。
「おおっ、いけるねーー。もう一本行ってみよう!」
「は、はい……」
 25メートルプールを既に何往復もしているし、潜水で自由に動いてみたりもした。
「どっかずれたりしてない?」
「確かめてみようか……みなもちゃん上がってみて、ついでに休憩にしよう」
「はい……」
 自ら上がると尻尾の部分がずしりと重い。
「寒くない? こすれるような部分は? どっか固まったりしなかった?」
「大丈夫です……」
 次々と問い掛けられ、律儀に答えを返すみなも。
「じゃあ御飯の後少し休憩してもうちょっと頑張ってみようか」
「…………はい」
 どれぐらい続くのだろうかとそんな考えが頭を過ぎり、思わず問い掛けてしまう。
「あの……後どれぐらい?」
「そうね……」
 パサリとどこからか取りだしたチェック表の束。
「………………」
 目を丸くしたみなもを気にせずその一覧を次々と読み上げる。
「耐久テストに保温剤と接合用クリームがどの程度持つかとか、イベント用に組む動作とか予想出来る限りの動作とか、あとはどれぐらい動けるかも確かめないとよね」
「…………」
 その間、ずっとこの衣装は来たままらしい。
 考えただけで涙かでそうだった。
「がんばろうね、みなもちゃん」
「……はい」
 御飯を食べながら、がくりと肩を落とすみなもがこの衣装から解放されたのは……。
 衣装を着てから十二時間も後の事だった。




PCシチュエーションノベル(シングル) -
九十九 一 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年12月06日

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